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身の回りに考えるヒントはあるやろ

作者: 白眉心マユタ


【完成してます】

今読み返すと我ながら言いたいこと、感じて欲しいことが精一杯まとめられたと思っています。自分が読みたい文章を自分で書けた。この表現はどこから思いついたのか、自覚がない部分もあります。もしこれ読んで良いと感じてくださる方が一人でもいたらうれしいですね。


中編小説10

〈序章〉


見渡す限りの広大な大地、延々と続くearth~earth。大気や人里、空間全てを埋める生き物の思いと立ちこめる微小なクラウド、それぞれの生命総体の中で過去から現在まで繋がるgenerationは全て均等の価値。


〈1章〉


お互いを縛る鎖の中で渾然一体となり、膨大な数の呟きも妥協という張力の中巨大な滴のように美しい曲面を保つ。利便さの元となる鋼鉄の筋力、研ぎ澄まされた油を求めて彷徨う日々の終焉。藍色と黒の切れ目が曖昧な冷たい空のなか、まばらな色でザラザラの包装紙に包まれた荷物からさがる房。明るすぎる地面の反射、乾いた砂と岩石の渓谷、サウジの装束で日差しをしのぐ二人連れの男女。


かつて海でもあった切り立った崖の下で見上げる輪郭。億という単位で大地のうねりと隆起を読み取る目には山が海に見え海が山に見える。むきだしの岩盤に太古の森はあり、ただのモノトーンと凹凸が色彩を帯び動き出す。平行に積み上がる時間の層でもなく、垂直にそびえたつ堅固な櫓でもない、視界を埋めるストライプ。幅広で青白の波と泡のリズムのような斜線、左右に伸びた手の届かない遙かなperspective斜線を横切る波のようなきらめきと光とかゴツゴツ。どこまでも続くかに見える眼差しが消失点へと集約される。躍動と広がり、人工的で幾何学的な自然にはないarchitectureの縞模様との対比。


「古代の象は巨大だが、恐竜との佇まいとの違い、恐ろしげかどうかはさておき表面的美しさは恐竜か…」

「あのぬらっとした立ち姿!何者をも寄せ付け実の子さえ温めぬ類に、情などないわ。引き換え象のボロボロの姿、埃と砂にまみれそれでも嵐の中を進む体躯。子を鼻でかばい頭の上には小鳥達がいるでしょうよ」

「そうしたボロボロ、汚れとは何か、時間か、態度か、周りとの関わりか」

「一つ言えるのは、人も動物も自分と同じ位の綺麗さの場所にしか近寄ろうとはしないということね」

そこは蜃気楼の地下に貯まる、神の見えざる手の汚れを落とす日常の国々。埋蔵される世界の潤滑油、神の啓示と日常の慶事。


そうしたしつらえさえも今後簡略化されて行き、ポカリと空いた時間に入り込むのは、今まで産み出されては選別廃棄されてきた小さな雛。

「大国では慰みにヒナを育てる者が増えたとか聞く」

「…このもこもことした黄色い塊、僅かな発毛と意思をもち動き周る存在を捉え、まじまじと見つめた後にいつかは遠くへ捨てに行くだけの薄情さがあるの?」

伴侶や道連れに対する価値観の多様性、手段の目的化、境界線の形骸。


2人は次の野営地へ向かう。テントをたたみまとめ背負うその先は。

「自分の足でしか行けない所か、もしくは歩き野泊することに意義があるの?テントは家ではないし、そしてあえて使う必要もないのに」

「どうしても心が必要とする時、人は自然の元に戻り、また町へ行く。それを繰り返すことで心は循環してゆくものさ。文字通り自然に抱かれて眠れるかというと、人はそうした力は無くしてしまった。だから仮住まいを持ち運ぶが、テントを立てるときにも不安があり、そして出来た時の安心感も」

「人は自然に帰る時にもお客さまなのね。まさに親元を離れた子供が里帰りし、かすかな居心地の違いと後ろめたさを感じるように、人はテントを立て自然にペグを打ち込む時に後ろめたさを感じる」

「でも自然はそんな人間を許してくれているな」


そしてまたやって来るキラキラと輝く真夏の日の明るさ、それは黄色よりも白に近く放射状の無数のneedleと薄まった青の色褪せは、まだこの境遇が続くことをあざ笑うかのよう。2人の話題は定住へと。

「定住するに床を張るのはな、自分らの住まいが外とは違うことを意識するわけ」

「外での装いと内での身なりに区切りがあり、自然の中での春夏秋冬、大きく変化する気温や湿度、吹きすさぶ雨風などから逃れ、上がる場所が必要ね」

「そういう人としての意識が芽生え、寝具を使い休むといった文化的な前提で床をはるわけなんやけど、そう考えると野外で寝転がってる方が楽な俺は、まだ未開の段階やということだな」


停滞する全て、その中庸にいるもの。アジアの極東では蝉の声か、はては染み入る寒さか。家人に疎まれ長寝するなかで溶けていく仮の借りなど見えない外の景色。木で出来た造りの住まいの中の空気は高めの湿度と保たれる清潔さ。

「寝床を作るときはな、その部屋の隅を見て散らかっていないかいつ掃除しようか考える。そこで休むのは自分か家族、知らない人ではなく大切なお客であることも。試しに寝てみたりはしない」

「そのしつらえは、その人だけのものね。使う時は闇の中、寝床は触感見る物ではない。子供は寝床で遊ぶが大人はそんなことはしない。変わった使い方はなく中にマナーはなく最もリラックス出来る姿勢にゴソゴソと」

「その厚みで客は自分の寝相を見られず済むだろう。そして秋ならリーリーリー リーリー…虫の声。冬なら厚い寝床に遮られ知らないうちに雪がずんずんと降る。それはますます音を吸い込み辺りは本当に明るく白く、静かに全ての輪郭を覆いつつも、またはっきりとさせ、世界を新たに見るきっかけを作る」

「それを見るのもやはり、寝床の中から。なぜなら最も安全な場所だから」


寝床の闇の中、目を凝らせるのは、そうした生来持った性質、光の中よりも自分が分かるの。暗闇にいるのは自分だけでそして目が慣れれば見えてくるのは輪郭、濃いグレイとボンヤリとした不明瞭でもそれらのanxietyはあくまでただの静寂。暗闇のなか世界は眠っているだけ決して死の淵に居たりとか引き込もうとはしない。朝の為の眠り耳を澄ませば聞こえる寝息、循環する生命である明日のうすら明るいモゾモゾは必ずやって来る、闇にまぎれていてもその形は昼間と同じなのだ。


