17.龍
恋滝のぼるとき龍になれ。
ずっとずっと昔、主はそう言って、僕に龍の子を託した。
人間界から、生贄をとってそれを育てさせよ、と。龍の子は恋を知ってこそ、一人前の龍になれるらしい。
世界中の水神――龍を統べる頂点である主は、白の泉でいつぞや、どこからか生まれてくる龍の子を、世界の水を整備するためには育てなくてはならない。天界から広がる世界に対応して水を操る。それが龍の仕事なのだ。
なんでも龍の子は、人々の心が強く願ったときに生まれるらしい。そんなわけで、主と龍の子の間には、血縁関係はないのだから長き時を生きる主が龍の子をその巧みな話術で恋に落とすことも出来るはずだった。…しかしまた意外なことに、主は愛妻家で、妻ができてからというもの若い子を口説けるか、なんて言い出した。
だから、龍の子を望んだらしい人間とやらに責任を持って育てさせようという形に落ち着いたのだ。
責任感あるというかないというか…。
そして古くから友人だった僕に、雑務に忙しい主の代わりが任されたという具合だ。
そして僕は若輩だった。
龍の子ともすれば一応は神、人間に任せると言っても、ただの人間ではなくて、みんなに慕われ想われ頭の切れるしっかりした奴を選ぼうといって、はじめにアイツを選んでしまったのが間違いだった。――黒龍。
一代目黒龍は、主が育てていたときよりずっと早く、竜の子を育て上げ、主の面子を丸つぶれさせた挙げ句、無事恋を知って龍になった龍の子は天界に行って主に仕えて働くより、人界に留まって黒龍と一緒に直接水を導きたいと言い出したのだ。独裁者ではないし、平和な神の世界の秩序を乱すわけにはいかない主は、内心、はらわた煮えくり返っていただろうに、認めざるを得なかった。かくして、神は人に負け、面を横殴りされた上、直接人界の意見を取り入れて統べる方法は今までより良いと好評になり、立場が非常に……残念なことに…なってしまった。
以来、僕は“責任”をとって人界に留まり、主のせめてもの計らいで黒龍一族が生贄に代々選ばれている。
主は、子供が奪われる屈辱を味あわせてやるのだという。
とても神様が考えることとは思えない。しかし主は子煩悩なのだ。そりゃ僕だって引いちゃうくらい。ロリコンなんじゃないかと心の片隅で疑ってしまうくらい。いや、心の片隅で、だよ。
しかし、それ以来黒龍一族の連戦連勝。負け知らずだ。無自覚に無意識にたらしな一族。だと僕は思った。実際、妖艶で色気あって頭もいい。しかも、龍とのハーフ、ハーフ、ハーフの積み重ね。そろそろ人間を抜け出していいレベルなのではないだろうか。美しさにおいてはもう主をも抜き始めている…ような…。
今回のヘイロンもまたそうだ。
しかも、今までとは何かが違う。
そんな気すら彷彿させる。
僕のはじめの失敗のおかげで、黒龍家の赤ちゃんは人間の村に預けて人間と育つという結果になっている。
それは僕だって反省していた。だから、黒龍の子が困っていたら助けてきたし、気にかけていた。村にはなぜか黒髪はいないし、これは虐めだ、何度となく思った。
でもヘイロンは村にいるときから、違った。
村人とも、過去の黒龍とも。
それははじめの出逢いからだったろうか。
予感は、もうすでに現実になってきている。
龍の成長は早い。
龍の力だと彼は勘違いしているようだけど……。
龍は、恋を知ってしまった。
その龍はというと、作戦が成功したことに大喜びして、興奮醒めやらぬ状態で、少年と跳ね回っている。
…まだまだ子供だな…と安心しつつも、そろそろなのだと身構えてしまう。
テティスが落ち着くのは当分先だろう、と風たちと戯れはじめたときだった。
テティスが必死の形相で駆け寄ってきた。
「ヘイロンがっ…人間に連れ去られちゃった!!」
「もうーヘイロンったら」
「こっち見てよー」
薄暗い酒場。場違いな俺。
何故だか、俺は綺麗なお姉さんに取り囲まれていた。さっきから酒を勧めてきては、私と私と、と迫ってくる。…怖い。
大体、私と、なんだ?
