10年後に婚約破棄するおしどり夫婦
「ローズ・ライネル! お前との婚約を破棄する!」
それは週に一度行われるアンリ王子との食事会でのこと。
突然、目の前の眉目秀麗な金髪の幼い少年が、私に向かってそう叫ぶ。
私のことを長年の仇を見つけたような目つきで睨みながら。
「こら、王子。フォークは人に向けるものじゃありません。危ないですよ」
「うるさいっ! 俺に指図するな! お前とは今日から婚約者でもなんでもない! ただの他人だ!」
癇癪を起こして、頭をぶんぶん振り回すアンリ王子を見て、私は苦笑いする。
とりあえず、彼の突拍子もないセリフは「はいはい」と受け流して、口をナプキンで拭いてあげた。
ステーキの食べ方が下手くそで、口の周りがソースで汚れまくっていたからである。
「う、うむ。ありがとう――って、気安く触るな! 俺は第一王子だぞ!」
「私はその第一王子の婚約者ですが。触れてはいけないのですか?」
「だから言っただろ! お前とは今日限りで婚約破棄をするのだ!」
そう言って頬をぷくっと膨らませて怒る王子。
可愛い。私よりたった2歳年下の8歳なのに、なんでこんなに私の母性本能をくすぐってくるのだろうか。
たまらない。頬をつんつんしたくなる。
しかし、なぜ急に婚約破棄などと言い出したのであろうか。
元々、王子は短気でわがままな性格であり、何かあるとすぐ爆発することがよくある。
だから、とても面白――じゃなくて、面倒な性格なのだが、流石に婚約破棄という言葉を聞いたのは初めてだった。
いつもは王子が癇癪を起こしても生温かい目で見ているメイドたちも、流石に凍りついている。
いやー……ここに陛下や王妃様が同席してなくて良かったわ。もし同席してたら王子がどんな折檻を受けていたか。
まあ、別にこんな食事会の世迷い言なんていくらでもなかったことにできますし、とりあえず今は王子に落ち着いてもらいましょう。
「まあまあ。落ち着いて。とりあえずこの野菜スープでも飲んで落ち着いてください」
「落ち着けるか! そういうところだぞ!」
「そういうところ、とは?」
「お前はいつも俺の嫌なことばかりしてくるではないか! 嫌いな野菜を無理やり食べさせようとしてくるし、難しい本を読ませようとしてくるし! もううんざりなんだ!」
まあ、確かに事実ではある。
しかし、私はただ嫌がらせでそんなことを王子にしているわけではない。
今後の健康のことを考えると、野菜を食べないことはまずいと思うし、未来の国王となるものが教養を身につけていないのはまずいだろう。
第一、私は陛下や王妃様から王子のことを頼むと言われている。
教育係のいうことを聞かない王子を、面と向かって注意できるのは、婚約者かつ歳の近い私だからだ。
「もしかして、それで私のことが嫌になって婚約破棄なんて言い出したのですか?」
そう聞くと、王子はコクンと首を縦に振る。
ふむ。なるほどなるほど。
私なりに愛情を注いでいたつもりが、ちょっとオーバーしていたようだ。
まあ、植物も水をやりすぎると枯れたり、根腐りするというしね。
しかし、この話が周りに広まると困る。
なんとかここで王子には考えを改めてもらわなければ。
「あの一応、聞いておきたいのですけれど、婚約破棄の意味わかって言っております?」
「当たり前だろ。お前と結婚する約束を無しにするってことだろ?」
「それだけですか?」
「え?」
「王子は国の財務卿であるライネル公爵の令嬢である私と、婚約を破棄するという意味をわかっておられるのですか?」
「……どういうことだ」
「いいですか? この国では王家と財務省は密接なつながりがあります。それは国の運営にはお金が必要だからです。その財務省のトップであるライネル公爵家は国にとって重要な存在なのです。なので、あなたのお父様である陛下は、ライネル公爵家とのつながりをとても重要視しています。だから私と王子との婚約をこんな幼いうちに決めたんです。そんな思惑があった上での結婚を破棄するとなると、どうなると思いますか?」
「ど、どうなるんだ……?」
「めちゃくちゃ陛下に怒られます」
「ひ、ひぃぃぃぃ!!」
一瞬で青ざめた表情になる王子。
まあ、怒られるだけで済めばいい方だが、それは言わないでおく。
子供にとって一番怖いのは、難しい国のパワーバランス云々の話ではなく、身近な親の叱責なのだから。
「では、どうします? それでも王子は私と婚約破棄しますか?」
「う……」
王子は顎に手をやって考えるそぶりをする。
そうすること、数十秒。王子は顔をあげた。
「……年後」
「はい?」
「10年後! 10年後になったら婚約破棄する! それまでは仕方ないから、一緒にいてやる……」
王子は目を逸らしながら、渋い表情でそう言う。
どうやらどうしても婚約破棄自体はしたいらしい。
しかし、流石に怒られるのは怖かったらしく、とりあえず先延ばしにした感じだろう。
う〜ん……このどうしようもない感じ! やっぱり王子は可愛いわ!
