No.12 伊達に音楽雑誌は読んでないぜ
最もサブタイ決めに難儀した回といっても過言ではないですね。それだけ起伏も事件も何もない回だということなのですが、こういうシーンこそ面白おかしく書けるようになりたいものです。
結局俺たちが本日、一通りの依頼回りを終えたのはだいたい7時を回ったくらいだった。
俺と穗村に限っていえば5時過ぎには、最後の吹奏楽部への依頼が終わり部室でだらだらと待機していた。していたのだが、
「あんた達、手が空いてるわね。じゃあ今すぐ茶道部と空手部に行ってきて」
と、いきなり部室に入ってきた矢伊原に開口一番でそう告げられたのだった。どうも、この依頼回りは明日もいれた2日にかけて行う予定だったのだが、意外と時間に余裕があることが分かり、今日のうちに片付けてしまおうと。そういう方針に変わったらしい。矢伊原の独断によって。
毒を食らわば皿まで。悲鳴を上げる体と心に鞭打ち、追加の2部への依頼も終わらせたときには、すでに俺は生気を失っていた(と、後に穗村は語った)。トイレの鏡で自分の顔を見たときは、一瞬中学生時代に戻ったのかと錯覚したものだ。
そんなボロボロになりながらの本日のミーティング。それが現在である。ホワイトボードの前に立つ矢伊原と、彼女から少し離れた位置にて床に腰を下ろす俺たち部員という構図である。……なんというか、これ傍からだと矢伊原が部長にしか見えないよな。
「本日の成果。同好会含めて全42部のうち25部が了承。残り17部は一時保留、明日以降に返事をくれるそうよ」
矢伊原が張りのある声で語り始めた。
「全ての部活の返事が届き次第取材活動を始めるわ。聞いたところ、どの部活も難色を示さなかったらしいから2、3日後には始められるはずよ。明日は特に仕事がないから休みにしてくれていいわ」
休み。その言葉が新鮮に感じられてしまう。何故なら、我が新聞部はほぼ毎日が休日のようなものだから。事実、部員の誰も特に浮き足立ったような声を発しない。
(2、3日後……か)
つまり明日一日は確実に空いてしまうということだ。個人的には、どうせ嫌なことなら続けざまにやってほしかった。間隔をあけると決心が鈍ってしまうのと似た感覚だ。
「詳しい話は明後日にでもまとめて話すわ。連絡網を使うかもしれないから覚えておいて頂戴。私からは以上。解散!」
とうとう解散の号令までかけるに至っていた。
(もうあいつが部長でいい気がする)
きっと慶介も、喜んでそのポジションを差し出すことだろう。
「それじゃあな灯!」
いの一番に俺たち部員の群れを抜け出たのは慶介だった。
ちょうどいい、一緒に帰ろうと言おうとしたところで、思い留まった。普通なら慶介のほうから「一緒に帰ろうぜ」と言ってくることに気づいたのだ。
(そうだ、美崎さんか)
慶介は彼女持ちである。たまには二人だけで帰りたいということもあるのだろう。いや、むしろ彼女持ちになってからも、俺といる時間のほうが多いあいつがおかしい。
「ああ、また明日」
適当に答えて、慶介が部室から足取り軽く出て行くのを見送る。
つまり今日は一人だ。
何も言わず、というのもどうかと思い、せめて穗村にだけは一言告げておく。
「お疲れ、穗村」
「あ、はい。お疲れ様でーす!」
正直にいうと、一人だけの下校は願ったり叶ったりだった。
別に、一人が好きなわけでも、騒がしいのが嫌いなわけでもないし、実際いつもは慶介と一緒に帰ることが多いのだ。だから、これは今日に限っての希望というやつだ。
理由は一つ、今、俺が弱っているということだ。肉体的にも、精神的にも。誰かがいるとそいつに愚痴の全てをぶつけてしまうかもしれない。
(これは……堪える)
現在の俺の心情は、わずか一言で事足りた。体が重い。言葉が出ない。そして、足取りが覚束無い。
―――瞬間、俺に強烈な風圧が襲いかかった。
「――――うぉわ!」
目の前をトラックが横切っていく。その時初めて、俺は顔を上げて歩いていなかったことに気づいた。もしあのまま無反応で足を踏み出していたら、俺の肉片がここら一帯に花を咲かせていたことだろう……。全身から冷や汗が吹き出る。
危ないだろ、気をつけろ! 反射的に叫びそうになったが、何とか思い留まった。何故なら、俺の前方に見えるのは白線ストライプの横断歩道、左右を流れる自動車群、そして赤く光る歩行者用信号機だったからだ。誰がどう見ても『止まれ』だった。危ないのはむしろ俺のほう。轢かれても文句の言えない立場だったのだ。
一度深呼吸して、歩行者用信号機が青く点灯したのを確認して歩道を渡る。
「ああ、心臓に悪い……」
もはや疲労困憊以外の何物でもなかった。
そしてもっと深刻なことに、食欲がない。大好物のおはぎさえ、今の俺の胃袋は拒絶することだろう。俺の右手に立ち並ぶ商店街が、今は恨めしい。食べ物関係だけではない、いつもならつい立ち寄ってしまうCDショップや本屋でさえ目にするだけで、体力が削られていくような気がして苛立った。
一組のカップルが俺とすれ違った。仲睦まじそうに現代の若者語で話す二人を俺は、
(うぜぇよ、死ね!)
