1.迷子少女と狭間の世
「自分がどこから来たか分からない?」
「はい……そうなんです。私、自分がどうしてここに存在しているかもわからなくて」
出会った少女を店に招き入れたコウは、またも頭を悩ませていた。勿論その原因は少女にあったのだが…
どうも彼女はこの狭間の世に来てまだ時間が浅いらしく、この世のことを知らぬという。そしてその上、自分がどこから来たのか、どこで生まれどんな人生を送ってきたのか、未練は何なのか、そういった情報を何も覚えていないとも言うのだった。
コウは諦めたように天を仰ぐと、少女の為に淹れ直した紅茶に角砂糖を入れ、一口飲んでから口を開いた。
「本来、この『狭間の世』には、既に現世での役割を終えた者しかやって来ません。言うなればあの世とこの世の境目です。つまり、貴女は1度死んだことになるわけですが…自覚はありませんか?」
少女は首を横に振り、何も知らないと言った顔で返答した。
「私、そもそも死んでるのかもわからないんです。ここが私の最初からの居場所だったような気もして…。それに、自分の名前も知らないんです。」
「名前すらも…分からないのですか?」
「はい。なんだか全部に霧がかかったようで、あいまいで。」
これにはコウもお手上げであった。仕方がない、と彼は深く溜息をついて立ち上がり、「着いてきてください」と少女を誘導した。向かった先はオーナー用の部屋であった。
きょとんとしながらもコウの後ろを雛鳥のように着いてきた少女が部屋を見渡す。そこには、壁を覆うように、沢山の名札がかかっていた。それらはどれも異なった色を持っており、同じような色でもどこか違う色をしていた。少女にとっては未知の体験であった。
少女に向き直ったコウは、部屋の中央の机から取り出した透明な名札を持って、彼女に語り掛けた。
「いいですか、この『狭間の世』で名前が無いのは致命的です。最悪の場合、私の部下に連れ去られかねません。そこで、申し訳ありませんが、私が貴女の名付け親とならせていただきます。宜しいでしょうか?」
少女に断る理由はなかった。むしろ、もっと自分の知らないことを知りたい好奇心もあった。
「うん、いい名前をお願いします。えっと…コウ、さん?」
「コウで構いません。そうですね…ああ、では」
閃いた顔をして、コウは少女の首に名札を押し当てた。
「貴女は今から、『ペール』です。」
その名がコウの口から紡がれると、透明だった名札にみるみる光が吸収され、するりとペールの喉の中へと一体化していった。そしてコウの手元には、また透明な名札が握られていた。
コウは不思議がる。
「おかしいですね…普段であれば、戻ってきた名札には色がつくはずなんですが。これも貴女が特別な理由なのでしょうか?」
「え、えと…ごめん、なさい?」
「謝ることではありません。このようなイレギュラーも、仕事の合間のいい刺激になります。」
ニコニコと笑いながらペールの頭を撫でるコウは、彼女の目には優しい兄のように見えた。
「じゃあ、暫くここで過ごしてもいい、ですか?」
「勿論。その代わり、私の仕事をお手伝いしていただけませんか?」
「コウさんの…コウのお役に立てるなら、頑張ります、私!」
「いい返事です。では工房へ参りましょう、現在やりかけの仕事があるのです。」
工房への扉が、いやに重たく開いた気がした。




