12話 静かすぎる日は、だいたい何かが始まっている件
朝。
いつも通り、稽古場はまだ薄暗い。
「遅い」
「……はい」
「開始」
もはや挨拶みたいになりつつあるやり取りを交わし、俺は剣を構えた。
シトラ・シトラスの剣が振られる。
速い。
いや、速いとかいう次元じゃない。
人間の速度をしていない。
見てから避ける。
間に合わなければ、受け流す。
判断が遅れれば、当然のように弾き飛ばされる。
俺は今日も、何度も地面と仲良くなった。
「……」
何十回か転がされたあと、稽古は終わった。
「終了」
「……ありがとうございました」
息が上がっている。
身体は当然のように痛い。
だが、なんとか俺は立っている。
シトラスは俺を一度だけ見て、小さく頷いた。
「……近いかも」
「はい?」
聞き返したときには、もう背を向けていた。
(近いって……何がだ? 距離? 死期?)
いや、死期は普通に近い。
呪いのせいで、常に。
だが、この人が言う「近い」は、そういう意味じゃない気がする。
最近、こういう“意味が分からない一言”が増えている。
考えても仕方ない。
そもそも、この人の会話は八割が省略されているのだ。
俺は脇腹を押さえながら、稽古場を後にした。
◇
授業が始まると、違和感ははっきりした。
――静かすぎる。
いつもなら、雑用を押し付けてくる学生が寄ってくる。
荷物運びだの、掃除だの、謎のパシリだの。
だが今日は、誰も近寄ってこない。
代わりに、視線だけがある。
話しかけられない。
距離を取られている。
(……あれ? 俺、なんかやった?)
思い当たることはない。
朝稽古も、夜の森も、いつも通り。
俺はいつも通り、生きるために必死なだけだ。
なのに――妙に、周囲が静かだ。
(……汗臭いからか? 朝稽古の後、ちゃんと拭いたけどな)
俺の脳は、現実逃避の結論を出した。
そうでもしないと、心が折れる。
◇
昼休み。
食堂。
席を探して歩いていると、声をかけられた。
「シズカ」
振り向くと、見覚えのある顔。
中肉中背、色黒で、わりと端正な顔立ち。
そして、俺にとっては貴重すぎる存在。
「モカ?」
ランキング九十二位の学生。
入学直後に知り合った、数少ない友人だ。
「久しぶりだな」
「そうだね。元気そうでなにより」
俺が言うと、モカは少しだけ笑った。
そして周囲を気にするように視線を巡らせてから、俺の隣に座る。
……この時点で、嫌な予感がした。
「……なんか、周りの空気変わってないか?」
「え?」
「いや、俺の気のせいかもしれないけど……」
モカは言葉を選ぶように、スープをゆっくりかき混ぜる。
「変わってる。明らかに」
俺は即答した。
「だよな……」
「距離取られてるっていうか。やっぱり俺、汗臭いのかな」
「いや、全然匂わないぞ」
モカは即答し、それから声を落とした。
「……それよりさ」
嫌な予感が、確信に変わる。
「最近、噂になってるの知ってるか?」
「噂?」
俺が聞き返すと、モカは肩をすくめた。
「朝……シトラスさんとの稽古、続いてるって本当か?」
一瞬、俺の手が止まった。
「ああ、うん……一応」
「一応って……」
モカが苦笑する。
「それ、結構な噂になってるぞ」
「……噂?」
「最下位なのに、直々に、ってな」
最下位。
つまり百位。
俺である。
モカは続ける。
「シトラスさんって、声かけたこと自体は何人もいるんだよ。でも……」
そこで一拍置く。
「その特訓の厳しさで有名で、二日続いてるやつが皆無なんだ」
(……ああ、そういうことか)
心当たりはそこしかない。
朝稽古。
地獄稽古。
人間をスポンジ扱いする講師補佐。
「別に、特別なことしてないんだけどな」
「それを決めるのは、周りだぜ。それにたぶん、リネットちゃんと仲良くしているのも・・・」
モカはそう言いかけて、スープを飲んだ。
そして、少しだけ真面目な顔になる。
「まぁ俺は分かってるぜ。シズカが派手なことしないのは」
「……助かる」
「ただな」
モカの声が、わずかに低くなる。
「それらを面白く思わないやつも、いる」
「……だろうな」
学園のランキングは、秩序だ。
そして秩序は、下が勝手に動くのを嫌う。
社会もそうだった。
この世界も同じらしい。
俺はため息をつきたくなった。
生きるって、めんどくさい。
◇
午後。
廊下を歩いていると、前から歩いてきた学生が――わざとぶつかってきた。
肩が当たる。
強めに。
「……すみません」
反射で謝る。
社畜の条件反射だ。
当たり屋に謝るのは日本の伝統である。
相手の胸元の番号が、キラリと光る。
ランキング八十番台。