夜明け、外の光がこのようであることを思いだす、目覚めた朝の身繕いは自分のため、その過程で気付くことがある。いつもの自分が纏うものの色味薫り、様子にも喩えられそうな、透明の膜よ。

「ひげも含めて1日の始まり、いつもの手順で湯と石鹸。流れが変わることはなくただ無心に体と心を回復させていく。髭を剃るときも迷うことはない。同じ流れでも緊張したり焦ったり油断したりしてたまに怪我をすることもな。身繕いでケガする危険は髭剃りくらいか、フルート奏者は全く剃らないらしい。髭を無意識に剃れる時は問題ないんだけど、うっかり引っかける時は何かあるんだ。疲れだけでなくて小さな赤い傷を見、少し立ち止まる。そしてそこを押さえ、振れすぎた心を元に戻す。それ以上の傷を防ぐため、心の傷も」


思いと感情という精神的流動の一つ一つは混ざり合う、全体そのもの。そんな俯瞰する力だけでなく、自分自身を見る力も必要で。

「髪が痛んできたことに気づくの、なにもかもには手が回らない。でも十分助けてもらっても全ては解決しない。それで全てって何、そもそも私、解決したいと思っているの?周りに頼るのが当たり前、あの人もこの人も当たり前のように助けてくれる。助けるのは楽しいよね…私は誰かを助けたことがない。髪が痛んでもそれにさえ気づいてくれる人ばかり。寄りそって貰える私の重さ、いくら助けが来ても減らない重苦しさ、苦しい」


外面内面を装飾されるべきは人、それは自意識を保つために。モノよりも遙かに存在感を持つのも人。

「鏡は、置く場所に凝りさほど動かさない」

「何を写すかではなくどう映るか。家具としての鏡と備え付けられた洗面台の鏡」

「顔を洗い身なりを整える女性は化粧。男の鏡は毒だが女は薬かそれ以上。ただ美しいものは自然の中に出ればそこかしこにあるのに…鏡は社会の中では必要、それもお互い距離のある社会。その佇まいが佇まいを呼び皆誰かに見られる生活。自分を見た誰かがどう動くかに期待して時に本質を見抜く者が薄っぺらい意図に背くと、その佇まいは豹変するかもしれない」


そうして長引く閉鎖された空間、数ヶ月がたった初夏の香りと空気、水色が光って白になる山の上の大きな凸レンズ。そして風の鳴る音がする季節、緑に混じる黄色や濃い色。遂には体がシャンとするような朝の空気を迎えるに、ある1枚の毛布。

「自分のため、また人のために用意することがある、寒さだけでなく心の不安、どこかへ放り出された境遇、一時しのげるように老若男女問わず包むことで、助ける側も落ち着くことが出来る。毛布の後は何が必要か、飲み物そして食べ物となるが、満たされれば不満が出るのが人。毛布を周りに譲り自分の足で斥候し、見えない状況を把握し何処へ歩いて行くべきか、誰が何故行くのかなど、包まれた者達で考えなければならない。それは本能、今までの何かを再現するのではなく、今目の前にいるものたちと過ごすには、何がいらなくて何がいるか解るまで話してみることだ。今まで見たこともない外の世界の空気の中で」


〈2章〉


思いだすのは自分も子供であったこと、まだ不完全だが家族の一員として許される居心地の良さ、そこに流れていた別の時間。止まっているのに動いている時間。例えばさまざまな小さな生き物、魚か蛙かドジョウたちとかヤゴタガメ、そんな細かい有象無象の染みからもらえる活力を、あっけなく昇華させるのも子供たち。

「手伝う!と駆け寄るのはありがたいけど、やって来たあなたのことが気になって気になって。私のことを考えてくれて手伝うのが当たり前だと思ってるんでしょ」

「ちょっと待って、これをこうするとこうだからこうすれば終わるじゃない…あれ?解んなくなった」

「私どうしたかったんだっけ。確かにあなたの言う通り、私もやるのは遅かったんだけどなんかこうしたいってのがあったのに…」

「手伝ってもらうのって難しい。最初から分けられたらいいんだけど」

「これは私のでまだ出来てなくて、どうしたいのかを考え始めたらそれは最後まで私のもの」

「途中から分けられないの。手伝いどころか邪魔になるの。ごめんね、これは私の心だから」

子供の心に寄り添って自分のペースを崩すのは必要か無意味か。柔やかな笑顔は自分に向けられたもの。


それが10代前半になり、思春期に持つ夢、原動力か邪険な蜃気楼か。

「元のコピーを作るあなた、何故必要かは知らされずにね。他には見本も自由もなくて、ひいては自分を見つけられもせず。でもよく考えると気付く、周りは見本があるばかり」

「自分らしさの見本はなくてコピー以外にどうやるの?ああしろこうしろ言われてきたら自分の体は人のため、自分はどうなの他人が偉いの?当てはまる先を探す生地。それじゃあそうじゃない人生って?」

「言ってほしいのはこんなこと、先にこうなるなんて言わないで、あなたがしたいことは今してよいの」

「自由を許せるのは包容力、包容力とは想像力で、そして何より予想も出来ない未来を楽しむ力」


子孫という次世代、目の前一杯に見えていて人生を遮り動き回るもの、柔らかいのにゴツゴツしていて計算高くて純粋で。

「子どもに義務はないけれど、親には認めてほしいもの。凄いねと言ってもらうためになら、子どもは色んな無理をする」

「心の中には穴があり何を満たせば埋まるかな?他人や楽しみモノカネチカラ、それで埋まっているけれど、月日と共にまたダメになるな」

「生まれた時から今までに、たくさん愛情受けてきた、親以外にもよくしてもらえ親代わりにも恵まれた。それなのになぜ未だに私、親の形に心に隙間?どうしたってもう埋まらないのに、なんで お母さん、そればかり思う?」

「子どもの義務ってないけれど、親の気を引くのに大忙し。でも親になって分かることも。お母さんお母さんっていつまでも不満を言う、それは親の自尊心を満たす子どもの義務なのかもな、そういうこと」


そんな可愛い子が自分から旅に出る。未開封でまじりのないエネルギー、彼にとっての結論と周りの行動、心の刷新。その子にとっての壮大な夢、それは大きな世界に出ること。ちょっとした小旅行じゃなくて、どこまでいけばそれが大冒険なのかは分からないけど。

「クリックスワイプで見た動画は僕のものじゃない、フレンドだって切っちゃったよ、だって会ったこともないもん」

「会いに行くんだ本当の友達に、向こうで見つけるんだ僕だけの景色を」

そんな彼には大人にはない分別がついている、それはリアルを求める新しいスポンジ。世界を感じるために躊躇ない彼女、手つかずの世界の感触は、彼が継ぐことになっている。


そんな子供の夢に対する大人の嫉妬、薄赤いギザギザのもや、静かなのに湿った空気。歳を取るだけで力はつき、それは同年代には当たり前でも子供からすれば恐ろしい力だ。子供は大人のことをよく知らず、一部の大人も子供に対峙した自分のことをよく知らない。

