勇者マリウスとの再会
オスカーが護衛をしてくれたおかげで、特にゴロツキどもに絡まれることなく無事に船を降りることができた。陸に上がって私は一度、深呼吸をする。
陸地の空気が美味しかった。そしてどこからともなく良い香りがする。
こちら側の港はいくつかの町の境目になっていて、様々な店が港に集まっていた。
私は思わず、わぁ、と声を出してしまう。
勇者のパーティーと旅をしている時は、魔王の棲み家までの道のりの中盤から、人の気配はどんどんなくなっていき、最後の方は自給自足に近かった。狩りをしたり野草を採ったり。
それが当たり前になっていただけに、これだけの人が集まって品物が行き来しているのを見ると、テンションが爆上がりしてしまうのは仕方ないと思う。
海側なので魚を炭火で焼く匂いもあちこちからしていて、ついそちらの方に鼻が向く。
オスカーは少し呆れた声で私に尋ねた。
「食べたいのか?ここらにあるもの全て食べ尽くしそうな顔をしているが」
「そんなに食い意地はったように見える?」
私が頬を膨らますと、オスカーはふっと笑った。
「ーーー見えるから言っているんだ。食べたいなら、何か買ってやろうか」
オスカーが財布を懐から出そうとするから、私は慌ててその手を止めた。未来はともかく、オスカーが今の時点で重度の金欠症を患っているのは知っている。そんなオスカーに奢ってもらうなんて、とんでもない話だ。
というか、オスカーが気さくに人に物を奢ろうとするなんて、とても信じられない。天変地異の中でも空からマグマが飛び出してもおかしくない。
「いい。買うなら自分で買うから。それより、オスカーこそ欲しいものないの?町まで連れていってくれるなら追加報酬が必要でしょ。オスカーはベジタリアンだから、あそこの焼き玉ねぎなんて好きなんじゃない?」
パーティーでの旅の途中、私が野外で料理する時は、バーベキュー形式のものが多かった。その時にオスカーは、いつも野菜ばかり食べていた記憶がある。特に玉ねぎをしっかり炒めて柔らかくなったものは、端の方に自分用としてキープするほどに。
寡黙なオスカーが黙々と玉ねぎを食べる姿は、クールの枠を越えて、闇の宗教の儀式のようだった。
味覚というものはそう簡単には変わらない。
きっと、この年齢でも焼き玉ねぎは大好きだろう。
私がにっこりと焼き玉ねぎを指差しながらオスカーを見ると、オスカーの目は明らかに私を訝しんでいた。
「、、、なぜそう思うんだ?俺とお前は初対面のはずだが」
うぎゃ、と私は心の中で叫んだ。
墓穴掘りまくり。
そりゃ初対面の人から、いきなり好物当てられた上に「好きでしょ」なんて断定されたら、怪しむに決まってる。
私はあわあわと動揺する心を胸に仕舞い込み、顔は冷静を保って微笑んだ。
「ーーーそんな気がしただけよ。オスカーったら、細身なんだもの。肉を食べてないんじゃないかなって思って」
断定したのに「そんな気がした」なんて言い訳にも程がある。でも、これしか思い浮かばなかった。
私はオスカーの様子をちらりと伺う。すると、オスカーも自分の細身を気にしていたのか、眉を寄せてオスカーの細めの腕に視線を移していた。
「、、、やはり肉を食べた方がいいか」
そう呟いたので、私は急に申し訳なくなってブンブンと首を振った。意外と細いのを気にしていたのだろうか。別に痩せすぎてるわけじゃないから、気にしなくていいのに。
「別にみっともない細さじゃないわ。食べるにしても、肉が嫌いなら豆とか魚で補うのもいいと思うし、無理することないわよ」
「そうか。肉が嫌いなわけじゃないんだがな」
必死にフォローする私の様子がおかしかったのか、オスカーはくすりと笑ってみせた。
