後編 -父親としての誇り-
――翌日から生徒たちや職員たちに目を凝らして様子を伺っていたが、特に目立った動きは見られなかった。まるで『このまま何もしなければ危害は加えない』と言われているような感じがして、とても気味が悪かった。
あれから公安警察の姿は見かけないし、そろそろ動いた方がいいのかもしれない。数日後に控えている職員会議の時に、ちょっと揺さぶりをかけてみよう。
――数日後、職員会議にて。
「――となっておりますので、ここ最近増加している犯罪にも十分気を配って頂きたいと思います」
と、教頭先生による犯罪に対する注意喚起の後、僕は挙手して切り出した。
「そういえば、最近増加しているという犯罪の中に『裏口入学』の問題がありましたね。近年、この学校でもやり取りがされていたという噂を先日お聞きしたんですが……ありえないですよね? そんなこと」
――――触れてはならない問題だったのかもしれない。『裏口入学』というキーワードを出した瞬間、職員たち全員の表情が固まった。もうすぐ五月に入るというのに、その場はまるで真冬のような空気が漂っていて悪寒が走った。
しかし、この話題が出た瞬間、職員たち全員があのような表情になったということは……やはり"あった"のだ、取り引きが。その固まった表情こそが何よりの答えではないのか。
――さて、この中にいるであろう『闇社会』の手先とやらはどう動くのだろうか? 僕がやっていることは完全にそいつを挑発していることに他ならないだろう。しかし、それでいい。
その沈黙を破るようにして僕は続けた。
「――あっははは、ただの噂ですよ? みなさん、どうしてそんな怖い表情をしてるんです? ほら、スマイルスマイルですよ。ねぇ? 新垣先生」
と、適当に新垣先生に話題を振ってみる。
「――えっ?? あ、あぁ、そうそうっ! みんなスマイルだよーっ! 元気ですかー?! なんちゃってー!」
…………新垣先生のお茶目な性格が幸いして、何とかその場の空気を温めることができた。
――しかし。
何だろうか? どこかから殺気のようなものを感じる。なぜかはわからないが、どうやらさっきの僕の発言のせいで"その人物"を強く刺激してしまったらしい。
いや、寧ろそれでよかったんだろうな…………
――――ガチャリッ。キィイ……………………
あれから数日経ったある日の真夜中のこと、玄関の方から何か物音が聞こえてきた。
…………"そいつ"は慎重に玄関のドアを閉めると、小さな薄明りのペンライトを片手に玄関に上がり込んできた。"そいつ"がまず最初に向かった先はリビングだった。
何かを探しているのか、引き出しを物色し始めた。しかし、お目当ての物がないと分かると場所を移動した。
――次に"そいつ"が向かったのは二階だった。娘の部屋に何か用でもあるというのか。
…………でもすぐに"そいつ"は二階から降りてきた。探し物は見つからなかったのだろう。
――続いて"そいつ"が向かったのは僕の部屋だ。そこならば、"きっと探し物は見つかるだろう"。僕は物陰に身を潜めてその瞬間をじっと待っていた。
――やがて"そいつ"が持っていたペンライトは、僕の机の鍵付きの引き出しへと向けられた。鍵がかかっているとわかったのか、何かガチャガチャし始めた。おそらく鍵穴に何か細工をしてこじ開けようとしているのだろう。
……やがて"そいつ"は鍵の開錠に成功すると、引き出しを開けてお目当ての物を探し当てた――
――パチッ!!
