クロヴィス・ラシアンは心配性 3
物質破壊魔法の使用者のリストに目を通し調べてみたものの、リラを憎んでいる、もしくはネメシア公爵家に恨みのあるような人物は見当たらなかった。
憶測だけで事故を人為的な事件だと言うことはできない。
確証が持てるまでは大々的に公表することは憚られた。
ひとまずシグルーンを呼び出して、相談することにした。
「――と、いうわけだが。どう思う?」
寮にある俺の部屋でシグルーンに状況を説明すると、シグルーンは悩ましげに眉をひそめた。
「……人食い熊の方には、心当たりがありますね」
「心当たりとは?」
「魔獣を、魔力によって石に閉じ込める技術についてです。魔獣とは、人獣戦争の時に獣を魔力で改造したもの。もしくは、獣に半獣族の血液を混ぜ込んだもの。現在残っているのは、それらが野生化し繁殖しているものです。その性質は獣とほとんど変わりませんが、総じて凶暴です。まぁ、兵器だったので、凶暴でなくては困りますが」
「それは知っている。だが、魔力によって石に封じるという話ははじめて聞いた」
「魔獣研究者の残した古い文献に、確かそんなことが書いてありました。人獣戦争の時に、より兵器としての使用が容易になるように、そのようにして持ち運ぼうとした、とか。結局その技術が完成する前に戦争は終わってしまったようですが」
「誰かが、それを完成させたのか。だが、どうしてリラを殺そうとする必要がある」
「リラ様は可憐ですからね。気が強くて可愛げがないように見えて、非常に可愛らしくて素直です。男性で、リラ様を害しようとするものはまずいないでしょう。手に入れようとする者がいたとしても」
俺はシグルーンを睨んだ。
そんなことは知っている。余計なことは言わなくて良い。
「殿下はリラ様を奪われることばかりに気を取られて、ご自身に向けられる感情には鈍感でしょう。リラ様を害する理由はありますよ。多分、嫉妬でしょうね」
「嫉妬? あまりにも可憐だから、憎まれるのか? その程度の理由で……」
「十分理由になるでしょう。リラ様がいなくなれば、殿下の婚約者の座が空席になりますからね。それを狙っている女性は、少なくありません」
「くだらない。そんなことで、リラは怪我をしたのか? だとしたら、俺のせいだ」
「殿下のせいです」
シグルーンは、特に俺を慰めるようなこともなく、きっぱりと言った。
「……物質破壊魔法を使える、校外学習に参加していた一年生というのは、男子生徒しかいない。誰かに頼んだか、それとも、誰かが校外学習に紛れ込んでいたとしたら、該当者を見つけることは困難だ」
俺のせいでリラが傷付けられたとしたら、リラのために早く犯人を見つけなくてはいけない。
幸いリラは休養中だ。だが、学園に戻ってきたらいつまた危険な目に遭うとも限らない。
一体誰がそのようなことをしたのだと考えるが、女生徒の顔などは覚えていないので、誰一人頭に思い浮かばなかった。
俺が知っているのは、フィオルとミレニアぐらいだ。リラ以外の女に興味がないので、名前と肩書きぐらいしか認識していない。当たり前だが、個人的に親しくしている者も、話をしたことがある者もいない。
話しかけられても、適当にあしらっていた。会話の内容も覚えていないぐらいだ。
晩餐会などで誘われれば礼儀としてダンスの相手をすることもあるが、誰の相手をしたかなんてまるで思い出せない。
シグルーンは、口元に手を当てて、軽く首を傾けた。
「殿下は、心当たりはないのですか」
「ない」
「女性に言い寄られているという自覚は?」
「ないな。リラ以外の女は、女として認識していない」
「……殿下がそうでも、相手にとってはそうではないんですよ。まぁ、良いです。私の方でそれは把握していますからね。……ある程度、調べたらまた、報告しにきますよ。それから、……殿下は、このことが片付くまで、リラ様に会いに行かないようにしてください」
「何故だ?」
怪我をして歩けないだろリラのことが心配だった。
できれば、毎日顔を見に行きたいと思っていた。この数日は忙しなく、リラも辛い姿を見られたくないだろうからと、我慢していたのだが。
「傷つき弱っている女性というのは、普段よりもずっと魅力的に見えるものです。殿下の自制心がもたないかもしれない」
