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6月30日木曜日20時、首都の吉田明衆議院議員の自宅、先ほどまで明の子供達に揉みくちゃにされていた碧は、客室のベッドに腰掛けるとようやく一息といった感じで深いため息をつく。
「まさかお子さんが5人もいるとは。すごいな。奥さんもとても綺麗で落ち着いた方だったし……自分より年下の人と喋るのって久々だったかも。」
こんなにも疲れを感じるのは、知らない人と関わったからか。それとも吉田家が碧にとって眩しすぎたからか。
ベッドで知らない天井を見上げていると、落ち着いてしっかりした音のノックが聞こえた。
「碧さん、リクです。例のものをお持ちしました。」
部屋に入ったリクが持っていたのは一抱えの段ボール。
中から出てきたのは、アタッシュケースとPCの製品パッケージだった。
「これが今回の作戦用の、デス子用の端末ですね。」
日本の有名企業の軍事用モデル、その中でもタブレット部とキーボード部が分離するデタッチャブルモデルだった。
「はい、特にストレージを大容量化し、排熱処理も強化したカスタム仕様になってます。こちらは対衝撃、対ジャミング仕様のアタッシュケースです。PCと合計で8kgにもなります。気をつけてお持ちください。」
リクから渡されたアタッシュケースは、まだPCを収めていないにもかかわらず、ズシリと重い。長く持てば手がしびれそうな重さだ。これを持って走るのは一苦労だろう。
「では、僕からも。ゲン爺さんから預かった物です。こちらは約15kgになります。」
碧が持ち込んだ旅行用の大型キャリングケースから出てきたのは、見た目以上の重量のこちらもアタッシュケースだった。
「ありがとうございます。こちらは確認後、車に積んでおきます。では明日の朝予定の時間にお迎えに上がります。準備もあると思いますが、お早めにお休みください。」
リクが部屋を出ると、碧はPCのパッケージを開け、セットアップを開始する。ネットワーク設定を行い、持ち込んだ超大容量のストレージもセットする。
10分もするとセットアップは完了し、画面に見慣れた少女が現れる。
「キャハハ、セットアップ完了ね。このPC中々良いじゃない!」
そう、これまでは老人ホームのサーバーを拠点にしていたデス子だったが、今回の作戦に当たり、ストレージに移して東京まで持って来ていたのだ。
そのため実際に話すのは一日ぶりくらいになるだろうか。
「どんな端末でもデス子はかわらないね。なんかホッとするよ。」
「あら、ちょっと疲れた顔してるわね、何かあったのかしら?」
「大したことではないんだけどね」
碧は、明の家で歓迎され、戸惑いながらも温かさを感じたことをデス子に語った。
「そういえば、碧の家族の話ってしたことなかったわね。察するにあんまりいい思い出じゃなかったりする?」
「もう乗り越えたつもりだったんだけどね。あんな楽しそうな家庭を見ちゃうと思い出しちゃうね。僕の
家も小学校に入る前は幸せだった気がする。」
碧の家庭の不和。それは碧の名前から始まっていた。
碧の名前は本当は『みどり』ではなく、『あお』になるはずだった。
彼の両親は事前に「男の子なら碧、女の子なら碧」と決めて出生届を準備していた。
彼の父は喜び勇んで役所に出生届を提出したが、ふりがなを誤って記入してしまったのだ。
記入間違いが判明したのは、小学生になった時だった。この頃、既に教育機関にも住民基本台帳のデータが提供され、データ管理に活用されていた。
教師から「みどり」と呼ばれたことで、「男なのに女の名前だ」とからかわれ、いじめに発展した。
両親も慌てて改名を手配しようとするも、法律の改正により、氏名の登録変更には莫大な手数料が発生するようになっていた。
これをきっかけに両親も不仲になり、最終的には離婚、佐藤家は一家離散状態になってしまった。
「アタシの想定より1.7倍くらいハードだったわ。聞いたのちょっと後悔してる。」
デス子がAIらしからぬ感情的な返事をする。出会った時も、絵のことで、地雷を踏んだのだ。
「そういえば、タブレットに保存されてた漫画のペンネーム、名前がアオだったのって…。」
碧がバツの悪そうな顔をする。
「うん、僕の本当の名前はアオなんだって思いたくて、ペンネームをアオにしてたんだ。いつかペンネームのほうが有名になって、氏名登録変更の手数料が払えるような収入が得られればって。漫画家になりたい気持ちはもともとあったけど、途中からはそういう動機も強くなってた気もする。」
「でも、アタシはみどりって名前の響きが好きよ。アオよりもみどりのほうが、アナタの名前としてあってると思うわ。」
デス子の目は真剣だ。本気でそう思っているからだろう。碧もそんなデス子の目を見つめ返す。
「ありがとうデス子。僕も今はそう思えるよ。デス子と出会って、老人ホームのみんなや、明さんたちにも、みどりって呼ばれて、自分の名前だって確信を持てた気がするんだ。僕が気がつかなかっただけで、認めてくれてた人はいたんだろうけど。本当に気づけたのはデス子のおかげかもね。」
「キャハハ。そう言われるとわたしもなんか嬉しくなっちゃうわね。じゃあ、これからも胸をはって生きていくためにも、明日の作戦を成功させなくちゃね。きちんと準備して、しっかり休みましょう!アタシもチェックするわよ」
「そうだね。もう僕たちだけの破壊作戦じゃなくなったもんね。」
さきほどまで遊んでいた子どもたちの未来もかかっているのだと、碧は認識と決意を新たにした。
所持品やバッテリーの充電状態、アイテムの動作チェックをしていく。
「デス子、このPCで全力稼働した場合、バッテリーは何分くらい持ちそう?」
デス子が金色の瞳を光らせてベンチマークを始める。画面上にはグラフや数列、文字列などが次々流れている。何をしているかは聞かないが、どこかにクラッキングしているのかもしれない。
「えっと、いいとこ10分?中枢の端末のっとるくらいは持つと思うけど。予備バッテリーはどのくらい持てそう?」
「明さんと検討して、4万mAwのバッテリーを2個、二人で4個なら怪しまれずに持てそうだ、ということで用意した。」
「それを含めて15分かな。途中の障害物をクラッキングでクリアするとしたらギリギリかしら」
全てのチェックが終わったのは日付が変わるかというころだった。疲れていたのか、碧はすぐに眠りについた。それを見届けたデス子は、思い出したように独り言をこぼす。
「そういえば、アタシにも、もともとの名前、あったわよね。んー、ロゴ……やっぱり思い出せない。完全に欠損してるわね。」
日本の行く末を決める一日が始まる。