「わかりました。では、10年後。どのような選択をするのか楽しみにしておりますわ」
「くっ……! 人が困っているのに、その笑顔……! お前は生粋の悪女だ! 悪役令嬢だ!」
そうして、その日の食事会も無事楽しく終えることができたのだった。
※
そしてあれから10年が経った。
王子は8歳の頃の子供っぽさが嘘のように、大人しくなり、聡明な感じになっていた。
幼いころから持っていた美貌も益々磨きがかかり、学園では女性たちからの人気はとてつもなかったことを覚えている。
しかも、勉学もトップの成績を誇っていたらしく、小さいころから面倒を見ていた身としては鼻が高かった。
また生徒会では会長として手腕を振るい、数々の学園の問題を解決していったと話を聞いている。
一方、私はいつ婚約破棄されてもいいように学園在学中は常にどの分野においてもトップクラスをキープし、卒業後は王妃様の側で仕事の手伝いをしたりして、自分を磨いていた。
それとは別に、私に聖女の紋章が現れたことで、私は次期聖女としても任命されてしまう。
色々、忙しかったが、それでも私は根性でやり通した。
他にも、一応現時点での婚約者として、王子を精一杯支えたりしていた。
不思議なことに彼が年齢を重ねる毎に、私のことを頼ってくれることも多くなってきており、私はそのたびに彼の助けになった。
人間関係の愚痴を聞いたり、生徒会での方針についてアドバイスしたり、時には彼に付き纏っているうるさいハエをやさ〜しく注意することもした。
そんなこんなで王子が卒業をしたところで、私は彼と結婚することに。
私は内心安堵しながら、「あれ? 10年後、婚約破棄するんじゃなかったんです?」と茶化すと、彼は顔を真っ赤にして「うるさい」と言って黙ってしまうのだった。
そして結婚式を終え、初夜を迎えようとした時のことであった。
「お前とは白い結婚でいきたい」
王子は用意された寝室に入ってくるや否や、いきなりそんなことを言ってきたのである。
てっきり好感度を稼いでいたと思っていた私は、その言葉に困惑するしかなかった。
「どうしたんです、いきなり」
「いや……なんというか、その」
王子はそっぽを向いて、何やら口ごもって要領を得ない。
もじもじとしており、何やら乙女みたいで気持ちが悪かった。
普段のシャキッとした感じからかけ離れたその様子に、なんだか子供のころのような王子が戻ってきたみたいである。
「私と初夜を迎えることの何が不満なんですか? 顔とかスタイルが好みではないからですか?」
「い、いや、そう言うわけじゃない。むしろ――じゃなくて! と、とにかく無理なものは無理だ!」
「何が無理なんですか。言っておきますけど、私ちゃんと処女ですよ?」
「ぶっ!?」
私の言葉に思わず吹き出し、顔を真っ赤にする王子。
可愛い。意外とこの王子ウブなのよね。
「お、お前は何を言ってるんだ!?」
「別に事実を言ったまでですけど? 王子のためにとっておいた貞操なので、早くもらって欲しいのですが」
「あ、あのなあ……。もうちょっと女性なら恥じらいをだなぁ……」
「あら。王子はそういう可愛げのある女性の方が好みだったりするんです? それは初耳でした。今度からそういう感じを目指そうかしら」
「そういうことじゃない。お前は別にそのままでいい。変わるな」
「じゃあ、なにが白い結婚の原因なんですか。私、何かしたわけじゃないですよね?」
「そ、それは……」
王子は目を逸らしながら、下唇を噛んで黙ってしまう。
あー、これは何か自分に自信がない時のあれだわ。
王子は下唇を噛む癖がある。本人に教えたことはないが、彼は不安なことがあるといつもそうしてしまうのだ。
ふむ。初夜……初めて……自信がない……。
