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『悪のモブ騎士かく語りき』【一】

更新が遅くなってしまいすみませんでした。


何せ職業軍人というのは国内一の無駄飯食らい共だ。

農民は作物を作るし、職人は製品を生み出す。商人だってちゃんと経済を回すのに貢献している。

しかし俺たち軍人は何も作らなければ何も生み出さない。強いてあげるなら、うわばみが多いせいで酒を買う量こそ多いものの、それだって胸を張って経済活動に貢献しているとは言い難い。

シスタニ王国が豊かだからこそ、働き盛りの男共が三千人も日夜無駄飯を食らうことが許されている相当に贅沢な集団。

それが俺――ジョン・モーブレイの所属する近衛騎士団であった。






「よぉ、グレン。また殴られたのか?」

ベッドに寝ころんでまさに惰眠をむさぼらんとしていた俺は、扉が開く音に反応するように上体を起こし、割り当てられた寄宿部屋へと帰ってきたグレンヴィル・トリスタンにそう声をかけた。

「…………」

返事はなし、か。

殴られた頬もそのままに、こいつは無言のままだ。きれいな顔も台無しだな。

しかしそれももう慣れたことか。

「まぁ俺たちにとったら譴責なんか珍しくもない、か。もっとも――」

俺は再び上体を倒しベッドへと寝転ぶと、

「俺とお前じゃ譴責理由は全然違うがな。ははっ」

と、カラ笑いをする。

我ながら面白くもなんともない発言だ。

グレンも辛気臭い表情のままだしな。

「――お前はこれでいいのか?」

とは、グレン。相変わらず唐突な奴だ。

俺は両腕を枕のように組み直し、視線だけをグレンに向け、

「ああ?」

と生返事をする。

「わかっているだろう。近衛の現状のことだ」

――近衛の現状、ねぇ。

こいつが今日、譴責と称して上官様に殴られたのは、新しい女王さんの警備に異議を唱えたからだ。

こいつ曰く、「六頭立ての馬車は従来通り二両用意すべき」と。

いかにもこいつらしい提言だ。

国王のみに乗ることが許される、六頭の馬が曳く馬車。

国王が移動する際にはこの馬車が用いられ、しかも二両同時運用が基本とされている。

一両目を正、そして二両目を副として、一両目に何か不具合があっても直ちに二両目に乗り換えて移動を継続できるようにする、というわけだ。

しかし今回、近衛の偉いさんたちは「王都内の移動に過ぎず、まして向かう先はカベル伯の屋敷であるので格式にとらわれる必要もない。よって一両で十分」と判断したのだが、それにこいつが噛みついた。

しかも現状では王位継承権第一位の王弟さんを伴っての移動だというのに、偉いさんは護衛も三人しか出さないと言うのだから、こいつでなくとも疑問に思うのは最もだ。

はっきり言って、近衛は王家を本気で守る気があるのか? と誰もが思うことだろう。

でもまぁ、新しい女王さんが前の内務卿を解任したのをきっかけに、宮中の貴族と絶賛喧嘩中なのは宮中にいれば嫌でも耳に入ってくる話だ。しかも近衛の上層部がこともあろうにその貴族と結びついているのだから、宮中にいる人間からすれば至極当然の編成にすら思えてくる。