部屋の電気をつけて僕は叫んだ。
「誰だお前はっ!!?」
――刹那、何かが飛んできて僕は膝を抜かして尻餅をついてしまった。壁に刺さったその鋭利な刃物は、丁度僕の喉があった場所に……
もし、あのまま棒立ちしていれば、今頃喉元に刃物が刺さっていたかもしれなかった。
しかし、安堵したのも束の間、今度は何か強い衝撃が横から飛んできて、僕はそのまま地面に倒されてしまった。
振り向きざまに、"そいつ"の顔を見た。しかし、フードを被り、サングラスとマスクをしていたので顔がわからない。分かるとすれば、黒のウインドブレーカーを羽織っていて、ご丁寧にもちゃんと靴を脱いで上がってきていることくらいだった。
"そいつ"は壁からナイフを抜き取ると、僕に馬乗りになって襲い掛かってきた。
振りかざされたそのナイフを刃ごと両手で握りこんで抵抗した。
「ぐっ……! うぅう……っ!!」
握りこんだ所から血が溢れ出てきた。このままでは殺される!
「お……お前の…………目当ての物は…………っ! ここには…………ないっ!!」
僕の喉元へとナイフが迫りつつある中、何とかそれを絞り出して"そいつ"に吐き捨てる。
そう、引き出しの中に入れてあったのは何も書かれてないただのノート。本物は別の場所に隠しておいたのだ。
――しかし、それが反感を買ったのかは分からないが、ナイフを片手に僕の顔面を殴りつけようとしてきた。
「くぅ……っ!! がはっ……!!」
殴られながらも必死にナイフにしがみついて抵抗するが、そろそろ体力の限界が来ていた。
ナイフが喉元に急接近した刹那――
――バリーンッ!!
何かが割れるような音が上から聞こえてきた。
"そいつ"はこれ以上の長居は危険だと判断したのか、僕の顔面をもう一度殴りつけた後、ナイフを持ってその場から逃走した。
「ま……待て…………っ!」
僕も奴を追おうとして玄関から飛び出した。
――しかし、もう奴の姿はどこにも見当たらなかった…………
「くそ……!」
悪態をつきつつ、再び家の中に入ろうとした時、視界の隅に黒い影が映った。
「――ん?」
よく目を凝らしてみると……
「…………よう、無事だったか」
「あんたは…………!」
そこにいたのはライダースーツの男だった。
「アンタも無茶なことをするよなぁ…………俺がここを通りがかってなかったら、死んでたかもしれんぞ?」
「……はっ、よく言うよ。人ん家の窓ガラスを割っておいてね……」
と、僕は二階の娘の部屋、痛々しい姿と化した窓ガラスを指さした。
「まあ怪我の功名とでも思ってくれよ…………おかげで助かっただろう?」
「…………礼は言うよ」
「ふっ……」
男は薄く笑うと、肩かけ鞄の中から紙袋を取り出し、それを手渡してきた。
「……なんだ、これは?」
「…………これをどう使うかはアンタに任せるよ。ただ気をつけな。さっきの野郎、動きに無駄がなかった。くだらん倫理観は棄てておかないと、死ぬぞ?」
――その言葉だけでこの紙袋の中身がどのようなものなのか、ある程度の想像がついた。
僕は恐る恐るその紙袋を手にする。
「あとその手、あまり深く切ってないみたいでよかったじゃないか」
そう言われて自分の手の平を見てみる。確か、刃を直接掴んだのは右手だった。左手はその右手の上から掴んでいたから、怪我はしてなかった。
怪我をした右手も、出血こそしているものの、大した傷ではなさそうだった。
「いいか? 色んな状況を上手く使え。『闇社会』のクズどもは容赦なく、アンタたちを潰しにかかるぞ? 今の世の中ってのはな、警察でさえ役に立たないんだからな。結局、自分の身は自分で守るしかないんだよ」
「――どうしてそこまでしてくれるんだ?」
「――は?」
僕はその率直な疑問をこの公安警察とやらに投げかけてみた。
