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勇者が死んだ日

「ぐあっ」

 勇者マリウスの苦しむ声が聞こえた。


 黄泉の闇という空間。

 そこは、長く凄惨な旅の終わりの場所だった。


 選ばれた勇者と、仲間になった者達。


 ようやく辿り着いた魔王の棲み家は、時空間を越えた異世界。魔界からワープした先にあり、そこには魔王以外は存在しなかった。

 

 その異世界は重力も違い、身体を包んでいるはずの空気も本当にそこに自分達が存在して良いのか怪しいほど薄かった。

 気温も高すぎて、仲間の輪郭が歪んで見える。


 明らかに人間側に不利な状況。


 勇者マリウスは、さわやかな容姿で老若男女から人気だったが、今となってはもうそのさわやかさの欠片もなく汚れ、老人のように腰を曲げては、残りわずかな精神力でかろうじて立っている。


 賢者と吟われたオスカーは、地底の最下層で見つけた賢者の杖を振り上げてマリウスを守るバリアを張った。世界最強であるはずのそのバリアは、魔王によってあっけなく解除される。


 大魔道士ベリルの、魔力を高めるために伸ばした長い髪は、焼け焦げてまばらに短くなっている。

 国内随一と名高い美貌は崩れ、女性らしい抜群のスタイルを隠していた服は破れた。その上から羽織ったオスカーの貸してくれたマントも大きく穴が開いている。


 かつて英雄と言われた戦士ケイレブは、誇りにしていた鎧が壊れ、戦意喪失していた。

 茫然とし、剣さえ構えることなく地面に膝をついていた。


 私はアグノラ。聖女と呼ばれていた。

 

 まだ聖女ではなかった頃、勇者のマリウスに惚れこみ、無理やりつきまとい、勇者の旅を辿っていたら、道中で聖女の力が覚醒した。


 聖女とはいっても大した魔法は使えない。

 聖女は100年に一度しか現れないと言われて国中から騒がれてはいたけれど、結局、あまり聖女の能力を発揮することはできなかった。それでも旅の終わりまでマリウス達が見捨てずにいてくれたことを心から感謝していた。


 でも。

 仲間達が苦しむ今、何もできない自分が惨めで情けなかった。

 実力不足だった。


 私がもっと、ちゃんと修行をしていたら。

 もっと聖魔法の知識を身につけていたら。


 少なくとも、ここまで後悔しなくて済んだかもしれない。全力を尽くしたのだと、笑って、皆で魔王の前に散れたのかもしれない。


「マリウス様、、、っ」


 私は苦しむ声をあげたマリウスの方を見ようとした。

 もう力尽き果たし、ぼんやりとした視界で愛するマリウスを探す。

 

「マリウス様っ、どこですか」


 手探りでマリウスを探すしかなかった。

 意識が朦朧として、もう、目も信用できない。


「マリウス、、、」


 地面を擦るようにしていた手を握られた。

 大きくて温かい手。

 マリウスの手だとすぐにわかった。



「アグノラ」

 マリウスの声だった。私はマリウスの手を強く握りしめ、自分がここに確かにいることを伝えた。

「マリウス様。そこにいらしたのですね」

 マリウスの声は掠れていた。

「すまん。お前は、、、お前だけでも、地上に置いていけば良かった。お前はこんなところで死んでいい人間じゃない。他のものは戦いの地で死ぬことが本望であっても、お前は戦う人間ではなかったのに」


「そんなことっ」

 こんな場面でそんなこと言わないで欲しかった。ここにいることが不幸のように言わないで欲しかった。

 マリウスと共にいれたことが最大の幸せであったのに、それを否定しないで欲しかった。


 私はもう動くこともできず、地面にうつ伏せになった姿で、ただただ、マリウスの手だけを握る。


「マリウス様。愛しています。マリウス様っ」

 悲痛な声で私は叫ぶ。

 マリウスは何度告白しても、私を受け入れてはくれなかった。だからいつものように、マリウスからは軽くあしらわれると思っていた。


 しかしマリウスは、私の手をぎゅうと握りしめた。 

「アグノラ、、、俺も愛している」



 ーーーーー俺も???


