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 騙されない男 (マリウスサイド)

 女の子に抱きつかれたことなど、生まれて一度もなかった。


 俺自身はそこそこの顔をしていると思うのだけど、俺よりずっと整った顔のオスカーがずっと傍にいたし、兄であるワイアットは穏やかな性格なのに強くて誰よりも格好良い男で、俺が小さい頃から、周りの皆の視線は2人に注がれていた。


 だからといって、俺は拗ねたりしない。

 ワイアットとオスカーが傍にいてくれれば、それだけで幸せだったからだ。

 これは強がりでも言い訳でもない。

 俺は人生を戦いに生きると心に決めているし、そこに女なんて入る隙間などないのだから。


 しかし、家の外で畑の手入れをしている時、突然現れたオレンジの長い髪の女の子に抱きつかれた瞬間、俺の周りの時間が止まったかと思った。


 ワイアットやオスカーと違って柔らかいし、なんか花のような良い香りがするし。


 泣きながら顔を服に押し付けられて、それまでずっとワイアット兄さんをどうしたら救えるかとか、今、この時にワイアット兄さんが息をしてなかったらどうしようかとか、心の中でずっと暗く重く渦巻いていたことが、一瞬だけど、全てすっきり頭の中から消えてしまった。

 本当に一瞬だけだけど。


 ワイアット兄さんが、大人になっても夜の街には行くなと俺に笑いながら話をしてくれたことを思い出す。

 彼女達は魔性が強くて、どんなに心が強くても、どうしても逆らえなくなるのだと。

 でもそれが幸せなのだとか、俺にはよくわからないことを言っていたけれど、あぁなるほどと俺は思った。

 これは危険だ。

 よくわからないけど危ないと感じた。 

 早いうちに危険が知れて良かった。


 しかも、その女の子は、俺のことを人間違いだなどと言った。俺に似ている人がいるのだという。


 恐ろしいことだ。

 似ているというだけでここまで泣きついたり、抱きついたりすることができるなんて。


 本当に危ないところだった。

 きっとこの女の子も魔性の女なのだろう。 

 俺はぼんやりした頭をクリアにして、気を引き締めた。


 その女の子は、話を聞くと、ワイアット兄さんの瘴気を治しにきたのだという。


 そこでピンときてしまった。

 これはあれだ。ずっと俺達を迫害してきた町の人達が、どうにか俺達を追い出すために送り込んできた刺客なのだと気付いた。


 ワイアット兄さんが死ねば、残った俺達も家を出ると思ったのだろうか。酷いすぎる。


 素直そうな女の子にだけに、たちが悪い。

 うっかり騙されるところだった。


 もしこれがワイアット兄さんとは関係なく、ただの物売りだったりしたら、騙されていると知りつつも壺でも布団でも買ったかもしれない。けど、ワイアット兄に関しては決して許すわけにはいかなかった。


 エリクサーなんて、普通の女の子が持てる代物でないことは俺でも知っている。

 きっとそのエリクサーと言っている薬は毒なのだろう。そんな可愛い顔で毒を飲ませにくるなんて本当に酷い人間だ。


 俺はそんな気持ちを女の子にぶつけた。

 決して許すまじと、心の底から憎らしくも思ったし、騙されるものかと怒鳴り付けた。


 すると、本気で傷付いたような表情をされた。それが自分が想像していたよりずっと、怒鳴った本人である俺の心に突き刺さる。


 でもそれ以上に怒りを強く感じた。

 俺達を迫害している町の人達にもこんな感情を抱いたことはないのに、なぜかすごく腹が立っていた。

 