「所詮あんたたちにとっては、僕らなんてただの民間人にしか過ぎないんだろう? それに、警察は役に立たないと言っておきながら、あんたはその警察の一人として、ちゃんとこうして僕と向き合ってくれてるじゃないか」
そう言うと、ライダースーツの男はしばらく無言になった。
「――この紙袋に入ってる物だって、おそらく普通の人じゃ手に入れられない代物だろう? どうしてそんなものを僕に手渡すんだ……?」
「――立花、だったか。アンタはそこらの大人よりまともな人間のようだ。全員が全員、アンタみたいな奴だったら、『闇社会』のクズどもだってそう簡単に付け入る隙もなかったかもしれん、だがな――」
そう言うと、ライダースーツの男は懐から何かを取り出すと、僕の額にそれを突きつけた。
「――命の危険ってのは、どこにだってあるもんなんだよ……」
――黒光りするそれは、ドラマでよく見る、警察がよく所持している三十八口径の拳銃だった。
それでも僕は、目の前の男から目を逸らさなかった。しばらく緊迫した空気が続いたが、やがて男は拳銃を下げて言った。
「――――迷うなよ、立花。あんたの娘が仲良くしていたとかいうあの池田って女の周囲に、見慣れない連中がうろうろしていたのを見かけた。狙われてるんじゃないのか?」
「なんだって……?!」
「まさか、『日記』のことは話してないだろうに……?」
「当然じゃないか!」
「でも接触はしたんだろ?」
――そう言われて思い出した。始業式の日、池田さんを家に招き入れて話をした。まさか、あの脅迫文が書かれた紙切れを送り付けてきたのも……
そのことを話すと、ライダースーツの男は軽く頷いてこう言った。
「…………とりあえず、アンタは急いで『闇社会』のネズミを探し出せ。おそらくこのエリアに散らばってる連中どもを束ねてるのは、そのネズミだろう」
「分かった、あんたはどうするんだ?」
「…………俺か? 俺はいつでも動けるようにしておくさ。公安も何かと忙しいんでな…………じゃあな、立花。ぬかるなよ……」
そう言うと、ライダースーツの男は立ち去っていった…………
僕は、その男の後ろ姿が見えなくなるまでずっと立ち尽くしていた。なぜかは分からないが、こうやってあの男と会話を交わすのも、これで最後のような気がしたからだ。
――男の姿が完全に見えなくなったのを確認して、僕は家の中に入った。
…………これで計画の第二段階である『陽動』に成功したことになる。
――――翌日、職員室に入るなり、新垣先生が血相を変えて走ってきた。
「た、た、立花せんせーっ?! ど、ど、どど、どうしたのそれっ!!?」
――色んな状況を利用しろ、そう言われて考えた苦肉の策は、右手の指先から腕にかけて包帯でぐるぐる巻きにした後、三角巾を使って首と肘に結んで腕を固定する……といった、とんでもない大怪我をした人を装うことだった。
これでどうなるのか分からなかったため、とりあえず試してみることにしたのだが…………
新垣先生は腫物でも扱うかのように、「わっ?!」と小さく悲鳴を上げるし、
「あら…………可哀そうなお姿になって……」と、看護教諭の浅見先生はさめざめと泣いていた。
予想以上に目立ちすぎてしまったようだ。
笑い飛ばすようにして僕は言う。
「いや……昨日の夜、いきなり暴漢に襲われたんですよ…………!」
「なんですって……?」
と数学の小谷先生は立ち上がり、こちらへやってきて、「それで…………腕を切られたんですか……?」と訊いてきた。
「まぁ…………ナイフでぶっ刺されましてね……その後も執拗に暴力を受けまして……」
「おぉ……なんと痛々しいことでしょうか……っ!」
数学の小谷先生は、その光景が頭に浮かんだのか、ふらりふらりとしながら席に戻っていった。
「っていうか、ナイフ持った相手によく生き残ったね、せんせー!」
と、新垣先生は相変わらず茶化すような言い方をする。
まあ、本当によく生き残れたなと思う。