 私は目を見開いた。

 まさかの両思い。


 驚きすぎて、霞んでいた視界が一気に鮮明になった。


「マリウス様。ーーーえ?」

 はっきりした目でマリウスを見ると、その背中には短剣が深々と刺さっていた。

「何故背中に短剣が、、、」

 この空間にくるまでは絶対に刺さっていなかったそれは、誰のものかわからない。


 でも、魔王は短剣など使わない。

 ここには他に敵もいなければ、外部の人もいない。

 裏切るはずのない仲間しかいないはず。


 なのに、勇者マリウスの背中には短剣が刺さっている。


 ということは、この中に裏切り者がいる。

 

 信じられなかった。

 何年もずっと一緒に旅をして、これ以上の仲間はいないとマリウスは何度も熱く私に語った。


 だというのに、その人は裏切ったのだ。


 もし刺されなければ、マリウスは全力を出せたかもしれない。

 こうして、全滅することもなかったかもしれない。


 不思議だった。

 全滅したら、裏切った誰かも死ぬことになる。

 全滅するのがわかっていて。

 自分も死ぬのを理解していて、それでも裏切りたかったのだろうか。


 何のために?

 何が目的で?

 わからないことだらけだ。


「アグノラは死なないでくれ」

 マリウスは、優しい声で一言だけ、呟いた。

 そしてポトリと、マリウスの握る手が地面に落ちた。


「、、、マリウス様、、、?」


 私は俯いたマリウスに目を向けた。

 マリウスは目を閉じていた。

 力なく、身体の全てを地面に預けていた。


 息がなかった。


「マリウス様、、、マリウス様っ?」

 私はマリウスの身体を揺らす。

 わかっていた。

 これは『死』だ。

 

 生きるすべての人が辿る道。


 でも。

 これはない。

 これは。


「あぁぁぁっ!!!っっぁぁぁああっっっ!!!」

 私は叫んだ。

 全身が痺れて動かなかった。

 喉が張り裂けた。

 張り裂けて血が出ても、声が声でなくなっても、私は叫び続けた。

 私が私でなくなっても。

 

 もう、何も見えない。

 もう、何もかもどうでもいい。


 マリウスのいない世界など。

 もう。

 いらない。


 ーーーそして、私はーーーーー。



✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️



 目が覚めて。


 私はぼんやりとした目映い陽射しに、目を細めた。

 

 思ったよりも軽やかに動く左腕をあげて、光を遮断するために自分の目を覆う。

 私は地面に仰向けになって横たわっていた。


 魔王のいる空間にいたはずなのに、地面には草が生え、頭上には他の木の何倍も大きなの木が聳えたっている。その葉の隙間からの木漏れ日が私の顔に当たり、チカチカと眩しかった。


「、、、あれ、、、?」


 私は身体を起こし、自分の手を見る。


 勇者の旅の仲間として左手の甲に誓いの紋章を刻んだ。それは一生消えることのないもの。

 それは私の誇りでもあった。

 なのに今、その紋章は私の手背にない。

 戦いと冒険の旅によってボロボロになっていたはずの手は、まだ幸も不幸も知らなかった頃のように若く、皺1つなかった。


 私は自分の服装を見た。

 聖女になってからは聖女の威厳を知らせるために、聖女らしい白い羽織りものを常に纏っていた。清楚さを全面に押し出した見た目重視のもので、動きにくいことこの上なかったその服は、何度も私を苦しめた。


 だが、今、私が着ているのは、動きやすいワンピースにエプロン。腰からふんわりと膨らんだスカートは膝下で揺れる。いわば、村娘ルック。


 私は17歳で旅に出てマリウス達に出会い、そして聖女に覚醒した。そこから聖女の服装に変わったが、それまではこの村娘ルックでずっと過ごしていた。

 勇者とともに街に出て、この格好が『ダサい』と旅の途中の村人に言われるまでは、この服が私にとって一番のお洒落だった。


「この艶々した肌。そしてこの服装。まさか、、、」


 ペタペタと私は自分の顔を触ってから、勢いつけて立ち上がった。

 

