第27話:昼食の席で、帰る場所の話をした
王都支店の昼食は、思ったよりちゃんとしていた。
焼いた白身魚。
野菜の煮込み。
柔らかいパン。
それに、香草のきいた温かいスープ。
グランデリアの屋敷ともまた少し違う。
王都支店は、商人のための実用と見栄えがちょうどいい具合で混ざっている感じだった。
ソータは席につきながら、少しだけ肩の力を抜いた。
「ようやく落ち着きました。」
「あなた、朝からずっと落ち着いていないように見えましたけれど。」
ミレイユが言う。
「それは、起きた状況が状況だったので。」
「何のことでしょう。」
「そういう顔で言います?」
ミレイユは涼しい顔でスープへ口をつけた。
ソータはそこで、これ以上突っ込んでも勝てないと悟る。
(この人、絶対わざとだよな。)
(でもまあ、無事だったし、荷も届いたし。)
(結果的にはよかった……のか?)
しばらく静かに食べていたが、やがてミレイユが自然な顔で尋ねてきた。
「あなた、あの村ではどんな暮らしをしているのですか。」
「村で、ですか。」
「ええ。」
ソータはパンをちぎりながら少し考えた。
どこまで話すか。
別に隠す必要はない。
ただ、話し始めると自分でも案外、あの村での暮らしが頭の中へはっきり浮かんでくる。
「世話になってる家があります。」
「ふむ。」
「リーナさんっていう人と、そのお母さんのマルタさんがいて。」
「その家に住んでいるのですか。」
「今はそうですね。」
「家族ではないのですよね。」
「違います。」
「なのに住んでいる。」
「色々ありまして。」
ソータは苦笑した。
魔猪退治。
風呂。
村の荷運び。
夜の会話。
思い返せば、短いのに妙に濃い。
「最初は泊めてもらっただけなんです。」
「それが今は住んでいる。」
「用心棒代わりみたいな感じもあって。」
「用心棒。」
「あと荷運びも手伝ってます。」
「なるほど。」
ミレイユは頷いた。
そして何でもない顔で、次の質問を投げた。
「そのリーナさんは、あなたにとって何なのですか。」
ソータはそこで少しだけ止まった。
「何、とは。」
「何ですか、そのままです。」
青い目がじっとこちらを見る。
静かだが、妙に逃がしてくれない聞き方だった。
ソータは正直に答えた。
「お世話になっているうちのお嬢さん、ですかね。」
「……お嬢さん。」
「はい。」
「それだけ?」
「それだけ、というか。」
ソータはスープを一口飲んでから言った。
「大事な人ではあります。」
ミレイユの手が一瞬止まる。
(大事な人。)
(ほら、やっぱり。)
(……いえ、でも今の顔は、そういう意味で言っている顔ではないわね。)
「ただ。」
ソータが続ける。
「何ていうか、守りたいとか、ちゃんと帰らないとって思う相手ではありますけど。」
「けど?」
「だからって、恋人がどうとか、そういうふうにはまだ……。」
そこで言葉を探す。
「そんなふうに意識してるわけじゃない、と思います。」
その返事を聞いて、ミレイユは静かに頷いた。
表情はほとんど変わらない。
けれど胸の奥では、少しだけ別の計算が動いていた。
(そう。)
(まだそこまでではないのね。)
(なら、余計に危ないわ。)
(そんな距離感で、あの村にずっといさせておくのはよくない。)
(情が深くなったら、簡単に動けなくなる。)
(それに、この男の力はあの小さな村だけに置いていいものじゃない。)
ミレイユはナイフとフォークを揃え、きちんと置いてから言った。
「なら、なおさらです。」
「なおさら?」
「グランデリアに家を持ちなさい。」
ソータが目を瞬かせる。
「家。」
「ええ。」
「俺がですか。」
「あなたがです。」
ミレイユはまっすぐに言った。
「正式にクラウゼン商会へ手を貸してほしいのです。」
「……。」
ソータは思わず黙った。
その話が来るかもしれないとは、少し思っていた。
だが、家までとは。
「あなたの力があれば、流通が変わる。」
ミレイユは続けた。
「しかも夜間高速運送まである。」
「はい。」
「そして、あなたの村へは夜になればすぐに着くのでしょう。」
「たぶん、今の感じだと。」
「なら話は簡単です。」
ミレイユの声は静かだが、言葉は強い。
「その村の農産物をグランデリアへ運べばいい。」
「農産物。」
「野菜。
薬草。
蜂蜜。
保存の利きにくいものほど価値がある。」
ソータの頭の中に、村の畑や納屋が浮かぶ。
マルタの料理。
村人たちの顔。
干し草を急いで運んだ日。
薬草を間に合わせた時の安堵。
「村の人たちも助かるでしょう。」
「……それは、たしかに。」
「あなたもグランデリアに拠点が持てる。」
「……。」
魅力はあった。
かなりある。
武器の調達もしやすい。
