No.10 幼馴染は、一度離れるとむしろ気まずい
結構平凡な今回。過去の知り合いとの違和感だらけの会話と、それに対する主人公の心の動きが本テーマです。
彼女―――遠藤明音との付き合いは17年間。つまり生まれてから今までということになる。母さん達曰く、「もともと家が隣だったし、さらに出産予定日が近く病室も一緒だった」ということらしい。事実、俺の誕生日は遠藤さんより2週間早いだけである。
親同士の仲がいいのだから、当然俺達の仲もまた良好だった。どちらかの家に行って一緒に遊ぶなんていうのは当たり前で、呼び名も「トモちゃん」「明音ちゃん」だった。小学校に上がってお互い異性として距離を置くようになっても、呼び名が変わらないどころか、逆に両親の御使い、学校行事の相談などもするようになり、社会的な意味でもより親密になっていった。まさに、友達以上家族とイコールを結ぶ関係だったのだ。
そんな関係に終止符が打たれたのは、俺が11歳の誕生日を迎えて少し経った時期。まるでスイッチでも切れたかのように、お互い言葉を交わさなくなった。それどころか、互いが互いを意識的に避けるようにまでなった。何故そんなことになったのか、今になって考えてもそれらしい答えはわからない。
何が言いたいかというと……こうしてお互いが目を合わせるのは、まさに6年ぶりだということだ。まるで赤の他人と話すみたいで妙に緊張する。
「新聞部?」
先に口を開いたのは彼女のほうだった。とても愛想がいいとはいえない、ぶっきらぼうな話し方だったが、これも昔からのものなので気にならない。
「うん。珍しく仕事することになった」
「なるほど」
遠藤さんが頷く。どうやらこの一言だけで分かってくれたらしい。おそらく、部活救済措置を受けていることにも若干の予想がついているだろう。何故なら、定例の部長会議でこちらの状況は筒抜けだろうから(女バス部長が俺なんかの説明で納得してくれたのも、その部分が大きい)。
「ところで顧問はいる?」
その問いに、遠藤さんは首を横に振った。
「いないものとして扱うことが、うちでの暗黙ルール」
「うちと同じだ」
正確には、顧問と部長ワンセットでそれなのだが。
「じゃあ遠藤さんに話したい。確か部長でしょ?」
「うん」
頷いた後、後ろを振り返り先程より若干大きい声で「構わず練習を続けてて」と言った。
「外のほうがいい」
「え?」
外とは? 何が外で、何が何よりいいのだろう?
要約の抜けたその短すぎるSV構文は、俺の頭を悩ますのには十分だった。
「多分騒がしくなるから、込み入った話なら廊下に出たほうがいい」
「ああ、そういえばここ、演劇部だったね」
空き教室で練習ということは、ある程度動きのある部分の練習をするということになる。そんな中に俺が紛れていたらどう考えても邪魔になる。それではお互い気まずくなりそうだ。それに、こちらもテキトーな話、というわけにもいかないし。
「じゃあ廊下で話そう。穗村行くぞ」
「はーい」
穗村が律儀に返事をする。
そうして廊下に出た3人の間には、最初の数秒間は言葉が無かった。校舎のどこかから、あるいはグラウンドのほうから人の声とボールの音が、この3階まで聞こえてくるくらいに、ここの空間は静寂に包まれていた。
…………。
「久しぶり」
意外にも、この沈黙を破ったのは遠藤さんの挨拶だった。
「…………」
思わず、きょとんとしてしまった。急に声をかけられたこともそうだが、幾分話し方が先程より柔らかくなっていたことに、特に。
「変だった?」
「いや……何でもない、うん。久しぶりだね」
ここでどんな言い訳をしても嫌味にしかなりそうにないから、口を閉ざすことにした。俺も当たり障りのない返答を選ぶ。
「その子も同じ新聞部?」
次に穗村を見てそう尋ねる。
「あ、はい。初めまして。今年新しく新聞部に入部した1年の穗村と申します。以後お見知りおきを」
丁寧に穗村はお辞儀をする。
「うん。よろしく」
遠藤さんも微笑んで答える。長年彼女のこういった表情を見たことがない俺としては複雑な気持ちだったが、穗村と遠藤さんが打ち解けられたようなのでよしとしよう。
「仲が良さそう」
「ん?」
遠藤さんが、次に俺のほうに話を振る。
「何が?」
「穗村さんと、上月くん」
「……そりゃ悪くはないつもりだけど」
「穗村さんはまだ1年なのに」
