6.いらないよ、そんなの
6.いらないよそんなの
いいんだよ。
君は悪くない。
君のせいじゃない。
君はそのままでいいんだよ。
すべてほっぽっても君がしたいようにすればいい。
私がやるから。
そう言ってくれたら楽だろう。
そう言ってくれたらどんなに楽だろう。
でも嫌だ。
そんな偽善者は嫌いだ。
いいんだよ――本当にいいのなら言わない。仕方ないから別に“いい”。
私がやるから――本当に心からのいいひとはそんなこと言わない。私がやって“やる”んだろう。
だから偽善者が嫌いなんだ。
私がやってあげてますよー私がやってあげてるんですよー。
そんなアピールをして、何をして欲しいのか。
そんな悪徳業者みたいな真似するから偽善者なんだ。勝手にやっておいて、見返りを求める。だから偽善者なんか嫌いなんだよ。
なのに肝心なときには絶対に手は差し伸べない。
すべては善意じゃなくて、貞操なのだから。
世間の目で動くのだから。
そんな意味では僕自信も嫌いだな。
結局、世間のためにしか動けなかった。こんなに世間が嫌だと言っていたのに、世間にこんなにも頼っていた。見捨てられて、やっと気付いた。
こんなに悲しいんだと。
独りで死ぬのか…。
「はぁーあー…」
馬鹿みたいだ。笑いが混じってしまった。
結局、何人いたっていまの僕は一人なんだ。
さっき拾った袋を握った。…ここに人が通ったということだろうか。
まさかな…。
こんな辺境に人が通るなんて。洞窟から風の吹き荒れる外を見て、確信した。木々が生い茂って、黒く蠢いて見える。風が通り過ぎる度に轟々と木々は唸って寒さにしかめ面をしているみたいだ。まるで、何かの侵入を拒むみたいに風はそれでも吹き荒れて、もう大地は岩がゴロゴロと頭を出している。
こんなところに人が通るはずがない。
まぁあるとしたら、風が飛ばしてきたのだろう。
ああ…でも…寒い。
身体を丸めてみたものの、あまり効果は感じられなかった。
地面の岩についているお尻や足からゾワゾワと冷たさが伝わってくる。
さっきから身体の震えが止まらない。
「岩場の洞窟か…」
憂鬱になりそうで思わず吐き出した。言ってしまえば楽になると思ったが余計面倒になってきた。あそこには近年稀に見ない悪戯好きで乱暴で有名な北風がいる。ヤマセという名だったとは思うが、なんでも遠い異国でも名の知れた不良で人間や植物を困らせているらしい。
コルトー曰わく物凄い冷血漢で、自分がいかに颯爽と通るかしか考えていない、命なんてどうでもいいようなやつらしい。
つまりは、身を切るような寒いやつだってことだ。
しかし――…男の子…か。
風の噂だし、妖精と人間を見間違うことはないだろうが…。
岩場の洞窟だなんて、治安(?)の悪い、しかも大体この森に人がいること自体が珍しいってのに、男の“子”がいるなんてどう考えても不自然…。も…しかして、な。岩場の洞窟と言ったら、あの街の外れの崖の下だった気がするが…いやいや。
あそこでは、もうやってなかったはずだ。
…あーあ…やだやだ。
「なんで落としたんだ俺…」
嫌な予感が的中している気がしてきた。
「コルトーは、恋しているの?」
あたりは暗い。薪を炊いて、ヘイロンの帰りを二人で待っている。
薪の明かりが、テティスを下から照らした。伸ばしっぱなしにしていた髪がボワッと銀色に光る。
「僕は生まれたときから恋をしているよ」
「誰に?」
テティスが僕の方に、ちょっと楽しそうになって身を乗り出した。
「髪が燃えるよ」
クスリと笑ってしまった。こういう少しマヌケなところは成長しても変わらないな。親に似たかな。
ヘイロンもヘイロンでプレゼント落とすし…。
「もっ…燃えないもん。で、誰に、恋してるの?コルトーは」
ずいとやり過ぎに後ろに下がってまた楽しそうに目を輝かせた。
「風たちだよ、すべての風は僕の恋人さ」
