3、病人と墓場 5
ヒジリと名乗った男の後を追いかけ始めて約三十分。荒野と、十字架を象った大量の杭しかなかった景色の向こうに、一際目立つ白い建物が見えた。
「あそこは?」
「墓守の家だ」
問えば、素っ気なくもキチンとした返事が返る。
「へえ……」
小さく零し、歩くたびにどんどん近づく白い建物を見つめた。
『家』というよりは、『施設』といった方が適したように思える外見。
規模はさほど大きくなく、けれど一人で住むには広い。
軍に入隊する前にいた、息苦しい孤児院を思い出させた。
「なあ」
「なんだ」
至って平素な声と共に振り向いた、不機嫌そうな顔。わずか三十分の間でそれが生来のものと知ったギオは怯まず、普通に言葉を続けた。
「ヒジリ……さんは」
「さんはいらない」
「じゃあヒジリ」
「なんだ」
「別に俺、墓守に用があるわけじゃないぞ」
「№00310に来たときは墓守に会うのが規則だ」
「面倒だな」
「俺だって好きで案内するわけじゃない」
「じゃあするなよ」
「規則だ」
「面倒だな」
「その台詞は二度目だな。鬱陶しいから黙ってついてこい」
「なんだよそれ。大体、いきなり人に刃物向けるってのはどういう了見だ。非常識だぞ」
「面識もないのにいきなりリビングデッドでやってきた非常識がそれを言うか。軍の基地にならともかく、戦闘機が前触れもなく墓場にきたら警戒するのは当然だろ」
「……」
自分が彼と同じ立場にいたら間違いなく警戒していたので、否定できない。
思わず足を止めて頬を掻き、何気なく周囲を見渡した。
――――ふと。
(ん……?)
軽く頬を撫ぜた微風に乗って、誰かの声が途切れ途切れで聞こえてきた。
イントネーションの違う、ギオが知らない言語を綴る音。一体それがなんなのかはわからないが、少し離れた場所から聞こえてくるのは確かだった。
近いといえるほど鮮明ではなく、遠いといえるほど聞こえないわけでもない。
酷く寂しげな、拙さすら覚える断片的な言葉。
意味などわからず、どういうものなのかもわからない。
それでもギオは、無性に惹きつけられた。
「突っ立ってないで早くこい、クラルテ」
先刻の冷たさを感じさせない呆れた声に指摘され、慌てて歩きだす。
「入るぞ」
「わ、わかった」
既に開いたドアの向こう側にいるヒジリを追うように、小走りでギオも建物に入る。
声は聞こえなくなった。
白い建物はその内部まで白く、ほとんど黒で統一されているヒジリの背は浮いて見えた。
「なあ」
「なんだ」
既に数回のカウントを刻んでいる問いかけに、前を歩く男は律儀に答える。
絶対この顔で人生の半分は損している。本人に知られたら確実に殴られそうな失礼なことを思いながら、ギオは疑問を質問として口に出した。
「あんた、木星人だろ?」
「そうだが、それがなんだ」
お前もそういうのが気にいらない性質なのか。
淡々と言われ、首を振って否定する。木星人に抵抗がないわけではないが、一部の過激派のように木星人を目の敵にしているわけではないのだ。
「じゃあなんだ」
「……ここにいる墓守ってのは地球人なんだろ?」
「ああ」
「なんで木星人のあんたがここに――ヒッ!」
いきなり眼前に突きつけられたカタナの切っ先が、言葉を強制的に遮った。
(い、いつのまに抜いたんだそのカタナ……っ!)