「む…………」
そうやって外から冷静に言われて初めて気づく。そう、穗村は入学してまだ1ヶ月しか経っていないし、俺と知り合ったのも、体験入部が始まってからだからほんの2週間前だ。確かに、端から見ればこれほどおかしなことはない。さらに俺の性格を把握している遠藤さんにしてみれば、もはや七不思議並みの感覚だろう。
「まぁ、何故か馬が合ってね」
しかし、詳しい理由は俺にも、おそらく穗村にも分からないため答え方もお茶を濁す形になってしまう。
「良かった」
「え?」
遠藤さんが、急に微笑を浮かべてそう呟くものだから、俺はつい我が耳を疑った。
「友達、出来なくて困ってたから」
「…………」
その言葉を聞いて、俺はさらに目を丸くした。
気づいたのだ。例え顔を合わせなくても、言葉を交わさなくても、幼馴染としてそれなりに俺の身を案じてくれていたことに。
幼少からの大人しい性格が災いして、小学校時代、俺はよくクラスで除け者にされることが多かった。そして中学に上がるとそれはさらに俺の首を絞め、「気の弱い奴」とクラスの中で随分と見下されていた。その扱いは、友達が出来ないのなんて結構マシに思えるくらいだった。死にたい、とまでは思わなかったし、周りを恨むこともほぼ無かった。その代わり俺の中に渦巻いたのは、他ならぬ己自身への嫌悪感。こんな苦しい思いをするのは全部自分の弱さが原因なんだと思って止まなかった。
高校に上がって、人格の出来たクラスメイト達に囲まれそれなりの平穏と安息を手に入れたに至ったのだが、それでも友達と呼べる人間は慶介以外に出来なかったし、小中時代の経験が尾を引いているのか集団、あるいは自分より力の強そうな人が極端に苦手になってしまったのだ。
俺の「極度の上がり症」は、おそらくこれが要因の一つではないか、と愚考している。
そして、小中高と同じ学校であり、家も隣同士の遠藤さんが、俺のそんな状況を知っているのは至極当然である。仮にも一時はそれなりに仲の良かった相手のことだ、気にするなというほうがおかしい。まして人一倍お人好しな彼女のことだ、渦中の俺以上に余計なことで悩んでしまっていたかもしれない。
「はは。今だって少ないほうだけど、気軽に話せる人は多くなったよ。クラスの連中は皆人間が出来てるからね。だからそう気にするものでもないって」
一瞬「ごめん、心配かけた」と言おうとしたがそれは飲み込んで、苦笑交じりにそういった。謝罪しているつもりでも「今まで無視されなきゃもっと違ってたのに」と暗に責めているように聞こえそうだったからだ。折角久々に言葉を交わせているのに、相手を嫌な気分にさせたくなかった。
「……それならいい」
短く、しかしふんわりとした声で答えてくれた。その一言に込められたのは労りか、慈愛か、あるいは友愛か……それともそれら全てなのか。考え出したら、何故か胸の辺りが暖かくなった気がした。その未知の感覚に不意を打たれ、次に繋ぐセリフが、まるで破裂したように頭の中で消し飛んだ。
(ど、どうしよう。なんて言おう……)
散々悩んだ末の助け舟は、無意識に力を込めた左手からやって来た。その手が握り締めたものは、例の新聞部の活動要綱。
「そ、そうだ。遠藤さんこれ。部活のことなんだけど」
「…………うん」
遠藤さんが、いつもの表情に戻った。本当はもっと話しをしていたかったのだが、これ以上は俺の語彙力が底を尽きて、余計に気まずくなってしまう。
まず最初に活動要綱(こちらはコピーだから贈呈)を渡す。先ほどの、女バス時の要領だ。顔馴染みが相手なので、さっきより上手く機能するだろうという打算だ。
「学際に向けて、いろんな部活で取材をしようってことになってるんだ。何回か……話だと週一回ペースになるかもって言ってた」
「それで、うちには上月くんが?」
「あ、それは一応今日だけ。取材には、部員数の関係上ローテーションになると思う」
「そう…………」
「?」
少し、遠藤さんが気を落とした―――ように見えた。気になったが、所詮勘でしかないためそこは敢えて触れないことにした。
「ええと……それで、今日はその承諾を貰うために来ました」
「だとすると、顧問がいたほうがいい」
流石は遠藤さん、適切な判断である。
「うん、今日はいないから話だけってこと。日を改めて部員や顧問と話し合ってくれないかな? 勿論無理強いはしないから」
