友という花(ベリルサイド) 1
「ここを出て、私と一緒に暮らしましょう」
いきなりやってきて、プロポーズのような言葉を言い出したのは、私よりも年下のアグノラという女の子だった。
聞くと16歳だというから、もう常識を知っていていい歳のはずだけど、年を重ねてもたまに頭がお花畑のままの人もいるから、その類いなのだろうとは思った。
そんな子を怒る気にもなれず、軽くあしらっていたのに、その子は毎日、私の働く店に来ては楽しそうに話をしていく。
娼館とはいえ、城下町でも人気の店のナンバーワンである私の部屋の前には、厳つい男達が数名警備についていて、管理が厳しいこの店だけでなく部屋の中まで毎日侵入できるこの子は、ただ者ではないことは理解した。
会話の声で、店の副店主であるマダムはこの子の存在に気づいているようだけど、まだ若い女の子ということで見て見ぬふりをしてくれている。
ただ、店を管理する人間としてはどうなのだろうと思う。
アグノラは、すごく変わった女の子だった。
私と初対面のはずなのに、すごく親しげに、そしてキラキラと輝く瞳で私を見てくる。
あんなに真っ直ぐの澄んだ瞳で見てくるのは、懇意にしている客でもいない。
他愛もない話をケラケラと楽しそうに笑い、私が一言話すだけでものすごく嬉しそうな顔をする。
変な子。
ーーーでもなんとなく嫌いじゃなかった。
手土産に私の好きな葡萄を持ってくるのも好感度が高い。なぜ私が葡萄好きって知っているのかわからないけれど。
ただ、私はもう人を信じる気はなかった。
どんなに優しい顔をしていても、どんなに甘い言葉を囁かれても、人は私を裏切るかもしれないと思うと心から信じることができなかった。
私が信じなければ、裏切られたとしても傷つくことはない。信じるから裏切られた時に傷つくのだ。
目の前で明るく笑うアグノラという子も、きっといつか私を裏切るのだろう。そうでなければ、知り合いでもないのに私と一緒に暮らそうなんて思うはずもない。
「ねぇ。ベリル。家の周りの庭には、どの季節でも花が咲くような花壇にするのっていいと思わない?」
夢見るように私に話しかけるアグノラ。
夕陽を溶かしたような鮮やかなオレンジの髪をふんわりと靡かせて、その顔には紫色の瞳が輝く。
この店には一般に『極上の美女』と言われる女達が集まる。その女の子達に比べると多少見劣りはするものの、アグノラは普通に可愛いし、それ以上に愛嬌のある表情でどんな美人よりも目を奪われてしまう。
私はこの店のナンバーワンだけど、もし私の座が脅かされるとしたら、私と同じようなタイプよりもこういうタイプなのかもしれない。
「花を布団にして、夜空を見ながら寝るのもいいかも」
うっとりとした顔は、本気で思っているのか。
花の上で眠るなんて想像ならいいけど、実際にそんなことしたら絶対寝心地悪い。花は潰れて汁を出すし、茎は体の下でごわつくし、花の匂いにつられた虫も沢山いるだろう。そんなの冗談じゃない。
そんなことを真剣に考えるなんて、やはり頭が緩いとしか思えず、もしこの子がこの店で働いたとしても、私の座が揺るがされることはないかもしれないけど。
それでもニコニコとして話し、幸せそうなアグノラに私はつい視線を向けてしまう。
「、、、変な子」
つい口にしてしまった私に、アグノラは頬をうっすら染めて、へへへと笑う。私は眉を寄せた。
「貶されて何が嬉しいのよ。バカじゃないの」
「だって、急に変な子って言うってことは、ベリルが私のことを考えてくれていたってことでしょ?」
私は自分の動きを止める。確かにそういうことなのだろう。けど認めたくなかった。
「、、、、なんであんたのことなんか」
「じゃあ、何を考えていたの?私達の家のこと?家の周りの花のこと?ベリルはどうしたい?私達の部屋だし家なんだから、ベリルも考えていいんだよ」
「私はそこには行かないし行けないんだから、考えるだけ無駄よ」
つんと私は顔をアグノラから背けた。
嬉しそうに振っていたアグノラの見えない尻尾が、ダラリと垂れる。
でも私は知っている。この尻尾はすぐに回復して、勢いよく振り回されるのだ。
アグノラの最大の長所であり短所は、このめげない心だ。忍耐力といえば聞こえはいいが、諦めの悪さは短所だろう。