心の中で罵った。自分でも驚くほどの黒い感情が渦を巻いていたのだ。
ストレスは限界に達しているらしい。
(このまま帰るのはちょっとまずいかも)
つまらないことで母さん達と衝突してしまう恐れは、ありすぎるくらいあった。少し頭を冷やしたほうがいいかもしれない。
と、ここで通りかかった公園の中に、誰も座っていないベンチが一つあるのが目に入った。
立ち止まり、暫し逡巡する。
結果はすぐに出た。
(ま、たまにはいいか。昼間じゃないし)
そこへ駆け寄ると、俺は通学かばんを枕にして、ベンチの上に仰向けに寝転がった。
「あー気持ちいいっ」
千切れんばかりに伸びをすると、腕や腿の筋肉に快感が走る。それだけで、俺の頭は安らぎを取り戻してきた。
夜道を歩くわずかな通行人達が、俺を奇怪な表情で見つめているのが分かる。きっと俺をホームレスとか家出とかと勘違いしているのだろう。連れ同士で、俺を横目に小声で話し合っている奴らまでいる。しかも、俺に聞こえるように話すものだからなんともあざとい。
(うるさい。俺の邪魔すんな)
さっきまでの俺だったら癇癪を起こしてゴミ箱の一つでも蹴飛ばしていただろうが、今は心身ともに余裕があるので、MP3プレーヤーを取り出し、ヘッドフォンで耳を塞ぎ音楽鑑賞に浸るという、柔軟かつユニークな対処を取ることができた。選曲は、スローテンポの中に時折突き刺さるようなバンドサウンドが鳴る、変則的なロックミュージック。勿論国内アーティストだ。繊細でいて濁流の如く激しいギターサウンドと、『世界の原理』を髣髴とさせる日本語歌詞の組み合わせだ。何度聞いても惚れ惚れする。
気分が高揚してきたところで、自然とものが考えられるようになってきた。
「…………」
今日は確かに苦しかった。明日以降だってきっと今日と同じかそれ以上の苦難が待ってる。そして、それはこれから学際までの約2ヶ月間に渡って続くことになるのだ。どう見積もっても平穏無事に過ぎるはずのない日常に、俺は一体どこまで耐えることが出来るのだろうか。
(でも…………)
悪いことばかりじゃない。今日という日を迎えて、興味深いことがあったことも事実なのだ。
身近な後輩の意外な一面。不思議な後輩との新たな出会い。苦手なものが意外と上手くいったときの高揚感。そして、古くからの友人との再会。
俺からすれば、まるでファンタジーのような出来事。
どれも、おそらく矢伊原乃絵が来なければ味わうことはなかっただろう。
さらに、これがまだ序の口だというのだから、これから先、もっと面白かったり、可笑しかったりすることが起こるのだろう。
(新聞部が残ろうが消えようが知ったことじゃないけど)
そういう意味では、
(もうちょっと先を、見てみたい気もするな……)
すぅっと。
少しだけ、体が軽くなった気がした。
俺は、仮にこの救済活動を成し遂げたとして、何かを得られるとは思っていない。俺の本質である上がり症は直らないだろうし、人付き合いも上手くなれるとは思わない。今更友達だってそう増えるものでもないだろう。
それでも、この茨の道を進んでみたいと思えるのは、きっと俺が本当に望んでいるのはもっと別のことだからなのだろう。
たったそれだけのことで、覚悟は決まった。
ベンチから体を起こす。
「おっしゃ!」
今更、気合を入れる。今日のためではなく、明日のため。あるいはこれから続く日々のために。
そうだ、まずは明日を乗り切らなければならない。
(バレちゃったからな。サボることも出来ない)
それから俺はすぐさま公園を後にした。
足取りは、自然ととても軽かった。
明日。
三者面談。
教員、保護者を交えた進路の話し合い。
乗り切らなければならない。
長かった。
やっと”一日”が終わりました。
……一日です。劇中でまだ2ヶ月以上あるうちの一日が終わっただけです。
じゃああとこの長さ60回分か―――というとそうでもありません。ここまでの話は謂わば『ルール説明』といった感じでしょうか。おそらく設定7割、中身3割くらいで話が進んでいたのではないかと思います。次回からは一日当たりこの3割のみの配分で書いていくわけですから、多分1P毎のボリュームも軽くなっていくはずです―――すみません、嘘つきました。1Pが重いのは、設定とか形式以前に私の文章力が未熟だからです。
エンディングを目指しつつベストなボリュームに絞れるよう精進致します m(__)m