俺(百位)から見れば、余裕で格上だ。
その学生はちらりと俺を見て、鼻で笑った。
「最下位が、調子に乗るなよ」
「……え?」
返事を待たず、去っていく。
(……調子に乗ってたか? 俺)
調子に乗っている自覚はない。
俺はいつも通り、死にたくないから動いているだけだ。
結果的に変な噂になっているだけだ。
だが、どうやら何かがズレて伝わっているらしい。
それが一番怖い。
誤解は、いつも人を殺す。
社会的に。
◇
放課後。
稽古場の片隅で、一人剣を振っていると、足音が近づいてきた。
「シズカくん」
振り向くと、リネットがいた。
栗色の髪。
柔らかい雰囲気の美少女。
だが、今日はどこか落ち着かない顔をしている。
「リネット。どうしたの?」
リネットは口を開いて――閉じた。
「その……最近、変な噂が……」
「噂?」
モカに聞いた話と繋がる。
俺の中で嫌な予感が育つ。
だがリネットは、首を横に振った。
「……ううん。やっぱり、いい」
「え?」
「まだ、本人に言う段階じゃないっていうか……」
視線を逸らす。
耳が少し赤い。
(……完全に何かあるな)
聞きたい気持ちはある。
だが、無理に聞いてもリネットを困らせるだけだ。
この子は優しい。
優しい子を困らせるのは、俺の主義に反する。
俺は剣を握ったまま、言った。
「まあ、何かあったら教えて」
「……うん」
リネットは小さく頷き、少しだけ安心したように笑った。
その笑顔に、俺の心が少し軽くなる。
……だが。
逆に言えば。
リネットが言えないレベルの噂が、今、学園で広がっているということだ。
俺の心は、また重くなった。
◇
その少し離れた場所。
数人の学生が、ひそひそと話していた。
「なあ」
ランキング中位の学生が、仲間に声をかける。
「確認したか?」
「ああ。朝稽古、事実らしい」
「だよな」
視線の先には、剣を振るシズカの姿。
「……おかしい」
別の学生が言った。
「最下位が、シトラスさんの稽古相手?」
「秩序が乱れる」
「しかもシトラスちゃんと仲が良いらしいぞ」
彼らの声には、苛立ちと焦りが混じっていた。
秩序は安心だ。
秩序が崩れると、自分の立場も揺らぐ。
「生意気だな。正す必要があるな」
「そうだな」
「最下位が、特別扱い? ありえない」
不満は静かに共有され、形を持っていく。
そして誰かが、決定的な名前を出した。
「……ワイン・ワイトさんに言うか?」
空気が、一瞬だけ固まる。
「やめとけ。あいつは面倒だぞ」
「でも秩序の番人だ」
「規則違反を嗅ぎつけたら、絶対に逃がさない」
それでも彼らは、頷いた。
面倒でも、必要だと思ったのだろう。
自分たちの安心のために。
彼らは知らない。
秩序の番人が動く時、秩序そのものが血に濡れることを。
◇
夜。
森の中。
俺は、いつも通りゴブリンと向き合っていた。
避ける。
流す。
返す。
ゴブリンが倒れる。
「……ふぅ」
耳を袋に入れる。
十ゼニー。
たった十ゼニー。
でも、俺の命には換えられない。
(……コツコツだな)
噂も、不満も、人の視線も。
ここにはない。
ここにあるのは、剣と、自分だけ。
だから落ち着く。
社会の人間関係より、ゴブリンの方が分かりやすい。
殴ってくるなら、殴ってくると分かっているからだ。
俺は息を整え、帰路についた。
◇
部屋に戻ると、机の上に紙が置かれていた。
見覚えのない封。
「……?」
誰かが入った?
いや、鍵は……。
嫌な汗が背中を伝う。
封を切ると、中の紙は一枚だけだった。
内容は、簡潔。
だが――読んだ瞬間、胃が冷えた。
【決闘の申し込み】
日時:七日後・早朝
場所:第一稽古場
貴殿の最近の行動は、
剣術学園のランキング制度の秩序を乱している。
講師補佐シトラ・シトラスとの私的な稽古、
ならびにリネン・リネットとの不純異性交について、
確認が必要と判断した。
決闘をもって、実力と立場を明らかにしたい。
差出人:ランキング六十二位 ワイン・ワイト
文字が、妙に綺麗だった。
文字が一つも乱れることなく書かれている。
「……断れる、よな?」
俺は呟いた。
だが、答えは分かっている。
こういうのは、断れない。
社会がそうだった。
そして、この学園もそうらしい。
胸の奥がざわつく。
いや、胸じゃない。
これは――胃だ。
おれは胃が弱いのだ。
ストレスがダイレクトに胃腸へ届くタイプだ。
おれの胃が、「また面倒な案件が来た」と言っている。
静かすぎる日は、だいたい何かが始まっている。
そんな気がしてならなかった。
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