「大丈夫よ。絶対、ベリルはあの家に行けるようになるわ」
アグノラは血色の良い唇を尖らせて拗ねたように呟いた。
何を根拠に。
私の首につけられた首輪は、隷属の首輪。
つけた『ご主人様』が外さない限り、私は自由に動けない。
あのチャドという店主はお金に汚くごうくつばりで、私が働ける身体である以上、私を手放すわけがなかった。だからといってこの隷属の首輪が有る限り、私は逃げ出せない。逃げ出しても『主人』がどこかで命令すれば、それに従わされる。
店に帰ることも。
死ねという命令でさえも。
だから私達、隷属の首輪をつけられた女達は、昼は店を離れた場所に寝床を作っている。店の店主が夜になると集まるように命令して、女達は本人の意思は関係なく店に集まるのだ。
店主が死ぬ以外で私を解放するとしたら、王の命令くらいだろう。あるいは高位貴族か。店の存続を揺るがされるほどの権力かないと、チャドは従わないはずだ。
店主を正面から攻略する以外の方法はないに等しい。店主の後ろには莫大な金を支払って雇った闇の人間が3人もついている。彼らに勝てる能力を持つ人間でないと、その人間は『始末』される。
誰もチャドには逆らわない。
だから私は、逃げるという選択肢も選べなかった。
そんなある日。
またいつものようにどうやって部屋に入ったのか私の部屋の窓辺でくつろぐアグノラが私に言った。
「ねぇ、ベリル。私がその首についたものを取ったら、私と一緒にきてくれる?」
私は口紅を塗っていたのに、おかしなことを言うから口紅を塗る手がぶれそうになった。口紅が口からはみ出すと手直しが面倒くさいのに。
私は口紅を塗り終わって、ゆっくりとアグノラを見て微笑んだ。
笑えない冗談なんて、本当に面白くない。
私は怒りにも似た感情を自分の目に示した。
普段なら受け流すのに、なぜかそれができなかった。アグノラが、私と違って自由に駆け回ることができる人間だからだろうか。
「ーーーいいわよ。あんたが本当に、この忌々しい首輪を取ることができるのならね」
「ほんと?」
アグノラは窓枠から立ち上がり、私の手を両手で握りしめた。ぐいっと私に近づけるアグノラのその瞳はキラキラと輝いていて眩しく、アグノラが本気でそう言っていることがわかる。
たまに、この子の熱量に驚かされることがある。
どこからこんなエネルギーが生まれてくるのだろうと。
私にはない力。それは眩しい太陽のような。
「ちょっと、触らないでよ。私はそんな趣味ないからね」
アグノラの瞳を見ていられず、私はアグノラの手を払い除けたが、アグノラは全く気にすることなく満面の笑みで口を開いた。
「待っててね!私、絶対にベリルをここから助け出してみせるからね!」
頬を紅潮させて、鮮やかなオレンジの髪を宙に舞わせるその姿。細い足が地面を蹴りあげて走り去る。
無邪気、という言葉が似合うのかもしれない。
天真爛漫、という言葉でもいい。
あるいは能天気。
きっと頭だけでなく、あの子の心の中も満開の花畑なのだろう。
私はいなくなったあの子の背中を眺める。
あの子がいなくなると、慣れた部屋なのにとても静かに感じる。少し淋しい気になるのは気のせいだろう。
あの子は私とは違う。
自由の身だし、自分の意思で行動できる。
今でこそ、何を思ってか私に執着しているけど、きっといつか気が変わって私から離れていくのだろう。
離れるだけならまだいい。
人はいつでも私を裏切っていく。
裏切られるのは、いくつになっても辛い。
人を信じてはいけない。
私は人を信じない。
もう、二度と。
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その日の夜が終わり、朝がきて私は自分の寝床に戻った。
そこは店主であるチャドが用意してくれた宿の一室。客とのトラブルが起きないように定期的に寝床は移動させられる。
準備させる部屋はいつも、広いけど殺風景だった。
すぐに移動するから部屋を飾る必要もない。
もう慣れてしまった部屋の様子を眺めながら、ずっと胸騒ぎがしている自分に気付いた。
いつもなら仕事が終わればすぐに眠りにつくのに、今日はなかなか寝付けない。