商売も大きくなる。
村にも利益がある。
何より、ミレイユの言っていることには筋が通っていた。
(悪くない。)
(というか、かなりいい話では。)
(村にも恩返しできる。)
だがソータは、そこで首を横に振った。
「気持ちはすごくありがたいです。」
「ですが?」
「今回は、一度帰ります。」
ミレイユの目が少し細くなる。
「理由は。」
「帰るって言ったので。」
まず、それが一つ。
「それと、ゴブリンの討伐をしないといけないんです。」
「ゴブリン。」
「村の近くに集落があります。」
ソータはそこで、リーナの父の話もした。
魔猪退治に出たまま帰ってこなかったこと。
ゴブリンの住処の近くで、それらしい布が見つかったこと。
まだ生きているかもしれないこと。
ミレイユは途中から、一切口を挟まず聞いていた。
(そういう事情。)
(ただの村暮らしではないのね。)
(しかも、本人にとってはかなり重い。)
話し終えると、ソータは静かに言った。
「だから、今は戻らないと駄目です。」
「……そう。」
ミレイユはすぐには何も言わなかった。
反対するのは簡単だ。
だが今ここでそれをやれば、この男はたぶん遠ざかる。
なら。
答えは別だ。
「それなら。」
「はい。」
「私も一緒に村へ行きます。」
「……はい?」
今度はソータが固まる番だった。
「私も行きます。」
ミレイユはもう一度言った。
「街の護衛を数人連れて。」
「え。」
「ゴブリン退治をするのでしょう。」
「まあ、はい。」
「なら戦力は多い方がいい。」
「それはそうですけど。」
「リーナさんのお父さんの特徴も聞けば、捜索にも協力できます。」
その言葉に、ソータは一気に現実的な計算へ引き戻された。
護衛がいる。
武器もある。
商会の支援も受けられる。
村人だけで抱えるには危険が大きすぎる話だ。
(ありがたい。)
(かなりありがたい。)
(いや、ありがたすぎるなこれ。)
「本当に、そこまでしてもらっていいんですか。」
「いいか悪いかなら、良くはありません。」
「え。」
「でも必要です。」
その返しが、いかにもミレイユらしかった。
打算もある。
けれどそれだけではない。
それが何となくわかる声だった。
「……お願いします。」
ソータが頭を下げると、ミレイユはわずかに目を伏せた。
「ええ。」
そこでようやく、二人の昼食は終わった。
食後、ソータは一度宿へ戻って荷物を整えようとした。
「では、俺は一回宿屋に。」
「私も行きます。」
「え。」
「何か問題でも。」
「いや、問題はないですけど。」
実際、問題はなかった。
ただ、何となく気圧されて頷くしかない。
二人で王都の小さな安宿へ向かう。
扉を開けると、猫耳族の女将が「あら。」と目を丸くした。
「おや、お兄さん。」
「お世話になりました。」
ソータが爽やかに頭を下げる。
その横から、ミレイユが一歩前へ出た。
「この者はクラウゼンの王都の屋敷に泊まります。
ですので、もうこちらのお部屋は結構です。」
女将の耳がぴくりと動く。
ソータを見て、ミレイユを見て、それから何となく察した顔になる。
「ああ……。」
その「ああ」は、かなり色々含んでいた。
「でもねえ。」
女将が言う。
「一日だけで金貨一枚はもらえないよ。」
ミレイユはにこりと微笑んだ。
営業用の笑顔だった。
しかし、少しだけ勝者の余裕みたいなものも混じっている。
「ソータがぐっすり寝られたそうですので、お釣りなんかは結構です。」
「ええっ。」
ソータが横で間の抜けた声を出す。
女将は目を丸くしてから、ふっと笑った。
「太っ腹だねえ。」
「もし何かが必要な時には、クラウゼン商会をよろしくお願いします。」
営業も忘れない。
さすがだった。
女将は金貨を見て、ミレイユを見て、ソータを見て。
それから、何とも言えない笑顔で頷いた。
「じゃあ、ありがたく。」
「お願いします。」
宿を出る時、ソータは改めて女将へ頭を下げた。
「お世話になりました。」
「今度は変な女についていかないようにね。」
女将がにやりとする。
「うっ。」
ソータの動きが一瞬止まった。
ミレイユは横で涼しい顔をしている。
涼しい顔だが、たぶん内心では覚えていた。
そして、忘れる気もない。
「気をつけます。」
ソータが言うと、女将は笑って手を振った。
こうして二人は、王都の小さな安宿をあとにした。
ソータは爽やかな笑顔のまま。
ミレイユは上品な微笑みのまま。
そして周囲の人間はたぶん全員、思っていた。
(ああ、あの二人、できてるな。)
当人たちだけが、まだそこまでは認めていない。
ただし、少なくとも一人。
ミレイユの胸の中ではもう、ツンだけでは隠しきれない何かが、かなりはっきり形になり始めていた。