「子供から見た大人は残酷で、大切なものに共感しない、忙しい忙しい笑顔さえないとか。ああしたいこうしたいも保留のまま」

「そんなふうに自分の気持ちに応えず心を閉じ込めた大人に今なってみるとな、大人は子供に嫉妬している。新しい発見、新品のページ、自分にはないものをもう持っていてでも彼はその価値を分かっていない」

「もっとダメな子なら大人は優越感と自尊心が満たされるがな。極悪な暴君は、この若い樹は美しくて丈夫そうだから枝を切っても平気だろう、幹を蹴ってもどうってことないと。若い樹は我慢をする、自分が悪いからと相手を理解しようとする。認めてもらいたい、でもそんな欲求が拍車をかける。どうすれば良い」

「お互いに自分を知ること、相手に対峙した時の行動、その理由を知ること」


感動と憧れ同化、自分の中に出来る新たなぽっかりとした部屋に明確な夢の原型があり、信じられる時間の堆積を。

「楽器ならそれは体の延長で、それを使って歌がどうこうではなく、これは自分の体だと初めて会ってすぐ確信したものがなぜ動かない?こうか、こうかと毎日毎日期待と落胆に苛まれながら少しずつ上達、自然な姿になるものだからどちらかというと自分の体を取り戻す過程に似ているな。演奏家にとっての演奏とは当たり前で、それを賞賛されるとはなんと幸せなことかと思う日々だったさ。夜景のディナーか路上の屋台か。柔らかな焦点と怒濤のきらめきは、どちらが自分をより遠くまで連れて行くと思う?」


「熱烈な拍手がされる時、例えば待ちに待った舞台が始まる時でさえ、拍手はしない。ここぞというタイミング周りを見て音量も速度さえ合わせ同調、流れを作るための拍手は本当に面倒よ」

「見に行った舞台がいまいちならどうか、拍手出来ないかもしれないね。でも連れが熱烈ならどうする?連れのために拍手するのはそんなに苦痛かな?」

「目の前の舞台やらスピーチはオーディエンスによって変わる、拍手もその1つよ」「昔ながらのサーカスなんかを久しぶりに見に行くと、目の前で繰り広げられる空中ブランコ!頼むから失敗してくれるなと、ユーチューブで残酷な動画が平気な私でさえそう思う。安堵の拍手は本物」「参加すれば拍手は起こるし壁があれば拍手は出来ない、ただの感動だけでなく観客達と舞台の上が繋がった感覚、それさえあればスクリーンであっても終劇で拍手が沸き起こる名作があるな」


〈3章〉


「世界は強者と弱者で二分。あちらとこちらを分けるまでもなく、人知を超えた存在に飲み込まれる命の数と、改めて問われる人の存在価値と期限。例えば獣の獰猛さ、その前で弱者は為す術もない。その圧倒的力は偶然身につけたものでも努力の末の下克上でもなく、ピラミッドを作る摂理の中の既得。本能の露出は怒りではなく、ピアニストのキースジャレットも言うように、ただ虎は求めるだけ。屠られる対象がきれいに諦められるような圧倒的力と獰猛さ、威嚇とマウンティングは無駄な争いや些細なケガを避けるためか。動植物は無意識のうちにピラミッドを作り安定させる。人たちは言葉によって納得しつつカーストを受け入れ、その時代に合った価値観を形成する。ここからの心の組合いは?疫病の屍から産まれるものは何か」


大気の動きを記録したとしても、それはあくまで無機質で平坦な拡大図、それぞれの営みは余りに巨大な模型の中、没個性となるしかない。きらめきや最後のきらめきの中にあるストーリーと、その温度の色合い。氷は人の身近にあり熱という不調の表れを適度な温かさにまで戻し、白くくすんだ煌めきと硬さはゆるみ、さらに身近なH2Oへと変わったとたんにその存在はただの湿り気となる。次に求められるのは新たな氷、ならばその湿り気は霧散するだけで良いのか。


支配できない天気、靄のかかる遠くの稜線を包み込むクリーム色の中に1点の差し色を想像する。焚き火さえ許されぬ日々の葛藤の中、心のエラーと爆発を気に病み寝汗と共に気付いたのは、気温の上昇と硝子の向こうの雨。雨は降り出すまでに大気の攪拌があり、様々な粒子が飛び交い影響し合い、もうどうしようもなくなった結果として液体化し地上を目指す。ただ一粒でいることはなく大勢の同じく境遇のものが寄せ合うが、一塊になることはない。地上につけば1つの流れに。自分も含め平凡な人間たち、それぞれ別個で最後には大きな流れの中に溶け込む。梅雨の時期の蛙たちの鳴き声などは非常に分かりやすいwelcome。雨は必要、何よりも降りしきり舞い上がる雨の姿は美しい。


断続する幕切れのないグレイのカーテン、曇りを拭き取る見知らぬ校章の硝子板、約束を。

指輪を付ける時に自分自身は広がるか狭まるか。誰かと約束することで力は増えるのか。古代においては財力権力時には超常の力の象徴。男女が付ける現代の指輪は約束と誓いに。

何故指輪がいるか、それは不安があるから財力権力だって同じ、不安とはその力の保持ではなく、自分がそれを求め続けられるか価値を感じ、美しく保てるか不安で堪らないからこそ 小さな石に思いを託す。


コーン…コーン…とこの時代に鹿威しでもあるまい、笹だか枯葉だかサクサクと踏みつける参道の階段は原型がなく幅の狭い階段両側を覆う竹林。空の青と緑抑えられた光の反射。山門の跡 か、堅固な造りも苔むし柔らかなフォルムは山の稜線に溶け込む。仰ぎ見る鳥の影、境内の白砂と紅葉ちぎれた落ち葉たち、かき混ぜられた枯れ草。ここに行き着き訴えたのは自分の境遇見識の狭さ、どこまでも行けてもどこにもたどり着けない心、手を合わせ薄汚れた格子のそとに切り取られた幾何学模様の赤と緑。光、差し込む白い光。届かないと分かっていても何度でも見つけ追いすがる光。