閉められたカーテンを開くと、そこは昼の景色が広がっていた。
城下町の奥なので人通りは少ないが、明るい世界の中で人の姿を見るのは久しぶりだった。
落ち着く作用のあるお茶でも飲もうかと、立ち上がってポットでお湯を沸かす。沸いてから、好みの茶葉を入れたティーポットにお湯を移し、コップに注ぐ。
私は家事に魔法を使うというこだわりがあった。
魔道具のコンロは便利だけど、私は魔道具なんて使わない。自分の魔法で火を微調整して、料理までする。
洗濯も魔法を使う。水魔法と風魔法を組み合わせると、回転による摩擦で衣類が綺麗になることに気付いた。
掃除は重力魔法。
ゴミだけを浮かし集める。
家事をしているだけなのに、気付けば魔法能力が上がり、魔法のコントロールが抜群に上手になっていた。
溢れる魔力を自分の身体に感じる。
試したことはないけれど、聞く限りそこらの魔法使いよりも上手に魔法を使える気がしている。
そこらの魔法使いは、火の魔法なら火を投げるだけ、水魔法なら水を出すだけらしいから。
もしこの首輪がなければ、私には冒険者という選択肢もあったのだろう。私は自由な身体で、色んな場所を冒険していたに違いない。
私は自分の首についた隷属の首輪をそっと触った。
無理やり外そうとすれば激痛が身体に走り、それを我慢して取ろうとしたら死に至る。
望まぬ奴隷としての指示に耐えきれず、自ら命を落とした人は数知れない。
だけど私は、生きたいと思う。
容姿と能力に恵まれているのに、こうして人に裏切られ、奴隷として捕えられている自分の運命の結末を知りたい。
たいした意味など、ないのかもしれないけれど。
私は口につけたコップをテーブルに置いた。
明るい窓の方を見る。
妙な胸騒ぎは続いていた。
何故かわからない。
私はその不安な気持ちに動かされるように、滅多に出ない昼の城下町に降り立った。
夜のドレスとは違う軽やかな布の服は、とても動きやすい。
気付けば、店の前にたどり着いていた。
店は夜にならないと開かず、誰もいない。
こんなところにきても何もならないのに、と自嘲した時に、左肩を軽く叩かれた。
「ーーー君、店の人だろう?」
私が振り返ると、そこには茶色のサラサラと流れる髪を短めに揃えた男が立っていた。女性から好まれるような容姿をした男だった。優しい顔に意思の強そうな形の良い眉と、その下の少し垂れ目の瞳が印象的だった。
うちの店の若い女の子達なら、頬を染めて楽しそうに騒ぐだろう。
私は営業スマイルで微笑んだ。
「そうよ。今は時間外で誰もいないけど、何か用かしら」
「女の子を探しているんだけど」
人探しのようだ。
この店が何の店か知らないのだろうか。女が男に身体を売る店。そんなところに知り合いの女が逃げ込むはずもないし、もしそうであるなら、この男の探す女はとっくに穢れているだろう。
自分ではない、違う男の手によって。
「それなら、夜にまた改めて来た方がいいわね。今は誰も入れないし。お兄さんは素敵だから、もしその女の子がいなくても、私達が沢山サービスしてあげるわよ」
からかって私が言うと、その男は小さく笑った。
人好きのするさわやかな笑顔の口元から、思わぬ低い声が発された。
「そんなのどうでもいいんだよ」
短い一言だったのに、その声の圧で僅かに後退りしてしまいそうになった。たちの悪い脅されたりすることなんて日常茶飯事であって、威嚇には慣れているはずなのに、だ。
男はまた元の声に戻って、私に一歩近付いた。
「知らないならいい。それなら、店の中に入れてくれないか。この店の中にいるはずなんだ」
随分と癖のある男のようだ。子猫と思って手を差し出したら、実は虎で、致死傷を喰らわせられるかもしれない。そんな考えが浮かぶ。
うすら寒いような、うっすらと変な汗が身体に滲むが、それを悟られないように表情を整えて、私は首を振った。
「、、、店の中に?それは無理ね。昼の店には、ここで働いている人でさえ入れないようになっているの。どこの誰かもわからないような人は、店主の許可がないと入れないわ」
「じゃあ何であんたはここに来たんだ?昼間はあんたも入れないってことだろ?」
確かにそうね。
実際、私も入ってはいけないのは本当なんだけど、『入れない』わけじゃない。