あ、なるほど。そういうことか。
「別に私、王子が下手くそでも気にしませんよ?」
「なっ!?」
「あ、図星って顔ですね? ふふっ、そういうところ見栄を張りたがりですよね、王子って」
「ち、違うぞ!? お、俺には心に決めた女性がいるから、お前とはしたくないだけで!」
「へぇ? じゃあ、その心に決めた女性とやらは誰なんです? この前、散々『恋愛などにかまけてる暇はない』とか言ってたくせに」
「う。そ、それは……」
「全く。そんな様子じゃ、この先思いやられますね。女の一人も怖がって抱けないとか。王の資格ないですよ?」
「なんだと……?」
王子はピクッと眉を上げる。
彼は昔から自分が第一王子あることを誇りに生き、自分が王になることを夢見てここまで努力してきた。
その資格がないと言われるのは、きっと相当怒るに違いない。と、見越しての挑発だ。
「俺に王の資格がない? そんなわけがないだろう! 俺以上にこの国の王に相応しい人物なんているわけがない!」
「でも、私のことは怖くて抱けないんですよね? 私を満足させられるか分からないから怖いって」
「こ、怖いわけないだろう。ああ、抱いてやるとも。か、覚悟しろっ!」
そういうと王子は迫ってきて、私をベットに押し倒す。
それと同時に私は覚悟を決めて、目を閉じた。
つ、ついに私も大人の階段を登ってしまうのね……。
彼にはあんな風に煽ったけど、正直怖くないわけじゃない。
ど、どれくらい痛いのかしら……。
優しくしてくれるといいのだけれど……。
ああ、でも王子と抱き合えるのは正直、ドキドキするわ……!
なんて考えて待っていることどれくらい経っただろうか。
何故か押し倒されてから動きがない。服に手をかける感じもしない。
不思議に思った私はそっと目を開けて、彼の様子を窺う。
すると、彼は赤く染まった顔いっぱいに汗を浮かべており、プルプルと震えていた。
「……なあ、ローズ」
「は、はい。なんでしょう」
「10年後でもいいんじゃないか?」
「……はぁ!?」
「い、いや、別にまだ世継ぎを急ぐ必要もないし、今日はここまでで……」
そう言われた瞬間、私の中でぷっつんと何かが切れてしまった。
「あのね! いい訳ないでしょう!? 私がこの日をどれだけ待ち侘びたかわかってます!? 私、あなたに釣り合うように一生懸命頑張ってきたんですよ!? そして、ようやく正式に結婚できたと思ったら、白い結婚とか馬鹿にしてるんですか!? あー、もういいです。私から襲いますから。王子はじっとしといてください!」
「は? ちょ、ちょっと待て!」
「待ちません。ほらさっさと服脱ぎなさい! ほらほらほらほら!!」
「あっ、ちょっ、うわー!!!!」
その後、私たちはなんやかんや無事(?)初夜を迎えることができた。
王子からは『ケダモノ』とあだ名で呼ばれるようになったが、私は後悔してない。
とりあえず、そのあだ名で呼ぶたびに関節技を決めるようにしていたら、いつの間にかローズと呼んでくれるようになったので、結果オーライである。
※
あれからまた10年が過ぎた。
王子は隠居したお義父様に代わって、国王陛下になった。
アンリ陛下は慣れない国王の仕事であったり、外交であったりと色々と忙しそうではあったが、念願の国王になったということで精力的に活動している。
かくいう私は王妃と聖女の仕事をしつつ、先日生まれたばかりの子供の子育ても侍女に手伝ってもらいながら頑張っていた。
凄く大変だが、陛下が頑張っている中で私も頑張らないわけにはいかない。
何より私の方が年上なのだから。陛下に負けてなどいられないのだ。
2人でゆっくりできる時間が中々思うように取れなくなってしまったのが、少し寂しい気持ちもあるが仕方ない。
