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たのまれごとは旅路のはじまり  作者: 多田シロー
第二章 古代の封印
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67.5 知恵の女神 シシュリアーネの目覚め

何処とは分からない闇の奥。苦痛とも歓喜とも言えない呻き声が聞こえる。

永い時をかけて意識を取り戻し、一時は魔王を操り望みを叶えられるかと思えたが、創造神の加護を持つ勇者の登場によってまた闇の中へと追いやられた邪神。

知恵の女神とも呼ばれるシシュリアーネは闇の中に蠢く。

身体は封印によって押さえつけられ、魂すらも封印によって天界に戻れなくなってしまった。


シシュリアーネを包む闇は、永い時を変わらずに在る。

邪神の魂の穢れであるかのように。


肉体はおろか、魂の自由までもなくしたシシュリアーネに、邪気を払うような涼やかな風が(よぎ)る。

風の通りに気付いたのか、シシュリアーネは意識を起こした。


『私はいったい………』


しばし己が置かれた状況を掴み切れない。

時と共に束縛されている理由を思い出す。


『どれほどの時が過ぎたのでしょうか。マナと共に邪気に包まれていた気がします。……そうです、私は邪神と成り果てたはず。』


シシュリアーネには朧気ながら意識が戻ってきていた。

過去の忌まわしい記憶と共に。


肉体は存在しなくても、魂の在り様はわかる。

知恵の女神と崇められていたことも、邪神と蔑まれたことも、シシュリアーネは理解していた。

ただ一陣の風に撫でられた感覚は、邪気を払われた魂を呼び覚ました。


『あれほど苦しみが続いていたというのに身が軽くなったようです。一体何があったのかしら? 封印が緩んできているの? でも、こんなに心持ちが軽くなることもこれまでになかったことですね。』


我が身を襲った違和感を訝しく思いながら、つかの間の気まぐれと思うことにする。


『お姉様に眠らされてからどれほど経ったのかしら。』



思えば自分は愚かであった。

人々の行いに一喜一憂し、我がことのように喜び憂いた。

神として人々に寄り添い見届けるうちに、地上世界に干渉してしまった。

姉である創造神に強く諫められていたというのに。


同じ地上世界を生きる種だと言うのに、見た目や能力で分け隔て、遂には神を名乗り出した愚か者。

その傲慢さに我慢できず、地上へと降りてしまった。

自身が起こした粛清の嵐は、一つの文明を滅ぼし、ヒト族を衰退へと追いやった。

今でこそ自分の行いが愚かであったことが分かる。


そこまで思索を進め、覚醒した意識の中で自分の思考基準が変わっていることに気が付いた。


傲慢なヒト族を蔑み、罵っていた自分。根こそぎ滅ぼしてやろうとしていた気持ちが消えている。

この意識は、果たして自分のものなのだろうか。

これまで自分が思ってきた思考とは、随分とかけ離れているようだ。肉体と魂の別離があまりにも長すぎたため、自分の意識の中でも乖離が起きているのかもしれない。


以前、意識を取り戻したときは瘴気を操り、魔王を貶めた。

魔王を使い世を混乱せしめ、封印を壊そうとした。

だがそれは創造神の意を受けた勇者に阻まれた。


あれから再びマナを集め、ようやく意識を保てるようになった。

今度こそ魔王に封印を解除させようと思っていたはずだが。今の心持ちはどうだろう。そのようなことを行おうとする気持ちになれない。しかし気を許せば、そんなことはないと押し流されそうになる。魔王を再び呼び寄せるのだと、どこかで囁く声がある。



邪神と呼ばれ邪気に染まった魂が、穏やかに平静を取り戻しつつある。どのような奇跡が起きたのか、今は知る術もないが悪いことではない。

いや、女神としての自分には望むべきものであろう。


このまま穏やかに時を過ごせるのであれば望むところだ。

しかし、魂の至る所で軋みが起きている。果たしてこの意識を保つことが可能であろうか。

ふと自身を弱気が襲う。神として未熟であると思わざるを得ない。我が身の愚かさが、どれほど姉に負担を強いたのか、今さらながら苛まれる。


今はまだ闇の中に囚われたままであるが、いつしかこの奇跡は光を齎してくれるのだろうか。己が意識を保ち続け、地上世界に影響を及ぼすことなく存在を確かな物にしていけるだろうか。

我が身を包む闇の中で、シシュリアーネは自問を繰り返す。


神としての意識が薄らいでいく中、邪気に支配されることを良しとせず抗い続けることができるかどうか、今の自分にはわからない。しかし、抗うことで自己の存在をより明確にしていけるという確信がある。


もう一度、あの涼やかな風を受けることがあるだろうか。

邪気に濁った闇の中で、蠢くことすら許されない今の自分に、光明を期待することは間違っているのだろうか。


答えの出ない問を繰り返しながら、シシュリアーネは意識を保ち続ける。静寂を支配する闇の中で己が意識の拠り所とすべく問を続ける。

再び闇に囚われれば、現世に阿鼻叫喚の無間地獄を齎すであろう。今の自分はそのようなことを望んでいない。


我が意識の有り様で、お姉さまが慈しんだ世界に混沌を齎すわけにはいかない。こうして女神としての意識を取り戻した以上、女神としてあり続けたい。お姉さまの妹神として務めを果たしたい。


そう強く願うシシュリアーネは、我が身に起きた幸運を喜び感謝する。闇に囚われ恨み続けた積年の時が、一陣の風によって取り払われた。

もう一度喜びに溢れ、光に包まれる世界をこの目で見たい。お姉さまが慈しみ、愛情を注いだ世界に戻りたい。

強く心に想い起こし、闇に囚われそうな意識を繋ぎとめる。


闇の中に未だ光明は見えないが、揺るがない想いに支えられた女神にとってはこれまでと同じ闇ではなかった。

幸運を見出し、希うことが許された世界となった。

我が身の不幸を呪うのではなく、世のすべてを慈しむことができた。


『お姉様と二人で見続けた世界は、どうなったのでしょうか。あの地に住まう者すべてに幸ありますように。』



シンジによって浄化された二つの封印は、邪神と呼ばれたシシュリアーネに女神の心を取り戻させた。

いまだ細い糸のように、繋ぎとめるにはか細い支えのようだが、確実に女神としての自分をシシュリアーネに意識させる。


闇の中は未だ邪気に覆われているが、その力は以前ほどシシュリアーネに闇を齎せない。自己の存在意義を見出した神は、その意識すべてで己が存在を確かにしようとする。

闇は取り払われるのか、このまま圧し潰されるのか、神の身を以てしても見通せない。

ただ一陣の風を起こした奇跡に委ねるのみである。


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