 よくわからない。


 心のどこかで『追い払え』と叫ぶ声さえ聞こえた気がした。


 俺はがむしゃらに女の子を追い払って、女の子が去った後、そこにしゃがみこんでしまった。


 なぜか妙に疲れて、力が抜けた。

 脱力感とともに、ぽっかりと胸に穴が空いたような虚無感が襲ってきた。


 家の中に入り、ベッドに横になったワイアット兄さんの部屋に向かう。


 ワイアット兄さんは、話すことだけでなく、ここ数日、もう目を開けることもなかった。

 身体は瘴気に蝕まれ、人間であることが不思議なくらい変形してしまっている。身体は腐り、それでもまだ生きて、呼吸をしている。

 それが救いでもあり、悲しみでもあった。


「兄さん」

と俺はいつものようにワイアット兄さんに話しかける。

 返事はない。


「兄さんを助けたいという女の子が来たんだ。追い払ったけど、それで良かったよな?何かされたら辛いもんな?ーーー俺、兄さんには何もしてやれてないけど、でも、兄さんがいないとーーーいなくなると思うだけで苦しいんだ。どうしたらいい?兄さんがいなくなったら、俺はどうしたら、、、」


 俺が兄さんに話しかけた時、ワイアット兄さんの身体がピクリと動いた気がした。


「ワイアット兄さん?」

 俺は皮膚が破れて色も浅黒くなり、ボロボロになった兄さんの手を握った。手の肉は腐って異臭を放っている。それでも気にしなかった。気にしたら兄さんには触れなくなる。全身がこの状態なのだから。


「、、、しゃ、、、」


 ワイアット兄さんの口が僅かに動いた。

 俺はワイアット兄さんの口を覗き込み、叫んだ。

「兄さん!わかるのか?兄さん!俺だ。何だ?何を言いたい?」

「ーーーゆうしゃーーー」

「え?何だって?」


 それっきり、ワイアット兄さんは何も言わなくなった。

 ゆうしゃとは何だろう。

 

 勇者?

 魔王を倒す力を持つと言われているあの勇者のことか?

 魔王を倒すために国の王が『勇者』として任命する。それで国から雇われて、魔王を退治しにいく『勇者』が生まれる。


 なぜワイアット兄さんが勇者のことなど言い出したのか、俺にはわからなかった。


 ワイアット兄さんは何も説明をしてくれない。


 勇者のことでなくてもいい。

 何でもいいから、ワイアット兄さんの声が聞きたかった。

 それから何度か兄さんに声をかけたけれど、やっぱり返事はなかった。


 しばらくして、チャイムが鳴った。


 こんな忌み嫌われた家に来る人間など殆どいない。

 オスカーはチャイムを鳴らさず家に勝手に入ってくるから、多分、さっきの女の子だと察した。


「まだ諦めてないのか」

 よっぽど町の人達から強要されてきたか、高額で雇われているかのどちらかだろう。


 不機嫌を隠すことなく玄関の扉を開けたら、さっきの女の子の横にオスカーが立っていた。


 俺は少なからず驚いた。

 オスカーが女の子と並ぶところなんて初めて見たからだ。女を人間とさえ思っていなさそうなところがあるから、幼馴染みとして実はひっそりと心配していたけど、ちゃんと並ぶこともできるのか。


「オスカー、、、お前、帰ってきていたのか」

 俺がオスカーの肩を叩くと、オスカーも俺の肩を軽く叩いた。

「さっきな」

 オスカーはアグノラというその女の子を自分がこの町に連れてきたのだと説明した。悪いやつじゃないから安心していいと。


 そんなこと言われても、俺はこのアグノラという女の子からは、急に泣きつかれて、抱きつかれて、薬でワイアットを助けるから家に入れてくれと言われて。

 

 信用していいと言われても、信用できることが何もない。

 本当にこの女の子にワイアットを任せていいのか。


 ワイアット兄さんの限界は近い。余計なことをして命が尽きたらどうする。

 ワイアット兄さんが死んだら、自分もどうにかなってしまいそうだ。

 不安で恐ろしくて。

 もしそれでワイアット兄さんが死んだら、一生悔いても悔やみきれないだろう。

 見知らぬ人間が、自分の目の前でトドメをさす姿を止めることができなかったなんて、許せるはずがない。


「ーーもしワイアット兄に何かあれば、お前を許さないからな」

 自分の声か疑いたくなるくらい低い声が喉から出てきた。俺は、多分、自分が頭で考えるよりずっと、このアグノラという女の子を信用していないのだろう。


 オスカーがなぜそこまでアグノラを信頼しているのか、全くわからなかった。

 オスカーもまた、このアグノラの魔性に騙されているのではないかと疑いたくなる。


 しかし。

 アグノラがワイアット兄さんにエリクサーだという薬を飲ませた瞬間から、ワイアット兄さんの身体は金色に光り、泡が発生してワイアット兄さんの身体がみるみる元の姿に戻っていく。