オスカーはいつもクールで動じない人だっただけに、こんなオスカーの豊かな表情は珍しい。
私と知り合う前は、今みたいにちゃんと表現できる青年だったのかもしれない、と私は思い直した。
信頼する人物の死と、故郷の滅亡。
それがオスカーを感情の少ない人間に変えてしまったのだろうか。
何を考えているかわからないオスカーより、ずっとこっちのオスカーの方がいい。
マリウスやオスカーに、もう心に闇を抱えるほどの記憶は必要ないと思った。
やっぱり早くハタカンの町に行かなければ。
残された時間はあまりない。
「オスカー。店を見て回りたいのはやまやまだけど、少し急ぎたいの。このままハタカンの町にすぐに向かってもいいかしら」
「いいのか?俺は元々そのつもりだったから構わないが」
「いいの。用が済めばまたここに来ればいいだけだし」
「そうか。それなら出発しよう」
私は道中の空腹対策に、さっきの焼き玉ねぎと野菜たっぷりのピザだけ購入して、オスカーとともに馬車に乗り込んだ。
大衆の乗り合いの馬車は、個人で馬車を借りるより安価で使うことができる。ただ、多くの人を乗せるため、無理やり詰め込まれて、座れる場所も狭かった。
隣に乗る人と密着する。
私の座った椅子の片側がオスカーで、もう片側は高齢のお爺さんだった。食べ物をあまり食べれていないのかとても細く、うっかり馬車の揺れでお爺さんの方に体重を乗せてしまったら、お爺さんが潰れてしまいそうだった。
私はできるだけオスカーの方に身体を寄せて、お爺さんを守る。オスカーは狭そうに眉を寄せて私に苦情を言ってきた。
「おい。こっちに寄りすぎじゃないか?」
「これでいいのよ。それよりほら、さっき買ったピザ、いつ食べる?温かい方が美味しいわよ」
「こんな狭いところで食べられると思うか?それより、ピザの匂いが強すぎて周りに迷惑になってないか」
焼きたてのピザの匂い。
大衆の馬車は貧しい人も乗る。食べ物を買うために節約で歩く人もいるが、町までは少し距離があり、道のりも険しい。途中、魔物も出てきたりするため、食事を抜いて馬車に乗る人も少なくなかった。
ピザの香ばしい香りに、馬車の中の人の視線がピザの入った袋にチラチラと向いているのがわかる。
お腹が空くだろうと、ただ単に購入しただけだったけれど、そういう周囲のことを失念していたなぁと私は申し訳なく思う。
ピザは大きめのものだった。
しかしものすごく沢山あるわけでもない。
私がおもむろにピザの箱を開けると、オスカーが「おい」と私を止める声がする。
私はシャイニングカッターの魔法を弱々しくかけて、ピザを馬車に乗る人数分に切り分ける。
そこにこっそり聖魔法をかけた。
そうすることで、少量の食事でも満腹感を得られるようになる。勿論、聖魔法なので体調も回復する。
急に元気になったら私が聖魔法が使えることをバレてしまうかもしれないので、あくまで『こっそり』がポイントだ。
この方法は、勇者のパーティーの旅の途中でもよく使う方法だった。ダンジョンの中など食糧があまりない時にこの魔法を使って腹を満たした。
聖魔法レベル2の下級魔法なのに役に立つ便利魔法。
私はその魔法をかけたピザを、馬車に乗る人達に差し出した。
「馬車の中で申し訳ないですが、ピザ、皆で食べませんか?」
え?、という馬車に乗車した人達の声が聞こえた気がした。オスカーなんて、目を丸くさせて私を見ている。
唖然としている、と言うのが正しいかもしれない。
私はそれを気にせず、横にいるお爺さんにもピザの箱を差し出した。
「お爺さん。普段ちゃんと食べてます?難しくても少しでも栄養取らないとダメですよ。はい、どうぞ。野菜たっぷりの焼きたてピザ」
痩せ細ったお爺さんは私を見た。