今は我慢の時なのだ。大事な時期なのである。
なんて思いながら頑張っていたある日。
私は陛下に執務室に呼び出された。
陛下から私を呼び出すとか珍しいな、と思いながら陛下のもとへ向かうと、開口一番
「ローズ。君を愛することはできない。私は真実の愛を見つけてしまったのだ」
としたり顔で言ってきた。
「なんですかそれ。ウィレット・ニュートンの『盲目の愛』のセリフじゃないですか」
私が呆れたように今、国で大流行中の小説の名前を挙げると、陛下はパァッと明るい顔になる。
「知っているか。流石、ローズだな。大衆小説にも精通しているとは」
「まあ、主人公の名前が私と同じらしくて、興味が出たので読みましたよ。今度、これを題材にした演劇もやるんですってね。で、一体何の用なんです?」
「いや、なんだ。最近あれじゃないか。お前も俺も仕事ばかりで忙しかっただろ? でも、ようやく今度休みが取れそうでな。だからなんだ、その、お前が嫌じゃなければ、この演劇でも見に行かないか?」
照れたように頬をかきながらしどろもどろにそう誘ってくる王子。
私は一瞬、ポカンとしてしまう。
え、あの陛下が。私を遊びに誘っている?
これまで私からしかお茶会などに誘わなかったのに。急にどうして?
「な、なんだその顔は。い、嫌なら別にいいんだぞ」
「い、いえ。嬉しいですけど……。急にどうしたんです? 今までそんな風に誘ってくれたことなんてなかったじゃありませんか」
「いや……なんというか、この本を読んでな……。ちょっと反省したんだよ」
陛下の暗い顔を見て、私は「ああ、なるほど」と腑に落ちる。
この『盲目の愛』はいわゆるラブロマンスの小説なのだが、序盤が悲恋から始まるのだ。
婚約者のために労働に邁進する女主人公が、婚約者に浮気をされてしまうところから始まり、離婚を言い渡されてしまう。
ちなみに先程の陛下のセリフは、その離婚時の婚約者のセリフなのである。
まあ、その後主人公は出来のいい貴族の男を捕まえてハッピーエンド、元婚約者はその後身を滅ぼして落ちぶれていくという話だ。
おそらく陛下は、この労働に邁進していた主人公と自分を重ね合わせていたのではないか。
浮気をした婚約者がもちろん一番悪いが、それでも主人公に一切の非がないとは言えない。
労働に邁進するあまり、婚約者のことをちゃんと見てあげられていなかったのだ。
そう考えると、国王としての執務ばかりに邁進していて、最近はロクに2人きりの時間がなかった私たちの関係に不安がよぎったんだろう。
「で、どうだろう? 行ってくれるか行かないのか返事が欲しいのだが」
ソワソワしながらそういう陛下。
なんだかその様子が妙に可愛らしくて、即了承したくなる。
しかし、私はその衝動を抑えて、首を横に振った。
「その誘い方じゃ嫌です。まるでただの罪滅ぼしみたいな感じじゃないですか」
「なっ!? じゃ、じゃあ、どう誘えばいいのだ?」
「ちゃんと愛しているから、一緒に演劇を見にいきたいとおっしゃってくれないと嫌です」
私がそうニッコリと微笑むと、陛下は顔を真っ赤にしながら口をパクパクと動かす。
「そ、そそそそそんなこと言えるわけないだろ! そ、そもそもなんで俺がお前に愛してるなどと!」
「あら? 私のこと愛してくれていないんですか?」
「うっ……。お、俺たちは政略結婚だったはずだ」
「答えになっていません。愛してるんですか? 愛していないのですか?」
「……」
「あらら。だんまりですか? 愛してるもしていないもはっきり言えない人が王だなんて、この国の未来も不安ですね〜」
「ぐっ、こいつ……」
こめかみに青筋を浮かべながら陛下は悔しがる。