やるせなさ、投げだしたい気持ち。輝いた記憶は祖父か曾祖父、その光は段々と小さくなり僅かな鈍い光りに。積み上がった荷役に取り組む苦と労と理不尽、不公平さ。苦労してるとかしてないとか。生まれた時の家庭環境、経済的肉体的精神的しんどさ。苦労が増えていくこと、減っていくことはあるのか。環境が悪くても苦労から程遠く、浮世離れするものもいて、環境が良くても精神的辛さの中で苦労を背負い込むものもいる。


苦労とは荒野で1人では出来ない、それはただのサバイバルであり、誰かのシワ寄せでさえない。子供が多い親がするのも苦労、ダメな親の借金を背負うのも苦労。マイナスを背負いリターンがないこともな。当然自分のしたいことは出来ない、でも良い物を取った回数悪い物を引き受けた回数、どこかで誰かに譲っていくことになるのは同じ。どう見ても貧乏くじであってもそれを引き受けられるあなただからこそ回ってきたのかも。


〈4章〉


もやもやしているかに見えて意外としっかりした攪拌の結果のmarble、好奇心と生き物の唐突さを甘くふんわりとした舌触りで解決出来るのか?!黄色と黒の細い結界は、容易には解けない街角の滞りを囲むのだ。客観的証拠、それが求められるときには事態はかなり終盤に近づき、状況証拠とか関係者の心情は充分に黒の方へ寄り切っている。

「なのに証拠なんているの?」

「それは万が一の冤罪発生を恐れてのことであり、最終判断を物に頼る免罪のためのものやんか。」


やっぱり、そうだと思ってた。大変だったね酷いよね、これからどうするの?官軍が決まる瞬間音がするほど返る掌、時間を巻き戻したいとは誰も思わない、そうじゃなくてguiltyだとしても変わらず自分を見てくれるのは幻だろうか?自分なら見れるか、誰しも公平な目で情報に囚われず様子に囚われず、彼が諦めていても真実を見通せるか?同調出来ない自分だけの感覚、理解されないと共感を諦めぽつんと居るものを排除するのに違和感。彼にしか見えないものを聞く、聞きたい分かりたい。それは真実とか偽りとかでなく個を捨てなかった者に対する羨望があるから。


厳密に分けて厳選に厳選に精査したところで変わらない変わらない。なのにいつもいつも…ああもっとこんな所より、何処か別の所へ行きたいという理想は理想、自分の憧れ。心の中にいつも住んでて届きそうだと感じるだけでそれが幸せ。私の支え、本当に届くかどうかとか、あまり関係なくて。リアルでなくてもいい、理想の裏側とか支え切る自信ないし。でもいつも心にあって誰かに取られなくて、ずっと変わらない像をみんな持ってるじゃない?話し込むと出てくるよね。理想の仕事とか伴侶とか。理想を現実化出来る人も中にはいるみたい、でもその人は更に次の理想を抱くのかな。私の理想は変わらないよずっと。


あの頃は心が燃えた、心の若さで。とてつもなく美しいモノと自己投影、大きな承認欲求。壮烈な恋、本能とか相手の美しさ、周りとの関係や世間価値観僻みと憐れみ。怒り羨ましさ後悔思い直し自己嫌悪自虐と幸福感。全てはどれだけの期間続くかでお互いのミステリーがファンタジー性を持ち続けることも必要。壮烈な恋の直中にいることは人としては幸せであり、どこまで持ちこたえられるかに挑戦するもの。情動と悲しみ、その繰り返し、貴方を得んがための全ての感情の絡み合いと爆発。駆け引きそして理性さえもなく。その中で傷つけば、元気がまた出てくる時まで横になる。愚痴は言わず何も決めず自己を卑下せずただ待つこと。許されるならばその時間こそが、野生動物が自分の傷が癒えるまで動かない、あれと同じだし。


そうした自分の後悔、自己嫌悪や刺々しさは時間の経過で丸みとあきらめ、独特の価値観を持ち、カンカンと音をたてるような軽い土台の上に乗る。家で飲む時、ただひたすらそのアルコールを楽しみ浸り感じ取る。味香り感触熱さ、灼けるようなその感覚に全身が馴染んでゆき、結論は出ずともぼんやりとした濃淡とバッカスが与えるフィルターに鋭敏過ぎた感覚は巻き戻され、ふわっとした水の中でゆらりと泳ぎだす。ちびりちびりと飲むのはバッカスが怖いからでも惜しいからでもなく、それが本来のペースなんだろう。せき立てられて自分をせき立て完成させ次を作る。でもな、ゆっくりとそれを上から下から右から左からもう一度眺めてみろ、ちびりちびりやりながら。そしたらそれだけが人生じゃないしあなた自身じゃないことがすぐわかる。


人の目並ぶ人の目よ、満足なければ癒しても、決して変わらない磨りガラスのような…薄い水槽。薄い水槽の蓋。薄曇りの中の水葬準備。ため息は我慢の末つい気が緩みつくもの、それを誰かに見られるのは避ける。そんなため息をついた自分を顧みてそこで終わっていいのかと。自分と相手の関係はそこまでかと期限のないものならまだ打つ手はあるのでは?ため息は終わりとあきらめ、何よりも自分で終わりを決められるもの。また終わっているのに永らえているもの、そんなものに対してついついつく自分に気づいたら、まだ出来ることはある。あなたの番は終わっていない。


人としての能力に対する自信が揺らぐ。余りに不毛な言葉と浪費される感情。会話の平行線、話しても話してもどんなに焦っても勇気を出しても距離が縮まらない。お互いなんで?と思っていて噛み合わず、どちらかはおおざっぱどちらかは神経質とか。お互いに歩み寄りがあるかは当人同士には分からない。お互いにバカにしてとかあいつさえ居なければとかお互いのことが気になって仕方ない。たぶん言えるのは、相手は自分にないものを持ってる、そして線路のように両軸ないと動かない責任がある。線路の右と左ならお互い張り合ってもいいからその距離は縮まらなくても良いから自分達の責任がどんなに重いか、そして2人は一対であることを時々空を見て思い出すと良い。


話し言葉程度でmount書いた言葉は具体物でなく、筆者が世界を感じたままを、彼だけの言葉で日々残すもの、よってそれは何処にも無いが誰にでも感じられるはずのもの。

文を書く息をするように書くというがその息のたいへんなことよ意識すれば出来なくなるのが息、吸えばいいのか吐けばいいのか考えるわけにもいかず。ただ毎日書けばいいと、でもどんな出来でも?書き続けることが辛いのは100書くころから変わってくるそれまでは長くさえ書けない。それから文を短くするという話ね。そうした必要があるんだけどただ単に入りきらないから?出来なくはない。だって身長が高かろうが体重が軽かろうが、私は私。


