8.人間と化け物
「私、あなたのことが好きなの」
思ったより、出てきた声が小さくて震えていた。自分でも気付かなかったけれど、相当緊張してしまっていたみたい。覚悟は決めてきたはずなのに。
青年、私の想い人は、口を開いた。
どんな言葉で私を拒絶するのだろうと、一瞬身構えた。
「君は、エコーと言ったね」
あら、意外。
彼は、微笑んで私を見た。
これは、好感触だわ。何か気の利いたことでも言うべきかしら。言うべきよね。でも…何を?私には分からないわ。だって、彼は――…。色々、考えても私は沈黙。でも、いくら悩んでも言葉なんて一つも出てこなくて、私はただ頷くことしか出来なかった。
すると、なぜだろう。彼は今までに見たことのないくらいの笑顔で言った。
「君も化け物なんだろう」
「僕はコルトー、風の妖精さ」
コルトーが珍しく優しく微笑んだ。レムはもうビビることはなく微笑んだ。
「向こうの崖の上の町から龍への生贄、レム=シェルリンです」
やはりな。生贄ということは…。
少年の身体の至る所にできた切り傷や青あざを改めて見て、溜め息が出てきた。つまり、この少年の傷跡は全て、自分で転んでできたわけでもなく、森でできたわけでもなく、紛れもなく、哀れな人間によってつけられたのだ。
あいつらは、本当に、それで人間たちが赦されるとでも思っているのだろうか。
罪を償うことすらせず、罪を省みることすらせず、あまつさえ、気付きもせずに罪を重ねる。
あたかも、自分たちが全てだと言わんばかりに。
「君も“化け物”だったんだろう」
俺は、少年の髪に触れた。
そよ風が過ぎ去って、俺の髪も宙に舞わせた。
「うん、僕の髪の色が金色だから。僕は化け物なんだって」
「奇遇だな。俺も村で一人だけこの髪色で生贄となった」
俺の言葉に少年は心底驚いた。感情が溢れ出したのか、レムは独り言のように呟いた。
「どうして…?」
「どうしてってヘイロンが人とは違うからでしょ」
俺が答えるかわりにコルトーが言った。
「君もそうでしょう?」
「うん…」レムは力ない返事をした。
そりゃ驚くよな。俺だって驚いた。自分を差別してきた金色が、ある村では差別されていて、俺のこの黒色が、今度は差別しているだなんて。大きな違いだ。
でも対した差なんてない。本当は変わらない。結局のところ、その根本的な心は同じなのだ。
俺が溜め息をつきかけた、その時だ。
《テティストエコーガ…》
《エコーガオキタケド》
《ナンカテティスガタイヘンラシイナ》
風たちが一斉に騒ぎ始めた。
「さて、テティスとエコーをどうにかしなきゃね」コルトーが腕を組んで歩き始めた。
「西の外れだってな」
俺も、自分でもじじくさい気がしたがヨイショと立ち上がった。
《ヘイロンジジクサイワ》
そんな呟きが聞こえた気がしたが、今は見逃しておいてやる。
「っるせ」
「ははは」こ、コルトーもまぁ今のところだけ見逃しておいてやる。俺は心が広いからな、いまは何よりもテティスだ。
レムは何がなんだかといった様子だったが、とりあえず俺らのうしろについてきた。
ひどい、ひどいじゃない。
化け物ってなんなの!化け物って、化け物って…そんな言葉で片付けないで。
私をそんな言葉で切り捨てないで!
ちゃんと見て。私と貴方はほんの少し違う。ただそれだけじゃないの!
その、ほんの少しもダメなの?人間には、その違いも許せ…ないの?
「だったら」
私は、今からほんの少しも違わないわ。ほんの少しの姿さえ、性さえ、声さえ、言葉さえ。
アナタトイッショヨ?
「どうしたの?エコーさん」龍の少女が問うた。
遠い昔のはなし。けれど、そう変わらない。
私は久しぶりに世界に姿を現して、この哀れな龍に忠告してあげることにした。
「龍さん、アナタも騙されているダケヨ。人間なんテ、どうせ、どんなに心を許していたと思っテモ、自分と違うとわかった途端…」
「やめて!」
テティスの叫び声が茂みの向こうから聞こえてきた。俺とコルトーは顔を見合わせた。
何があったんだ!?
あせって、精一杯走り出しても、不安は膨らむばかりだ。一歩、一歩と歩数を重ねるたびに、不安は募り、嫌な予感は増してきて、そんなに距離を進んでいるわけでもないのに、息が切れてくる。一歩が重い。この一歩が俺の不安感や緊張をすべて背負っているみたいに。
やっとの思いで走り続けてテティスの後ろ姿がみえたとき、ほっとして言葉が出てこなかった。いつの間に、テティスは俺の中でこんなにも…。生贄になる前は大切なものなんて一つもなかったのに。できるなんてことすら考えていなかったから。いま、こんなにも苦しかったのは、…そうだな。自分でも驚いてしまうことに…。
俺が息を整えて、声をかけようとしたときだった。テティスの後ろから、女が現れた。
そして更に驚いたことにだ、テティスが苦しそうに叫びながら女を叱るように諭すよう平手で殴ったのだ。
「ふざけないで!人間なんて、だなんて!結局は貴女を同じじゃない!人間なんて下らない言葉でくくって縛り付けて!貴女の今言っていることは、私や貴女を化け物だって言っている人間たちと同じじゃないの!」
テティスの握った拳が下におろされ震えている。
「確かに、そういう人間だっているかもしれない。でも、そうじゃない人間だっているもん。ヘイロンだって…」
テティスが俯いた。女はここぞとばかりに巻き返しを図ろうと、口を開いた。
「でも、アナタだって、その人間かラ、逃げてきたじゃナイノ」
その言葉にテティスは微笑んだ。
「貴女には、そうみえたの?」
「それ以外に何があって?あの生贄の少年に化け物って言われて、気が付いたんでしょう?」
女は勝ち誇ったかのように笑った。
「違うわ。逃げてなんかいない。恥ずかしかったの」
「…どういうこと?恥辱?ほら、それならやっぱり」
「ソレも違う。私はね」
テティスは頬を染めた。
「ヘイロンが好きなの」
…え?




