眠れぬ夜は君のせい
学園ラブコメ「Complex」http://novel18.syosetu.com/n7564t/ の外伝SSです。
nanaさま、リクエストありがとうございました~!
会いたい。会いたくない。
会えない。でも会いたい。
振り子のように揺れる思いを抱えたまま、今日も彼女以外の女性を抱いて眠る。
どう足掻いても受け入れてはもらえぬ想いは、いったい何処へ行けばいいの。聞かなければ良かったと俺を詰る彼女の頬は涙で濡れていて、それでも俺は後悔なんてしていないから。
「おい、ウォルター。俺昼からバイト入ってるから帰るぞ。片付け、自分でしろよな」
まだ日が昇ったばかりだというのに、枕元では不機嫌な声がする。声の主の手を掴み引こうとしたら、呆気なく振り払われた上にぱしんと頭をはたかれた。最近土曜の夜は一緒に飲んでそのまま泊まっていくようになった浩司は、最初の頃こそ昼過ぎまで起きられなかったくせに今ではもう俺より先に身支度してさっさと帰宅してしまうことも珍しくない。一時期付き合っていた子とは別れたものの、その間減ってしまっていた収入を取り戻すかのようにアルバイトに勤しんでいるらしい。浩司が復帰したおかげで俺の仕事も若干減り、デートの予定もないため今日は久し振りにゆっくり寝るつもりだ。
頭を上げるのも億劫で、俺は声がする方と反対方向を向いて枕に顔を埋めたまま、片手を上げてひらりと動かした。それで一応家主に挨拶の義理を果たしたと判断したのか、気配が遠ざかって行く。やがて鍵を開けてドアが閉まる音がして、一人暮らしには広過ぎる一戸建ての中はしんと静かになった。聴こうと意識すれば、掛け時計の秒針が動く音も僅かに聞こえるのだが、浮上しかかった意識をもう一度沈めるため、俺は意識的に無意識状態になるよう自分に暗示を掛けた。
次に気が付いたのは、キッチンの方からパタパタと忙しない音が聞こえて来たからだった。流石に体を起こしてみると、もう正午だった。明け方眠りに付いた割にはしっかりと眠れたような気がする。ずっとひとりだとこうはいかない。隣に誰かが眠っていると短時間でも熟睡できる。普通の人とは逆かもしれないが、そういう性質なのだ。
今日は出掛ける予定がないため、スウェットの上下に着替えてから、キッチンへと向かう。音の主が誰かは判っていた。恋人はいてもこの家の合鍵など渡したこともないため、家族以外が勝手に室内に上がっていることは有り得ないのだった。
廊下との仕切りになっているガラス入りの扉を開けると、洗い終えて半分乾いている食器を拭きながら、彼女が振り返る。長い金髪は結われることなく腰を覆い、窓から差し込む陽光を浴びてキラキラと輝いている。ぱっちりと大きな瞳は鮮やかなマリンブルー。色彩は父親譲り、そして父曰く若い頃の母親そっくりそのままだと言う姿かたちは、向けられた人誰をも魅了する太陽のような笑顔を浮かべていた。何もかも俺とは似ていないが、戸籍上の『姉』である。
「おはよう、ジョエル」
「おはようじゃないよ、もう昼だし」
呆れたような口調で、面白そうにこちらを眺めている。
「珍しいね。散らかったまま寝てるなんて。いつもは私が何もする事ないくらい綺麗に片付きすぎてるのに」
「ああ……うん」
頭を掻きながら、食器棚から紅茶の茶葉が入っている缶を取り出すと、心得たようにジョエルが薬缶に水を入れて火に掛けてくれた。マグカップを二つ用意して、テーブルの上の新聞を取りソファーに深々と腰掛けてから広げる。後ろの地方面から読むのが癖だ。さらっと読み流している間に湯が沸き、ダージリンの良い香りが漂ってくる。両手にマグカップを持ち、ジョエルが俺の隣に腰掛けた。マグを受け取りながら礼を言うと、ジョエルは嬉しそうに頷いた。彼女との距離約三十センチメートル。それが俺たちの心の距離を微妙に表しているように感じる。
