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3、病人と墓場 1




「四十℃。一日絶対安静決定」


軍医(サージャン)リーダー・レイニー=セイレーン中尉は、体温計を見ながら言い切った。

逆らう気力も湧かなかったので、ギオは首を縦に振って了解の意を伝えた。


「よろしい」


従順なギオに満足したのか、にこりと笑って体温計をしまう。そんな動作すらも、医者という職業に似つかわしくないようなそうでもないような妖艶さを醸しだしていた。


軽いカールのかかった長い栗毛に、色っぽさを感じさせる鳶色の瞳。はちきれんばかりの胸と肉感ある太腿は、それだけで艶めかしく挑発的だ。ストイックなはずの白衣も、下に着ているのがボディコンのスーツとなれば淫らな衣装に見えてしまう。

これで中身がもっとまともなら、さぞ人気も出ただろうにと。

高熱のせいで機能が停止しかかっている頭で思う。


どこで育ち方を間違えたのか、セクシュアルなスタイルをしたこの妙齢の美女には問題点がやたらと多い。女性の魅力として目を瞑れるものもあるにはあるが、生来の魅力を上回るものも中にはあって、それによって甘い夢をぶち壊された隊員も少なくない。

ギオとて健全な青少年なのだから、初対面ではうっかり鼓動が跳ねたりもした。

しかし、極悪・サディスト・鬼という嫌な三拍子に色々とオプションが付属されているのを知ってしまった今では、間違ってもそんな気は起きない。できれば関わりたくない人ベスト三にランクインしているほどだ。


(ま、腕は確かだからな……)


顔を背け、諦めたように心の中で零す。

自己治癒力が常人より高い分、抗生物質が効きにくいという厄介な体質であるギオは、高熱が出たときはサージャンに薬を処方してもらわないといけない。今回のように、ただの病原菌による熱ではないケースならなおさらだった。


「怪我の発熱、極度の疲労、その他の精神的負荷、以下エトセトラ」


原因を確認するように言いつつ、カルテにさらさらと書き込んでいく。


「痛み止めと解熱剤と精神安定剤(トランキライザー)を寝る前に二錠ずつね。他に欲しいものは?」

「…………自己治癒力活性剤(ナチュラルヒーリング)と湿布と痛み止めの軟膏」

「もう切れたの?」

「そろそろ……」

「わかったわ。後でもってきてあげる」


本当は駄目なんだけどね。

カルテから顔を上げず、しょうがないわねといった感じで微笑む。


いちいち手当てするのが面倒だから自分で治せといったのはどこのどいつだ、と。

一瞬軽い殺意にも似たものが芽生えたが、口に出すのは面倒だった。憎まれ口を叩こうと思う気力さえ今はない。喋るのもかったるいのだ。


「食欲は? なにか食べられそう?」

「むり……」


頭をゆるく振って否定すれば、困ったわねえと返される。


「空腹の状態で薬は飲めないわ」

「食ったら絶対に吐く……」

「おかゆも駄目?」

「駄目だと思う……」


会話を続けたせいか、息がぜいぜいと荒くなってきた。

しんどい、寝たい。

視線でその気持ちを訴えてみても、セイレーンには通じなかった。顔を再びカルテに向けた軍医は、困ったわねえという言葉とは裏腹に、とても面倒そうな顔をしていた。それでも医者かこのやろう。もうちょっと病人に対する誠意を見せろ。