そして私が笑顔で頷くと、お爺さんはおずおずとピザに手を伸ばす。
ピザの1切れを掴んで、ゆっくりと口に入れた。モグモグと大切そうに咀嚼する。
「、、、美味しいよ、お嬢さん。ありがとう」
どこか泣きそうな顔で笑ったお爺さんに私が微笑むと、それを見ていた周りの人達が、わっと馬車の中からピザに向かって手を伸ばした。
皆、おなかが空いていたらしい。
あんなに港には物が溢れていたというのに、買える人は限られていたのだろうか。
満足できる量のピザを買っていなかった事に後悔しながら、私はまたこっそり、馬車の皆に向かって聖魔法をかけた。本当は完全回復させてやりたいけれどそれはできない。せめて少しでも皆のおなかが満たされますようにと願う。
あっという間にピザはなくなってしまって、私はオスカーの耳元にそっと囁いた。
「ピザ、食べる前になくなってしまってゴメンね。でもオスカーには焼き玉ねぎ残してるから、それで我慢してね」
「、、、いや、それは別にいいんだが、、、」
私の行動を不思議そうに見ているオスカーが少し面白かった。
少しおなかが満たされて、馬車の暗い顔をしている人達の中にちらほらと笑顔がこぼれだした。
ガタガタと馬車は、粗い道のりを進んでいく。
途中、小さな森を通った。
この森は狼型の魔物が出現しやすいらしい。その魔物はそこまで強くはないが、集団で襲うという点では厄介で、多くの旅人が犠牲になってきたという。
森の通行者の9割はその魔物に襲われるというから結構な頻度だ。この魔物がいるために、どんなに貧しくとも馬車に乗る人が多い。お金を惜しんで命を失っては元も子もないからだ。
だが、その狼型の魔物は、森を抜けるまで現れることはなかった。
この道のために馬車に1人護衛が待機していたのだけれど、魔物がでなかったことで肩透かしを食らったようだ。魔物の気配もないためその男は不思議がっていた。
まぁ、私が魔物避けの魔法を使っていたのだから当たり前なのだけど。
強い敵は無理でも、弱い魔物くらいならエンカウントしないようにできる魔法がある。
本当に聖魔法は便利だ。ちなみにレベル1。
基礎中の基礎の魔法だったりする。
町に着くと、馬車から半分ほどの人が降りた。
残るは更に奥の村にいく人達だ。
私達が馬車から降りた時、何人かの人からピザのお礼を言われた。
おなかいっぱいになったよ、と笑顔で言われた時、ちょっとやりすぎてしまったかなと反省する。
馬車の人達と手を振って別れ、馬車から降りた人達ともハタカンの町の手前で別れた。
彼らの中にはオスカーのことを知っている人もいて、あまりオスカーに良い顔をしなかったけれど、オスカーを直接悪く言う人はいなかった。
しかしオスカーを見る目は言葉よりも多くを語る。
私は黙ってそれを堪えた。
それら全てに反応していたら私は暴れん坊の危険人物に認定されてしまうだろう。
私達はそれに気付かないふりをして乗り切った。
できることなら、オスカーに言ってやりたかった。
この町では忌み嫌われているそのオッドアイは、広い世界に出たら、その端正な顔と相まって『宝石』と呼ばれることになる。
賢者という実力もあり、多くの人から愛される。
今だけだ。今だけ踏ん張ればオスカーは辛い思いをしなくて済む。
今だけ頑張って。
私が視線でオスカーに応援すると、オスカーからは不審な瞳で見られた。
心って目だけでは伝わらないよね。
「ここからはしばらく歩く。体調は大丈夫か?」
「平気よ。私、これでも体力あるのよ」
ふふ、と、私はどや顔をして腰に手を当て胸を張る。
「そうか」
オスカーはいまいち信用していない顔で私の前を歩き出した。しかし一度振り返って私の荷物を無言で奪い取り、オスカーが背負ってくれる。