「そういうことなら」
頷いてくれた。
「ありがと。俺の用はこんなところかな」
これで、俺が口頭で伝えるべきことは終わった。後は、遠藤さんほどの人なら要綱を読めば全部分かるだろう。
「あ、他に何か聞きたいことある?」
分かるのだろうけど、一応形式として最後にそう付け加えておく。しかし、予想に反して「それじゃあ」と遠藤さんがそう切り出した。
「それは全部の部活が参加しなければならないこと?」
「え……」
少なからずショックを受けた。どうやら彼女は、この依頼に対してあまり乗り気ではないらしい。
(ほら、やっぱり俺一人だからこうなった)
俺の言い回しが下手だから、相手を不快な気分にさせてしまったのだろう。知り合いだからと、調子に乗って言葉遣いを疎かにしていたのも原因の一つかもしれない。
これが慶介や穗村が一人でやっていたならきっと、否、確実に違う結果になっていただろう。それももっと良い方向に。
…………。
「いいや、無理だったら断っていい。そんな強い権限がうちにあるわけもないんだし」
だからといって黙ったままのわけにはいかず、勤めて明るく答える。
「じゃあ断ったところも?」
「うーん、他の部員の担当については知らないからなんとも言えないかな。あ、でも俺たちの担当だと、一つ了承、一つ保留だね」
まぁ、他のやつらは俺ではないから心配要らないだろう。
「保留ってところは他にも結構あると思う。それでさ、多分そのうち全部が了承してくれるとも思えないし。それに結構練習の邪魔になるだろうから―――」
「引き受ける」
「―――集中したいなら……え、いいの?」
いくらなんでも早計すぎるのでは。というか、さっきまで嫌がっていたはずではないだろうか。
(……俺の気のせい?)
そういえば、彼女の表情にはそういった感情は無かった気がする。長年の経験から分かるのだ。もし本当にあったなら、おそらく俺はそれこそまともに話せる状態じゃなくなるだろう。
「多分皆反対しない」
「いや、たとえそうだとしても……流石に先生に何も聞かせないままっていうのは」
「顧問なんてほとんどいないようなもの。全部部長任せだから」
「……うーむ」
実のところ、矢伊原は「全顧問には話してるからある程度の理解は示してくれている」と言っているから、そう神経質になるようなことでもないのだろうけど……。いや、それ以前に遠藤さん、さっきから取り付く島が無さ過ぎる。顔馴染みの俺でさえこのざまだから、穗村が言っても多分同じだろう。実際目を向けても、穗村は首を横に振るだけである。
「分かったよ、ありがとう」
遠藤さんに根負けして、俺たちは引き下がることにした。
「うん」
「でも一応もう一回改めてくるから、正式な受諾はそのときにね」
「…………」
黙って頷いてくれた。
「じゃあ俺はこれで―――」
「母さんが」
「―――ん?」
踵を返そうとしたところで、呼び止められた。
「何?」
「今度おはぎを作るって」
「ああ、そういえばそうらしいね」
確か今朝そんなことをおばさんは言っていた。ということはお裾分けも本意なのだろう。
それは何時のことだろう。明日か、明後日か。
「是非ともあやかりたいものだ」
「…………」
遠藤さんは静かにクスクス笑っていた。それは、まさに6年ぶりに見る、俺に向けられた笑顔であった。
(あ……)
可愛いな。
特に意識したわけでもないのに、頭の中をそんな言葉が埋め尽くした。
だからといって、馬鹿正直にそんなこと言うわけにはいくまい。
「じゃ、じゃあ今度こそ。またね!」
「うん、また」
「ああ、それと練習頑張れっ!」
「…………」
少し、遠藤さんが俺に向けて微笑んでくれたような気がした。
それがどこか照れ臭く思えて、俺は気持ち急ぐように踵を返して第3理科室を離れていくのだった。穗村も、「失礼します」と言って俺の後をついてくる。
彼女の気配が少しずつ遠ざかっていくにつれ哀愁のようなものが漂ってくるのを、俺は確かに感じた。
二人の会話が中々弾まないのは、そこまで親しい関係にはなっていないからです。やはり穗村や慶介のようにはっちゃけたキャラでもない限り、会っていきなり! というわけにはいかない。それが灯君のアイデンティティです。
でも、これが段々親密になってくると―――いえ、なんでもありません。ただ、このままでは終わらないとだけ述べておきます。