トラブルの後はキス
私たちはそのままクハルの部屋に向かった。
彼が私の腕から手を離したのは部屋に入ってからだった。
それまで一言も口はきかなかった。
ドアを閉めて、手を離す。
一呼吸おいて、彼はその場にしゃがみ込んだ。
私はとにかく驚いて、彼の横にしゃがんで、背中に手を置いた。
すると彼は大きく息を吐いた。
「大声出しちゃったよ。怒鳴っちゃったよー...」
「クハル...」
「彼女、辞めちゃったりしないかな!?」
目を見開いてすがり付くようにこちらを向いてきた彼に笑顔を向けてみせる。
「大丈夫よ。彼女ならきっとすぐ立ち直るわ」
「そうかい?」
「ええ、そうよ。そんなに気に病むことじゃないわ!それに、盗みは良くないものだもの」
「...それはそうだな。でもこれで彼女が辞めてしまったら僕のせいだ。とてもじゃないけど親父に顔向け出来ないよ...」
クハルの悪い癖だ。
一度落ち込むと深く落ち込んでしまう。
「大丈夫、大丈夫だってば」
私の方がかける言葉が無くなってしまう。
「そうかなぁ」
「そうよ」
「ねえリーナ、ちょっと冷たくない?」
ああ、だんだん面倒になってきた。
この人は何故こうなのだろう。早く立ち直って欲しいものだ...
-トン、トン
ドアを叩く音が聞こえ、クハルは渋々「どうぞ」と声を出した。
ドアを開けて入ってきたのはエミルだった。
さっきまであれだけ落ち込んでいたクハルがいきなり身構えた。
そんなに切り替え早いのか、と驚いてしまった。
エミルも怯えながら入ってきていたので、身構えたクハルを見てたじろいだ。
それからしばらく見つめ合いの沈黙が続いた。
誰もこの事件後すぐ顔を合わせるとは思っていなかったからだ。
沈黙を破ったのはクハルだった。
「...何の用だい?」
エミルは慌ててポケットから1通の手紙を取り出してクハルに差し出した。
「坊ちゃま宛のお手紙です」
エミルの声は震えていた。
クハルは立ち上がり、手紙を受け取った。
「...ありがとう」
「失礼します!」
手紙を渡すやいなや、エミルはそそくさと部屋を出ていった。
クハルはもう落ち込んでいるようには見えなかったが、まだ完全に立ち直ったとは言えない程に目に輝きが戻っていなかった。
「ねえ、その手紙誰から?」
私が声をかけると彼は封筒をひっくり返して裏を見た。
「...!お父様だ!」
彼の表情は途端に明るくなった。
彼は父親のことが誰よりも好きで、尊敬もしている。
彼の父親、セント・トルーマンは実業家で、色々な街や国を飛び回っている。
その功績が新聞に取り上げられたこともあった。
今は海を越えた場所にいて、かれこれ1年近く帰ってきていない。
私も雇ってもらう時と勤め始めた時に2度会ったくらいで、その後それきり会ったことは無い。
けれど私達メイドを雇っている張本人だから、私達のご主人様に当たるという訳だ。
そろそろ顔も忘れてしまいそうなレベルだ。
クハルは封筒をあけ、中から手紙を出した。
手紙は1枚だけだった。
クハルは静かに読み進める。
読み進め、読み終わったのか手紙から顔を上げると、勢いよく私の方を向いて肩をつかんだ。
「えっ!?なになにどうしたの!?」
彼は目を輝かせた。
「父様が帰ってくるって!久しぶりだー!」
もう彼は落ち込んではいないようだ。
それどころかものすごくテンションが上がっている。
「ご主人様はいつごろ帰ってくるとおっしゃっているの?」
私は彼に揺すられながらで、声が揺れた。
「おお!それが、明日の飛行機で帰ってくるらしいんだ!」
彼の手が離れる。
まだ余韻が残ってクラクラする。
彼は自分で散らかした部屋を片付けて始めた。
片付けなのにすごく楽しそうだ。
「お父様が帰ってくる前に部屋を綺麗にしたいからほら、リーナも手伝って!」
「もう、仕方ないなぁ」
彼が手招きする方へ私は歩いていった。
招く手を返して手のひらを上に向けて留めたので私は彼の手に自分の手を重ねた。
すると彼は私の手を握り、引っ張った。
「あっ!」
私は勢いでコケてしまった。
膝から落ちたせいでクハルがすぐ目の前に近づいた。
私はそのまま目を閉じた。
すると彼もそのまま前に出て、唇が柔らかく触れた。
離れて首に何か冷たいものが下がっていることに気がついて胸元に目をやると、ハートのペンダントがかかっていた。
クハルは優しい笑みを浮かべた。
「遅くなってごめんね。お土産なんだけど、やっぱりこれは君に似合うね」
まるで彼にだけ太陽の光が当たっているかのように眩しく見えた。
頬が熱を帯びていくのがわかる。
「そのハートの裏を見てごらん」
私は言われてハートをひっくり返す。
そこには『リーナ』と名前が彫られていた。
私は嬉しくて仕方がなくて、彼に思わず抱きついた。
「ありがとう!ありがとう!クハル大好きよ!」
クハルも私の背に手を回してくれた。
「僕もだよ。愛してる」
私達はもう1度キスをした。