うふふ……流石にからかい過ぎたかしら。
まあ、ちょっと不満は残るけど、一緒に行ってあげましょうかね。
「陛下ごめんなさい、からかいすぎました――」
それは突然だった。
陛下は私の顎をつかんでクイッと上に向けると、そっと優しくキスをしてきたのだ。
「ローズ。お前をあ、愛している。俺と演劇を見に行ってくれないか?」
「……ひゃい」
衝撃的すぎる出来事に思わず噛んでしまったが、そんなこと気にしていられなかった。
え、今もしかして、私キスされた!?
嘘。結婚式以来まともにキスはしてくれなかったのに。まさかそんな!?
いや、もう完全に油断してたわ……やられた。
体が、顔が熱を帯びていくのがわかる。
まずい。私今どんな顔をしているんだろう。
へ、変な顔してないかしら? 心臓の音とか聞こえてないわよね?
やばい、もうほんとなんでいきなりキスしてくるのよ! 予想外すぎるって、もう!
「あと、お前は俺のこと馬鹿にしすぎだ。次、馬鹿にしたら国外追放するからな? ……って聞いてるのか?」
「き、聞いてます。馬鹿にしたら、またキスしてくれるんですよね?」
「そんなこと一言も言ってない! 馬鹿にしたら国外追放すると言ったんだ!」
「えー、でもそんなこと決めたら、あと1000回は国外追放されちゃいますよ私」
「お前には俺を馬鹿にしないという選択肢はないのか!?」
「ないです」
「断言するな! 全くこうなったら本当に国外追放してやろうか……?」
「別にいいですけど、子供たちはどうなるんです? 母がいないのは教育的にまずいと思いますが」
「……10年だ! もし本当に10年以内に1000回俺のことを馬鹿にしたら、国外追放してやる! それまでは我慢してやる」
「ふふっ。わかりました。では、私もからかわないよう努力します」
「そうだそれでいい」
「でも、恋愛ごとには奥手で意気地なしだと思ってたら、意外に強引なんですね陛下」
「おい、言ったそばから」
「これは褒めてるんです」
その後も色々あーだこーだ言い合いしながらも、久しぶりに2人きりの賑やかな時間を過ごした。
そして、後日2人でお忍びで行った演劇は、心の底から楽しい時間だったことも記しておく。
※
さらに10年後。
もう途中から私が陛下をからかった回数を数えるのを諦めたせいで、私の国外追放の話は有耶無耶になった。
まあ、元々本気ではなかったでしょうけど。
陛下も私もようやくお互いの仕事に慣れてきて、少し余裕が見えてきた。
そのため、色々と家族の時間も取れるようになってきて、家族で食事会なども出来る様になっていた。
また、私たちの子供が学園の初等部に入学して、数年が経っていた。
食事会では、子供が学園であったことを話してくれたりと、楽しい時間を過ごした。
そして、ある日の食事会を終えたある日、陛下が私を執務室に呼んでこう言ってきた。
「断罪する」
「なんですかいきなり。私、なんかしましたっけ」
「お前じゃない。さっきアンドレが言っていたではないか。平民の小娘が擦り寄ってきて鬱陶しいと」
アンドレとは私たちの息子の名前である。
どうやら先程の食事会でアンドレが愚痴をこぼしたことについて、陛下は考えがあるらしい。
まあ、その小娘を断罪したいとかってところでしょうけど。
「別に平民の娘一人が王家に媚を売っていようがいいじゃありませんの。放っておけばいいんです」
「いや、なんだか嫌な予感がするのだ……。今のうちに芽を摘んでおかないといけない。そんな予感が……」
「考えすぎですって」
「そうだろうか……」
陛下はなんだか不安げな顔をしていたが、それ以上は何も言わなかった。
それから数年が経ち、子供たちも高等部に上がった頃。