「なあんだ。やっぱり。恋って怖くないの?」
念を押すように、テティスはまた聞いた。
「毎日が飛び跳ねて、キラキラしているよ、彼女たちみんな美しくて可愛いから。僕の場合はね」
《オセジガウマイワネ》
火で温まったレナが耳元で囁いた。
「みんなって、コルトー…そんなにいっぱいと?あのね、前本で読んだんだけどね、それは浮気って言うんだって。悪いことなんだよ」
テティスが諭すように訝しんだ。
「テティス、それは人間の下らないルールだよ。僕らはいいのさ」
すべてを本気で愛せるからね。だって風の妖精だから。
僕はあえて、“僕ら”が誰なのかは言わない。
テティスも聞いてこなかった。
ただ納得いかないような顔で呟いただけだ。
「私は一人だけがいいな」
何も言わなくても、“僕ら”の括りは十分に承知していたみたいだ。ああ。なんか、ヘイロンは良い親すぎたかもしれないね、主さん。計画外に龍の成長は早いよ。
「にしてもヘイロンの奴、遅いな」
「おい、お前どうした?」
声が聞こえた気がした。寒くて眠くてもう身体は動かない。 いや、もういっそどうでもよかった。
男の人がその後何度も呼び掛けたような気もしたけれど、僕はもう答える気もなかった。
どうせ僕が生け贄だと知ったら…。
最後に男は僕を抱きかかえて歩き始めた。飛んだ苦労をさせてしまったな。…僕はどうせ生け贄だのに。
でも、それでも。
男の人の肩は、腕はやっぱり暖かった。
「ヘイロンが帰ってきた!!」
テティスの耳と鼻がピクリと動いた。
「…どこにもいないじゃない」僕が呆れると、匂いがしたとテティスは自信満々で言った。
「ヘイロンってそんなに臭いの?」
「誰が臭いか」
ふいに後ろから声がした。…ホントだ。衝撃的だな。…龍は犬なみの嗅覚も持っているのか。
「いや、なんでも…」
そう言いながら振り返ると、更に衝撃的な絵が待っていた。
「ヘイロン…ついに男の子にまで手を出して…」
「あほっ!!違うわ」
頭に、目をふさぐようにして掛けられた包帯に、千切れた鎖と足かせをした男の子をヘイロンはお姫様抱っこしていた。
「じ…じゃあ誕生日プレゼントかい?」かろうじて僕は冗談を言えた。
ヘイロンは苦笑いをして
「まあそうかもな」
人間たちからの心許ないプレゼントだとも言えると呟いた。
その見た目から明らかだった。
その男の子は、正しく、テティス――龍への捧げ物だ。
「ったく、趣味が悪いな、あの街の奴らは」
俺は、未だ身体を震わせ目を覚まさない男の子を見やった。
「捧げ物を贈る発想までは理解できるけど」コルトーは眉間にしわを寄せて、傷口を触った。風がふわりと感じられたと思ったら、いつの間にか、血の流れ出ていた傷口が乾いて瘡蓋になっていた。
なるほど風の妖精の力はこんな風にも使えるらしい。
テティスは案の定、ポカーンとして口を半開きで俺らを交互に見比べている。
「ヘイロン、この人、どうしたの?」
やっぱり。
俺のテティスはこうでなくちゃな。
これだけ言っていても勘付かないくらいの闇に対しての純粋さ。
「コイツは恐らく街のやつらからのお前への生け贄だ」
俺がそう言うとテティスは言葉を失ったようで、ただ黙って俯いた。
「そんなの、いらないよ」
しばらくして、テティスは震えながら小さく呟いた。
「はは」
俺は思わず笑った。…そうだろうな。
テティスはそうだろう。
俺の娘だからな。
「でもな、テティス。ただ、いらないで終わらせちゃいけないな」
俺が微笑むとまたテティスはポカンと俺を見つめた。
これは、俺が生け贄だったから言えることだろう。
生け贄だったから分かることだろう。
だから、だからこそ、コイツには分かって欲しいのだ。
これからずっと長いときを生きていくコイツには。
「コイツがなんで生け贄に選ばれたか、考えてみることだな」