「注射器を用意するのも面倒だし、寝て治せば?」

「おいこら……」


医者としてあるまじき発言に、怨み言を紡ぐような声音で喋る。

冗談よと反論されたが、その言葉から信憑性は微塵も感じられなかった。


「クラルテ君は小食だから、無理に食べなくても平気かしら」

「空腹じゃ薬飲めないって言ったのあんただろ……」

「大丈夫よ。ちょっと胃腸は荒れるけど、命に別状があるわけじゃないし」

「この腐れ医者が……」


呻くように言う。

いい加減、心身共にかなり本気のレベルでしんどくなってきた。


疲れる。色んな意味で疲れる。体が元気なら部屋から叩きだしているところだ。いや、元気ならこの人の診察さえ受けていない。

体が不調を訴え、熱が全身を蝕んでいるから、ギオは彼女を自室に招き入れている。それ以外の理由で彼女を自室に入れるなど考えられない。考えたくもない。

そんなことを思っていると、ぷしゅーという聞き慣れたドアの開扉音が聞こえてきた。


「ギーオー」

「お見舞いにきたわよー」


これまた聞き慣れたテノールとソプラノが揃って聞こえ、室内の気配が増える。間近にいる女医が色めき立ったが、気づかなかったことにして入り口の方を向いた。


部屋に入ってきたのは、湯気が立っている器を載せたトレイを持つシスターと、片手に清涼飲料水が入ったペットボトルを持ったクリスマスだった。

どちらも、着ているのは深い青色をした軍服。

シスターがそれを着ているのを見るのは久しぶりだったので、妙に新鮮な気がした。


「あー、さんきゅーなー」


素直に礼を言い、重たい手を上げた。

起き上がろうと思ったが、想像以上に億劫だったので断念する。二人もそれは察してくれているのだろう。特に気にした様子もなく、手を振り返しながら近づいてきた。

不意に、


「おっと」


クリスマスが足を止め、シスターからトレイを奪いとった。

その直後、ベッドの横にいたセイレーンが、目にも止まらぬ速さでシスターに近寄り、あろうことか右手で彼女のおとがいを掴み左手で腰を抱き寄せた。


レイニー=セイレーン中尉。

同性愛者(レズビアン)で、彼女に食われた若い女性軍人は数知れず。

曰く、可愛くて柔らかくて温かくて気持ちいいのが好きだとか。


「普段の作業服も可愛いけど、軍服も背徳的で可愛いわね、シスターちゃん」

「せ、セイレーン先生は相変わらずですね……」

「いやあね、私とシスターちゃんの仲じゃない。レイニー先生って呼んでもいいのよ」

「そ、そういうわけには……」


いきなり迫ってきた美女の妖しい雰囲気に圧倒され、シスターはたじたじになりながらも身を引こうとする。だが、腰にしっかりと回された手のせいで思うように動けず、そうしている間にも、ピンクのマニキュアが塗られた指は不埒な動きで体を這った。


「……っ」


見舞い客を襲おうとするその姿に、こめかみがひくついた。

ギオは、人の嗜好にけちをつけるほど野暮な性格は持ち合わせていない。だが、自分の同期が毒牙にかかるのを黙って見ていられるような性格もしていなかった。


「せんせー、患者の血管がぶちきれそうですよー」


唇が引き攣る様を見たクリスマスが、軽い口調で助言する。

背を撫ぜようとしていた左手が止まり、あからさまな舌打ちが響く。力を弱まり、完璧に抱きしめられていたシスターが、ようやくセイレーンの腕から解放された。


逃げだしたシスターは急いでクリスマスの陰(あんぜんけん)に隠れ、少しビクビクした様子でそっと窺うように顔を覗かせる。両頬はわずかだが朱色に染まっており、その様子にセイレーンは不機嫌も忘れて満足げに微笑んだ。