でもそもそも文って何?伝えることを視覚に訴えてるのは解る。でも道路標識みたいなものなの?人は言葉を読み取れてそこから貴方を感じ取れる。そして情景、流れている時間、スピードとたゆたうような空気まで。あなたが今読んでいる気配もとらえて書くなら、時間軸さえ曲げる。それを短くするの?それなら必然がいるかな、そもそも文字数じゃないから。会話が生きるのは話した回数とか時間じゃないでしょ。長いって言われるのは必然性がないから。文字もその量が意識されないくらい書く者の感覚と時感をとらえ、まるであの感じみたいに再現出来るなら長くても構わない。


知が判断するのは善悪、しかし無礼不快、意識の総体の反射的排除、力のある善悪は後付け、そして大きな力の中で。善と悪、客観的に横で見てるうちは判断出来るけど、当事者で中で揉まれたら自分が悪やなんて認められるか?数の問題もあるしな。非難されるのは悪か。誰かを泣かせたら悪やな。慰める、泣きつかれるのは善。長い歴史の目でみた善悪はあるけど、まず判断のベースは目の前の人の感情から。力がなくて立場だけあればあっという間に悪人やろ。相当力強ければ悪人とさえ言われんわな。


白く丸いクッションは下手に軽くそして汚れやすく、詰めても置いても座りが悪く、扱いを間違えた大きな羽毛のようで捉えどころがない。

礼儀、あるタイミングで身につきたいていは年上と接する場合に関係してくる。ただしその礼儀は広げられ臨機応変にフランクに接する礼儀、同調する礼儀、相手に気に入られる礼儀にまで広げられてはどうすればよいの?礼儀は言葉遣い身振り行動で、現代ならTPOに合わせるのも能力。礼儀とは古くからあるもの、何かの型や空間空気を作りだすのに必要。では礼儀は人のためにあるかというとそうした空間を求める人のためにある。自分の使う礼と儀がどんな空間を作り出すのかは知っておくことが必要。


慌ただしい空気とくぐもった控えめな挨拶、自分達で選んだ毎日のroutineが遠くにぼやける。周りの共感はあるのかどうか、これは自分だけに見えていることなのだろうかという不安。

「大きな変更と提案、それが素晴らしいものかどうか、まず自分に問いかけるな。たいてい比較するものもなく、根本自分に自信がなく、良いということに気づかない」

「別で同じような提案、思いがけない評価があがりやっぱり見たことかと思った時には気恥ずかしくて、目をつけていたなんて言えない」

「良いモノを見つけたりもしも作り出せたら、どうやったら自信を持って広く一般に見せることが出来るのだろう」

「それは信頼、自信とは自分を信頼することではなく人を信じること。1人で決められる訳がない。1人で持てるのは自信ではない。周りにいる間違いなく自分の味方だとか、分かってくれる人にシェアし決めたらよい」

「自分を否定する人ばかり横に置いてはだめ。それに安住している自分にも気づかないとな。」


〈5章〉


サバンナの征服、何処までも続く太い切株を持つ草木、荒野を統べる挫折とその先にある友情。友好的、その態度を取るのは習慣で判断は相手がするとはいえ誰が見ても友好的な態度はあってその度合にギャップがあると双方ひいたり落胆する。出会いを楽しむならそうした態度、ただすれ違うならその程度の反応。


老舗のカウンター重く深い色の硝子、唐様さえも飲み込む心の中心。後悔するのは思い出すから、それは自分の中のストーリー、その甘さと自分の甘さもあり事態は思いがけない方向に!とはいえ冷静に振り返るとそのとんでもない展開が必然、まあそうなるよねって。じゃあなんで後悔痛恨?上手くいかなかったんじゃなくて当然そうなるはずの流れを自らの願望も手伝ってか蓋をしちゃったのでは…人は未来が読めないんじゃなくて願望の望遠鏡で遠くを見ながら歩いているから、けっこうつまづく、あ痛たた。でも小指打ったって恨んだって、落とした望遠鏡は置いてくわけにはいかない。


初夏深緑の中の丸い葉、季節外れの黄色い柑子、小ぶりでほわんとした形の、替えは効くが効かないその矛盾した相対性。

実行するはずなんだけど、大事な計画なんだけどね。頭の中には理想があって計画立てるの大好きで予定の中の私とは時間ぴったりに始めて止めて様々タスクを何も意識せず機械のようにこなしていく。でも本当の私はどうかやりつつよそ見人とおしゃべり突然のラインに対応しつつ思いがけない電話もあるし。実行可能な計画だって?それは出来ないことはないけど機械がブロックを積み込むようには私の一日は流れていない。そして人生全体だって計画通りに行くわけもなく実行可能だったかどうかは振り返るまではわからない。


波状の正体の分からぬ塊、ただ打ち上げられただけの角のない古い片割れ。なぜだろう何も出来なくてウマが合わない噛み合わない。理想があって控えめで押しが弱くて理解者で苦労してきて前向きで少し古くて中庸で哀れな奴って切り捨てるなら視界の端にも入らない。じゃなくて目で追いあいつはダメだな気になってなって仕方ない。強いからきっとそんなでいられるバカにされても軽んじられても自分の価値を自分で決めてる彼の親も子もそんな一族哀れな奴って言われ続けて周りの目を引き溜息つかれ。でもきっとその後ろ姿をいつまでも追うあなたの脳裏に何年も先に残っているのは、哀れで無力な1人のオトコ。


あの人はこれ、私はこれ。流行はあれで落ち着くのはここだから。諦めでも達観でもなく、こんな強さが自分の中にあったのかという驚き。

「杖をつくその姿は老いていてすがるものが杖かと」

「まず憧れることはない、しかし一度杖をつけばこのように足が楽であるかと手が足を助けることが出来たのかと躓かぬことばかりが頭を占めていた自分の了見の狭さを感じる」

「杖をついて何処かへ行こう、まだまだ1人で歩けると、そんな第2の出発の顔を子や孫に見せてあげればよい」


人の造り上げたものとその内部は思った以上に人で出来ている。空回り勘違い認められるチャンス、防衛も出来ず消えて行く中で、驚くほど自分に近く、そして遠く輝く者に出会うことがある。恩を感じている人はその時の言葉姿のままで恩人を見る。遠くから今の姿を見てもなかなか更新されず当時のまま。ではなぜそれがそれほど強く残るのか、恩に感じるのは恩を着せられた時ではない。なにげなく覚えてもない当たり前にしたことが相手にとっては大きなこと。意図してないから恩を感じる、対価を要求しないから返そうと思う。その時のその人に返そうと思う。そんな人がたくさんいたら?その人の姿は多くの人にとっては今その姿と違うということ。貸してもいないのにいつかあの人に返そうと思う次世代が、たくさんいるようなそんな生き方が出来るとよい。