しかし当たり前と言えば当たり前だが、近衛とは言え所詮は下っ端にすぎない俺にとっては、どうしようもないゴシップ記事みたいな話だ。

感想はあっても直接何かができることがあるわけじゃない。

だから近衛の現状については、

「いいも何も、そうなんだから仕方がないだろ。ま、末端に過ぎない俺には関係ない話だ」

というのが、俺の素直な思いだった。

グレンは案の定と言うか、そんな俺の発言を聞き、渋い表情こそ浮かべたが、結局は何も言わなかった。

まぁ、俺には王家に対する忠誠心など全く無いことはこいつも承知している。

こいつも最初からまともな答えなんか期待していなかったに違いない。

まぁ単に語尾が疑問形なだけの、ある種独り言みたいなもんだ。

だから俺も最近思っていることをなんとなくつぶやいてみる。

「――そろそろ無駄飯を食うのにも飽きてきたな」

我ながら本当に益体もないつぶやきだ。

「故郷に帰りたいもんだ――そう思わないか?」

俺のこのつぶやきも誰からの返事も期待なんかしちゃいない。

そう、単に語尾が疑問形なだけの独り言。

グレンの方を見るのをやめた俺は、静かに目を瞑る。

まぶたの裏に浮かぶのは、青々とした草原とそれを囲む山々。

決して豊かな土地ではなかったが、懐かしい場所だ。

その場所で馬に乗り、自由に野山を駆け巡っては狩りをしていた子供の時分を思い出しながら――。

――ああ、グレンが何か言っているな。

だが今はいい。あとで聞く。

微睡みの舟を漕ぎ始めた俺は、少しずつ深い眠りへと落ちていく。

なんとなくだがいい夢が見れそうな気がする――。






そうして眠りの大海へと至った俺が次に気づいた場所は、見覚えのある草原だった。しかも馬にまで乗っている。

――ああ、これは夢か。

懐かしい場所だ。子供の頃。ただ意味もなく馬で駆けるだけで楽しかった草原。久しく帰っていない故郷の草原だ。

そして俺が跨がっているのも懐かしい馬。

「――フェルガナ」

俺は自らがまたがる馬にそう名前を呼びかけ、美しい鬣なでる。

今はもう死んでしまったが、実によく走る馬だった。

日に千里を走るというふれこみもあながち嘘ではないと思えるほどよく走った。

しかもフェルガナの鬣をなでる手を見れば、自らのその手も、未だ幼さを残している。

そしてもう一方の手を見れば弓が握られており、眼前には鹿が見えた。

「兄上! 鹿が向きを変えます!」

ふと、後方から弟であるバートの声が聞こえる。

「お、おう!」

――ああ、やっぱり夢だ。

俺はバートの呼びかけに応じると同時にそう確信した。

――ははっ。いい夢じゃないか!

そう思った俺はフェルガナの速度を上げ、弓を左手に持ち替え、前を走る鹿に狙いを定める。

瞬間、

「兄上! また鹿が!」

と、後ろを馬で追ってくるバートの声が響いた。

「まかせろ!」

俺は弓を今度は右に持ち替える。フェルガナの向きは変えず、そのまま走らす。

通常弓は左で持ち、右で矢をつがえるのだが、俺は左右両方の手で弓を引くことができた。

子供の頃にこれができたのは俺だけであったし、今までの人生の中でもこれが出来たのは弟のバートを除いては他に見たことがない。割と自慢の特技だ。

だから俺は鹿の向きに合わせてフェルガナの向きを変えずにそのまま狙いをつけ、

「ふうっ」

と息を止め、矢を放った。

「よしっ!」

放った矢が鹿の頭を射抜き、俺は馬上にて弓を掲げる。

「さすがは兄上!」

フェルガナの速度を緩めた俺に、バートがそう言って馬に乗ったままやって来た。

――懐かしい、しかしまだ幼い弟の顔だ。

バートもあと二年もすればこれができるようになる。

だから今は練習しろ。

できるようになった瞬間のバートの嬉しそうな顔が脳裏に思い出され、俺はこう口にする。

「お前もそのうちできるようになる。だから次はお前が――」

――げっ……そう言えばここで……。

俺が“やってみろ”と続ける前に嫌な記憶が――しかしこの時はとても誇らしく思えたそれが突然。本当に突然。まるで山の落雷のようによみがえってきた。

「その方、まことに見事!」

――やっぱり来たか……。

黒い馬に乗り、近衛の甲冑を身にまとった大男が俺たち兄弟の傍へとやって来る。

「陛下がその方らをお呼びである!」

大男がそう言うと、

「兄上……」

と、バートは不安そうな、しかしどこか期待も入ったような視線を俺に向けたきた。

――そう、俺はこの先を知っている。

俺が両手で弓を引けることを知った、そしてバートもまだまだ未熟とは言えそれができるようになりつつあると知った王――先王は俺たち兄弟を近衛へと引き抜くのだ――。

はっきり言って、先王お得意の気まぐれ。

これから先も俺たち兄弟の人生はこの“気まぐれ”によって振り回されることになるのだが、この頃はまだ何も知らなかった。

知らないということはある意味幸福になるための条件なのかもしれない。

おかげで“夢の中の俺”は、あの時と違ってちっとも幸せなんか感じちゃいない。

夢の中だからなのか、さっきまでは確かに俺の自由意志によって動かせていた身体と口が思ったように動かせず、まるで勝手に進む絵巻物を見せられているこの状況に辟易すらしている。