何せあの襲撃だって、帰り道の途中であのライダースーツの男とすれ違い、『今日あたり、何か動きがあるかもな』って警告されていなければ、ろくに警戒もせず、眠ったまま殺されてた可能性だってあるのだ。
「新垣先生はこんな時でも、茶化すんですね……やはりバカだ、あなたは」と小谷先生。
「うっさいなー! あんたみたいな軟弱野郎なんか、ヤンキーたちにぼこぼこにされちゃえばいいんだー!」と新垣先生。
「残念ですが、こう見えても私は剣道と空手を修めてましてね……? あなたの方こそ、ヤンキーに襲われて泣く羽目になるのではありませんか?」
…………と、聞いていれば聞いているほど、怪我をした僕が何か笑いものにされているような気がしてきた。
「大丈夫だもん、こう見えてもあたしは悪運だけは強いんで! 悪運なら、そこらにいるアホたれよりも恵まれてますよーだ!」
「口が悪いですねぇ新垣先生は。これだから生徒たちになめられるんですよ」
――僕はそっと職員室から出た。それ以上ここにいると、躊躇してしまいそうになるからだ。
この学校はとても暖かい空気に包まれている。だからこそ娘は元気よく学校に通っていたんだ。
まさか、この学校にあんな大きな闇があるだなんて、誰が想像するというのか。
…………娘はこの学校に紛れ込んだ『闇社会』の誰かに殺された。
その"誰か"は次の標的である池田さんを手にかけようとするだろう。それを止めなければ……環希の二の舞になってしまう……!
おそらく事故に見せかけて殺すつもりだろう。それとも、殺人の罪を僕に擦り付けて全てを闇に葬り去るつもりだろうか。
いずれにせよあまり時間は残されていない。それは『闇社会』にとっても同じのはずだ。これ以上『裏口入学』について突っ込まれて表沙汰になれば、警察組織だけじゃなく、他の民間人にもその存在が知れ渡ってしまうことになるからだ。
だからなるべく早い段階で必ずケリをつけようとするだろう。
――その後も、教室にいる間はなるべく池田さんのことを気にかけるようにしていた。さすがに校内で白昼堂々と攻撃されることはないと思うのだが、念には念を入れておかなければならない。
…………自分のことはもうどうだっていい。刺されたらその時は諦めよう、そのつもりだった。
――次の日も、また次の日も、生徒たちや職員たちを監視しつつ、『タケミヤ先生』なる人物を探していた。
――そして数日経ったある日の四時間目のこと。その時間に受け持っていたクラスが、突然自習になったため、僕は暇を持て余していた。
トイレに行って用を足し、廊下に出ると、
「――困りますねぇそれじゃ……」
――すぐ隣の空き教室から、何か話声が聞こえてきた。
……そっと聞き耳を立てつつ、教室の中を覗いてみると、黒スーツの男と女性が話をしているのが見えた。
あの女性は誰だ……? 少なくとも、この学校の職員ではなさそうだ。……ただ……ひょっとしたら。
――あの女性が、例の『タケミヤ先生』なのではないか? そう思って、予め例の紙袋の中から抜いておいたコンクリートマイクを、上着ポケットから取り出し、それを壁に押し当てて会話を盗聴することにした。イヤホンをして音量を調整しつつ、二人の次の会話を待った。
やがて女性は切り出した。
「仕方ないでしょ…………あんたたちに可愛い生徒たちをあげたいのは山々だけど…………あたしらの動きに勘づいた誰かさんが、この計画を潰そうとしてるんだもの……」
「はぁ…………どうにかならないんですか?」
「うーん、あの公安を味方につけてるっぽいからね」
「面倒ですね」
「…………まぁ、いざとなりゃこっちにも考えがあるわ」
「何をするんです?」
「『池田』って生徒を人質にとるわよ」
「誰です、その生徒は」
「あの『環希』ってガキのお友達みたいよ。立花って教師は、その子のことをとっても気にかけてるみたい。だから、そのガキを人質にとって黙らせるわ」
