ランチタイム
午前中の授業が終わると、九十分間のランチタイムだ。
学園内には二ヶ所のカフェテリアと特別レストランがある。
カフェテリアは誰でも気兼ねなく利用できるが、特別レストランは、生徒会メンバーと王族しか利用が許されない。
その特別レストランでは、各テーブルごとに専任の給仕がサーブするコース料理が提供されるため、一時間では足りない。
彼らが急かされることなく食事を取れるよう、ランチタイムは九十分間と定められているのだ。
「なお、あらかじめ申し出のあった従者又は使用人はその限りではない――とありますね」
エイデンの命により、ジークは特別レストランの利用規則を読み上げていた。
「つまり、申し出ればピスチェを連れてきても大丈夫ということか?」
「いいえ。彼女は平民であっても使用人ではないでしょう?」
「あ、ああ。もちろんだとも! じゃあ、どうあってもここで一緒に食事を取ることはできないという訳か」
「ええ。ま、そうなりますね」
「ならば――」
席を立とうとしたエイデンの腕を引っ張り、ジークは彼の背中を椅子の背もたれに押し付けた。
「なりません。既にティモシー様が席に着いておられます。不作法な真似を見られてもよろしいのですか?」
店内の奥まった特等席に、ティモシーがロイスと共に優雅に座っている。
「……くぅ」
「まだ入学二日目ですよ。何を焦ることがあるんです? 彼女については名前しか知らないのでは? 何の情報もなく、どうやって近付くおつもりですか?」
「ホント腹たつ。お前のそういうところ。上から目線で人の頭をぐいぐい押さえつけてくるところ」
「お褒めにあずかり光栄でーす」
ジークは目元を緩ませてメニューを手に取った。
「まあ、彼女の側には、あのコリーン嬢がいますからね。今頃楽しくガールズトークでもしているんじゃないですか」
同じ頃、ピスチェとコリーンは、カフェテリアの中央にある小さな丸テーブルに陣取っていた。
料理を受け取る生徒たちの列のすぐ側だが仕方がない。静かな隅の方の席は上級生たちが使用する暗黙のルールがあるのだ。
二人は、というよりピスチェは、今まさに、その場にいる生徒たちの視線を一身に浴びているところだった。
ピスチェは「うげっ」というだらしない言葉と共に、口に入れたマッシュポテトをブハッと盛大に吐き出したのだ。
彼女の飛沫と白いべちゃっとした物体は、テーブルの上に激しく飛び散った。あろうことか、真向かいのコリーンの皿の上にまで到達している。
ガールズトークどころの騒ぎではない。
コリーンが世界の終焉を見たような表情で固まっているというのに、ピスチェはお構いなしに愚痴をこぼした。
「これってさ。もしかして虐めの類いなのかな? 見た目は普通のマッシュポテトと変わんないから口に入れちゃったよー。もう飲み込むところだったー! おえー」
氷像にピシピシとヒビが入るように、コリーンの体が小刻みに震え始めた。
やがて彼女を覆っていた分厚い氷が弾け飛ぶと、聞いたことのない甲高い声が響いた。
「ぶ、不作法にも程があります! 信じられません!」
何事も厳格な儀礼の下で行われる貴族社会において、マナーは重要視される。序列に関係なくどの家でもマナーについては厳しく躾けられるのだ。
「……あ」
激昂のあまりガタンと音を立てて立ち上がったコリーンに、ピスチェはマルグリットの姿を重ねた。
『まあ言葉遣いはおいおい直せばいいとして、食事のマナーだけは絶対に完璧にマスターすること。それが入学の条件よ。出来なければすぐに学園を追い出されることになるんだから』
「あ、あああ。あわわ」
騒ぎを聞きつけたのだろう、カフェテリアのスタッフの手によって、テーブルの上が何事もなかったかのように綺麗に片付けられていく。
「あ、どもども」
賢明な生徒たちは、貴族らしく優雅な無視を選択し、ピスチェを各々の世界から締め出した。
(あーあ。やってしまったなあ。どうしよう。ジャガイモの味がしなかったからびっくりして吐き出しちゃったんだけど。見た目と味が違いすぎて……っていうか、アレって一体何だったの!?)
コリーンは一言も発することなくカフェテリアの出口に向かった。
ピスチェも素早く席を立つとコリーンを追った。
ピスチェの頭の中では、マナー違反で退学、祖父の援助取り消し、農園売却、親子三人路頭に迷う、という一連のシナリオが瞬時に展開され、赤いパトランプが大音響と共に点滅していた。
「こ、コリーン! 待って!」