またそういうところ。うっかりトキメキそうになるけど、私はマリウス命だから惚れたりしないからね。
そう心で呟きながら、私はオスカーの後ろを追って歩き始めた。
道は補整もされておらず、延々と続く。
どこまでいってもずーっと同じような道で、終わりが見えなかった。
息切れ、動悸、眩暈。疲労困憊。1歩の足がなかなか出辛くなっていく。
私。現在16歳。
そういえば私はこの頃、まだただの平凡な村娘だった。簡単な光魔法が使えるだけの、村から出たことのないただの娘。
つまり。
体力がまだ備わっていないということを思い出した。
マリウスを追って一緒に旅するようになってから、何度もその過酷さに嘔吐したり涙を流しながら体力をつけて、ようやく普通に旅ができるようになったのだった。
オスカーの後ろを歩きながら、吐き気も感じだした私は、あれだけどや顔しておいて今さら「待って」とも言えず、自分に回復魔法をかけながらどうにか必死に食らいついて歩いた。
時々オスカーが振り返った時は平然とした様子を装う。これを繰り返し、私はその日のうちにハタカンの町に辿り着いた。
ハタカンの町はここら一帯で一番大きな山の麓にあり、自然溢れる穏やかな場所。町の中央に川が流れ、その川の恩恵を受けて農作物が作られる。それで生計を立てている人が大半だった。
過去に戻る前、私は1度だけこの町の跡地を訪れた。
その頃にはもう、この町は廃れ、その名残だけが虚しく残されていた。
人のいない家は風化し、田畑は荒れた。
ただこの中央を流れる川だけが昔と変わらず悠々としていると、マリウスは悲しい瞳で眺めていたあの日。
私はその顔を今でも鮮明に思い出せる。
もう、マリウスにあんな顔はさせたくなかった。
私がその様子を思い出していると、オスカーが足を止める。
「よくついてこれたな。途中で音をあげるかと思っていたんだが」
茶化すように言ったオスカーに、私は苦笑した。
そうでしょうとも。想像以上にきつい道中でしたもの。そう言いそうになるのを堪えて、私は「そんなわけないでしょ。体力あるって言ったじゃない」と鼻で笑った。
「じゃあ、ここでお別れね。道案内ありがとう。これ、本当にお礼なの。受け取って」
戻された2枚の銀貨を、もう1度私はオスカーに渡そうとする。それを改めて押し返された。
「俺は故郷に戻っただけ。お前はそれについてきただけだ。金を支払われるようなことをした覚えはない」
そう言われてしまうと確かにその通りだし、何も言えなくなる。
でもここで何もせずに別れるのも違う気がする。私も光魔法で攻撃できるけど、騒ぎは起こしたくない。ここまで絡まれることなく無事に辿り着けたのは、オスカーが一緒にいてくれたからだ。
焼き玉ねぎは渡しても、それを代金とするのもどうかと思っていると、ふと、良い考えが浮かんだ。
私は荷物の中から、小さくて色の薄い魔石のついたペンダントを取り出す。昔、私の村にやってきたこじんまりとした商人が、小さかった私にくれたおもちゃのペンダントだ。魔石の価値は大きさと色の濃さで決まる。この石は価値も何もないものだけど、ついているものが一応魔石なだけに捨てるに捨てれなくて、この旅にも持ってきてしまった。
魔石は魔物から採れるものだが、ぬいぐるみみたいなもので、中に人ならざるものが宿るとか言うし、たいしたものでなくても捨てにくかったりする。
別に、手放すにちょうどいいとか思ってはいないけど、正直、扱いに困っていたので、ーーーちょうど良かった。
私はオスカーが見ていないうちに、自分の身体の後ろにそのペンダントを回して、こっそりと魔法付与を行った。
魔石には、その大きさに応じて魔法を付与できる。