美しく並んだ貝殻を選ぶことは出来てもそれを打ち寄せたのは自然のtide。

「世間の評価、それは新しい物にアプローチするさいに気にする。それが何であるかは今までの積み重ねで分かる部分もある。世間の評価が高ければ自分もがっくり来ることはない、なぜなら自分も世間の一部だから!でもそうして最も評価の高い所に全てのニーズが集まる画一化、更なる大量生産でも評価が普通の所はどうなる?生きる余地がない。自分はこれが好き、から人生は始まるのに」


規則的に、一部不規則に割れている合板の星と緑。一見尤もらしく見えるルールにぽっかりと空いた、愕然とするような石炭の口。

「例えば列を作るやろ。まあ並んでまで食べたいものとかなくて、何より直ぐに手に入ることが先行でな…。でも誰かと一緒にいるとね、そういうわけにもいかず。待ってる間話したりその話しって目当てのものとは関係ない話だけど、以外と待ってる間も疲れないもの。少しずつ少しずつ列が進む。みんな同じこと考えてる、そんな集団他にあるか?並ぶ人は嫉妬も後悔もない、不公平さもなく期待して我慢してる。列が動きさえすれば必ず報われるしな。そしてもし先にあるものが少々期待外れでも、それだけ並んでいるのだから価値のあるものだろうって。何よりも価値が高くあってほしい、並んだ時間が報われるようなモノがそこにあってほしいという、列を作るぶれない期待が一定の方向に向いていれば、そういうモノが出来上がるんだろうな。やはり私もそこに並び、同じく期待してしまう。人生も、そんなものかもなと思うことがある」


「充実の日々、仕事だとか勉学、経営思い通りに行く数字満たされる承認欲求。ハードルを越える者は周りのハードルも上がりまあ若い日にありがちな軽い思い上がり。身を護る為に鈍感に、満たされることに敏感に、大切なことだけどそれは頭だけの話。大変な日々が過ぎたら1度ネジを巻き戻さないと。Sip a drinkってちびりちびりやってもいいし。そうしてはっと気がつく、ここの所食事どうしてたっけ?あまり覚えてない。空腹さえ無視してた、普通の食べ物、なんてことないそういうやつ。お腹、減った…そう思って食べると、ああ食べ物ってこんな味だった、そうした感覚を思い出して欲しい。たぶんきっと最近ご無沙汰の、食卓の向こうの人の顔も思い出すからさ」


久しぶりに外出した先は、高速道路の際の古くてでっかい造りのサービスエリアというか昔の休憩所。高い位置の明かり取りとブンッブンッと回る羽根、磨き過ぎたカウンターに色褪せた頑丈な樹脂のトレイ。客は皆ここを通ってどこかへ行くらしい、恰幅の良い肩幅に似合わない地元チームのベースボールキャップ。乾いた匂い、温かくも甘くもないが砂の中で生きられる植物たちの広がる葉と刺の気配。乾いた、どこまでも平たい土地に不釣り合いな丸い休憩所とキャップ、そして丸いハンバーガーがある。バンズトマトエッグレタスの旨いハンバーガー。自然のhorizontalに飲み込まれることなく自分たちの好きなものを見失うことなく、砂の中でも衰えない旺盛な食欲は、変わらなくたっていい、どこででも自分なりにやって行く、そういうことを恥ずかしげもなく教えてくれる1口サイズの魂の塊の持ち帰り。


家族との約束。急ぐでもなくダラダラでもなく、あれもこれも準備して自然の中でのバーベキュー。

「でも出来合いでも十分、なんでも旨いだろ。山の中に行くのは気の置けない仲間、気が利かないとか気を使い過ぎるとかじゃなくてな。街ならいいけどな、あのゴミゴミは鬱陶しさも圧力もスパイスになるから。自然の中だとみんな美人に見えるっていやいや、空気も良いから機嫌も良くなるでしょ。

遠くまで音が抜けてこだまする、山間の静けさと生き物の気配。草いきれが風の音、低い山鳴りもう雨は降らないな、雲も遠くへ行った。

「折りたたみのテーブルも椅子も広げて広げて、このつまみな全部並ぶとすげーな、ビールもワインもなんでも合う!注ぐのは山盛り、話したいことも山盛り。闇の中の光、様々な色と小さな形が滲み、極限の星を中心に僅かな角度だけ回った夜半に」


自分自身が輝き、あの時の経験が輝き、それを見ていた彼らが輝き、そうなれば次の世代は。

10年もの月日が経ったとき自分にたいした変化がなくて、久しくあの人に会ってないとか不義理ばかりがつのっていて。じゃあその間に会えたかというと自分のことで精一杯、精一杯とはどういうことか繰り返しだけで精一杯。もしくは周りに翻弄されてえらい所まで来てしまう。人は月日の経過を望まない、次の10年を楽しみにはしていない。今が止まれば良いと思ってる。あの時あの人との時間、望むのはその繰り返しだけ。


外気にさらされた使い古しのプランター、限られた循環と堆肥の目的。あの日、なんでもない若き日の一瞬。自然に向かい立ちくっきりとした輪郭と光の反射を仰ぐ足元の感触と鼓動を感じながら、落葉の山を踏み越えゆるゆると迫り来る坂道と隆起、木の根。覆い被さる大木を越えていく、自らの足。そして今の脚は見かけこそ変わらずともたいそうな役目は負わず、ただ自らの体を支えしおれた葉をまとう。そこにあるのは輝き、ここまでたどり着いた心、鈍く光る痕跡と次に繋がる軌跡。


〈6章〉


年月が加速していっても思いがけず立ち止まり、10年20年前が目の前に現れることだってあるから。あなたの時間は一つじゃない、あなたの絶望は傷ではないのよ。労働、課す者と課されるもの、生まれた時から親も周りも労働に従事し、溜息つかず自分に当たらず当たり前に行って帰ってくるなら、自分も働きたいと思うかもしれないし。そうでなくても子供にとっての大人でもよい、誰かに接し求めと出来ることがあって。終わった時のありがとうとか、自分が世の中に関われた、そういう喜びだって労働の喜び。有能でありたいとは競争というよりも、より困難な求めに対して応えていく同僚への強い嫉妬と憧れ。利用されることもあるかもしれないがそんなことよりも、自分が身につけたささやかな技術と経験を更に伸ばせるのは、善悪問わず意図など問わず純粋な誰かからの求め。


orderは夢、あの人は変わり言えない本音と新しい価値観また倦怠と達観とまだまだ続く意外な出来事、思わぬ助け、子牛達の躍動感。

自分のテリトリー自分の割り当て自分のやり方。自問自答してそんな一日は普通。ふと気をやるとあの人も悩んで閃いて期待落胆しているのかな。自然に出来た壁がある、手助けは出来ずもらえずそれで当たり前。共感してるとは思うのね、でも閉じこもってしまうし「どう?」とか聞けない間抜け、邪魔しちゃだめだろと。そうじゃない。人にあるそれぞれの自由、どんなに縛りがあったって心の中とやり切りたいこと、だから自然にって思ったように振る舞って自分の思い解る?相手じゃなくて貴方がいつも皆を出迎える役割だったとしても、求められるのは上辺の笑顔じゃなく心の中。


