時のうさぎ~不思議なうさぎと悩める少年~
少しつめたいそよ風がふく、冬の朝。
雲ひとつない青空とすこしあたたかい日差しで、天気はとても気持ちがいい。
でも、学校へ向かうボクのこころはどんより曇り空だった。
(水曜日は朝から体育だからゆううつだなあ)
最近の体育はサッカー。
球技が絶望的に苦手なボクは、いつもみんなの足を引っ張る。
それが嫌だった。
攻撃に参加すれば相手チームにパスを回し、守備に参加すれば自殺点でハットトリック。
どれだけ練習してもうまくならなかった。
それでもみんなは許してくれる。
先生も馬鹿にすることもなく、笑ってくれている。
でも、みんながいい人たちだからこそ迷惑をかけてしまったことに、とても落ち込むんだ。
(はやくサッカー終わらないかなあ)
無意識のうちに、学校へむかう足がゆっくりになる。
学校は駅と同じ方向にあるから、会社へ向かう大人のひとたちに沢山追い抜かれる。
歩くのが遅いボクからしたら、みんな走ってるように見える。
『あー、いそがしい いそがしい』
どこかから声が聞こえてきた。
(大人は大変だなあ)
と思ったけど、学校に行きたくなくて下を向いてたボクは、誰がしゃべった言葉なのか分からなかった。
『あー、いそがしい いそがしい』
とても焦った声。
必死に走っているのか、ハアハアと息も切れている。
『あー、いそがしい いそがしい』
ボクはここでおかしなことに気付いた。
(忙しいって言って走ってるっぽいのに、声が遠くならないのはなんで?)
声は近くでずっと聞こえていたのだ。
ボクは声のする方を見た。
そこには大きな時計を首からさげた――二足歩行のうさぎがいた。
二足歩行って言ったけど、一本の木の周りをぐるぐる走ってるから“二足走行”か。
『あー、いそがしい いそがしい』
言葉を話す、人間みたいに走るうさぎ。
でも木の周りを走りまわってるだけだから、なにが忙しいのか分からない。
ただ、顔は疲れ切ってて必死だった。
ボクは話しかけてみることにした。
「ねえ、うさぎ――さん?」
『あー、いそがしい いそがしい』
「なにがそんなに忙しいの?」
『あー、いそがしい いそがしい』
うさぎはボクには気付かないかのように、ひたすら走り続けている。
無視されたようで悔しくて、ボクはうさぎの腕をつかんで止めた。
「ねえってば。なんで君はグルグル木の周りをまわってるの?」
『あー、いそがしい いそがし――あれ!? わたし止まってしまっています!?』
「うん。ごめんね、話したくて止めちゃったんだけど」
うさぎは止まってる自分に驚いたように目を見開いて、そのあとボクの方を見た。
『わたしが止まると大変なことになるんですよ!! 知らないんですか!?』
「え、ごめん。そうなの?」
『ええ。そうだったと思うんですけど……あれ?』
うさぎは突然小さく首をかしげる。
『大変なことってなんでしたっけ?』
「――知らないよ」
『わたしも、しりません』
うさぎは疲れたようにその場に座り込んでしまった。
全身ふかふかで身長も1メートルよりちいさいくらいに見えるから、きぐるみには見えない。でも、人間にも見えない。
本当に二足歩行のしゃべるうさぎ、としか言えない見た目だった。
ボクはこのうさぎに強く興味を持った。
「きみはなんなの? うさぎなのになんでしゃべれるの?」
『さあ、わたしはなんなのでしょう』
「なにがいそがしかったの?」
『さあ、なにがいそがしかったんでしょうか』
まったく話にならなかった。
困ったボクはふと、まわりを見回した。
そこでやっと気付いた。
人が――ううん。すべてのものが動いてなかった。
歩く大人も、道路を走る車も、空を飛ぶ鳥さえも空中で止まっている。
「え? 時間が止まってる……?」
ありえないことを言ってるようで、ボクはちょっと恥ずかしくなった。
でも、うさぎは目を大きく開いて手をぱちんと強く打った。
『そうです、それです! 時間が止まっています!』
うさぎは慌てて立ち上がろうとしたけど、失敗して強く尻もちをついた。
『ダメです。わたしつかれました』
すごく落ち込むうさぎを見て、なぜかボクは思った。
「ねえうさぎさん。ボクが運んであげようか?」
『え、いいんですか?』
「うん、なんか可哀そうだから」
なんでそうしようと思ったのか分からないんだけど、うさぎを動かしてあげなきゃいけない気がして。
ボクはうさぎに背を向けてしゃがんだ。
「おんぶしてあげる」
『いいんですか。わたし結構重いですよ?』
「大丈夫大丈夫」
『よいしょ』と言ってボクにおぶさるうさぎ。
「確かに重いね」
『そうなんです。わたし重いんです』
「でも毛がふかふかで気持ちいい」
『そうなんです。わたしふかふかなんです』
ちょっと誇らしそうに言ううさぎが可愛くて。
ボクはちょっと笑ってしまった。
『なんでわらうんです?』
「あはは、ごめん。なんか君と話すのが楽しくて」
『そういえばわたし、だれかと話すのひさしぶりです』
「え、そうなの?」
『はい。ずっといそがしかったので』
「なにして忙しかったの?」
『さあ、なんだったんでしょうか』
自分のことなのに何もわからないうさぎに、ボクはまた笑ってしまう。