しかしまぁ、たまたま居合わせた王に自らの能力が認められ出世の道を進む――。

なんとも、いかにもな立志伝か。

将来俺が偉くでもなれば、伝記にでも書かれそうなシーンだ。

だからその時はこの状況に酔いしれていた。

俺たち兄弟の父も役人をしていたが、所詮は地方の一役人。

俺も父の跡を継ぎ、この地方の小役人として一生を終える。

そんな未来がここに来て一挙に激変したのだ。

普通に生きていれば、俺たちのような地方役人の子弟が近衛に入れるなどと言うことはまずあり得ることではない。

何せ王族の近くに侍り、王族を守護するのだ。

魔力を有していることは当然。そして並み以上の力量を持っていることも当然。

それに加えて、それなり以上の家柄でなければならない。

というのも王族の傍に侍る以上は、宮中での作法も身に着けていなければならないからだ。

すなわちそれなり以上の家に生まれていれば、幼少期から家でその教育を行ってくれるため、その分の手間を他に回すことができるという寸法だ。

そんなエリート中のエリート集団とも言える近衛に俺とバートが入れる。

それを聞いた瞬間の俺たちは狂喜乱舞し、文字通り踊りだしそうになったものさ。

まぁ、その誇らしさ“だけ”は今も忘れていないし、たぶん今後も忘れることはないだろう。

――ま、その後幻滅するんだがな、ふんっ。

俺は心の中でシニカルな笑みを漏らす。

人生という物語は絶頂では終わってくれないものだ。

嫌でも続きを見せられる。

しかも絶頂の後に待っているのはたいてい下り坂に決まっているのだから、実に嫌になる。






そんな辟易するようなことを考えていたら、次の瞬間にはまた場面が変わっていた。

古い石造りの砦だ。

俺は砦をぐるりと囲んだ高い石壁の門の上にいて、眼前には森と砦に沿って流れる川とが見える。

「――ジョン――おいジョン! 聞いているのか!?」

そう言って俺の肩を掴んでいたのはグレンだった。

ただし今よりも前の、だ。

――おいおいおい、よりにもよってこの場面かよ……。

俺は内心ため息をつく。

できれば夢の中でも二度と体験したくもない。

そんな場面だ。

「聞いているさ。ああ、聞いている」

と、俺が適当に返事をすると、呆れたような表情をされる。

そんなグレンの表情を見た俺は思わずこう言った。

「そう言えば――お前は昔から真面目だったよな」

「……どうしたんだ、急に? 少し気味が悪いぞ……」

と、グレンは、今度は怪訝そうな表情を浮かべる。

そう、こいつは昔から真面目だった。

おそらく頭に“バカ”が付くくらいの。

「ところでお前。なぜ残った?」

俺はそう疑問を口にする。

当時から今までずっと思っていた疑問だ。

だが、おそらくその答えを俺は知っている。

それは当時から知っていたことだし、今も俺の中にあるその答えが間違っているとは思わない。

そう、ただなんとなく聞いてみたくなっただけだ。

本当に理由も何もなく、ただ聞いてみたくなったのだ。

だから、

「愚問だな」

とグレンが言って、奴が次の言葉を紡ぐのを待つまでもなくも、俺にはその先は十分予想できていた。

答えの予想できる質問ほど無意味なものはない。

俺は自らがあまりに無意味な問いかけをしてしまった自らに閉口した。

そしてグレンが紡いだその答えは――。

「それは私が近衛だからだ。他に理由などない」

ああ、俺の思った通りであった。

だから俺はなんてつまらないことを聞いてしまったんだという恥ずかしさからか、

「そうかいそうかい。お前が言う近衛ってやつは、大層真面目な御仁か、よほどのバカらしい。好き好んでこんな死地に残ろうとするんだからな」

と、皮肉混じりの軽口を叩いてしまう。

これは昔から治らない俺の悪い癖だ。

つまらぬところで露悪的になってしまう。

そしてそんな俺の軽口を聞き、苦悶の表情を浮かべ始めたグレンを見て俺は後悔した。

だからだろう。

「安心しろ。お前は前者で俺は後者だ。しかもお前の場合は頭に“大バカ”が。俺の頭には“大”が付く。つまりお前が大バカ真面目で、俺が大バカだ。要するに大バカ二人だな」