数ミリ動けば突き刺さりそうな距離にある刃に恐れ戦き、内心でツッコミを入れる。
その間にも、ヒジリは鋭い眼光を放つ紅い瞳はギオを睨みつけていた。
「なんで木星人の俺がここに、か」
嫌な感じがする嘲笑を浮かべ、突きつけたカタナを眼前から頬に動かす。
侮蔑されている。
それだけは嫌でもわかった。
「随分くだらないことを聞くんだな」
「……」
「言葉と思考に気をつけろ、小僧。――――次は斬るぞ」
冷たい声音で吐き捨て、カタナを再び鞘に収める。
止まっていた歩みが再開されたものの、すぐに追いかける気にはなれなかった。
(言われなくたって、もう二度と言わねえよ)
心の中で反論し、重たくなった足どりでヒジリの後を追う。
癪に障る発言をしてしまったのは一目瞭然。
だが、納得できない。
なにが彼の琴線に触れたのか。それすらもわからないまま、一方的にぶつけられた憤怒。反省の気持ちよりも、自分がなにをしたんだという苛立ちの方が遥かに強い。
(……あの人も)
あの人もこんな気持ちだったのか。
身に覚えのない恐怖を押しつけられた彼女も、こんな気持ちだったのか。
そう考え、改めて自分がしたことの酷さを痛感する。
酷いことをした。
ひどいことを、した。
それなのに自分は、自分のことしか考えていない。彼女に会うことばかり難しく考え、自分と対面したとき彼女が一体なにを思うのかを、少しも考慮していない。
最悪だ。
両親をなくして生きてきた六年間の中で、一番最悪な自分だ。
自分の恐怖ばかり優先して、彼女を傷つけ続けている。
最低だ、こんな自分。
最低だ。
「どこまで行ってる」
俯き、そのまま横を通り過ぎようとするギオの首根っこを、ヒジリの手が掴む。グイッと引き寄せられ、バランスが崩れそうになるのを両足でなんとか踏み止まった。
「ついたぞ」
抗議の視線を向ける前に先手を打たれて、視線はヒジリではなく一つのドアに向いた。
特に装飾がされているわけではない、質素なドア。
しかし、そのドアの横には大仰な機械が設置されており、パッと見ただけでも五,六個のロックがドアに施されているのがわかった。
「……」
なんだこれは。
ロックを順に解除し始めるヒジリとは対照的に、ギオは絶句し目を見開く。
パスワード、カードキー、指紋、声紋、網膜、エトセトラ。十数個のロックで施錠されたドアは一種の牢獄。いや、これはもう牢獄以上だろう。
監禁されている。そうとしか思えなかった。
「…………異常だろう?」
ポツリと、密やかな声が零される。
「なんのために……」
「わからない。だが」
そこでいったん言葉を切り、数秒の間を置いて続きを話す。
「あいつが墓守でありたいと願う以上、俺にそれを止める権利はない。もちろん、お前が会おうとしているマリオにも、その権利はない」
「…!」
唐突に出てきたその名に、視線をドアからヒジリへと向ける。
最後のロックを外し終えたらしい彼はその視線を受けると、口元をわずかに綻ばせた。
「Ⅴ隊所属で墓守に用事がなければ、Ⅴ隊に来訪中のマリオに用があるってことだ」
それにお前、あいつの上着持ってるし。
と、からかい混じりに言いながら、一際大きい四角いボタンを押す。
「入るぞ」
『どうぞ』
短い言葉への返答が、機械に内蔵されているスピーカーから発せられた。
了解の言葉。それを合図にドアが開く。
通路以上に白さが際立つ、質素な部屋の中。
そこに、白い布で目隠しをされた真紅の少女がいた。
「お客さん?」
視界が遮断されているにも関わらず、少女はギオの方に顔を向けてそう言った。
「こんにちは、お客さん」
「こ、こんにちは……」
朗らかな声で挨拶され、どもりながらも挨拶を返す。
目隠しと先刻の異常なドアロックを除けば、彼女はどこにでもいる女の子のようだ。
普通に喋るし、普通に笑う。
真っ赤な長い髪と真っ赤なワンピースは少々目に痛いが、それだけである。
ただの女の子だ。至って普通の。
「……」
やつれた姿を想像していた。
憔悴している背を思い浮かべた。
けれど、目の前でイスに腰かけている少女は、そのどちらにも該当しない。とてもではないが、厳重なロックがかかった部屋にいるとは思えない。
敬虔さすら感じない。
本当に墓守なのだろうか。そんな疑問が過ぎる。
「レイン」
部屋に入らず、押し黙っていたヒジリが少女の名を呼ぶ。
レインと呼ばれた少女は、顔を正確にヒジリの方へと向けた。
「なあに? ヒジリ」
「茶でも用意してくる。その間、こいつと話でもしといてくれ」
「うん、わかった」
にこりと屈託なく微笑むレインに、ヒジリもまたうすくだが笑みを浮かべた。
先刻浮かべた、からかい混じりのものとは違う微笑。
それがとても神々しいものに見え、錯覚の眩さに思わず目を細める。ヒジリには訝しむような顔をされたが、直そうとは思わなかった。
この二人がどんな関係なのかをギオは知らない。
それでも酷く羨ましかった。
ヒジリが浮かべる笑みを、ギオは作ることさえできないから。
「じゃあな、クラルテ」
変なことするなよ。
最後は耳打ちするように言い、ヒジリは部屋から出て行く。
ドアは閉まらなかったが、事実上二人きりになってしまった。
「座ってもいいよ」
「けど」