「私たちの存在が公になることはありませんよね……? あなたに任せて大丈夫でしょうか……」
「大丈夫よ。あたし、悪運だったらそこらのアホたれより恵まれてる方だから」
「『悪運』…………是非とも分けてほしいものです。この前、"とある会社"に送っていた部下たちが殺害されてしまいましたから……」
「はぁ? 誰にやられたのよ」
「そりゃ、一般人にですよ。その『立花』って教師と同じように、何の取り柄もないただのOLの小娘にね」
「マジで最悪じゃないの…………そんで? そのOLはどうなったわけ?」
「その会社の屋上から飛び降り自殺を図ったとされてますが…………死体は確認できておりません」
「なーんだ……つまんないわね」
「……とりあえず、今回の件が落ち着いたら、我々もこの地域から引き上げるつもりです。ただ、上の命令は絶対なので、せめてこの取り引きだけは早く成立させておきたいんですよ」
「まぁ、言ってることもわからなくもないけどね」
「ええ、だから早くその『日記』とやらを握りつぶしてください。あれさえ無くなってしまえば、証拠能力は失いますから」
「分かった分かった、近々始末するわよ。『環希』ってガキと同じように、あの二人もね」
「よろしくお願いしますよ……『タケミヤ先生』」
――会話が終わりそうだ。
そう思って急ぎトイレへ身を隠した。
彼らが完全に立ち去った後で、僕もトイレから抜け出し元の教室へ戻った。
――――これでもう迷うことはない。後はくだらない倫理観を棄て去って、あの『ネズミ』とやらを始末しよう。
…………その日の昼休み、"ある人物"が四時間目の授業を受け持っていたかどうか、探りを入れてみると、予想通り『自習』になっていた。僕の考えはおそらく、間違ってはいないだろう。
――そして放課後、"ある人物"の現住所を確認し、僕は先回りをして待ち構えることにした。十四階建ての高層マンションの八階にその人物は住んでいる。
"ある人物"の頭の中は今まさに、僕や池田さんをどうやって始末しようかでいっぱいいっぱいだろう。
暢気に鼻歌を歌いながら"その人物"はやってきた。本当に警戒心はゼロのようだ。いや、ひょっとしたらそれくらい溶け込める人物じゃないと、『闇社会』を渡り歩けないのかもしれない。
――今回はその暢気さが、僕に味方をしてくれているようだ。
…………その人物がドアの鍵穴に鍵を差し込み、その鍵を開けたタイミングで物陰から飛び出し、スタンガンで"その人物"を気絶させた…………
――――1LDKで、内装はそこそこ綺麗だった。
僕は鞄の中から拘束具を取り出し、まずは"その人物"を椅子に座らせ、両手首を後ろ手に回し、座面と背面の間にある隙間を使って、手錠で固定した。
続いて足も同じようにして椅子の脚に足枷を回し、完全に身動きが取れないようにした。
……さて、こちらはいつでも準備オッケーだ。"例の紙袋の中に入っていたものは全て有効活用させてもらう"、ぬかりはない。
…………"その人物"の頬を何度かぶって、無理やり目を覚まさせた。
「…………あれ……? ここ、あたしの部屋……?! えっ?! 何であたし拘束されてんの?! っていうか、何で立花せんせーがここにいんの?! どゆこと?!」
「――――白々しいじゃないか……あんた、自分がどういう立場か分かってて言ってるんだろ?」
「ちょ、何のことかわかんないんですけどーっ! これ、立派な犯罪だよ?! 『監禁罪』っていうんだよ?!」
「知ってるよ、そんなこと」
「だ、だったら……今すぐ拘束を解いてよ! 今解いてくれたら、お姉さん、許してあげちゃうよー?」
「…………何を言うかと思えば。あんた、その拘束を解いた直後、僕を殺すつもりだろう? 環希と同じように……」
「えっ……な、なんのこと……? さっぱりわかんないよ」