そして俺はさっきから何もしていない…むしろ遠慮と謙遜を繰り返し、非常にへりくだった態度で縮こまって囲まれているというのに、店の片隅でちょびちょび酒を呑んでいる男どもは俺に突き刺さんばかりの視線を向けてくる。
やめてくれ。俺は悪くない。
捕まっただけだぞ。そしてお姉さんに囲まれてさっきから可愛がりを受けているだけだぞ。
…あ、抵抗しているのがおこがましい?
俺ごときが女性の誘いを断っているのが無礼ということでしょうか?
ったく、男性に助けを求めようと思ったのにこれじゃ……抜け出せん…。
しかも女性たちはそうとう酒が回ってきたらしい。
赤く火照った顔が迫ってくる。
…でも……ここで抵抗なんてしたら――――…
「うわっ!!…ちょ。どこ触って……やめてくださいって」
振りほどこうとお姉さんの腕を握った瞬間だ。もの凄い勢いで、店のドアが開いた。
店外で、店主が「ちょっとお嬢ちゃん、まだ年が足りないよ」とか言ってるのがわずかに聞こえてきたと思ったら――――
「ヘイロンの馬鹿!!鼻の下のばして何やってるの!!」
お姉さんたちとはまた違う真っ赤な顔した少女が現れた!
…助かった!!
「テティス大好きだ!!」
俺はテティスがやってきたのと同じ勢いで、テティスに抱きついた。
殴られた。
「ヘイロン最低だね」
やけに嬉しそうな顔で、風の妖精が言った。おい、台詞と表情が一致してないぞ。出直してこい。
「告白されたその日に、浮気?しかもそこからのセクハラ?」
しかも開口一番、俺をからかう。
俺は拉致監禁されてパワハラを受けていたんだぜ?もう少しいたわるとか、慰めるとかなんかすることがあるだろ。
心の叫びをなんとか飲み込んで、俺は引きつった笑顔を浮かべた。
「人聞きの悪いことを言うな。俺は精一杯の抵抗はしていたんだぞ」
「え、なにから?…あ、自らの欲望から?」
吹いた。口から空気が漏れて、自分の唾液に溺れてむせる。ごほんごほんやっているうちにコルトーは「やっぱりなぁ。最低だなヘイロン」だとか力説している。
…コイツは何が何でも俺を変態に仕立て上げたいらしい。
…もういい、もういい。
「分かったよ、もうそれでいいよ」
そう言いながら、俺はおもむろにテティスに抱きついた。
そろそろ娘としては思春期だしあんまり親がくっついてはうざかろうなと、最近あまりテティスに絡んでいなかった。
この際、テティスが俺を好きというのにあやかって好き放題させてもらおうじゃないか。
「へっヘイロン、いきなり何するの」
予想通り、テティスは必死に抵抗する。しかし、今回に限り俺は手加減はしない。
テティスに伝えなければならないことがある。
「俺のことお前好きって言ったよな。俺はまだお前をそんな風には見れないし、気持ちの整理もできてい。でも、どんな関係であってもどんな感情であっても、テティスがこの上なく愛おしい。一緒に居られれば幸せだって。それだけは覚えといてくれ」
…。
……。
………。
自分で言って恥ずかしくなった。…悔しいが、コルトーの言う通りなのかもしれない。
――俺って…くさい!!
なんで思った通りに言ってしまうかな、俺!!
「いや、やっぱ忘れてくれ!!」
悲痛な俺の叫び声が森に響いた。
「どっちなのー!?」
楽しそうな少女の声が森に響いた。
――そんな日常。