いつもの通り、学校のことなど他愛もない雑談を彼女はとても楽しそうに興味深そうに聴く。城から殆ど出ることもない彼女は、勿論学校にも通った経験がない。全ては家庭教師や専門の学者から習っている上、内容もこちらの学校とは殆どが違っている。一般教養の類はもう習得し終えているため、慣例として本当は彼女もこちらに留学する予定だったのだ。祖父母の代から、学生時代をこちらで過ごす事が許されており、その為にこの住まいがあるのだから。
姉と俺はこちらの学年では同級生ということになる。それでも何とか誤魔化して同じ学校に通っても良かったのだが……。
「姉さんだなんて思ったことはない!」
両手首を押さえられ組み敷かれた上そんな言葉をぶつけられた彼女は、二重の瞳をこれ以上はないくらいに見開いて真正面から俺を見つめていた。白いシーツの上に金糸のような髪が広がり、何処かで見た宗教画の天使のようだと思った。
「……もう限界なんだ。頼むよ、俺を受け入れて」
突然の暴力に晒されているのはあちらなのに、泣いているのは俺の方だった。
「ごめんね、ウォルター。私にとって、たった一人の可愛い弟だよ。今までも、これからも」
抗うこともせず微笑んでいるけれど、心に湧き起こる恐怖を無理矢理押さえつけていることは解っていた。だからそれ以上何も言えず、何も出来ず、ただ俺だけがこちらに留学した。
父と母は、姉にとっては本当の両親。そして、幼い頃に両親を亡くした俺は、実父の異父兄であるという今の父に引き取られたのだ。義父もかなり昔に実父とは疎遠になっており、俺が見つかったのは奇跡だったと言う。そのまま隣国にいれば、今頃生きていないかもしれないし、良くてもスラムで性質の悪い人間に育っていたことだろう。
何の因果か、今では国王夫妻の息子として育てられている。こんな分不相応な幸運、手放しで喜ばねば失礼だろうということは解りきっている。それでも、この状況から逃げ出したくて。少しでも距離を取りたくて、ここまで来たというのに……。
解っている。彼女は彼女で、本当に俺のことを心配して、そして心に負い目があるからこそ、こうして月に一度ほど家の中を整えるという口実で現れては、俺と雑談をして帰って行く。
顔を見たいのは俺だってそうだ。毎日声が聞きたくて触れたくて抱き締めたくてそれが適わない適えてはいけないと、他の女性で誤魔化している。そうでもしないと、そのまま彼女をここに留めておきたくなるから。
いっそのこと、力ずくで一度体を繋げてしまえば……俺の事など嫌って近寄らなくなるかもしれない。その方が楽かもしれない。このまま二律相反する想いを抱えたまま日々過ごすよりは。けれど、臆病な俺は、決定的なことになるのを避けてしまっている。来ないでとも言えない。会いたい。でも会いたくないから、なるべく家を空けるようにしている。そうして、留守の時に訪ねて来ては書き置きを残して去って行く彼女の残滓の残るダイニングに佇み、一人後悔する───その繰り返し。
「ねぇ、学校って本当に楽しそうね」
羨ましそうに睫毛を震わせながら首を傾げる彼女の肩を抱きたい。抱き寄せて、頬に唇を寄せて「愛している」と囁きたい。
何処までなら『弟』として許される行為かな?
それとも何をしても許してくれる?
答えのない問いを胸の中で繰り返し、学び舎を奪った事を謝りながら───いつも通り夕刻に迎えに来た彼女の侍従に付き添われ帰国するのを見送った後、誰もいなくなった部屋の中で、ソファーに寝転がりゆっくりと瞼を閉じた。