楽園への道のり
馬車に揺られて、私達はハタカンの町を離れた。
壊滅するはずだった町は、人々が穏やかな暮らしを保ったまま、今まで通りの時の流れを継続している。
その町の中央を流れる大きな川は、あの日、マリウスが悲しい目をしながら見ていた姿だけれど、あの時と違ってどこか優しく澄んで、町を包み込んで守っているようだった。
本当だったら命を落としているワイアットも、見た目は瘴気に侵されているようには見えなくなっている。
でも実際は、僅かにワイアットの身体に瘴気は残ったままだ。
あれから何度か、ワイアットの身体に残った瘴気を治そうとしたけれど、どうしても一部だけ治すことができなかった。
私の聖魔法のレベルがまだ足りないのだろう。
ワイアットはよほど凶悪な魔物の瘴気を浴びたに違いない。何か情報を得て治癒魔法を工夫したいのに、その瘴気を浴びた時の事を聞いても、ワイアットは少し困ったように笑うだけで、詳しくは教えてくれなかった。
言えない何かがあるのだろうか?
「それで?どこに向かうつもりなんだ?」
マリウスは私に尋ねた。
棲み家を探して馬車には乗ったものの、どこにいくのか詳しくは説明していなかった。ただ南へ行くとしか伝えていない。
「ちょっと試しに行ってみたい場所があるんです」
私は吹き抜けになっている窓から入る風を受け、外を眺めた。
ここは辺り一面平地で、どこまでも田畑が続いている。これだけの整備ができるということは、それだけ安定した治世ができている領主の所有する土地なのだろう。
勇者のパーティーで旅をしていた時も、この道を通った。 あの時は魔王に繋がりがあるという噂の魔物退治の依頼を受けて、私達は今から向かう場所へと足を運んだ。
今、マリウスの顔が私の前にある。あの頃と同じように。
「それはどこなんだ?」
「ついてのお楽しみです」
私はふふふと微笑んだ。
馬車の道は順調だったが、途中から道が険しくなり、魔物のレベルもあがってくるので大衆の馬車は迂回する。私達はその先にあるところに向かっているので、馬車から降りて徒歩に切り替えた。
目的地はまだまだ先だ。だから野営は仕方ないというのに、野営になると聞いた時からマリウスの表情がまた険しくなった。
「女の子がいるのに野営とか、俺はどうかと思うが」
焚き火のための乾燥した枝を拾って、火の中に投げ込みながら、マリウスは渋い顔を崩さない。
「こんな場所に宿などないんだから仕方ないだろう」
オスカーは火魔法、風魔法を使って落ちている生乾きの枝から炭を作っている。炭は空気に触れないようにしながら枝を燃やす必要があり、繊細な魔法技術が必要だ。
さすが未来の賢者だわ、と私は焚き火に手を近付けながら心の中で呟いた。
夏に近いとはいえ、夜はまだ冷えることもある。
今日はいつもより空気が冷たく、日が沈むと一気に寒くなった。
パチパチと、燃え上がる火が爆ぜる。
もう暖かくなる時期と思って薄着をしてしまって寒かったから、焚き火の熱が肌に心地好かった。
「私のことは気にしなくていいですよ。野営は慣れているから何とも思いませんし、全然苦痛じゃないです」
「いや、そういうことじゃなくて。まだ若いけどアグノラも女の子だろう?その、俺はともかく、もしかしたら邪な考えをする奴もいるかもしれないし」
「それは俺やワイアットが危険だと言いたいのか?」
マリウスの言葉に、オスカーが口を挟む。心外だとばかりの表情に、私も心で同意する。
オスカーは勇者のパーティーで長いこと一緒に旅をして、その間、女性の気配は一切なかった。
勇者の仲間であり、賢者である彼は女性から人気だったのに見向きもしないことで、実は女性が嫌いなのではという噂が国内で広がったくらいだ。勿論、それはオスカーに相手にされなかったプライドの高い女達の嫌がらせに似た言い訳ではあったけれど。
オスカーはかなり美貌を持っているのに、オスカーにとって、女より魔法の研究の方が魅力的なのだと思う。1日の大半の時間を魔法の研究に使っていたから。
「オスカーは大丈夫よ。ね?」
「?」
ちゃんとわかってるわよ、と私がオスカーに意味深な笑みを見せても、オスカーはよくわからないという顔をしてみせた。
オスカーは私がオスカーのそういった部分を理解していると知らないから、気付かなくても仕方ないけど。