と俺は笑いながら続けた。

グレンも一瞬ぽかんとした表情を浮かべた後、

「……まったく、またお前は」

と、苦笑を浮かべ、気まずい空気は霧散する。

だから、

――ま、ほとんどの近衛はバカよりひどいクズだがな。今も昔も。

という言葉は飲み込むことにした。

いくら露悪趣味の俺であっても、これ以上グレンに八つ当たりしても仕方がないという分別くらいはつく。

だがまぁ、この頃から俺が、近衛という組織にひどく幻滅を覚えていたというのは事実だ。

まぁ近衛なんていうのはそもそもが大したところじゃない。

国王に近づく機会の多い近衛の上層部は名門貴族に近い家の子弟で固められ、その能力すら怪しいにも関わらず、ただ国王と名門貴族とのパイプ役を担っているだけだ。

はっきり言って、近衛などと言っても、その実態は名門貴族のためにロビー活動を行うロビイストの集まりに過ぎない。

だからまぁ、名門貴族様の後ろ盾も何もない所詮は地方役人の子弟に過ぎない俺たち兄弟が最初から異端として扱われ、こうして捨て石として使われていることに、腹は立つが、違和感は無い。

しかしグレンは違う。

とある領地貴族の親戚筋に連なる身分だ。

まぁもっとも、こいつはこいつで変わった奴だから、コネでの入隊を断り、国軍から叩き上げて近衛の椅子を勝ち取った。まぁ要するに実力で近衛に入る道を選び、しかも何のコネも無い俺たちと親しくしようとするばかりか、こうして捨て石になろうって言うのだから、まぁ普通に見てもかなり変な奴だ。