「もういいだろう新垣先生。いや、『タケミヤ先生』と呼んだ方がいいのかな?」
「はっ…………?」
『タケミヤ先生』というワードを出した瞬間、新垣先生は――いや、もう『先生』と呼ぶのはやめよう――新垣は表情を強張らせた。
「あんたは気づかなかったかもしれないけどな……僕はあんたたちの会話を盗み聞きしたんだよ。今日の四時間目、あの空き教室でね」
「……さあ? あたしは他の教室で授業を受け持ってたし……」
「――受け持っていたが、『自習』だったんだろ? 他の生徒たちに確認したよ」
「とにかく、何か誤解してるんじゃない? 立花せんせーは、娘さんや奥さんを亡くしてから、どうかしちゃってるんだよ」
「そうかもしれない……でも、どうかしてるのはあんたらの方だろ。『裏口入学』が不正であることくらい、小さな子供でも知ってることだ!」
「わかった! 正直に話すよ! 確かにあの中学校では『裏口入学』の取り引きがあったらしい! でもあたしは何も関係ない! 取り引きなんてものは知らない!!」
――まだしらばっくれるのか。しかし、僕はこの女こそが『タケミヤ先生』であることを知っている。
「『悪運だったらそこらのアホたれより恵まれてる方だ』」
その言葉を告げた瞬間、新垣の目の色が変わった。
「以前、あんたが小谷先生に言ってたセリフだろう? それとまったく同じセリフを、あの『タケミヤ先生』なる人物も言ってたよ。偶然にしては出来すぎじゃないかな?」
「…………」
――女は何も答えなかった。言い返す言葉を探しているのか、それとも……
「ふっ……ふふっ…………」
小さく笑ったかと思うと、
「あっははははは!! あーあっ! ばれちゃったかぁ!」
豪快に笑いだして、こちらを睨みつけた。
「変装すんのってさぁ、ほんと体力使うよねぇ……まぁ、口癖までは隠せなかったかぁ…………」
「お前が…………『タケミヤ』…………!」
「はーい、あたしが『タケミヤ』でーす!! …………ただのコードネームだけどね」
――念願の復讐相手にようやく巡り合えた。この女が……この女が環希を……!
拳を震わせながら、僕は訊いてみた。
「どうして…………環希を"殺した"んだ?」
「――そりゃ決まってんでしょ? 取り引き現場を見られたからよ。それである日の五時間目、あのクラスが移動教室になったタイミングを見計らって、あのガキの荷物を物色したわけ。何せあのガキ、日記をつけてるって話だったからね」
「それで、日記を見たのか」
「いや? それがどこにもなかったのよね。たまたま家に置いてきたのか、どこかに隠してたんじゃないの? 小癪な真似をしてくれたなぁって思ったわ」
「…………それで……あの日……!」
「えぇ、あの日記を奪い取ろうと思って、あの階段近くの物陰に身を潜めてたわ。それで階段を下るタイミングを見計らって、あのガキの背中を押してやったの。そしたらね、もう面白いくらいにぴょんぴょん跳ねながら落ちていったわけよ! 爽快だったわぁ!」
――この女は。環希が階段から転げ落ちる様を笑いながら見ていたと。
「そんでね、あのガキの鞄の中を物色したんだけど、日記がどこにも無くってさぁ……まずったなぁと思った。でもまぁ、取り引きを見られてたのもあるし、そのまま死んでくれた方がこっちとしては助かるし……」
「それで……見殺しにしたのか……!」
「しょうがないじゃん。そもそも、あのガキとあたしの家ってまったく正反対の方角なんだから。事故現場に巡り合うこと自体、なんか不自然じゃない?」
…………今すぐにでもこの女を殺したい衝動を何とか抑えつつ、この女の次の言葉を待ち続けた。
「でも『日記』のことも気がかりだったし、だからあたしの仲間に探りに行かせたわけ。警察の中にもあたしの仲間はいるからね」
…………まさか、事故当日の夕方、家にやってきたあの警察も『闇社会』の連中だったのか?