あまり強大な魔法を付与してしまうとその魔道具の出どころを疑われても困るし、そもそもこのくらい小さな魔石では、大した魔法はつけられない。
そうね、オスカーは賢者だから、魔法の攻撃も防御もかなりのもののはず。
それならば、聖魔法で『幸運』というレベル1のたいしたことのない魔法を付与することにした。魔石の許容できる量を考慮しながら、その限界まで魔法を注ぐ。
おもちゃのペンダントが、『お守り』のペンダントに早変わり。
私はそれを、あたかも今、鞄から取り出すようにしてオスカーに差し出した。
「じゃあ、銀貨以下の価値しかないけど、これをもらってくれる?私の知り合いが魔法付与したものなの。少しは役に立つと思うわ。たいしたものでもないし、このくらいは貰ってくれるでしょう?」
ペンダントの中にある小さな魔石は、私の魔法を帯びて仄かに光っている。
オスカーはペンダントを私から受け取りながら眉を寄せた。
「、、、これは本当に、たいしたものでないのか?」
真剣にそのペンダントを覗くオスカーに、私はくすくすと笑ってみせた。
「こんなに小さな魔石なのよ。たいしたものであるはずないじゃない」
「、、、それならば、これは受け取ろう。悪い類いのものでもなさそうだしな」
悪い類いのもの、という言葉を使われて、私はむっとする。
「私がオスカーに悪いものをあげるわけないでしょ、人聞きの悪いことを言わないで」
本気で怒って言ったのだけど、オスカーは何が可笑しかったのか、小さく歯を見せてはにかんだ。
「そうか。そういうつもりじゃなかったが、言い方が悪かったな。謝る」
それを聞いて私は目を見開いた。
オスカーが素直に私に謝るなんて、やはり天変地異は間違いなく起こる。
というか、美形のオスカーのはにかむ笑顔の破壊力がすごい。オスカーってこんな風に笑う人だったのね、と私はオスカーから目を反らした。
直視するには目映すぎる。
「、、、べ、別に謝る必要はないけど。ここまで案内してもらった礼はできたし。また縁があれば会いましょ」
私はヒラヒラと手を振ってオスカーから逃げるように離れた。
オスカーと馴れ合っても仕方ない。
過去に戻る前のオスカーよりもずっと素直で人間味のあるオスカーと一緒にいたら、無駄に情がわきそうだった。
オスカーがマリウスの親友だから、いつかまた会うだろうが、私にはマリウスがいればそれでいい。
私はオスカーと別れて歩き出した。
ハタカンの町までの道のりはあまり自信がなかったけれど、ハタカンの町についてしまえば、マリウスの家への場所は間違いなくわかる。
ハタカンの町は山の麓にあり、マリウスの家はその町の中でも一番山寄りにある、とても寂れた場所に存在していた。
マリウスの家は借家で、元々は臨時的な避難場所だったという。
マリウスの兄であるワイアットが、とある魔物の瘴気を全身に浴びて、半死の状態で町に戻ってきてからは、そこがマリウス達の居場所になった。
いわば、村の端に追いやられたのだ。
瘴気が移るわけないのに、瘴気が移るという根も葉もない噂を信じる人が多く、その避難所には誰も近寄らなくなった。
半目が瘴気によって色の変わったオスカーも含めて、そこは町の人からは『穢れ』とされた。
両親が先立ったマリウスは、寝たきりの兄を支えながら、自分ができるところでお金を稼ぎ、家の裏庭で畑を耕して生きた。
そう聞いていた。
この世にはそんな人は少なくないだろうけれど、だからといって本人達の辛さがなくなるわけではない。
本当に、辛かっただろうと思う。
私はマリウスの家を見つけた。
そしてその家の裏庭に立っている人物に気付いた。
淡い茶色の軽やかな髪。
人好きのする、顔全体に優しさを表した少し垂れ目の爽やかな顔。