 それは異様とも言える現象だった。


 毒ではない。毒ではないけれど、こんな生命の流れに反するようなことが起こっていいのかと不安にもなった。


 兄さんの身体を治したのがエリクサーという薬だったから良かったものの、これがアグノラという個人の力だったら、もしかしたら俺はアグノラを恐れていたかもしれない。あるいは神を敬うように信仰していたかも。


 そのくらい奇妙な光景だった。

 人間が手を出していい力ではないように感じた。


 なるほど、これだけの力があれば、エリクサーに莫大な金額がつけられるのも頷ける。


 これは人間のできる枠を越えた、神の所業だ。


 そしてワイアット兄さんは本来のあるべき姿を取り戻し、目を覚ました。


「ワイアット兄!!!」

 堪えきれず、俺はワイアット兄さんに駆け寄った。


 亡くなった母に似た、優しい顔立ちのワイアット兄さんは、俺にやんわりと微笑んだ。


「、、、マリウス?どうしたんだ、そんな顔をして」

 

 声をあげて泣きそうになった。

 俺がそんなに泣いたら、ワイアット兄さんはまた心配してしまうだろう。

 泣いてはダメだと思うほどに、涙腺に溜まった涙は容赦なく俺の鼻頭を痛くさせた。 


 何か言わなきゃと思えば思うほど、言葉は喉に詰まって声にならなかった。


「ーーっワイアット兄が目を再び覚ますなんて。ーーー声がまた聞けるなんてーーー」

 

 ワイアット兄さんは自分の状態がよくわかっていないようだったが、それ以上に俺の顔が面白かったらしい。

 兄さんは俺にゆっくりと手を伸ばす。

「姿ばかり大きくなっても、相変わらず泣き虫なんだな、マリウス」

「泣いてなんか、、、ねえよ」

 気を抜くと涙が溢れそうで、俺はワイアット兄さんから目を反らした。


 こんなことが起こるなんて。

 信じられないけど、実際に起こったのだから信じるしかない。

 

 確かに神に等しい、畏れ多い力。

 俺は心から感謝した。もしこの行為が神に背くものだったとしても、俺は後悔しない。


 もしこの行為で俺が呪われようとも、ワイアット兄さんが助かったのだから喜んで呪われよう。


 俺はアグノラに頭を下げた。

 アグノラが来なければ、間違いなくワイアット兄さんは助からなかっただろう。

 莫大な金額を支払っても手に入らない幻のエリクサーという薬を、ワイアット兄さんに使ってくれたこと。


 ワイアット兄さんが死ぬことが世界の崩壊の始まりだなどと、意味のわからないことは言うけれど、感謝してもしきれない気持ちは強い。


 そのあと、アグノラが「山から魔物の大群がやってきて町を滅亡させる」なんて言い出したけど、俺達はもうアグノラを疑わなかった。


 ここまでしてもらって、俺達だけ逃げるわけにもいかない。

 俺とオスカーは、町の人の説得には失敗したけれど、死ぬ覚悟で戦った。

 まだ俺達は未熟で、実力だけでは勝てるはずなかったのに、色んな幸運がついて回ったことで、魔物を全部倒すことができた。


 俺は井の中の蛙だった。

 もっともっと強くならなくては、守れるものも守れない。

 精進して頑張ろう!と気合いをいれる。

 