そうしたらこんどは、背中の方からもぎこちない笑い声が聞こえてきた。
『ふふふ、話すのはたのしいですね』
「うん。たのしい」
ボクはそうして、ゆっくり歩きだす。
どこへ行っていいのかは分からないから、なんとなく学校の方へ向けて。
「ねえ、うさぎさん? 名前ってあるの?」
『さあ、あったような、ないような』
「好きな食べ物はなに?」
『なにって、わたしはうさぎですよ?』
「じゃあ人参?」
『いいえ、やさいは苦手です』
「え、じゃあお肉食べるの?」
『おにくなんて! わたしはうさぎですよ?』
「……じゃあ何を食べてるのさ」
『さあ、なにをたべてたんでしょう?』
「知らないよ」
なんて、相変わらずかみ合わない会話を楽しみながら。
ゆっくり歩いてたら、気付いた。
周りの人たちや、車や、鳥たちもゆっくりゆっくり動き始めいていた。
うさぎも気付いたみたいで、ボクにむかって言った。
『おや、時間うごきましたね』
「本当だね。もしかしてきみの仕事って――」
『なんですか、わかったんですか?』
ボクはひとつの思い付きを口に出す。
「時間を運ぶことなんじゃ?」
それに対して、うさぎは驚いたようにひとこと。
『え。そんな仕事あるんですか?』
「……知らないよ」
絶対これだと思ったのに。
童話のような話をしてしまったことに恥ずかしくなったボクは、また無言でゆっくり歩く。
世界もゆっくり流れる。
風もゆっくりだから、すごい体温が高いうさぎを背負うボクを、とても優しく撫でていく。
ゆっくり変わった赤信号で立ち止まると、世界もまた止まった。
ボクは勇気を出してもう一度言った。
「やっぱりキミの仕事って時間を運ぶことなんじゃ?」
『そうです、それです。わたしは時間をはこぶうさぎです』
「じゃあなんでさっき否定したのさ」
『ひていなんてしましたか?』
「――してないかも」
うさぎはここで困ったように口を開いた。
『あの、ひとついいですか』
「なに?」
『時間がとまってるんだから、あなたがうごかないと困ったことになります』
「うん。でもいま赤信号だから」
『時間止まってるんですよ?』
「うん。だから青になったらまた動くよ」
『時間とまってるから、信号かわりませんよ』
うん。そりゃそうだ。
ボクは信号の為にその場をぐるぐるゆっくりと歩く。
そうするとまた世界もゆっくり動き出す。
「ねえうさぎさん。そろそろ歩けるんじゃない?」
『そうですねえ。あるけますねえ』
「ボク学校行かなきゃだから、自分で歩かない?」
『でもねえ、わたし、もうつかれちゃったんですよ』
ボクも疲れてきたんだけど――とはなんとなく言えなくて。
仕方ないから学校までゆっくり歩く。
ときどきうさぎと話しながらゆっくり。
そうしたら、走ってるように見えた大人のひとたちも、なんだか穏やかそうに見えて。
車もゆっくり、遠くに見える電車もゆっくり。
飛行機もゆっくり飛んでて。
世界が優しくなったように見えた。
「ねえ、うさぎさん。学校ついたんだけど」
学校はそんなに遠くないから、ゆっくり歩いてもすぐについた。
『がっこうですか。なにをするところですか?』
「勉強するところかな」
『べんきょうってなんですか? なんでそんなことするんですか?』
「えーっと、えらい大人になるためかなあ?」
『えらいおとなってなんですか?』
「うーん、わかんないけどきみは大人じゃないの?」
『そうです。わたしおとなです』
ふっと、背中が軽くなった。
気付けばうさぎは背中から消えていた。
ボクの頭にうさぎの声が響く。
『思いだしました。わたしおとななので、はたらかなくちゃいけません』
ボクは空に向けて、小さく声をかける。
「ねえ、なんで忙しくしてたの?」
『この街のひとたちは、とても急いで生きているので、そのぶん早く時間をはこばなくてはいけなくて』
「人間が急いでなければ、キミもゆっくりできるの?」
『はい。たぶんそうです。昔に比べたら人間のみなさん、急がれるようになりました』
ボクはなんとなく申し訳なくなって言った。
「たまにはゆっくりしてみたら?」
『そうですねえ。こんかい時間をとめちゃった失敗でかみさまにおこられなければ』
ボクが引き留めたのが悪いんだ。
そう思って何気なくこの言葉を、ボクは言った。
「失敗なんて誰にでもあるんだから、気にしちゃダメだよ」
『でもわたし、ころんで時間とめたり、たくさんしっぱいするのです』
「そしたらボクが助けてあげるから、また声をかけてよ」
ふふっ、と誰かが嬉しそうに笑った気がした。
『そうです、それです。しっぱいなんて誰にでもあるし、誰かに助けてもらっていいのです』
「――え?」
『助けられたら、こうやって誰かを助けてあげてください』
優しい声に、返す言葉が出なかった。
『わたしの名前は“いなば”。あんまり暗い顔をしてると、また背中におぶさりに行きますよ』
ひときわ大きな風が吹いた。
冬なのに風はとても暖かく、優しく感じた。
その風は、忙しい“いなば”からの、弱いボクへの応援の贈り物のように感じたのだった。
――了。
お読みいただいて、ありがとうございます。
「おくりもの」、ちょっと強引だったでしょうか。