あの体に迫ってこられたら、同性だって照れる。

幾分か落ち着いた頭で思わずそんな同情をし、ドッとやってきた疲れに眩暈を覚えた。


「さっさと出て行けこの万年発情猫……」


ほとんど絞りだすように言いながら、顔を背けて目を閉じる。


「まあ、失礼しちゃうわね」


さすがに毎日は盛らないわよ、私だって。

どこか的外れな反論が返ったが、あえて突っ込む気にはなれなかった。


「出て行け。そして俺が眠った後に薬を持ってこい」

「病人のくせにやたらと偉そうね、君」

「疲労で熱を出した人間にさらなる精神的負荷をかけた奴がなにをほざくか。っていうか、目の前で同期に手を出すな、同期に」

「人の恋路に口を挟むなんて男らしくないわよ」

「明らかに体目的な奴が恋路、とか……いう…、な……」


高熱が頭の方にも侵食し、呂律がいきなり回らなくなった。

気持ち悪い。吐き気がする。寝てしまいたい。

一度に襲いかかってきた衝動は抗いようがなく、枕に顔を埋めて熱い息を吐く。


「…………ギオ、大丈夫?」

「せんせー、病人を苛めちゃ駄目だろ」

「……そうね。やりすぎたわ」


誰が見ても疲弊しているとわかるギオに、三者三様の言葉が出る。


「ご要望通り、寝たころを見計らって薬を届けてあげるわ。後、痛み止めとかも一応置いていくから、なにか食べられるようになったら飲みなさい」

「うぃー…す……」

「私達も帰るね。食堂からもらったお粥、ここに置いとくから」

「おう……」

「ほれ、スポーツドリンク。水分足りなくなったらこれでも飲んでろ」

「さんきゅー……」


律儀に返事を返して、ぐらつく頭に顔を顰める。いちいち答えんでもいいとクリスマスに軽く叱咤されたが、こればかりはどうしようもなかった。

発熱する額に触れた冷たい手。

何度も平気かと問うた父。そのたびに平気だと答えた自分。

熱を出したときにはいつも思い出す。


永遠に失われた平和な光景。もう二度と味わえない穏やかな幸せ。

奪われた。

しろいあくまに。


(……やば)


視界が潤むのを感じて、慌てて枕で顔を隠す。

心が弱ると体も弱る。体が弱ると心も弱る。

そして今は、心も体も両方同時に弱っている。そういうとき、涙腺は極端に弱くなることをギオは身をもって知っていた。


ぷしゅー


ドアの開く音が聞こえた。

ほんの少し顔を上げ、去っていく背中を見る。


「…………シスター」

「なあに?」


消え入りそうな呼びかけに、けれどシスターは足を止めた。


「初対面の人間に怯えられる人の気持ちってわかるか?」


質問の意図を読みあぐねたのか、首を傾げて考えだす。

しかし、文字通りの意味だと理解した彼女は、すぐにこう答えた。


「凄く辛いんじゃないかな、多分」

「……そっか」


ありがと。

小声で礼を言えば、どういたしましてと返される。

凄く辛いんじゃないかな。

それは、予想の範疇に入る言葉だった。しかし、ギオの心を抉るには十分だった。


「お大事にね」

「……ああ」


開扉の音とはまた違う閉じるときの音が響き、照明が落とされる。

部屋は、静寂と薄暗い闇に包まれた。


「……」


わずかに顔を上げたまま、視線を彷徨わせ周囲を見渡す。

サイドテーブルに置かれた、湯気が立ち上るトレイとペットボトル。ここからでは見えないが、恐らく薬も置いてあるのだろう。そう思いながら、視線をずらした。


そして、目に止まった。

棚の上に放置された、蒼い十字架と鎖が絡みあうローズグレイの礼服が。


(…………返さないと)


軍医達が駆けつけてきたとき、マリオはいなかった。

後で取りに来るだろうと思ったが、彼女が上着を取りに来ることはなかった。

気遣われている。

それが痛いほどわかり、彼女にした仕打ちを思い出した。


一度目は戦場、二度目はあのとき。

助けられた、二回も。

それなのに自分は、彼女を手酷く拒絶した。


一度目は手を叩き落とし、二度目は涙を流して。

許されることではない。

だが、彼女は許すのだろう。

凛とした声で、ごめんねと微笑んで。


許してしまうのだ、彼女は。

許されてしまうのだ、自分は。


「…………かえさないと」


掠れた声に出して呟き、枕から顔を離す。

返さないといけない、自分の手で。


そして謝るのだ。

ここで恐怖に負けたら、ギオは一生あの人に怯え続けることになる。

六年前の悪魔ではないあの人に。


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