俺はそんな変な奴を見て、

「もう一度だけ確認するが、やっぱりお前は残るのか?」

と聞く。

すると、

「先程、愚問だ、と言ったであろう」

と、グレンは俺の目を見て強く返してきた。

ああ、お前はそういう奴だ。

さっきはつまらないことを聞いてしまったと思ったが、改めてこう、お前の口から直接答えを聞けたのはよかったのかもな。

――俺も安心して決断できる。

「敵はおよそ三百。俺たちは三人。しかも俺たちのうち一人は国王へーかを護って負傷中ときた」

そう言って俺は改めて今の状況を確認する。

この日、国王の行幸に従い、俺たち近衛は王領のいくつかを巡ることになっていた。

まぁ、はっきり言って先王の時代は酷かった。金で官職を売り買いする売官が横行し、官職を買う為に税率を引き上げるというようなことが王領各地で起こっていた。

そしてそうなると、重税に耐えかねた者達が元々居たならず者達と結びつき、野盗まがいのことをし始める。

そんな急速に治安が悪化していた状況を、近衛の偉いさんは見誤る。

「栄光ある王領内であるので、護衛は三百で十分」と言って物見遊山気分で出かけた結果が、国王が暴漢に襲われ、そして率いた近衛と同数の野盗に遭う、というものだった。

近衛の偉いさん達は自分たちの親族である宮中貴族が国王と一緒になってやらかしてきたことの影響をもっと重く見るべきだったのだ。

そのツケが、国王を庇って脇腹を負傷したバートに、そして野盗から逃れる為に捨て石にされた俺たちに回ってきたのだからたまらない。

「頼れる壁があるだけまだマシだな、グレン。お前もそう思うだろ?」

そう言って俺は、あちこち崩れかけの石壁を軽くコツコツと叩く。

まぁ皮肉の一つくらいは許されるだろう。

何せ“近衛のプライド”とやらの為に捨て石にされたのだ。

「近衛がたかが野盗の為に何もせずに逃げ帰ったなどあってはならぬ。まして相手は同数だ!」とは偉いさんのありがたいお言葉。

しかもまぁ自分たちは、“国王陛下をお護りした後、援軍を率い、確実に賊を仕留めんが為に一時撤退する”という言い訳と共に退却しやがったんだから本当に涙が出る話だ。

一応腐っても近衛は近衛。同数の野盗崩れに同数で負けることはないだろう。

だが、無傷で勝てるかと言われれば、その答えはノーだ。

何人かは死ぬだろうし、何十人かは重症を負うだろう。

さて、問題はここだ。

その何人か、あるいは何十人かに誰が入るか、だ。

はっきり言って戦ってみなければわからない。誰が死に、誰が重症を負うのか。

そんなものは結局運だ。

しかも誰もそうなりたくはないとくれば、戦わず逃げるのが一番だ。

そうすれば死ぬこともなければ、怪我をすることすらないのだから。

「でだ。ジョン、どうする?」

とはグレン。

野盗との遭遇から数刻。

全軍で砦に逃げ込み、そこからさらに国王御一行が引上げ、今やこの砦も無人に近いことは相手にも勘付かれているだろう。

ならば。

「グレンさんよぉ、俺たちも逃げるっていうのはどうだ?」

「バカを言うな、まだ陛下が安全なところに到達する時間ではない。それにバートはどうする? あの傷では動けんぞ」

そりゃそうだ。

逃げた他の奴らは、ここに少数でも人がいることを敵に示し、近衛相手に攻めるのを躊躇わせることで時間を稼ぎ逃げ切ろうとしている。

実態はともかく、何も知らなければ近衛というネームバリューは攻撃を躊躇させるのには役に立つ。

何せこっちは奴らには使えない魔力を持っているのだ。

「ま、そうだな。逃げるのはダメだ。国王へーか御一行様はともかく、バートは置いていけん」

「ならばどうする?」

「そうだなぁ――お前一人で奴ら百五十。俺がその半分の同じく百五十を相手にするっていうどうだ?」

「いいだろう――と言いたいところだが無理だな。いくら野盗とは言え、その数を一人で相手に出来るとは思えない」

ああ、妥当な判断だ。いくら魔力持ちでも、それだけの人数を一度に相手することはできない。

そう言う意味でこいつは頼りになる。

戦場に於いて自らの力量を知り、出来ることと出来ないことを見分けることはかなり重要だ。

希望的観測からは最悪の結果しか産まれない。

だが――。

時に希望的観測が必要になるときもある。

それが今、だ。

だから俺は笑顔でこう言った。

「ならばお前が三百人を相手してみるっていうのはどうだ?」

それを聞いてグレンが気色ばむ。

「おい! 聞いていなかったの――いや、どういうことだ?」

おうおう、いい顔だ。

まるで訓練の時みたいじゃないか。

初めての模擬戦を思い出すな。

俺とバートにグレン。

はぐれ物三人でエリート様をコテンパンに伸してやった試合だ。

悪くない。

“訓練は本番のように。本番は訓練のように”、ってな。

「なぁに、簡単だ。俺はこれからあの川へ“釣り”に行く」

そう言って俺は砦から見える川を指差す。

「その間お前には三百人の相手をしてもらう。何分保たせられる? 正直に言えよ」

グレンは俺が指差した川を見ながら、

「そうだな――五分……いや、十分保たせよう。それで充分か?」

と答えた。

本当に頼れる男だ。

“釣りに行く”の一言で作戦の全容を理解しやがった。

ここで死なすには惜しい男だな。

近衛の偉いさんは、領地貴族の縁戚でもコネで入らなかった変わり種。しかもその領地貴族はグレン以外にも近衛への伝手を持っているのだから、ここでこいつが死んでも勲章の一つでもくれてやれば丸く収まるだろうと思ってその志願を強く止めなかったようだが、俺ならこんなところには絶対に残さない。