この店に入るためには特殊な鍵が必要で、入口からはどんなに強力な道具を使っても入れない魔法がかかっている。しかし、実は店の横にある井戸の底から入る裏口には、簡単な魔法しかかけられていない。
魔法の暗号さえ知っていれば開くようになっていて、外部の者でも暗号さえわかれば入ることができる。
ただ、その暗号が簡単に手に入らないだけだ。
私が暗号を知っている理由は、以前一緒に働いていた女の1人が、私から金をせびるために交渉してきたからだ。
好奇心旺盛で金に執着していた女だった。
命がけで暗号を手に入れたと言っていた。
この店の怪しさに薄々気づいていた私は、かなりの額を手渡してその暗号を手に入れた。
その後、1度だけその扉が開くかどうかを確認して、扉の中には入らなかった。
その女が次の日、消えたからだ。消された、といった方が正しいのかもしれない。
私が暗号を使っても何もされなかったから、女が消された理由が暗号を使ったからというわけではないことはわかった。だけど、秘密の部屋に入ったからという理由なのかもしれない。
そう思うと、扉を開けるのが怖くなった。
多分、あの地下の部屋には見てはいけないものがあるのだろう。
地下の部屋は隠されていて、存在自体を殆ど知られていない。地上のどの部屋から地下に降りることができるのかもわからない。
扉は暗号で開く。それだけで私は満足だ。そう自分の心に言い聞かせた。
今はまだ、入る必要はないと。
私がそんなことを考えていると、探し人をしているという男はにやりと笑った。
「その顔は、入る方法を知っているんだな」
「!?」
表情には出していなかったはずなのに。
「教えてくれないか、店に入る方法を。もし教えてくれないなら、力ずくで入らせてもらう」
「そんなことしても無理よ。強い魔法結界が張られているし、警備の人間が集まって、あなた、すぐ捕まるわ」
「無理?そんなこと、やってみないとわからないだろう?」
男は店の方を眺めて、唇の端を僅かに浮かす。
その不敵な笑みと眼光。
この男、顔は優しそうなくせに、だいぶ好戦的で強情そうだ。
長年、客商売をしてきた勘が訴える。
この男は面倒くさいから関わらない方がいいと。
「ーーーじゃあ、やってみれば。言っておくけど、私はこの関係ないわよ。もし捕まえられても私を巻き添えにしないでね」
私は踵を返して男に背を向けた。
結界が破れるはずがない。
結界の発する合図で警備隊が押し寄せて捕まるだけだ。
女の子を探しているようだけど、それも不可能になるだろう。諦めて店が開いている夜にくればいいだけなのにせっかちなのね。そんなんじゃ探し人もみつからないわ。
私は頭の中で男にそう声をかけたが、言葉には出さずに歩き始める。
「ベリル」
男の声で、名前を呼ばれた。
私は足を止める。
「あんた、ベリルって名前じゃないのか?綺麗な緑の髪の美女。そしてすごく優しいって」
そう言った後、ふ、と鼻で笑う音が聞こえた。
「ーーーすごく優しいというのは、あいつの勘違いだな」
私は振り返り、男を睨みつけた。いや、睨もうとした。
「何よあんた。私の何をーーー」
睨もうとした目を、私は見開いた。
男は結界に向かって、長い剣を振り上げていた。
ギイン、と結界に剣が当たる。
この強固な結界。破ろうとしたら何倍にもなって増幅された激しい衝撃が自分に戻ってくるはず。
なのに男の足は揺らいでいなかった。
いや、私は見た。
強固な結界である魔法が、わずかだが揺らいだのを。
ーーーーこの男、強い。
「、、、何、あんた、、、」
「俺が言ったんじゃない。アグノラがそう言ってただけだ。ーーー最後のは、俺の意見だけどな」
アグノラ。
それが探し人?
私は改めてその男を見つめる。
私の知るアグノラが、ある男のことを熱心に語っていた。
茶色の髪に、人好きのする優しそうな顔立ち。
強くて熱くて、少し心配性。
「まさか」
と私は呟く。
「、、、マリウス」
私の声で、男が微笑する。
とても聞いていた人物とは思えない、一癖も二癖もありそうな男。
アグノラ。
あんた、すごく厄介な男に惚れているじゃない。
絶対苦労するわよって。
言ってやりたかった。




