2: 喫茶店にて
続くのかよ。
「私とゲームをして頂戴」
「はぁ?????」
午後のひととき、僕は東急渋谷駅から徒歩15分くらいの喫茶店に入った。店内は落ち着いた色調でまとめられていて、ゆったりとしたソファや椅子が並んでいる。カウンターの奥では、店員さんがコーヒーを淹れたり、ケーキを切ったりしている。時々、カップや皿の音が聞こえる。駅から結構歩くとはいえ、店内には人がほとんど見えなかった。それは今日が平日の午前10時だからというのもありそうだ。
僕は窓際の席に座って、メニューを見た。コーヒーはブレンドやストレートから選べるし、紅茶もアールグレイやダージリンなど種類が豊富だ。ケーキもショートケーキやチーズケーキ、モンブランなどが並んでいて、どれも美味しそうだ。迷った末に、僕はカフェオレとチーズケーキを注文した。
草は持ってきていた本を開いて栞を外して読み始めた。タイトルは「人生の短さについて」紀元前1年ごろのストア派哲学者であるセネカの著書だ。出版社はもちろん岩波文庫。でも今日は、全然内容が頭に入ってこない。それはきっとこれから会うクラスメイトのことを考えているだからだ。
開いた本のページを捲ることがないまま、しばらくすると小さいメガネをかけた老婆がトレイに乗せたカフェオレとチーズケーキを運んできてくれた。カフェオレは白いマグカップに入っていて、泡立ったミルクがふわりと浮かんでいる。チーズケーキはふわふわのスポンジと濃厚なチーズクリームの層になっていて、上にはブルーベリーのソースがかかっている。フォークを入れると、スポンジはしっとりとしていて、チーズクリームは口の中でとろける。僕がそのチーズケーキを口に運ぼうとした時、
「あら、待たせてしまったかしら。遅れてごめんなさいね。」
白いワンピースを着た清楚ですらっとした印象の少女は集合時間のおよそ5分前に店内に入ってきたクラスメイトに声をかけられた。彼女は長袖のカーディガンを羽織っていたので、やはり"アザ"は見えなかったが、サンタコスではなくて私服姿のクラスメイトに草は開いた口を閉じるのを忘れ、やや低い机を挟んでふかふかのソファーに腰掛ける彼女を眼球の動きで追うことしかできなかった。チーズケーキは口に入ることなく、空中のフォークから崩れ皿の上に落ちた。
前回までのあらすじ!!
街下座 草は15歳の男子高校生であり、運動神経は平均をやや下回る。学力も学年240人中50位、趣味は音楽と読書、文学部に所属していて、アルバイトはやっていない。絵に描いたようなごく平凡な学生である。
草は、クリスマス前の雪の降る恵比寿駅でサンタクロースの格好でバイト中のクラスメイト、女子バレーボール部のエースにして運動はもちろん、勉学も優秀。ただし対応が冷たいあまり友達がいない。冷徹の女王(笑)、貧畑喜多《ひわたきた》と出会う。
観察眼に優れた草は彼女の異変に気づき、こんなところで何をしているのか問いただすが、口を閉ざす喜多。そこで喜多は草にゲームの挑戦を持ちかける。
「ルールを説明するわ。まず、私がここにあるシュガーシロップを片手に隠します。次に、両手を胸の前で握り、「どっちの手に入っているか」と聞きます。
まちかど君は、シロップが左手か右手の中にあるかを当てます。見事当てられたらあなたの勝ち、それ以外は私の勝ち。以上。質問はある?」
草の正面に座ってそう時間も経たないうちに喜多は本題に入った。やれやれせっかちなやつだ。
「ない。さっさと始めよう。」
喜多はうっすらと笑うとシロップを握り締めて自分の腰の後ろに両手を持っていった。しばらく草と喜多は静かな店内の中見つめあった。そして手を混ぜ終わった喜多は徐に閉じた拳を草の正面に突きつけた。
「どっちの手に入っているでしょうーか...?」
ゆっくりとそう言った彼女は草の目をじっと見つめたままだった。草は目を拳の方におろしてしばらく見つめた。
街下座 草は観察眼に優れていた。
彼はいつも教室で本を読んでいるようで、教室の隅まで観察していた。だから、学校における人間関係の大体は誰よりもわかっているらしかった。一度も言葉を交わしたことのないクラスメイト貧畑喜多の部活、異名の情報もそういうわけで見聞きしていたものだ。
彼には悪い癖があった。
それは無意識的に人間観察を行なってしまうというものだった。
初めは観察対象とする人間の癖や、意外な面が知れて面白かった。そういう面を見つけると時として対象の印象が好転する場合もあった。だが、その逆も然り、人は誰かに見られていないと思い込み油断を醸し出すと、良くも悪くも本性が滲みでてしまうことを、草は嫌というほど知った。
いつしか草は人前では本を開き、極力意識をそこに集中させるようにした。
でも、だからこそ草は恵比寿でサンタコスの彼女を見た時、その異変を見て感じ取ることができた。彼女は何か厄介なことに巻き込まれているということも読み取れる。彼女と同類である彼はだからこそ、この勝負に勝って、彼女がどういう状況に置かれているかを知る必要がある。
彼らは同類だから。
草は目を閉じた。
そして、こう思った。
なるほどわからん。
いや、わっっかんない。左右の拳双方とも、全然同じ形に見える。
ていうか手が白くてすべすべで綺麗ですね。
得意の観察眼持ってしても、彼には答えがわからなかった。
しかしこれは絶対に負けられない戦いであるため、1/2の確率に賭ける前に一度深呼吸を行い、草は推理を始めた。
まず、心理的アプローチで考えよう。
彼女は右利きであることがわかっている。それは恵比寿駅で会った時もチラシを持つ手がそうであったことからわかる。
右手にものを持つ確率が若干高い。
一週間前に見た禍々しいアザは確かに左手にあった。やはり、できるだけそれを見せたくないなら右手に隠すと思われる。
彼は目を開いて口を開こうとした。彼女と目が合った。
その吸い込まれそうな目は一才の瞬きもせず彼の目を見ている。いや、草の目ではなくてもっと遠くの深い何かを見ているような気がした。
途端に彼は不安になった。
待て、本当に右手でいいんだろうか。
ヒントが少なすぎる。何秒シャッフルした?最初にシロップを手に取ったてはどっちだった?腕を上げる高さはどうだ。シロップを持っている手の方が若干重いなら、下に下がるか...?音は?匂いは?視界以外の情報にも注目しろっ!...
「私さ、君と別れた後家に帰って実感したんだけど、嬉しかったんだよね。」
喜多が静寂を破った。
「バレーボール部のみんなは私を嫉妬の対象としか見てないし、誰も応援してくれない。男の子たちは私のことを冷徹の女王だなんて言って、勝手に怖がって離れていくし、でも草は私のことを心配してくれたから、それが単純に嬉しかったんだよね。だから、草君にちょっとだけ、きt...」
「貧畑喜多...君はチーズケーキは好きか?」
喜多が最後まで言う前に草は遮って質問した。
「.....いいえ。」
喜多は一瞬目を丸くして、答えた。
「左」
草は指を刺した。
喜多の開いた左手の上には最初からそこに合ったかのように、シロップが転がっていた。
彼女の左腕のアザが返した袖の中からチラついた。
彼女は正解とも不正解とも言う前に、口を開いて、スムーズに言葉を紡いだ。
「私、バレーボール部での人間関係が上手くいってないの。」
「端的にいえば、いじめられている。」
おおかた、予想通りだった。
続く。
(いや、続かない。飽きたから。)
もう続かない。秋田