「なぁ、グレン。お前がここで生き残れば近衛騎士団長になれるぞ。俺が保証してやる」

俺が笑いながらそう言うと、

「お前の保証はあてにならんからな。だが――私が団長になったら、お前にも副団長になってもらうからな」

とグレンも笑いながら返してきた。

「ハハハ、そりゃあいい。なら、この戦が終わったらお前の騎士団長就任と、俺の副団長就任の前祝いといこうじゃないか。酒なら持ってきた特上のがある」

そう言って俺は腰に下げた竹筒を小突いた。

「お、おい! 任務に酒なんか持ってきたのか!?」

「おいおい勘違いするなよ。これはまだ水だ。この戦が終わったら酒に変わる魔法の、な」

俺がそう言うとグレンは呆れたように、

「まったく、お前という奴は……。それに私は酒が飲めんのだぞ」

と言った。

「まぁまぁ、今日は特別ってやつだ。そう固いこと言うなって」

そう言うと俺はひょいっと腰を上げ、“釣り”に向かう準備をする。

“釣り”の後は“水泳”だ。

今から身体をほぐしておこうかと両手を上げて伸ばしながら下の門へと向かう。

釣り道具はまぁ――その辺の枝でも使うか。

どうせ魚を釣るわけじゃない。

もっと大物を“釣り上げる”のだ。

餌も“最上級のもの”を用意したしな。

そう思いながら俺は門を出る。

「合図は例のでいいか?」

門の上にいるグレンが身を乗り出してそう言ったので、俺は手をひらひらと振る。

そうだ、それでいい。

これは訓練みたいなもんだ。だから合図も訓練と同じでいい。

――なぁに、現実では成功したんだ。夢の中でも成功するさ。

俺はそう自分に言い聞かせながら、散歩でもするようなゆったりとした足取りで歩き出す。



「さて、砦は遠くなりにき、ってか」

門を出てそのまま砦に沿って流れる川を上った俺は、ぎりぎり砦の見えるくらいのところに位置する堰のところまで来ていた。

手には来る途中に手折りし枝で作った釣り竿――もとい弓がある。

両端に糸を張っただけの、子供のおもちゃ程度のそれでしかないが問題はない。

「おお、おお。グレンも気張ってやがるな」

俺は、グレンの魔力によって立ち昇った赤い焔を遠く眺めながら感嘆の声を上げる。

「あいつ一人で本当に三百を相手できそうだな」

そう呟きはしたが、まぁまだ実際に刃を交える局面には至っていない。

それにグレンの身体を中心として立ち昇る火柱も、所詮は苔脅し。

見た目こそ、さながら天へと聳える真紅の柱のようではあるが、殺傷を目的としたそれではない。

少し魔力に詳しい者の目からすれば、単なる魔力の無駄遣い。まぁ一種のデモンストレーション。魔力に関する知識の持たない農民相手にしか通用しないような、見た目だけのものだ。

しかし今の場面ではそれが正しい。

なぜなら奴の役割は敵の足止め。

敵がアレにビビって突撃を躊躇ってくれているうちに俺は俺の役割を成し遂げるとしよう。

「さてさて」

俺は同じく即席で作った矢、と言っても木の棒の先端に原始時代よろしく石を砕いて尖らせたものを取り付けただけの矢を弓へと番える。

そして魔力を注ぎ込むと、グレンの合図を待った。

「それにしても――」

この合図とも長い付き合いになった。

俺は手首に紐で巻き付けたダイヤモンドを見る。

と言っても、宝飾品ではない。宝石にならぬと弾かれたクズ石だ。

最初はできるか半信半疑だった。

近衛の訓練には個人技はもちろん、集団を率いるものもある。

いざ戦となれば、動員された農民の士官として、彼らを率いることもあるからだ。

そんな訓練で、俺とグレン、そしてバートの元に付けられたのは農村の不良連中。いかにもな愚連隊だった。

他の近衛の連中ならばどう思うか知らないが、俺はついていると思った。

まぁ上の連中は嫌がらせのつもりだったのだろうが、この手の輩は日頃村では爪はじきにされているもんだから手柄に餓えている。

そのくせ素直に言うことを聞こうとしない当たりに多少の面倒もあるのだが、正直俺はこの手の奴らが嫌いじゃなかった。何なら俺もそっち側の人間だ。

だからまぁ何というか、猿山のルール。つまり力のある者に従う奴らの習性通りに俺たちが魔力を使って少しビビらせて序列をはっきりさせた後は、少しばかり手柄を立てさせてやりたいと思った。元なのか今もそうなのか。不良出身の俺としても、ちっとはこいつらの村での待遇をよくしてやりたいと思ったのだ。

