城下町の緑の宝石(ベリルサイド)
ベリル、と私に名付けたのは、母だったと聞いた。
私の髪が鮮やかな緑だったから。
私がまだとても小さい頃のこと。
淡い緑の色の髪の母の手を握って連れられて、私がやってきたのは大きな家だった。お屋敷と言っていい。
母は普段より綺麗な格好をしていて、私も今まで着ていたものの中で一番オシャレな服を着ていた。
屋敷のドアが開いて出てきたのは、少しだけ容姿の整った男の人だった。
男の人は、ドアを開けて早々に母と嬉しそうにハグをして、そのあと私を見下ろした。
「君がベリルだね。噂通り、とても可愛い子だね。僕はトーラス。トーラス・カドム。よろしく」
そして私に差し出された手は、大きかった。
いつも怒ってばかりの母が私に、とても幸せそうに微笑んだ。
「ベリル。今日からこの人が、貴女のお父さんになるのよ」
それが、義父のトーラスとの出会いだった。
しばらくの間、私達はとても穏やかで、他の人から見たら幸せいっぱいの家族の姿に見えたと思う。
実際、義父は私にも優しくて、私がご飯が美味しいというと、私が好きなものを追加して食べさせてくれた。
食事の時も会話する時も、義父はいつも母とピッタリとくっついて、本当に仲の良い夫婦だった。
ようやく母も『幸せ』になれたのだと思って、私も嬉しかった。
それが変わりだしたのは、私が5歳の頃だった。
義父の経営する会社がうまく回らなくなってきたらしい。義父は苛立ち、家族に八つ当たりするようになった。
気の強い母も今だけとしばらくは堪えていたが、経営が更に悪化してお金が家に入ってこなくなると、母は怒りを堪えなくなった。
毎日喧嘩が絶えなかった。
罵詈雑言。
私は自分の部屋のドアの中で耳を塞いで、その声が鳴り止むのを待ったけれど、止む時間は少なかった。
その声が完全に鳴り止んだ時、母の姿はどこにも見当たらなかった。
『ごめんね』
そんな一言もなく、母は家から出ていった。
私は唯一の血の繋がりのあるママに捨てられたのだ。
義父は、何かの刃物で切り刻まれたソファーに泣きながら凭れかかり、母の名前を呟きながら憔悴していた。
義父は、会社の倒産と愛する母から捨てられたショックで、自分を保つことができなくなっていた。
私に残ったのは、戸籍上家族である義父と、屋敷を売り払っても足りない莫大な借金だけだった。
あんなに暴力的になっていた義父も、さすがにしばらくは私を叩かなかった。
義父は何もすることなく、寝ては何かを食べて、また寝てを繰り返す。ただ生きているだけの大人になった。
だから私は自分の昔から貯めていたお小遣いを使って、味があるだけのパンを買い、義父と分けた。
井戸の水は飲めたから、命は繋ぐことはできた。
6歳になった頃、私に魔力があることがわかった。
しかもそこらへんの子供達とは違う、濃縮された魔力だという。
生きる屍のようになっていた義父も、その日、久しぶりに笑ってくれた。
なけなしのお金で服を買い、魔法使いであることの登録をしに魔法局へ父と出向くことになった。
「ベリル、、、ごめんな。ずっとお前を放っておいてしまって。これからは僕もまた、やり直しするつもりで頑張るよ」
ようやく初めて会った時のような義父の姿が見れた。
私は嬉しくて。
義父に笑った。
すると、近くにいた魔法局のおじさんが、へぇ、と変な声を出した。
「小さいのに随分と綺麗な子供だね。これで大きな魔力持ちなんだって?貴族様でも欲しがりそうだな」
冗談のつもりだったのだろうけれど、私からしたらブラックジョークだ。
その瞬間、義父の瞳が、怪しい色を帯びた気がした。
すぐにいつもの顔に戻ったけれど、私が感じた一抹の不安は、心の底から抜けることはなかった。
それから義父は、真面目に働き始めたが、その給金で私に何かの飾りを買ってくるようになった。いらないというのに買ってくる。
髪飾りだったり、ブレスレットだったり。
そしてそれを私につけて「綺麗だね」と笑う。
私を母と重ねている風ではなかった。
義父に子供を性的に愛する嗜好がないのは幸いだった。
でも、私の不安はいつまでも拭えなかった。
そして義父は私を色んな場所に連れ回した。人が集まる簡易的なパーティーが多かった。
私は礼儀作法とかわからなかったし、勉強もしたことないし、見知らぬ人は怖かった。だからずっと黙って俯いていた。義父が笑顔をみせるように言えば言う程、笑うのが怖くなった。
8歳になったある日。
かつてないほど、義父が喜びながら家に帰ってきた。
私はなぜかそんな義父を見て、5歳の頃、私を初めて義父の家に連れていく時に見たママの笑顔を思い出した。
「ようやく。ようやく決まったぞ」
いきなり右の手首を強く握りしめられた。
「、、、っ痛いっ!」
私は驚いて声をあげたが、義父は全く気にもしてくれなかった。
むしろ逃がすまいと更に強く握られた。
何の説明もなく馬車に乗せて連れていかれた先は、城下町の奥の奥。
緑の文字の看板が大きく出ている、とても大きな店だった。店に入ってすぐの階段を下りると、巨大な扉があった。
義父が扉を開けると、そこは暗い部屋で、中に太った男が待っていた。
「お待たせしました」
その男に義父は言った。媚を売るように。
太った男は満足そうに私を見て、何度も頷いた。
「確かに。では金額は予定のところに」
「ありがとうございます」
父は会釈をすると、私をその男の方に突き飛ばした。
「悪いな」
全く悪いと思っていない言い方で、義父は私に言い放った。
「本当には貴族に売りたかったんだが、父側がどこの血かもわからないお前を買ってくれる貴族はいなかったんだ。美人で魔法を使えるというだけでは足りなかったな。お前がもう少し教養や愛嬌があれば別だったかもしれないが」
突き飛ばされた私は、太った男の腹に当たり、跳ねられるようにして床に倒れた。
「その方が、そんなお前を一番高く買って下さったんだ。心を込めて奉仕しなさい」
「、、、え?」
私は太った男を見上げた。
私を買った?