「疲れるでしょう?」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
変に固辞する必要もないので、ギオは大人しく適当なイスに座った。
その様がまるで見えているかのように、レインは笑みを零す。
ややきつめに巻かれた目隠しさえなければ、当たり前のこととして流せる光景。だが、彼女の目は白い布で覆われ、視覚は役目を果たしていない。
見えていないのに、まるで見えているように。それはおかしなことだ。
だが、質問するのはなぜか戸惑われた。
「お名前は?」
「ギオ=クラルテ」
「ギオ君かあ。私はレイン、よろしくね」
「……よろしく」
そこで会話が終わり、静寂が流れ込み始める。
レインはにこにこ笑うだけで、なにも喋らない。
ギオはなにを言っていいのかわからず、なにも喋れない。
どちらも黙っていることに変わりはないのに、「喋らない」と「喋れない」には大きな差があり、その間には深い溝があった。
会話しなければならないルールがあるわけではない。しかし、ギオはなにか言葉を見つけて会話しようと躍起になっていた。
単刀直入にいえば、沈黙が気まずいのである。
「ねえ、ギオ君」
頭をフル回転させて考え込んでいるギオに、レインが声をかける。
会話の取っ掛かりになるかもしれない。
そう思ったギオは即座に思考を中断させ、続きを待った。
そして、
「マリオに会いにきたの?」
予想外の言葉に、またも言葉を失った。
「図星?」
「そ、そんなこと…っ!」
むきになって否定し、首を横に振る。
そういう態度がなによりの肯定を示すことを、知らないわけではない。だが、わかっていても否定せずにはいられないのだ。
図星であることを誰よりも知っている、本人だからこそ。
「誰かに会いにくることって、そんなに否定しなきゃいけないことなの?」
正論を言われ、冷水を浴びせられたように動揺が凍りついた。
彼女はそれ以上なにも言わず、言葉を待つ。促すわけでもなく、かといって急かすわけでもない静かな態度に、ギオは折れる以外の手段を見つけられなかった。
「……違う、けど」
「なら、正直に答えて。ギオ君はマリオに会いにきたの?」
「……」
二度目の問いを、ギオは頷くことではっきりとした肯定を示した。
「どうして?」
「……返したいものがあって」
「そう。でもそれは、こんなところに出向いてまですること?」
「……」
変化を遂げた声音で紡がれる、容赦ない質問。
厳しい口調ではないのに、なぜか尋問されている気分になる。
暴かれている。隠そうとしているもの全て、この少女の手によって。
問題なのは、そうされているのが嫌ではないということだった。
「君はどこまで入り込みたいの」
あの子の心に。
言外でそう匂わせ、けれど返答を待たず言葉を続ける。
「六年前、マリオは命と引き換えに記憶をなくした」
「…!?」
「自分がなにを失ったのかさえ、マリオにはわからない。でも、マリオは知っている。失ってしまうことの恐ろしさ。だからマリオは、なにも欲しがらないようにしている。失う怖さから逃げるため、マリオは失うものすらない道を選んでしまった」
「……」
「君がマリオにどんな感情を抱いているのかは知らない。でも、わざわざこんなところまで追いかけてきた以上、君は多かれ少なかれ、マリオになにかを求めている。だって、君より前にマリオを追いかけていた人達はみんなそうだった。みんなマリオに愛情や友情を求めて、そして結局諦めた」
「……どうして」
「失うことの本当の怖さを知らない人は、マリオからなにも引き出せない。マリオが関心を向けるのは、大きなものを一度に失った人だけ。私もヒジリもいっぱい失ったけど、それでもマリオの喪失には釣り合わない」
だってあの子は、全てをなくした。
目を伏せ、静かに語られる思わぬ事実。
ギオはなにも言えなかった。
恐怖とも歓喜もいえない震えを押し殺し、黙って聞くしかなかった。
「本当はこんなこと、第三者の私が話すべきことではない。でも、なにも知らないままでマリオに接してほしくないの。マリオは一度、それで深く傷ついてしまったから」
限界だった。
「…………大使は今どこに?」
「ここから少し離れた、十字架が集まっているところ」
「ありがとう」
言い終わるや否や、ギオは開きっ放しのドアから飛び出した。
衝動的な行動。それを目隠し越しに見送るレインは、満足げな笑みを湛えていた。
「ヒジリ」
開いたドアを向いたまま呼びかけると、湯気の出ているカップが二つ載ったトレイを持つヒジリが、ひょこりと顔を覗かせる。
「相変わらずで」
「ちょっと違うよ」
呆れたような声に、にこりと笑って言葉を返す。
悪びれのない様子を見て、ヒジリはやれやれといった顔で部屋に入った。
先刻の話に偽りはない。
ただ、最後の一言を除いては。
「だって、誰にも興味を持たなかったマリオが、初めて興味を持った子だもの」
――――同じにおいがする。
――――あんなに違っているのに。
「多少の演技くらいはね」
そういうと、ロックのかかった部屋に閉じ込められている墓守の少女は笑った。
屈託なく、まるで全てが嘘であるといっているような笑顔で。
「……」
トレイをテーブルに置いたヒジリはそれを見て、なにもいわずに彼女の頭を撫でた。