それでしきりに日記のことを気にしていたわけか。
「まぁそれからあんたの様子を見てたけど、何の動きもなかったし……だから日記には『裏口入学』のことは書かれてないんだなぁって思って、安心しきってたわけよ……それなのにあんたがあの学校にやってきたときは驚いたわ。何のつもりだろうってね」
「それで僕が、池田さんと接触するところを見たのか」
「まあねー。そんで事故現場を見ながら何か話し込んでたから、『あぁ、やっぱり事故について探りに来たんだな』って確信したの」
「…………それでその日の夜、脅迫文を送り付けてきたのか」
「えぇ、このまま様子を見て、何も知らなさそうだったら、このまま無視しとこうって思ってたのにね……職員会議の時にやってくれたわね……あんた」
――あの時の殺気は、この女から発せられたものだったのか。そういう意味では大きな揺さぶりだったわけだ。
「それであの日の夜、僕を襲ったんだな」
「まぁ襲わせたのはもう一人の方だけど」
「……は? もう一人??」
――突然何を言われたのか分からなかった。
「仲間にあんたを襲わせたのよ。とんだ邪魔が入ったけど……」
『もう一人』……? そいつが僕を襲った……?
「それであんたが次に学校に来たときは、つい笑ってしまいそうになったわよ。まさか腕を包帯ぐるぐる巻きにしてやって来るなんてね。どんな冗談かと思ったわ」
…………そりゃそうだろうな。まぁ、その包帯もここに来る前に解いてきたが。
「――いいお芝居になっただろ?」
「えぇ、楽しませてもらったわ」
…………この際だ、この女から色々情報を聞かせてもらおう。
「それで、お前"たち"の目的はいったい何なんだ?」
「目的? あぁ、あたしたちの目的はね、選ばれた子供たちに将来を担わせることよ」
「……は?」
「この『裏口入学』はね、綿密に計画されてるのよ。まず幼稚園から始まり、選ばれた子供たちをとある小学校へ『裏口入学』させて、そこからまた更に選ばれた子供たちをとある中学校へ……」
「まさか……そこからまた選ばれた子供たちをとある高校へ『裏口入学』させるのか……?」
「そうよ」
…………待てよ? そうなった場合、最終的にどこに行き着くんだ?
高校から大学に裏口入学して……大学から…………
「はっ、それで最後はどこかの企業に『裏口就職』でもさせるのか」
馬鹿馬鹿しい、と思いつつそんな言葉を口にしてみたのだが……女はにっこりとほほ笑んで言った。
「まぁ、似たようなものよ。それで約束された将来を手にする代わりに、特別な任務を背負ってもらう、ギブアンドテイクってやつじゃないの。金と権力によって世界は動くものなのよ」
「『闇社会』の連中は全員、そんな馬鹿みたいな計画に加担してるのか」
「いや? だから言ってんでしょ。"あたしたちの目的は"って。他は知らないわよ」
『闇社会』とやらの一部で、このような計画を立てているのだとすれば…………他の連中は一体どのような計画を立てているというのだろう……?