急にアンドレの婚約者であり、私の姪でもあるフローラが平民の娘をいじめているという悪評が立ち始めていた。
フローラは凄く優しくいい子であって、私はその噂が広まっていることが信じられなかった。
信じられなかった私は実際に聞き取りにいったところ、彼女は「そんなことしてしません」と主張。
その真剣な瞳を見て、嘘をついているとは思えず私はなんとかしてあげようと、陛下にこの件を相談した。
しかし、陛下は「その件は大丈夫だ。そのうち解決する」との一点張り。
「そんな悠長なこと言って! フローラは今、苦しんでいるんですよ!」と強く主張するも、ならお前が彼女を守ってやれ。と言われて取り付く島がなかった。
初めて陛下に腹が立ったが、私は大っぴらに学園で生徒に贔屓できるような軽い立場ではないため、ただ彼女をお茶会に誘って愚痴を聞いてあげることしか出来なかった。
あとはアンドレについてだ。
婚約者が困っているというのに、彼は何をしているのかと思っていると、なんと平民の娘と仲睦まじくしているではないか。
これには流石に怒って、彼をきつく叱った。
意外にもアンドレは素直に叱責を聞いてくれて、平民の娘と仲睦まじくしないように約束してくれた。
どうやら「もう用事は済んだから」というらしいが、なんのことなんだろうか。
そして、月日は流れ、フローラの悪評が最高潮に達した頃。
私や陛下も参加するような大きなパーティーが開催された時のことだった。
なんと平民の娘のワインに毒が検出されたのである。
しかも、その毒の粉がフローラのドレスからも検出されたではないか。
私を含め周りの皆さんがざわざわと騒いでいると、陛下が急に平民の娘の前に出てきた。
「おい。お前、この袋に見覚えはないか?」
「!? な、なんでそれを!? 部屋に鍵はかけといたはずなのに!?」
陛下が小さな小袋を平民の娘の前に掲げると、彼女は驚愕の表情に。
「これは先程お前の部屋を探したら出てきたものらしい。そして、どうやらこの中に入っているのはそのワインの毒と同じ成分だという。これはどういうことだ?」
「……そ、それは」
「大方、フローラ嬢に毒殺未遂の罪をなすりつけ、アンドレとの婚約破棄を狙ったのだろう。しかし、詰めが甘かったな」
「……うう」
「言っておくが、貴族を貶めようとした罪は国外追放じゃ済まない。下手したら死刑にもなる重罪だ。覚悟をしておけ」
「ひ、ひぃ! お、お許しを!」
「連れて行け」
そう言って平民の娘は兵士に連れられて、会場の外へと去っていった。
その後、呆然としている私に陛下がネタバラシをしてくれた。
どうやら怪しいと思ってから、偵察部隊を学園に放っていたらしく、フローラの悪い噂をばらまいているのが平民の娘であることを突き止めていたらしい。
それが許せなかった陛下は、平民の娘を泳がせることで断罪できる準備を整えていたというのだ。
またアンドレが彼女と仲良くしていたのは、彼女の部屋に入るための合鍵を手に入れるためだったらしい。
私はアンドレに謝罪しつつも、なんで教えてくれなかったのかと拗ねてみた。すると、
「だって母上、作戦知ったら安心しちゃって、わざわざフローラのために時間を削って、週に何回もお茶会開かなかったでしょ?」
と言われてしまった。
そんな薄情ではないと言いたかったが、流石に睡眠時間を削ってまで何度もお茶会を開いたかというと、わからなかった。
月に2、3回くらいで済ませていたかもしれない。
それに励まし方も、そのうちなんとかなると軽い励ましになっていたかもしれないと思うと、私はアンドレに強く反論ができなかった。
その後、平民の娘は貴族を貶めようとした罪で処刑されることに。
フローラは悪評は全て作り話だったことで、学園内の地位は回復していった。