当時、オスカーは次々に新しい魔法を開発しては、魔法局にその魔法を売りお金を稼いでいた。今がほぼ一文無しの状態なのに、今から2年後、オスカーは国の中でも有数の資産家になっている。本人は勇者パーティーと旅をしているからお金を貯めるだけ貯めて使えてなかったけれど、もし魔王を倒せることができていたら、オスカーは爵位でも買って貴族になれていたかもしれない。
本人がそれを望めばの話だけど。
そういえばマリウスも、もし魔王を倒せたら、その報酬として貴族の爵位を与えると王より言葉を戴いていた。
マリウスは私にはのんびりスローライフがしたかったと言っていたけど、貴族になったらその夢は叶わない。どうするつもりだったのだろうと今になって思う。
まぁどちらにせよ、私はどうにかしてマリウスの傍について回っているはずだから、どちらでもいい。
ただ、マリウスには私がいるけど、オスカーは1人になってしまう。女性でなくてもせめて、誰かオスカーが好きになる人が現れてくれれば、オスカーも淋しくないだろうに。
そんな余計なお世話なことを考えながら、私はオスカーとマリウスの後ろで作業しているワイアットに声をかけた。
「ワイアットさんは、もう大人だもの。私のような子どもに興味ないわーーーよね?」
ワイアットは私がマリウス命であることを重々理解しているはず。そんな女に手を出す男でないと信じたい。
弟の幸せを願うなら、誠心誠意込めて私の恋を協力するべきでしょう。
ワイアットは焚き火で沸かせたお湯をコップに注いで私に渡しながら、やんわりと口の端を上げた。
「僕は全然気にしないけどね。アグノラが多少子どもだろうが熟女だろうが」
いきなり何を言う。
これは嫌がらせだろうか。
「、、、うふふ。さすがワイアットさん。こんな子どもにもリップサービスできるなんて、大人ですね」
コップを受け取りつつ、私はワイアットにしか見えないようにして、思いきり顔をしかめてみせた。
マリウスがその冗談を本気で受け取ったらどうするのよ。
その時の私の表情が余程面白かったのだろう、ワイアットは吹き出して笑いだした。
ワイアットはマリウスに似て整った顔をしているが、少し下がり目のマリウスよりももう少し目が垂れている。優しそうに見えるのはそれもあるだろう。
そんな目を細くして、口元を拳にした手で押さえながらくっくっと笑い続ける。
そして、私の耳にだけ聞こえるように顔を近付けて、こっそりと囁いた。
「、、、ちょっとライバルっぽい人がいた方が、恋は燃え上がるそうだよ?」
「え、そ、そうなんですか?」
「前に一緒に働いていた騎士が言ってた」
「へ、へぇ。なるほど」
勇者としての旅をしていた時、私のことを好きだという男性はいなかった。私がマリウス一筋に猛アタックしていたからだと思いたいけど、正直、誰も近寄ってさえこなかった。
だからだろうか。マリウスとの恋が燃え上がらなかった理由の1つは。
ライバルが必要だったとは知らなかった。
ーーーあぁ、違う。1人だけいた。
私に求婚してきた人が。ただ結局、欲しいのは私ではなく『聖女』という立場の女性であって、私自身を欲したわけではなかった。更には激しく糞野郎だったけど、マリウスは少しは焦ってくれたのだろうか。
そんなことを考えながら、私は改めてマリウスに顔を向け、にっこりと微笑む。
「まぁ、好みはそれぞれですけど、マリウスさんの信頼する人達が無意味に私を襲うはずもないですし、もし暴漢がきても、マリウスさん達が助けてくれるんでしょう?」
マリウスは、わずかにきょとんとした後、小さくはにかんでみせた。
「ーーーまぁ、確かにな」
基本的にマリウスは人に優しい。それがマリウスの良いところの1つだと思う。心の中で企むとか、人との駆け引きとか、そういうものは本来、マリウスには似合わない。
そういう意味では、マリウスは貴族には向いていないだろう。
やっぱりマリウスは勇者にならない方がいい。
「しかし、聞いていいか、アグノラ」
オスカーはマリウスに出来上がった炭を渡しながら、私に尋ねた。
「何?」
「暴漢はともかく、この先は魔物が強くなる地域だ。流石に危険じゃないか。この先は危険レベル3の場所のように思うのだが」
正解です。
ここに来る前、ワイアットにも確認されたけど、私が聖女であることを知るワイアットには、ちゃんと1から順を追って詳しく説明した。
あれは長い長い勇者の旅のある日のこと。