 この場所は知っている。

 私が生まれ育った村の隣にある高原。

 短い草が生え揃う広大な土地は、気性の穏やかな動物達の憩いの場所だった。


 私は走り出す。

 身体が軽い。

 

 ここから坂を下ると小さな池がある。

 溜め池のはずなのに、いつも水が澄んでいて、村の人達からは『神秘の池』と呼ばれていた。


 ここの池は、木陰になると鏡のように姿を映し出してくれる。

 私はその場所に行き、池の水を覗き込んだ。


 そこに映し出された私の姿は、案の定、まだ勇者御一行と共に旅立つ前の自分の姿だった。

 鮮やかなオレンジの長い髪。藍色の瞳。

 日焼けもせず、戦いの傷もない。

 『ヤードターナの太陽』と呼ばれたあの頃のまま。


 ちなみにヤードターナというのは、私が住んでいた村のことで、私が光魔法が使えるからその名がついた。大層な呼び名のせいで、どれほどの美人かと隣村からも若い男が何人か見にきたことがあったけれど、街に出たら私くらいの顔の人間はゴロゴロ転がっていた。

 格好いい呼び名だとちょっと浮かれていた自分が恥ずかしかった。


 それにしても。

「この格好。この姿。ーーー16歳くらい?」


 元々幼くみられがちの私が、さらに若返っている。

 過去に戻っているとしか思えなかった。

 ヤードターナ村の隣の高原にいるということは、まだ私は自分の村に住んでいて、旅立っていないということになる。


「なんで?ーーーいや、これは神の奇跡だわ」 

 私は拳を握り締める。


 魔王を退治するためにずっと頑張ってきたのに、結局その夢は叶わなかった。

 あれほど信頼していた仲間に裏切り者がいた。

 そしてーーー私とマリウスは、本当は両想いだった。


 過去に戻ったとしたら、それを悔い改めるために神様がくれたチャンス。そういうことなのでしょう?


「待っててね、マリウス様。ーーーいえマリウス」


 どうせ死ぬなら、魔王を倒せないなら、魔王を退治する旅など必要ない。

 両想いなら、私と一緒に穏やかに幸せに暮らせばいいのだ。

 仲間から裏切られる運命なんて、クソ食らえだ。


 昔、マリウスがポツリと私にもらした言葉がある。

 本当は畑でも耕しながら、のどかな村でのんびりと過ごしたかった、と。


 私は聖女で、マリウスは勇者になるだけの力を持っている。

 勇者ということは腕力が尋常ではないから農作業も苦じゃないだろうし、聖女の力は自然界にも影響するから畑の食物は嫌でも元気に丈夫に育つ。


 のどかにのんびり穏やかに暮らす?

 充分、叶えられる夢じゃない。

 マリウスと、穏やかな土地で力を合わせて生きていく。

 子供は二人。大きな犬と、羊と鶏と牛を飼って、畑には年中、何かの果物が採れるようにしよう。


 マリウスは正義感が強いから、きっと困っている人がいるとつい手を貸してしまうだろう。そうだ、何でも屋なんて開いてもいいかもしれない。

 

 ギルドと対立しないように、ギルドが手を出せないようなところを拠点にしたらいい。

 息もできないような高山の頂上。

 あるいはドラゴンの巣の傍。

 あぁダメね。それだと依頼する人も来にくくなってしまう。


 いっそマリウスとお揃いの覆面でも作って、無償で人助けというのもありかしらね。共通の趣味というのがある方が、恋人同士は長続きしやすいってベリルも言ってたし。

 人助けが共通の趣味って、とてもいいわね!

 

 うん、と私は1人で頷く。そして拳を強く握りしめた。 

「私は全身全霊をかけて貴方が勇者になるのを阻止して、地味に、穏やかに幸せに!暮らしてみせるわ!」

 

 私はそう、奇跡の池と呼ばれた水に向かって誓いを立てたのだった。



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