僕はとんでもない闇に足を踏み入れてしまったのではないだろうか? まさかあの『日記』からここまで大ごとになってしまうとは……
「――――さて、喋るだけ喋ったし、そろそろあたしを解放してくれないかしらねぇ?」
「なんだと……?」
「あたしを解放してくれたら、池田って子を助けてあげてもいいわよ?」
女は先ほどと変わらず余裕の表情でそう言った。
「今頃、あたしの仲間がその子を始末しに行ってるかもねぇ」
「――どうせハッタリだろう」
「さぁどうかしら? もし、『あたしが死ねば、その子を殺すよう命じてある』と言ったら?」
「どうやってお前が死んだことが分かるんだ。発信機でもついてるわけじゃあるまいし」
「まあそりゃそうよねー、盗み聞きでもされてない限りは」
――もう十分だろう。もう十分この女に喋らせた。後はこの女の仲間の居場所を吐かせてさっさと殺してしまおうか。
「冥土の土産に聞かせてくれないか……お前の仲間の居場所」
「『冥土の土産』だなんて、まるで死ぬみたいな言い方ね?」
「あぁ、お前を殺した後、僕は自殺するつもりだ」
そう告げると、女は一瞬目を見開き…………口角を釣り上げて笑った。
「ふはは……っ、あははははは……っ!! マジであんたイカれてるわ……まあいいわ、じゃあ一つだけ教えてあげる。あの学校にはね、あたし以外にもう一人紛れ込んでるの。それが誰かまでは言えないけどね? はい、これで満足?」
「あぁ、満足だよ」
「そう、じゃあ…………さっさと殺してくれるかしら? どうせあたしもいずれ消されるでしょうから」
――消される、という言葉を聞いて一瞬躊躇した。そして女は少し寂しそうな目をして言った。
「所詮、人間なんてね…………使うか、使われるかのどっちかなのよ…………あんただっていずれ分かる時が来るわよ……と言っても、もうすぐ死ぬんだっけ……?」
「…………たとえあの世に逝っても、これだけは肝に免じておくといい。…………どのような理由があれ、やっていい事と悪い事があるってね」
「…………ふふっ……あっはははは…………っ!」
……女は楽しそうに笑った。僕は鞄から丈夫なロープを取り出すと、女の首にかけた。
あとは、このロープを力任せに引くだけだ。
「…………これで終わりにしよう…………新垣先生」
……何を思ったか、この女に対して僕が言ったセリフはそんなものだった。
「……………………あぁ…………これが、父親の姿なんだね…………立花せんせー…………」
女はそう言うと、静かに目を閉じた……
――気がつけば、その人はもう動かなくなっていた。
僕は死体を隣にして遺書を書き綴っていた。
全ては日記から始まり、日記で終わる……
娘と妻を失ってからこの瞬間を夢に見たことがあっただろうか。想像もしなかったことだろう。
――天井に吊るしたロープに首を括る直前、僕はこれまでのことを振り返る。長い長い悪夢が今日でやっと終わるのだ……
「長かったな……本当に」
しかし、その前にやるべきことを思い出した。
鞄の中から、通話状態にしたままのスマホを取り出し、近くに置いてあった電子レンジへ放り込んだ。五分に設定しておけば完全に破壊できるだろう。
さて、今のうちにいずれここに来るであろう共犯者にメッセージでもしたためておこう。
『もう一人に告ぐ。お前の探し物はここにはない、安全な場所に隠しておいた。しかし安心しろ、その探し物は決して見つからないようにしてある。誰の目にも触れることはない』と。
――あの日記は、この世には出てはならないものだ。それならば、先にこちらが日記を封印さえしてしまえば、これ以上奴らが日記に拘る必要もなくなるはず。
続いて、ゴム手袋を装着し、電子レンジの中に入れていたスマホを取り出すと、持ってきたハンマーで念入りに叩き壊した。熱で部品がぼろぼろになっていたためか、簡単に破壊することができた。
パーツをバラバラに砕いた後、それをトイレに流した。
――――一息ついてリビングに戻ってきたその時、外からパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。
慌てて窓から外を見てみると、何台ものパトカーが道路沿いに停まっているのが見えた。もうやってきたのか。
……そしてパトカーから少し離れた所に、見覚えのある人物を見つけた。
「――あの男……」
バイクに跨るあのライダースーツの男だった。
その男は、茶色の物を片手にこちらに見えるように掲げていた。
「封筒か……?」
そして、男はそれをしまい込むと、バイクを走らせて街中へと消えていった。
――それを見た瞬間、つい笑みがこぼれた。
これでもう僕の役目は終わりだ。
その後のことは、"誰か"が何とかしてくれるだろう。
娘の仇は取った。
もう十分に生きた。もう疲れた…………
僕は椅子によじ登り、ロープに首を括らせ――
「環希……久子…………お父さん、今からそっちに逝くからな……」
――勢いよく椅子を蹴った…………