僅かにbiasのかかった中間色、塗り分け並べる涙ぐましい努力もあっというまの膨張と縮小の前に。決定に至るまでに関わった過程、流れと必然性周りの人間の知識と関心そして感情、限られた時間。袋小路や堂々巡りを避けるため出来ることはたくさんあって、そこを躍起になる人。対極はマキャヴェリストか?対話の場をエクスキューズとし反論を封じ込め腹はにえくる、しかし相手も引かず。論理的展開と公平さ、理論武装と圧力自我。大多数はことなかれ、アイデアもなく波風は悪。誰が言うかが最も大切?自己防衛危ない危ない。集団の思考は絡み合い大きな生き物のよう。突然羽化するようなことはなく変化を嫌う。でも細分化すればいつかは俺も自分だけの縄張りを広げ城を持ちたいと、そんな新しい兆しを見つけたら君の決定に従うつもり。


日常、責任他人の目線ルーティン確認平常運転いつものミスを発見したら周りの空気を感じ取り感情のもつれは?限度越えてない?自分のキャパなんて小さい小さい。溢れれば自分の責任で泣くしかないって、助ける余裕よりまず自分のこと、みんなそう。そんなにして何を完成させようとしてんの、その完成形見えてんの?みんな居心地悪いパサパサの空気、誰もそんなの望んでない。みんな、みんなそう、かもしれないけど助けずにいられなくて手を出そうか迷うときはみんなあるんだって。


相談に乗ったり状況聞けば、相手は聞いてるだけやからさ、あなたの心のワクワクとかな、実は感じてるリスクとかも共感するまで行かないのよ。大抵無難に止めておけばとか中にはやれやれ言う人もいるか?それでもあなたが真剣になるほど周りはリスクを感じ取るわな。やって見たらと言える雰囲気保険があれば勧めていいの? 怖い物見たさは周りにもあるさあてこの相談どうなるかどんな規模でも初めの萌芽で周りに話して不安にさせて、その場のノリで賛成反対まだ弱い彼を動揺させて。でもその芽生えは止められないもの体にみなぎる葉脈と師管、あっという間に根付く先に降り、通る人はこんな立派な樹を新しいモノとはもう思わない。相談した皆はなんていうかな、そんなこととっくに忘れてるかもね、当たり前の風景の中で。


向かうものが小さくて、かかる労力も小さくて手に入るものが少ないと求める人も減っていく。手の中のモノは色褪せてただ今までのcustomで、変えようのないルートなら伝統でなくただの硬化。古いのは自分自身でね顧客が求めるのは満足でモノがありきかニーズが先か、考えることはもう飽きた。侘しい思いはモノに表れ手に取る人さえ否定する、心を照らして向かわせるのは一歩踏み出す売り込みの声。


そんな困難を忘れる時もある、それは日々のdutyから離れ1人で時間を限らず心を赴かせるとき。旅に出て、予想通りの景色に身をひたす。いつものルート、毎回同じ道を辿って良く飽きないな。こうして歩くにしても飽きることはない。でも毎日がずっとこうならもういいかなってなるんだろう。重いdutyに戻る、責任の環の中に帰る。困難に勝つって言っても今まで勝ってきたから、だってねこの困難は目に見える周りに競う相手もいる。1人でずっと居てどんどん大きくなった目に見えない困難よりは勝てる気がする。


あまり日の差し込まない小さな台所、過去や遠くに思いを馳せてもハタと戻るのは今日の雑事、心地よい小言の嵐。ああ灼熱の太陽の下、色取り取りのたわわに実る果実野菜穀物、地を這い地の肥やしになる。自らの分身としての作物たち。圧政が何であろうか、取り分もなく家族が飢えるにしても古からの言葉では国破れて山河ありと言ったのだ。収奪し溜め込むが良い俺の元から持って行け。大地の世話をする者の誇り、それはちっぽけな冠などに奪い去られるものではない。城の近くに群がるか遠巻き、欲しいのはその中の者に振り向いてもらうこと。その潮流が大きくなりすぎ子が親を屠るような段階にまで進んでいれば城は蹂躙され煉獄となり残酷な新陳代謝が行われる。


時間の経過は世代交代、子とは繋がり若者と断絶、役立つか不要か誰の益か。下の世代の新しい略語についていけなくともネット上の情報に無尽蔵にアクセスすれば元の形今の形全てが分かる言語なら時代を経て玉石混交淘汰され残り略語にもなろうがアルファベットの頭文字はただ切り取られたもの?のまま刷り込まれていく知らないのが悪いことかのようにそこには言語の淘汰はなく使う人が使えない人を淘汰するという恐ろしさ。システムの中に組み込まれた像、生まれ環境周りの目意識するかは人それぞれで敏感鈍感お互いに理解。リアルが充実バーチャルの承認拡散する価値観多様性の大海本能はしまわれ感情は出さない精神的ガイアは「お互い邪魔するな」岩盤のような共通の意識その中での反響はフォロワーへの反応人に強制は排除し炎上体面という概念も根本刷新そこに響いて広がりうるのは人というものの総体の肯定。


今していることに目的があり、それは遙か彼方にあることは決して不幸ではないけれど、時にそれは人により見え方の違いがあり、目の前のなんでもないただ転がるものを愛でる者に悪態をつくほど、醜いこともなし。

「住み心地、1人でいればこれが当たり前。同居人が言うここは住み心地が悪いそうかなでももっと山の近くとか海の近くとか便利とか閑静とか。あーもっと良い所に住みたい。長く住んでいて自分の物があってある程度静かで、いや静かでなくてもこれと決まっていればそれが住み心地。助けが多い方が良いが少なさにも慣れれば当たり前。誰もが認められ平等な方が良いが細部に不平等はある。自分を含む人の集まりが社会、居場所を見つけ細やかな心地よさを大事にすればよい」


雨の向こうで青く見える、元は緑の立体的な刺々しさ。それは年月と経験を経て丸みと切れ味を持ち、更に硝子の向こうでは自然な濃淡が見透かせる為、私達がお互いの言葉をゆっくりと開き話す余裕がまだあることを教えてくれた。