マリウスが急に近道をしようと言い出した。
魔物の危険レベル地域は6まであり、その時、勇者パーティーで向かうとレベル2は余裕だった。だからレベル3も行けるだろうと言い出した。
自分に対しては無茶しがちなマリウスではあるけど、無謀ではない。
マリウスにしては珍しく浅慮な発言だった。
オスカーはレベル3はまだ早いと止めた。
でも戦士のケイレブが俺達なら大丈夫と太鼓判を押した。
今となって考えると、適当な言動ばかりが目立つケイレブに太鼓判をもらったところで何だというのだろう。
あの頃、マリウスは何故か急いていた。妙に真剣な顔をしていて、だからオスカーも渋々マリウスに従い、結局、レベル3の地域行ったものの、私達のレベルが足りず、そこにいる魔物に大敗した。
まだ私の聖魔法はかなり未熟で、魔物避けの魔法も効かず逃げ出すしかなくて、命からがら逃げ出した後、『そこ』にたどり着いた。
ジャングルのような木々が辺り一面繁っていた場所だったはずなのに、その地域に入った瞬間、木漏れ日を感じる穏やかな林に変わった。
本来は流されたら一溜りもなさそうな勢いの濁流だった川も、緩やかな清水の流れる小川になっていた。
澄んだ川の中で魚は泳ぎ、周りには実のある木の実や果物。軽やかな小鳥の声。虫の鳴き声。
そこは楽園のようだった。
魔物の気配は一体もなくも、そこは完全に平和そのものの世界だった。
体力が戻るまでの間、そこで過ごした私達。
清流で穏やかに釣りをしながら、マリウスはポツリと呟いた。
「ーーーできることなら、こんなところでのんびり暮らしてみたかったな」
少し自嘲するようにも感じたマリウスの声が、私の耳に届いた。
なぜ過去形だったのかはわからないけど、魔王さえ倒してしまえば自由になれる。私に、自由になったらマリウスとここで暮らしたいという夢ができた。
そういう流れの話をワイアットにはした。
でも、私が聖女であることも、過去に戻ってきた人であることもマリウスやオスカーには言っていないから、こんなこと言えるはずもない。
私は二人に、また『あの人』を使って説明した。私に『師匠』は存在しないけど、オスカーとマリウスは『師匠』を信じている。
ここは架空の『師匠』に説明の手助けをしてもらおうと思う。
私は、1つ咳払いをしてから話し始めた。
「私の『師匠』がね。落ち着いたらそこに行けって言ってたの。安全だからって」
言ってみて、やはり何でも師匠という人のせいにするのは厳しいだろうかと不安になる。
しかし、マリウスはなるほど、と頷いた。
「そうか。アグノラの師匠がそういうなら、そうなんだろうな」
マリウスは素直に信じてくれた。素直な性格ってありがたいけど少しマリウスが心配になる。変な人に騙されたりしないだろうか。
そんなマリウスの横で、石橋を叩いて渡るタイプのオスカーはまだ気乗りしていなさそうだった。だけど、だからといって1人で道を外れて遠回りする気にもなれないようだ。
マリウスの暴走を止められなかったあの日と同じように。
でもあの日とは違う。
私の聖魔法はあの頃より格段上がっている。
今ならレベル3程度の魔物なら、一歩も踏み込めないくらいの魔物避けの結界が張れるだろう。
ここは夜には夜行性の魔物が出没する。
そろそろ結界を張った方がいい頃合いだ。
「さぁ、明日もしっかり歩かなきゃいけないし、早く寝て体力回復させましょう。あぁ、ワイアットさん。寝る時はもう少しだけ火を強くしたいから、風魔法を使ってもらっていいかしら」
「あぁ、わかった」
ワイアットは立ち上がり、焚き火に両手を翳す。
手のひらに魔力を込めると、どこからともなく風が吹き始めた。
私はまた、そっとワイアットの耳にだけ聞こえるように囁いた。
「今から魔物避けの魔方陣を描いて発動させます。マリウスさんはともかく、オスカーは魔力の気配に鋭いから、10秒間だけでもどうにか隠して下さい」
「え?」
ワイアットは私を振り返る。
「そんな無茶な」
「無茶じゃないです。ワイアットさん、まだ魔力、隠し持ってますよね?」
竜巻を作って手助けした時に気づいた。
マリウス同様、ワイアットは膨大な魔力の持ち主のはずだ。
そうでなければ、あれほどの大きな竜巻を調節などできないだろう。私はただワイアットの補助をしただけなのだから。
「そう、、、かな?」