全てを丸く収めてしまった陛下。
ううむ、なんだか私の手から完全に離れていってしまったみたいで寂しい。
だから私はその寂しさを紛らわすために陛下に軽口を叩くのであった。
「しかし、私に内緒でそんなやり手みたいなことをしていたなんて。陛下も結構かっこいいところあるんですねー」
「なんだその言い方は。まるで普段はカッコよくないみたいじゃないか。馬鹿にしてるのか? お前も断罪するぞ?」
「ふふっ。別にいいですけど、そうすると陛下は隠居後、一人ぼっちになってしまいますね?」
「……10年後だ。仕方ないから10年後に断罪してやる」
※
そして、また10年が経ったある日。
陛下はアンドレに国王の地位を譲り、私はフローラに王妃の座を譲った。
しかし、聖女業は未だ私は辞めることなく続けていた。
なんというか何かをしていないと、アンリ様に釣り合っていないんじゃないかと不安になるからである。
そうして、今日も聖女として教会で祈りをしていると、珍しくアンリ様が教会にやってきた。
そして、
「おい。ローズ、お前はもう聖女じゃない。祈るのを明日からやめろ」
と言い放ってきたのである。
「聖女を降りろ? 何を言っているのです? 私がやらねば誰がこの国に祈りを捧げるのですか」
「それならもう代わりはいる。実は極秘裏に聖女の資格のあるものを探していたのだ」
「……でも」
私はそれをどうにか拒否できないか言葉を探していた。
唯一アンリ様の隣に立っていられる拠り所。それを取り上げられるのが怖かった。
聖女でも王妃でもなんでもない私が、彼の隣になってしまっていいのだろうか。それを考えることがとても恐ろしかったのである。
「なんだ。ようやく完全に隠居できるんだぞ? 正直、お前の歳だともう聖女業はしんどいだろうに。嬉しくないのか?」
「……はい。嬉しくありません。私はまだ……あなたの隣に立ちたいのです」
「? よくわからないが、だったら余計聖女をやめた方がいいんじゃないか?」
「え?」
「だってそうだろう。完全に隠居すれば、俺との時間も作り放題だ。隣に立ち放題だ」
「そ、そういうことではなくてですね……」
「それにお前にはいい加減聖女をやめてもらわないと俺が困る」
「……? なぜ私が聖女を続けると、アンリ様が困るのですか?」
「今の俺はただのアンリだ。陛下でも王子でも何でもない。ただの老いぼれだ。だから聖女のお前と釣り合ってるか不安なんだよ。俺なんかが今のお前の隣に立っていいのかって。恥ずかしい話だがな」
そう言って恥ずかしそうに苦笑いするアンリ様。
驚いた。まさかアンリ様も同じような悩みがあっただなんて。
私は彼の言葉を否定するように、ぶんぶんと頭を横に振る。
「アンリ様が私の隣に立てないわけがありません。むしろ、私の方が聖女の身分などがなかったら、アンリ様と釣り合ってないと思います」
「馬鹿か。そんなわけがないだろう。お前が聖女じゃなくなっても、俺の隣にはお前しかいないと思っている。だから聖女から安心して降りていいんだ。もう老い先短いのだし、残りの時間をもっとお前と過ごしたいのだ。俺と一緒に隠居してくれ」
「……も、もし嫌だと言ったら?」
「10年前にいった断罪を執行する。逆に聖女を降りてくれれば、10年延長してやる」
「ふふっ、断罪されるのは変わりないんですね」
「ああ。お前には散々不敬にされてきたからな。その罪は償ってもらう」
そういうとアンリ様は悪戯っ子のような無邪気な笑みを浮かべる。
全く……そんな顔されたら、私には選択肢は一つしかないじゃありませんか。
「わかりました。まだあなたの隣にいたいので、聖女を降りることにします」