「……余計な世話だ」
「というのは冗談で、――リラ様がいない今、リラ様を害しようとした者を炙り出せるかもしれない。そのためには、殿下にはリラ様と距離をとってもらう必要があるんですよ。詳しいことは、また後日」
シグルーンはそれだけ言うと、部屋を出て行った。
再び俺の元へとシグルーンがやってきたのは、数日後のこと。
そうして、俺は最低な提案を持ちかけられたのである。
「……エイダ・ディシードに言い寄れ?」
「はい」
生真面目な顔で頷くシグルーンを、俺は睨みつけた。
何故そのようなことをしなければいけないのか。
ディシード家は、国の西に領地を持つ侯爵家である。エイダ・ディシードのことはよく知らない。
何度か話しかけられたことはあっただろうか。適当に返事をしていたから覚えていない。
リラと同じ教室にいるようだが、意識したことはなかった。
「嫌だ」
「まぁ、そう言わずに。リラ様には内緒にしていてあげますから」
「尚更嫌だ」
「でも、殿下。リラ様を傷つけた人間を野放しにはできないでしょう」
「何故言い寄る必要がある」
「ディシード家では、多くの魔導士を賓客として集めているようですよ。魔導士といっても裕福な貴族ばかりではありません。没落した者もいれば、貴族として生まれずそのまま庶民として魔導士になった者もいないわけではありません。金に困っていれば、雇われることもあるでしょう。そうして魔導士を集めて研究を行い、魔獣を封じた石を作り出しているという噂があります」
「戦争でも起こすつもりか」
「ディシード侯爵は野心家として有名です。娘のエイダを、殿下の婚約者にと強く推していた。それは叶いませんでしたが」
「侯爵が野心家なことは知っているが、婚約の件は知らない」
「殿下が気にする必要のないことですからね。私が知っていれば良いんです。王家に擦り寄ることが叶わず、簒奪を望んで軍事力を増強している可能性はあります」
「……エイダ・ディシードが、リラを殺そうとしたのか?」
「おそらくは、そうではないかと。だから、殿下にはエイダに近づき油断させ、その近辺を調べて欲しいんです。たとえば部屋、もしくは屋敷に、魔獣を封じた石があるかどうか。それがあれば、言い逃れはできないでしょう」
俺は嫌悪感に顔をしかめる。
嫌で嫌で仕方ない。
シグルーンが良いことを思いついたような顔で「番、ということにしましょう」などと言うので、更に最低な気分になった。
気が重かったが、シグルーンにそれが一番手っ取り早い方法だと言われて、頷くしかなかった。
学園に向かう足が重い。リラのためにリラを裏切るのか。図らずしも、俺が一番拒否したかった状況に自ら足を踏み入れようとしていた。
そんな悩みを抱えて鬱屈した気分で一日を過ごしていた夕方、俺が自ら動く前に、エイダ・ディシートの方から俺の元へとやってきた。
「クロヴィス様、リラ様のこと……、ご心配でしょう」
エイダに誘われるまま、俺は学園の裏庭へと向かった。二人で話をしたいと言われたので、都合が良かった。
誰もいない中庭で、エイダは俺の手を握ると猫なで声で言った。
まるで人形にでも触られているようだ。何も感じない。
リラの手は、小さくて柔らかくて、あたたかかった。ずっと、触れていない。
せっかく――リラが、俺のことが好きだと言ってくれたのに。
あれは崖から落ちたことや魔獣に襲われた恐怖で混乱していて、だから助けに来た俺に甘えてくれたというだけかもしれないけれど、それでも嬉しかった。
口付けも――触れるだけのものだったが、することができた。
あれ以上は歯止めが利かなくなりそうで、なんとか我慢した。
それなのに、どうして俺はこんなところでエイダに手を握られているのだろう。いっそ、エイダの首を絞めて脅し、罪を白状しろと迫ったらどうだろう。それが一番手っ取り早いのではないだろうか。
「あの、私……、少しでもクロヴィス様の心が慰められるように、良いものを持ってきましたの」
「それは、ありがとう。気を使ってくれて、嬉しい」
心にもないことを、口にした。
お前は俺の番だと言わなければいけないのだろうが、どうにも言う気になれない。
エイダは制服のポケットから、小さな袋を取り出した。
薄桃色のリボンで口を閉じられた小袋からは、妙に甘ったるい香りがした。