 しばらくして、魔法の話になった。

 俺が魔法を使えないことに、アグノラが驚いていた。

 確かにこの世界は魔法を使えない人間の方が少ない。でも、魔法を使えない人間も沢山いて、そういう人達は別の分野で活躍しているのだ。

 魔法が使えないからって悪いわけではない。


 そりゃあもちろん、魔法が使えたら格好いいし、魔法だったら遠くまで攻撃できるから、ただ剣術が使える人より強いイメージがある。

 魔法を使える人が羨ましくなんかーーーないといったら嘘になるけども。


 でも諦めていた。俺は自分の中に魔力を感じたことがなかったから。


「貴方には魔法の才能が溢れています」

 アグノラは輝く紫の瞳でそう言った。

 とても信じられなかったけど、アグノラは俺が魔法を使えるということを信じて疑っていなかった。

 

 魔力が詰まっているのを取ると言って山の裏手に行き、アグノラが俺に魔力を流す。


 魔法は小さい子どもでも使える人が多い。だから身体に魔力が流れるということを簡単に考えていたけど、魔力が俺に流れると驚くほどの激痛が走った。

 細い血管の中に太い枝を突き刺したような痛みだ。


 痛みに強いはずの俺が、気絶するかどうかの瀬戸際を彷徨った。気合いでどうにか我慢したけど、本当は絶叫したかった。


 痛みは激しかったが、その痛みは右肩で止まる。そのことを話すと魔力を詰まらせている栓があるとアグノラは言った。


 詰まりの場所さえわかれば、あとは魔力を意識しながら撫でるだけなのだそうだ。


 どのくらい時間がかかるかわからないが、可能性があるなら時間が許す限り撫でようと思った。

 小さなファイアでもいい。

 生活水を出すだけの水魔法でもいい。

 俺は魔法が使える戦士になりたかったのだ。



 昔見た夢の中で、俺は魔法剣士だった。

 軍を必要とするほどの凶悪な魔物を、俺とその仲間達がたった数人で倒している夢だった。


 その夢の中の俺は今よりもう少し大人で、随分と鍛えた身体をしていた。ワイアット兄さんのように優しい顔をして、目元は凛々しく、威厳があった。


 でも、心は何故か満ち足りていなかった。


 俺はその夢の中で共に行動をしていた女性の1人が好きだったようだ。

 好きなのに何かの理由があって言えなくて。

 ただがむしゃらに、強くならなくてはと思っていた。


 早く。早く。もっと早く強くならなくてはと。

 そうしないと俺はーーーー。



 そう急かされて、嫌な汗を流しながら夢から醒めたあの日。

 あの時から、俺は夢に影響されてしまったらしい。 

 今でも『強くならなくては』という感覚が身体に染みるように熱く残っている。

 

 あの夢のように魔法が使えたら。

 いや、あの夢よりももっと強い魔法が使えたら。


 この落ち着かない気持ちは、何なのだろうか。

 

 そんな事を考えながら、アグノラが作った『エビチリ』という食べ物を口にいれた時。


 口が爆発した。

 ーーー否。

 これが辛いというものだったらしい。

 よくわからないが、口の中に味がせず、ただ痛みだけが口から消えていかなかった。

「ーーー辛っ!?」

 話すこともままならず、口が、顔が、身体全体が。

 吹き出すように何かが全身を襲った。

 異常な汗と共に毛穴という毛穴が開いた。

 身体が弾けそうだ。


 あ。


 この感覚。

 何故か知っている。


 身体を巡る血とともに。

 流れるは『力』。


 目の前の女の子と目が合った。

 紫の瞳。輝く。

 そういえば、あの夢の中の女性に似ている。


 気付くと、大爆発が起こり、俺達が何年も住んでいた家が潰れていた。

 見るも無惨なほど、粉々に。


 ーーーこんなに簡単に魔法が使えるなんて、思ってもいなかった。


 そして俺はアグノラの姿を探した。

 彼女は無事だろうか。

 しかし、破壊力ほどは辺りには被害はなく、アグノラも特に怪我をしていなさそうだった。

 女を傷付けてはいけないという兄さんの教えを思い出し、ほっと息を吐く。

 どうして彼女が無事だったことでこんなに安堵したのか、わからないけど。



 ワイアット兄さんは、そういえばもう1つ、女について、言っていたことがある。


 

『真実の相手に会ったら、自分の本来の力よりずっと強い力が目覚めるらしい。

 お前も、そんな女性(ひと)に出会えるといいな』



 

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