「そうか。じゃあ、手続きはこちらで進めておく。引き継ぎだけ手伝ってくれ」
「わかりました」
「……なあ」
「なんですか?」
「なんというか、ご苦労だった。そしてありがとう。お前のお陰でこの国の平和は保たれていた」
「別に感謝されるようなことではありません。私が聖女をし続けていたのは、あなたの隣に立ちたいという邪な気持ちでやっていただけですから」
「それでもだ。感謝せずにはいられないんだ。本当にありがとう。聖女になってくれて。私の妻であってくれて」
「……はい」
私は込み上げてくる思いを、涙をアンリ様に悟られないように必死にごまかすので必死だった。
こうして私は聖女からおり、ただのローズ・ライネルになったのだった。
彼の隣に立つだけの、純粋な女になったのだ。
※
そして、またそこから10年後。
私はもうすっかりやつれてしまい、ベッドで寝たきりの状態になっていた。
もう先は長くない。今夜が峠かもしれないと言われてしまっている状態だ。
別に何かの病にかかったという訳ではない。単純に寿命がきたのだ。
そして、今は部屋でアンリ様と2人きり。
アンリ様は今、涙を浮かべ、私の手をぎゅっと握っている。
その必死で、悲しそうな顔は中々お目にかかれるものではない。
何だかその表情がおかしくて、私は笑みをこぼしてしまう。
「ふふ……なんて顔をしているんですか……」
「お前、死ぬなんて許さないぞ。まだお前には断罪してないのだから。まだ生きてもらわねば困る」
「何を言っているんです……。近いうちに凄く重い断罪を受けるではないですか……」
私はぎゅっと彼の手を握り返す。
「あなたに会えなくなること。あなたと喋れなくなること。あなたをおちょくれなくなること。あなたを怒らすことができないこと。約60年分の罰をこれから受けるのです……」
「……」
「それとも、それ以上に何かお望みでも……?」
「ああ、お前は俺にとって稀代の悪役令嬢でもあるからな。まだまだ足りん」
「へぇ……じゃあ、他にどんな罰を……?」
そう聞くと、アンリ様は顔を近づけて私にキスをしてきた。
「来世でも私と結ばれる……そんな罰だ」
「ふふっ……やだ。それじゃご褒美ですよ……」
「安心しろ。これは呪いだ。10年後どころか1000年後だってずっとお前を追いかけ回してやる。うんざりするほど、な」
「あらあら、それは怖い……」
「ああ、俺はしつこいからな。覚えていろ。俺はお前のことを……死ぬほど愛してる。いつまでも。ずっとずっと」
「はい。私も……愛しております。ずっと……ずっと……」
※
そして、何十年、いやそれ以上に時が過ぎ去っていった頃。
1人の幼い伯爵令嬢が婚約者との顔合わせに立ち合おうとしていた。
相手は自分より2歳下の男の子らしい。
少女はなんだか憂鬱だった。
なんで好きでもない、顔も性格も知らない人と婚約しないといけないのか、と。
しかし、その少女の憂鬱な感情も彼と顔を合わせた瞬間、吹き飛んでしまった。
「おいお前! お前との婚約を破棄してやるからな!」
ビシッと私を指差しながら、満足げに言い切った男の子。
少年の言葉に、周りの大人たちは凍りついていた。
しかし、ただ1人。
婚約相手の少女がクスクスと笑って、こう答えるのだった。
「はい。10年後にお願いします」
最後まで読んで下さり、ありがとうございました!
この作品を読んで「面白かった!」「ほっこりした!」「来世でも末永くイチャイチャしろ!」などと思ったら、ブックマークや、下の方にある
☆☆☆☆☆
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作者の創作活動のモチベーションになります!
何卒よろしくお願いいたします!