わからない、とワイアットは首を傾げる。
「でもうまく隠せなくて、君の魔法がバレたらどうするのかい」
「そんなことはあり得ないですよ。ワイアットさん、元騎士なんでしょ?騎士は本来、聖女を守るためにあったはずです。どんなことをしても私を守って下さい。ワイアットさんなら絶対できますから」
ワイアットは苦笑する。
「ーーーまたそんなこと言って。そんなこといわれたら、お兄ちゃんはつい頑張っちゃうよ」
と笑って、さっきよりずっと大きい魔力をワイアットは手に流し始めた。
焚き火の薪の下に風が吹き付ける。
絶妙な位置で、炎が一気に燃え上がった。
「なんだ?」
マリウスとオスカーは高く燃え上がる炎に目を奪われていた。
その間に私は素早く空中に魔物避けの魔方陣を描き、魔法を発動させる。
魔方陣の魔法が、この地域一帯を覆った。
その時。
急に目の前の景色が変化した。
夜だったはずなのに、太陽は頭上で輝き、明るい光が地面を照らしている。
一面にあの日と同じ、天国かと疑いたくなるような場所が広がっている。
「え?」
広々とした草原。辺り一面に花は咲き乱れ、新緑の木は優しく揺れる。
近くで流れる川のせせらぎ。
高く軽やかに聞こえる、小鳥の歌う声。
「こ、、、ここは、、、?」
マリウスはあまりの驚きに辺りを見渡しては口をポカンと開いている。
オスカーも驚きを隠せていないけれど、「何かの幻影か?」と魔物や敵の襲撃を疑っているようだった。
ワイアットも目を丸くさせながら、私を横目に見る。
「、、、アグノラ。これは君が?」
「まさか」
いくらなんでも、こんな世界を私が作り出せるわけがない。
魔王の居場所が異次元にある空間だったけれど、ここは次元が違うというわけではなさそうだ。
何者かが、この場所を誰かに見つからないように隠していたのだろうか。
この光景は、ここから先、必死に歩いて移動し続けて、ようやくたどり着けた場所だったはずだ。
まさかこんな、ハタカンの町から数十キロという距離でこの場所が現れるとは想像さえしなかった。
一度この光景を見たことがある私も、狼狽えて辺りを見渡してしまった。
【いらっしゃい。聖女】
声が聞こえた。
高く澄んだ、軽やかな声。
「?」
【いらっしゃい】
【会いたかったよ】
【よく来てくれたね】
次々に別の声が話しかけてくる。
聖女と呼ばれて慌ててマリウス達を見たけれど、マリウス達にこの声は聞こえていないようだった。
もしかしてこれは幻影で、私だけは幻覚の上に幻聴まで聞こえだしたとでもいうのだろうか。
ふと見ると、様々な花の中にキラキラと光る虫が見えた。
いや、虫にしては大きい。
でも小動物というには小さかった。
大人の親指くらいの大きさだ。
【あっ。気づいた】
【気づいたね】
くすくすと笑い声が聞こえる。
【変な顔してる】
【変な顔してるね】
変な顔とは失礼な。
「なぁに?あなた達」
【わぁっ!?】
その一匹を捕まえてみると、小枝に目がついたような不思議な生き物だった。その背中に白い羽が生えている。
「何これ。植物?動物?魔物?」
すると、私に捕まったソレが顔を赤くして怒った。
【違う】
小枝の横に伸びている更に小さな枝が手足のようだ。白い羽とともにパタパタと細かく動いてもがいている。
【放せっ】
小さいものってとにかく可愛く感じるのは何故だろう。
「か、、、可愛い、、、っ!」
私がそれをぎゅむっと更に強く握りしめると、それは私に怒鳴ってきた。
【可愛いとか言うなっ!うちらは妖精とか精霊とか呼ばれる、偉い存在なんだからな】
どうやら私の掴んだ子は、他のそれよりもヤンチャな子のようだ。
妖精?精霊?
そんなの見たことないけど。
【放せ!このブス!ぶっ叩くぞ!天然頭!】
ピーピー騒ぐ、その小さな生き物は、私に罵声を浴びせ出した。
思わず、その子を掴む手に力が加わる。
【放せ!放せって!このうすらボケ!短足!】
「あらあら本当に可愛い子ねぇーーー」
あまりに暴言を吐かれ過ぎて、少しだけ私の堪忍袋の緒が切れてしまったのかもしれない。
その小さな生き物に顔を近づけて、おもいっきりニッコリと微笑むと、その子は真っ青な顔になり黙ってくれた。
後にその子は語る。
あんなに恐ろしい笑顔は見たことなかったと。もし世界の大魔王が女だったら、私のような顔をしていたのではないかと。
ーーー本当に失礼な子よね。