この手の農民を動員しての集団訓練はそう何度もできるもんじゃない。

決めるならこの一回。

しかも腕っぷしこそまぁまぁだが、日ごろさぼってやがるから持久力に欠ける奴ら。

そんな奴らを使って勝ちに行くには――。

そこで俺たちが考えたのが、グレン率いる本隊で足止めを行っている間に、俺とバート率いる少数の別動隊で敵後方を突き一気に大将首を目指すという作戦だった。

そのためには、敵全軍が戦闘に入っていてもらわないと困る。

何せ後方から突撃する別動隊は少数だ。敵がすぐに迎撃態勢を整えたら逆にこっちが飲まれちまう。

しかもこっちは伏兵だ。敵が全軍戦闘に入ったのを自分の目で確かめられる距離まで近づけば意味が無い。

そこで考えたのがこの合図だった。

風の魔力持ちでもいれば声を風に乗せて届けることもできたんだろうが、あいにくグレンは火。俺とバートは水。

だから俺たちは発光式の通信方法を考えた。

点滅三回の後、長い発光一回。そしてまた点滅三回で決行。

点滅二回の後、長い発光一回。そしてまた点滅二回で撤退。

長い発光一回のみを二度繰り返すことで見捨てろ。

それなりに長い距離、魔力を飛ばすので、この発光信号を送っている間は何もできないという欠点こそあるものの、けっこううまくいった。

ただまぁ、その時に使ったのは水晶だったので、一回魔力を送っただけで壊れちまったので、以降はクズダイヤを使うことにしたのだが、そろそろこちらも寿命のようだ。

俺は傷だらけになったダイヤを見る。

――たしかこれが壊れたのは。

俺がそう思っていると、点滅三回の後、長い発光一回、そしてまた点滅三回。

その後の、

「ちっ!」

破裂音。

「ああ、そうだな。壊れたのはこのときだったな」

砕けたダイヤの破片が顔に傷を作る。浅いそれだ。問題はない。

俺は矢の先端に魔力を集める。

黒い石でできた矢じりに大気中の水がまとわり始める。

引き絞り張り詰めた弓弦。

呼吸を止め、狙いを定める。

手を離すと同時に、弓弦の風を切る音が聞こえる。

矢が走りだす。

いびつな形ながらもそれは一直線に的へと向かい。

ふと、遠くで鳶の鳴く声が聞こえた。

盂方なれば水方に、盂圜なれば水圜なり。

いつかどこかで聞いた言葉だ。

盂とは水を入れる器のことである。

その盂が方、すなわち四角ならば水も器に合わせて方に。

盂が圜、すなわち円ければ水もまた円形になる。

ならば盂が割れれば、水はどうなるのであろうか。

その答えはじきに見られるであろう。

矢が堰へと刺さり、ひびを作る。

それが千丈の一穴となり、堰によってその流れを押し止められていた水が徐々に。

そして一挙に溢れ出す。

勢いよく流れる水は最早方でも円でもない。

ただ全てを押し流さんとする奔流。

しかし一見無秩序に思えるその流れも、向かう先は同じく下流である。

その途上にある全てを飲み込みながら、水は流れ出したのだ。

当然、グレンという餌に食いついた野盗の群れももうじき飲み込み、さらに下流へとその流れを加速させることだろう。

それを押し止める術はもうない。

同時に俺の頭の中にも記憶の波が寄せてくる。

流れにその大部分が飲み込まれたことによって敵が引き、静かになった砦でグレンがぶっ倒れている。

俺が無理やり酒を飲ませたからだ。

それを見て慌てるバート。

そんな二人の様子を見て笑う俺。

誰にも認められることの無い手柄ではあったが、間違いなく勝ち戦。

――ああ、なんだ。やっぱりいい夢だったじゃねぇか。

少しづつ眠りが浅くなり始めた。

せっかくの月夜がかすみ出してくる。

もう少しこの場面が続けば――。

俺はそう願いながらも、それが叶わないだろうことを理解していた。

ああ、もうすぐだ。

もうすぐ目が覚め、再び現実に戻ってくる。

そのはずだった――。

いつもより少し気分がいい目覚め。

しかしそのあとはその分だけ不快感がまとわりつく目覚め。

そんな目覚めが訪れるはずだった――。

どうでもいいんですけど、この乙女ゲームはグラント大統領がいる(あるいはいた)世界ですね、たぶん。

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