「見えないけどあるんだろうな。気がつかないけどたぶん進んじゃってる?」

「見えない範囲を見ようとする矛盾、全知全能になろうとすることではなくて。見えない範囲から突然投げ込まれる様々なもの、そのタイミングと大きさから自分の何がそれを生み出し気づかないまま放置したのか、思い当たることは?」

それは何気ないスルーとか息を吐くように口にした言葉、投げやりとお気楽さ。認識の範囲外で他人は自分の言葉を芯にして雪ダルマを追っているかも。それぞれの捉え方、SNSにさえ現れない頭の中のモヤモヤぐるぐるは、時間とともに足跡を残し確実に存在している。全ての人間の認識の範囲外に。


公園の遊具とか子供の義務、なんでもない疲れた夫婦に自分の世界全てを見る、まだ始まったばかりの大海原たち。

「才能なんか無くって、誰にでも出来ることして、そんな掃きだめの中になんで鶴がいるの」

「凄い家!住む世界が違うよねー」

「立派な家柄には驚く、それがどんな家系なのか解んなくてもね。そのあと家の中身に思いをやって「大変だね」「凄いね」要するに普通と違うわけだ」

「平安時代なら天皇に近いとか、鎌倉以降なら武士の家系とか。血筋はつまりは遺伝子で表面にはないフィジカルやウィズダムあるよね?」

「自分自身を見てもらいにくい、正直だれにも見てもらえない。誰かれ色眼鏡では見られるけど学歴資産より血は強い」

彼に出来ること、抗うこと銀の匙をくわえて生まれたのに自分自身であろうとすること。諦めずに困難であるほど、そこに抗いもがく姿は万人の持つ普遍的な感情を鼓舞するものであるはず。それこそが、持っている血のなせる技という逆説。


縦にすらすらと伸びる針葉樹の鱗、段階的perspectiveの何層も何層も奥に見えるのは漆黒の点なのだから見るべきではない。もっと足元に横たわる、かつて凶暴だった松葉のフカフカを弾力にした暖炉の暖かさを思い浮かべて。

「社会を見渡すまでもなく、上から下まで層があるらしい」

「そんなことはよく聞くな」

「何処かで聞いたことがあるけど凄いセレブ?と貧困家庭?いるんだよね」

「身近にいるか?通帳みたの?」

「家が大きくても借金あるとか、服が普通でも凄い資産とか」

「ああ、一見しただけじゃ下層とかわかんないよね」

「いやいやそうじゃなくて、基準は何でもいいんじゃない?」

「神輿の下に入る人達は下層を支え全力で責任と重圧を受け入れ、その姿を子供に見せ後を継ぐのを否定せず、上を批判し嫉妬しながらも心の中では頼りにしてる。」

「社会の下層1番下のボロボロは、時にはあなた、誇り高いあなた」


アーケードのない昼間の商店街、レトロなストライプと赤錆、子供の頃行ったプールサイドのような僅かな湿り気とゴツゴツの地面。

壁に手をつき思うのはその冷たさと自分の小ささ。壁を動かすことは出来てもその後はどうなる?自分の身をあずけて動かぬ壁はそれ自体が意思を持つかのように必然性を持ってずっとそこにあり長ければ千年も2つを隔てている。壁は登るべきか壊すべきかその反乱は主流になるのか大切なのは隔てられた2者は当初彼らの意に添わず周りの悪意もあったとしてももう愛憎入り混じり交じり難く離れがたくなっているということ壁の向こうへの愛と憎しみ登るにせよ壊すにせよ一生かけてやることであろうその姿を見た次の世代はあなたとその壁を越え世代の壁も越えて次の世代の壁の高さを少し変えるだろう。


理性と本能は全身全霊、帰属意識のまだとっかかり、見える部分と見えない部分、人と組織という前に聳える山脈。

「区別するのはモノだけでなく人の区別は防衛でもなく、偏見攻撃意思がなくても対象性格カテゴライズ。分類したなら忘れがちなのは自分を攻撃してくるか否か、かなり大事な生きる術、全く出来ない私とあなた。人の分類どこまで続く、分類したなら組み合わせ、AとB足しゃABなるのか人の心はそうじゃない。人は秩序で動いてる、自分を含む周りの秩序誰かに言われたルールではなく、そこに存在する空気。それぞれ心は絡み合いマウントもあれば妥協もある、実利を取るため大きな動きでも全体が明日から変わることはない。白にも黒にも塗りつぶせない、人の心もガイアのように固まり流れ続けてる」


大きな流線型の瓦、何処か異国の風情漂う黒い建築物の独特のライン、見る者の畏怖と受け入れ。

「躊躇、それは周りとの関係切り捨てれば迷わず、そうも言っていられない躊躇が保留となり心の汚濁となる。日が経つほど解決は難しくなりその保留された濁りの上に更にものが敷かれる。一見分からず固定されたモノに見える濁り、生まれ出た発端はその躊躇。躊躇するのは人の目意見があるから、もし無人島で本能に沿って選ぶなら躊躇はない。選べず保留し濁りとなるのは自分の気持ちを差し置き誰かを思うから。思い通りにはならず解決しないのが誰かのこと。でもね、自分の立っている下にも誰かの躊躇と濁りはきっとあるから」


先ではなく遙か遠くでもなく、ただ目の前の普通のもの、時に普通以下のモノさえにも話しかけ慈しむような姿勢を持つ摂理とかである。

残骸、それは役に立たない廃棄物ではあるが長年そこにありかつての日々、輝かしく動き回り多くの人を見てざわめきと営みの中心にいて、おーい…おーい…と遠くで聞こえる声とかたくさんの閃きと落胆。船なら船の中で一生の多くを過ごしたり一生を終えさえしたような、今は霧散した夢も、その隙間に見る。


接岸の音、ゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴーンゴーンゴンゴンゴーン…大きくゆっくりと揺れ滑らかに収束される巨体、建物で言えばホテル並みのどこか懐かしい塗装と表面。人混みを避け外へ出る、タラップの風そして白い泡が後方へ遙か後方の彼方へ流れてゆく。いつか上空を通るplaneから見下ろした船舶は木の葉のよう、動いているようにさえ見えなかった。確かにマストに登ったとしても遠景は流れず近くの水面がただ泡立ち流れていく、そしてこの風。目には見えぬが水平線から水平線へといつまでも眺められる陸のない風景。波を切ってはいるけれど海は大きく、進んでも進んでもどこまでも続く。自分の人生と次世代に引き継ぐ、もっと先の世代への営み。遙か彼方の港を目指して人々は海洋を進んでいく。

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