「……クロヴィス様。私を見て」
「……っ」
その袋を強引に俺に押し付けるようにしながら、エイダは俺の顔を見上げる。
頭が霞みがかったようにくらりとした。一瞬だけ、エイダがとても魅力的な女性のように思えた。
だが、――それだけだった。
なんだ、こんなものかと思った。
おそらく小袋の中身は、魅了の香かなにかだろう。
嗅覚の発達している半獣族にとっては、かなり効果の強いものだ。
しかし、リラに対する感情に比べれば、エイダに感じた魅力などは砂粒のようなものだ。
俺は番という存在をずっと気に病んでいたが、――獣の本能など、俺のリラに対する欲望に比べたら随分と矮小でくだらないなと、失笑した。
だが、ちょうど良い。
「……エイダ。……俺は、何故今まで気づかなかったのか。お前が俺の、番だと言うことに」
薄ら寒い演技だった。
けれど、エイダはとても嬉しそうに、それこそ恋する女のような顔で微笑んだ。
醜悪だなと思った。
それからの日々は、最低の一言に尽きる。
エイダは毎日俺に会いに来た。俺からエイダに近づく必要が無いので、楽と言えば楽だった。
ミレニアは俺の態度に「リラ様に言いますから!」と怒っていたようだが、フィオルは事情を察したらしく、ミレニアを窘めていた。
エイダはどうやら俺を疑っているようだ。エイダが疑っているのか、ディシード侯爵が疑っているのかは分からないが、ディシード家の見張りが俺の行動を見ていることにすぐに気づいた。
行動に細心の注意を払い、常にエイダが優先だというように振舞った。当然リラには会いに行けず、――苛立ちばかりが募っていった。
そして、とうとうリラが学園に戻ってきた。
本当は迎えに行きたかった。療養中も心細かっただろうに、声をかけることも手紙を出すことさえできなかった。
二度と寂しい思いをさせないと約束したのに、事情があるとはいえ裏切ってしまった。
謝っても謝りきれない。全てが解決したら、今までの分も含めて何倍も、リラに愛を捧げなければ。
魅了の香についてはシグルーンに調べさせた。
あれも戦争時代の負の遺産の一つで、半獣族を『番』というその特性を操り服従させるために、人族が魔法によって作り出した、失われた技術なのだという。
だとしたら、古の王も――魅了をされていただけではないのか。
今となっては分からないが俺はエイダと共にいてもずっと正気だった。リラだけを愛している。それならば――怖いことはなにもない。
いつの間にか、夢を見る回数が減っていた。
リラが俺とエイダの姿を見て、走り去ったことに気づいていた。
すぐに後を追いかけたかったが、できなかった。
今すぐ俺の足の上に座っているこの女を床に叩きつけてやろうかと思ったが、あと少しだと思い、耐えた。
突然降り出した雨には、リラの魔力の気配が満ちていた。
リラのことは、シグルーンに頼んである。どこに行ったかは分からないが、多分大丈夫だろう。そう自分に言い聞かせる。
その日、俺はエイダに誘われ、エイダの部屋に行った。
エイダが着替えている間に部屋を探り、クローゼットに仕舞われた鞄の奥底から、魔獣が封じられた宝石を見つけ出すことができた。
宝石からは禍々しい魔力が感じられたので、探し出すのは左程手間ではなかった。
フィオルや俺のように、誰でも魔力を感じられるというわけではない。魔力量と資質に、魔力に対する感受性は左右される。今まであまり意識したことはなかったが、案外役に立つものだ。
宝石を手に入れた俺は、エイダの部屋を出た。
エイダは何かを期待するようにべたべたと俺に触ってきたが、「お前を大切にしたい」などと適当に誤魔化すと、簡単に騙されてくれた。
そうして寮の階段を降りている最中、リラとすれ違った。
リラは喫茶店で見た男の腕に抱かれていた。
殺したい、と思った。
誰を――というのは、明確には分からない。
それは男かもしれないし、エイダなのかもしれない。
それとも、俺自身か――リラのことを、なのか。
リラは俺のものだ。憎しみに似た激情に体を支配されそうになる。
けれど、ここまで耐えたのだからと、なんとか感情を押し殺していた。
――大丈夫だ。
――俺は、罪深い王にはならない。
大切なものを、大切だからと、壊したりしない。
そう自分に言い聞かせた。