身長は高いとはいえないが、中肉中背の引き締まった身体。
あの頃とは違い、田舎の村人という装いではあるけど、私が彼を間違うはずがなかった。
「っマリウス様、、、っ!」
マリウスの姿を見つけた瞬間、身体中の血が逆流するかのように血が騒いだ。
足が崩れ落ちそうなほど震え、手も思うように動かせない。
知っているマリウスよりもずっと若い。
まだ20にも満たないマリウスの姿は少し可愛さが残っているけれど。
「マリウス様っーーーマリウス」
言い直して、私は溢れ出る感情に任せて涙を流した。
マリウスに向けて走り出す。
マリウス。
私の光。私の全て。
やはり私はマリウスのために生まれ、マリウスのために今まで生きてきたのだと実感する。
マリウスを見ただけで、これだけ私の身体の血が喜びで騒ぐのだから。
マリウス。
会いたかった。
私はこれまで必死に考えてきた綿密な計画を全て忘れて、田畑を耕しながら汗を腕で拭いて、青い空を見上げていたマリウスに抱き付いた。
「ーーーーーーっ!???」
見知らぬ女に急に抱き付かれて、盛大に驚いたマリウスの顔も最高に素敵だった。
抱き付いてみると、久しぶりのマリウスの匂いが私の身体を駆け巡り、またボロボロと涙がこぼれ落ちた。
「ーーーどうしたんだ?一体、、、」
マリウス。
声に出しそうになった名前を必死で堪えた。
しゃくりあげて泣いた私は、落ち着いてからようやくマリウスから身体を離した。
「ーーー驚かせてしまって申し訳ありません。貴方が、あまりに私の知る人に似ていたので」
それは嘘ではない。
マリウスはマリウスだが、今はまだ、ただ同一人物なだけの、私の知るマリウスではないのだから。
マリウスは、わからないながらも私を慰めるようにして、やわらかく微笑む。
「そんなに俺に似た人がいるのか。そこまで似てるなら一度会ってみたいな」
マリウスは私の気持ちを汲んで、そう笑ってくれる。
「こんな田舎の町の奥まで来るなんて、迷子なのか?」
私がマリウスよりも年下に見えるからだろう、優しくマリウスは声をかけてくれた。
私は首を振って、マリウスを真っ直ぐに見た。
「違います。私はとあるお方の指示でここに参りました」
聖女の頃に学んだ、ちょっとした余所行きの仕草をしてみせる。
手入れもされずボロボロの家を指差し、その中にいるであろう人物を示す。
「あそこの中に1人の男性がいるはずです。魔物による病で苦しんでいる。ーーー違いますか?」
瞬間、マリウスの緩い表情が一気に引き締まった。
敵が現れた時にするその顔を、私はうっとりと魅入ってしまう。マリウスには気付かれないように隠しつつ。
「なぜ余所から来た者がそれを知っている。誰かの差し金か。兄さんに手を出したら、女の子であってもただじゃ済まさない」
「差し金だなんて。私はその人を救いに来たのです」
「何だって?」
マリウスは信じられないという顔をする。
当たり前だ。
マリウスは、そしてオスカーは、ワイアットの病を治すために奔走していたはずだ。
しかし、瘴気を治す薬など殆どない。
万能薬でさえ、瘴気には効かないのだから。
薬で瘴気に効くのは『エリクサー』のみ。
エリクサーを作るには、神の化身とされる世界樹の葉と樹液が必要になる。
世界樹はこの世のどこかにあるとされているが、それを知る人は限りなく少ない。
それによって、エリクサーは巨大な大国の国王でさえ手に入れるのは難しい品物。
まだ勇者でもない、ただの村人であるマリウスやオスカーが手に入れられるはずがないのだ。
聖女であった私だって、エリクサーなんて見たことも触ったこともない。
では、どうやって治すのか?
そんなの簡単。
ーーーーだって私、聖女だもの。
治癒と浄化が主なお仕事だったのだから。