その意味がどういうことか全くわからなかった。
丸々とした男の口元が、醜く歪んでにやけたのがわかった。
パンでも仕込んでいるような太った手が私の方に伸びて、私の首を触る。
「、、、っや、、、っ!」
目を閉じてその手を拒否しようとして、私の首でカシャンと金属音が鳴った。
すぐに、首からジャラリと鎖の重なる音がする。
恐る恐る、目を開けて見ると、獰猛な犬のように、首に頑丈な金属の鎖がつけられていた。
「え?」
私はその鎖を引っ張る。しかし全く取れそうにない。
「、、、え?」
私は義父を見た。
でも義父は私をもう見ていなかった。
全ての興味を失ったかのように、いや、むしろ清々したという顔で、私に背中を向けた。
私は慌てた。
何の冗談かわからない。
冗談であって欲しかった。
「、、、ま、待って。待って、お義父さん!ねぇ、嘘でしょう!?お義父さん!!!!」
お義父さんを追いかけようとすると、首の鎖が私をそこから逃がさず、自ら首を締めて喉が「ぐぁ」と鳴る。
私の目からは次々に涙が溢れ、止まらなくなった。
太った男を見上げて、私は懇願する。
「助けて。これを外して。早くしないとお義父さんが行っちゃう!お義父さんが!!!」
喜劇でもみるかのように、太った男は私を笑った。
「これはまた滑稽なものだ。お前が父親から捨てられたことがまだわからないとは」
太った男は私の前に屈み、ねっとりとした視線で私を嘲った。
「その美貌にかなり高い金を出したのに、どうやらオツムは空っぽのようだな。もう少し値引いておけば良かったかもしれん」
私を助ける気がないことは、すぐに理解した。
男は私を人間として見ているかどうかも怪しかった。
「、、、あ、、、あ、、、、」
恐怖に顎がガクガクと震えた。
義父に捨てられた。
この太った男は、私を何のために買ったのかもわからないが、少なくとも子供のいない貴族のように、私を養子にして大切にするつもりではないことはわかる。
養子にする子供に、こんな犬のような首輪をつけるはずがない。
あぁ、と男は可笑しそうに言った。
「この首輪は、隷属の首輪だ。何があってもワシには逆らえん。逃げられでもしたら困るしな」
男は私の首輪を自分の方に引っ張って、私を自分の足元に転がした。
まだ身体の小さな私のおなかを、男は丸太のような足で踏みつける。
苦しくて吐きそうだった。
「支払った金の分の倍は稼いでもらう。それまではしっかり可愛がってやるから、安心するといい」
可愛がる。
まだ小さくて知識のない私は、それが何のことか全くわからなかった。
今となって思えば、義父は仕事を再起しようとして、私に「金」を見いだしたのだと思う。経営には資金が必要だから。
もしかしたら、私の母への恨みもあったのかもしれない。母に似ていた私を見たくなかったのかも。
実際はどうだったのか、もう、義父に聞くこともできないからわからないけれど。
そして、私を買ったあの太った男は、城下町でも1、2を競う女郎屋の店主だった。
私のような女の子が沢山、店に集まっていた。
同じ境遇だからと、仲良くなるわけではない。
自分の命をかけた女の戦いだ。
蹴落としてなんぼの世界だった。
弱いままではいられなかった。
あれからもう10年余り。
私の身体は成熟し、昔の記憶の母に似た姿になった。髪だけは相変わらず鮮やかな緑色のまま。
私はもう子供ではない。
この店の仕事のために知識もつけた。
女としての心技体も学んだ。
社会的な力もつけて、店の中で、店主と副店主以外に、私に逆らえる人はいない。
だけど。
私の首には、自由を束縛する首輪がついたまま。
そして母と義父に捨てられ、傷ついた心も、あの頃のまま。
私は、薄暗い店の中で飼われた鳥のようだった。
ーーーー両親に期待しているわけではないけれど、
私はずっと、誰かが来るのを待っている。
いつか、鳥かごから私を解放してくれると信じて。




