3、病人と墓場 2
ギオと出会い、彼の境遇を知ったとき、感じたのは確かに歓喜だった。
自分と同じ境遇の者。
自分と同じ寂しさを抱えた少年。
親近感と一口にいうには戸惑われ、一目惚れと断定するのは違って。
ただ、無性に嬉しくてたまらなかったことだけは覚えている。
そして今、あのときの歓喜は恋情という形で胸のうちにある。
もしかしたら違う感情だったのかもしれない。もっと別の思いだったのかもしれない。
優れているというだけで虐げられ、爪弾きにされているあの少年。彼に抱いた本当の気持ちは、同情や憐憫、優越感や嗜虐心といった、もっと醜い気持ちだったのかもしれない。
けれど、一度名づけた感情はリセットがきかず、恋情は今もなお燻る。
シスターはギオが好きだった。
例え彼が、時折自分を疎んじるとしても。
例え彼が、惑うような視線を自分に向けるとしても。
分かち合うことも癒すことも与えることも、自分にはできないとしても。
それでも、シスター=コロネットはギオ=クラルテが好きだった。
地球軍Ⅴ隊に、白髪の者はいない。
しかし、シスターが彼女に気づけたのは奇跡に等しかった。
そう思うくらい、彼女はあまりにも希薄だった。
「あら、大使さんじゃない」
ついついジッと見ていると、それに気づいたセイレーンが声を出す。
呼びかけるのではなく、確認するような言い方。最初に見つけたにも関わらず、シスターはそこでようやく、彼女がマリオ=R=ノエルだということが実感できた。
おかしな話だと思う。
だけど、本当に実感が持てなかった。
別人な気がしたのだ。ホログラムとリアルタイムで見た凄絶な紫紺の鬼を駆っていたパイロットと、窓際で厚いガラス越しに宇宙を見る白髪の少女が。
「大使さんね、昨日二回くらい医務室にきたのよ」
「え? そうなんですか?」
「ええ。すっごく嬉しかったわ、あんな美人な子と二人きりになれて」
妖艶な笑みを浮かべるセイレーンに、思わず顔を顰めて呆れたように言う。
「……変なことしてませんよね」
「あら、私だって病人相手に無体はしないわよ」
触診はしたけど。
……なにやら、聞き逃せない言葉が言外に含まれている気がした。しかし、追及するのも怖いので、そこは無視して他のところを聞き返した。
「病人?」
「ほら、目の隈」
「……ああ」
なるほど、と。
手を打って納得すれば、なぜか抱きしめられた。背中に柔らかいものが当たって、性別は同じなのになぜか居た堪れなくなった。
セイレーンは嫌いではない。
けれど、好きというカテゴリに括るには、やや抵抗ある人物だ。
あちらはシスターを好いているが、シスターにはそれが肉体交渉することを前提としたものなのか、純粋な好意なのかの見分けが全くつかない。だから、過度なスキンシップにはビクビクしてしまい、今のように包み込むようなスキンシップは甘んじてしまう。
これもまた、相手を陥落させるための技術なのだろう。だとしたら効果覿面だ。
他の者に抱く恋情があるにも関わらず、そういった嗜好を持たないにも関わらず。シスターはセイレーンにほだされ、落ちかかっているところがある。
自分の抱く恋情が報われないと自覚しているのも、要因の一つだろう。
頭ではわかっているのだ。彼は絶対に自分を好きにならないと。
「不眠症なんですかね、ノエル大佐」
「そうみたいよ」
「そうみたいよって…、対処しないんですか?」
「しようとしたわ。でも、持病だから薬は効かないんですって断られちゃって」
「……言い方に問題があったんじゃないんですか?」
「普通に勧めたつもりよ、睡眠薬を試してみたらどうですかって。だけど――――」
大丈夫です。心配ありません。
どうぞお気遣いなく。
ありがとうございます。
「――――って返されたの」
薬だから下手に無理強いもできないし、そういわれたらねえ。
困ったように零しながら、シスターを緩く拘束していた腕を離す。いきなり解放されたことに戸惑いを覚えつつ、俯きぼんやりとしている大佐を見た。
「……」
年齢は恐らく、十六,七歳前後。
天然の白い髪はかなり珍しい部類に入る。
紅い目もギオ以外では見たことがないので、同じくらい珍しい。
同年代らしき相手に思いたくはないが、かなり美人。
一度だけ聞いたアルトは凛々しく、弱々しげな外見とのギャップに惹きつけられる。
なにより、木星人だというのに嫌悪感一つ抱かせないのは凄い。
見た目に違いがあるわけではないのに、長年続いた戦争の歴史と傷痕は、同じ姿同じ形状の生き物を異形みたいに見せている。
だけど彼女にはそれがない。木星の人とわかっているのに、自分と同じものに見える。
なぜだろう。そう思い、頭から爪先までをじっくりと見つめた。
あからさまな視線なのに、彼女は気づかず俯いたまま。もしかしたら気づいているのかもしれない。そうは思うが、観察するように見つめることはやめられなかった。
似ている。
ギオに。
と、無意識に考え、
(……あれ?)
ふと、彼女が上着を着ていないことに気づく。
「着てないですね、上着」
「上着? ……大使さんが?」
「はい」
「大使さんの上着なら、クラルテ君が持ってるわよ」
「え…?」
「クラルテ君のことを伝えにきたの、大使さんだから」
いきなりの言葉に、軽い動揺の声を上げて振り返る。
妙齢の軍医は珍しくその動揺に気づかず、さらに言葉を続けた。
「詳しいことは話してくれなかったけど、偶然現場を目撃したみたい。人数も顔も正確に証言したらしいし、クラルテ君に上着をかけてあげたくらいだから、きっと彼女が相手を追っ払ったんでしょうね。
見た目によらず喧嘩が強いのか、それとも相手が大使という肩書きを恐れたのか。多分後者ね。相手は五人だったみたいだし…………どうしたの?」
相槌も打たないシスターに疑問を感じ、セイレーンは言葉を止めて顔を覗き込む。
話をほとんど聞いていなかったシスターは、突然目の前に現れたセイレーンの顔に内心息を飲み、けれどなんとか笑みを作って誤魔化すように答えた。
「なんでもないですよ、先生」
なるべく平然を装って。
この動揺と焦燥が伝わらないように。
『初対面の人間に怯えられる人の気持ちってわかるか?』
なぜか、その言葉が頭の中でリピートされた。