回復魔法は存在しないので根性でなんとかするしかない
クロヴィス様が、助けに来てくれた。
あと少し遅ければ私の体は食いちぎられて、亡骸が草むらに転がっていただろう。
安堵のせいか体の力が抜ける。
ふらりと倒れそうになった体を、クロヴィス様が支えてくれる。
「リラ、……なんて、酷い」
泣き出しそうな表情を浮かべて、クロヴィス様は私の体を上から下まで視線を向けて確認した。
あまり見られたい姿ではないけれど、仕方ない。
全身を苛んでいた痛みは、今はかなり局所的になってきている。
右足首のずきずきとした痛みが酷いせいか、多少のかすり傷についてはあまり気にならなくなっていた。
気を失ったせいであまり水を飲み込まなくてすんだようだ。
咳をしたときに吐き出すことができたようで、息苦しさも薄らいでいた。
「大丈夫。ロヴィ、助かったわ、ありがとう」
両手は動かすことができる。
立ち上がることはできそうにないけれど、私はクロヴィス様の服を握りしめて自分の体を支えた。
「大丈夫なんかじゃない。リラを失ってしまうかと思った。……どうして、こんなことに」
絞り出すような声音で、クロヴィス様が言う。
怒りと焦燥、苦渋が混じりあったような表情は、はじめて見るものだった。
「道が崩れて、落ちたの。それで、足を捻ったみたいで、歩けそうになくて……」
「あぁ。リラの担任が、事故を知らせる手紙を学園の教員たちに送ってきた。それで俺もリラが崖から落ちたことを知って……、フィオルとミレニアはまだ上にいる。俺は、滑落場所から崖を降りて、リラを探した。……見つかって、良かった」
「良く、見つけたわね……」
「血の香りのする方をひたすら探した。人食い熊は目立つ。だから、リラを見つけられた」
「じゃあ、襲われて良かったのかもしれないわね」
冗談のつもりだったのに、クロヴィス様は眉を寄せて不機嫌な表情で首を振った。
「……笑えない」
「ごめんなさい」
デリカシーがなかったわね、今の。
クロヴィス様は私の体を抱き上げて立ち上がった。
私は痛みに顔をしかめる。声を上げないように奥歯を噛みしめた。
体に衝撃が加わるだけで、ずきりと体を痛みが走り抜ける。全神経が足首に集まってしまったみたいだ。
「悪い。少し、堪えていてくれ」
「痛いぐらい、どうってことないわ。助かったのだし。来てくれてありがとう、ロヴィ。ロヴィが居なければ、……きっと、無事ではいられなかったわね」
「今日ほど、半獣族として生まれて良かったと思った日はない。間に合って、良かった」
「崖、降りてきたのよね。凄いわね、かなり上から落ちてしまった気がするのに」
「半獣族の身体能力であれば、降りるのは容易だ。だが、登るのは無理だな。一人ならどうにかなるが、リラを抱えては、危険だろう」
クロヴィス様は切り立った崖の方向へと視線を向ける。
崖の側面には凹凸があるだけで、道のようなものはなさそうだった。
崖の上にはフィオルとミレニアがいるのかもしれないけれど、視界には入らないぐらいに高さがある。
「迷惑をかけて、ごめんなさい」
痛みと申し訳なさで、心が沈んだ。
「迷惑なんて思っていない。……リラ、心配しなくて良い。一緒に帰ろう」
クロヴィス様の言葉と共に、眩く輝く光弾が空へと打ちあがり弾けた。
いくつかの光弾が真昼の空に花火のように打ちあがる。赤や青、紫色の光の塊が空で弾けて、目が眩むほど眩しくあたりを照らした。
「教師たちが未だリラを探している。他の生徒は学園に戻ったが、フィオルとミレニアは帰らないと言い張っている。リラを見つけたら合図をし、その場から離れず救援を待つという約束だ」
「私、……ごめんなさい。皆に迷惑をかけてしまって」
「リラは悪くない。皆、リラを心配している。気に病む必要はない」
「はい……」
「無暗に動き回らずに救援を待つ必要があるが、その前に……、その服では、凍えてしまうな。ここだけ地面が濡れているのは、水魔法を使ったからか? とりあえず、どこか休める場所を探そう」
クロヴィス様はそう言うと、濡れた草むらを避けるようにして歩き出した。
「こういう時、傷を治す魔法がないことが歯がゆいな」
「……時間がたてば、治る傷です。問題ないです」
悔しそうにクロヴィス様が言う。
私は首をふった。
傷跡が残らないと良いけれど。そんなことを心配している場合ではないのだろうけれど、傷跡の残る体をクロヴィス様に見られるのは嫌だなと思った。
濡れた草むらから離れ、遮蔽物の少ない開けた場所でクロヴィス様は立ち止まった。
背の低い雑草と、落ち葉の絨毯が敷き詰められているその場所で、クロヴィス様は視線を地面に向ける。
地面からするすると木の根が生え始め、それは捻じれ重なり絡み合い、一人用のベッドのようなものが出来上がる。
クロヴィス様は私の体をその場所に横たえると、少し離れた場所へと手を翳した。
ぼこぼこと地面が隆起し、岩が組み合わさる。木の枝が積み重なり、赤い炎が灯った。
瞬く間に赤々と燃えあがる薪が作り上げられる。炎から、煙が空へと細い紐のように立ち上る。
遠くからでも目視できるほど高く登る煙に、居場所を知らせるために火を起こしたのだなと、感心した。
クロヴィス様が魔法を使っているところを初めて見た気がする。
物質形成系のかなりの熟練した使い手のようだ。
炎のおかげで、凍えた体が多少暖かくなる。収縮していた血管が温まったことによって開き、手足がじんじんと痺れた。意識がぼんやりしてくる。
「……リラ、悪いが脱がせる」
「……、うん」
濡れた制服を着たままでは、体温が奪われる一方だということは分かっている。
ブーツも脱いで、傷がどれほどなのか見なければいけないことも理解している。
硬い声でクロヴィス様が言うので、私は頷いた。
両手を使って木の根で出来た台の上に起き上がると、かじかんだ指先で胸元のリボンと並んだボタンをはずそうとした。
けれど、指先に力が入らず、うまくいかない。
「リラは動かなくて良い。俺に任せてくれ」
「……ん」
クロヴィス様は私の隣に座って、器用に濡れたリボンを外した。
ボタンをぷつぷつと外し、ローブに似た制服を脱がせてくれる。
ゆったりとしたつくりの制服は、濡れて体に張り付いて、脱ぎにくい。
両手を万歳の形にあげて、なるだけ協力をした。
制服の下には下着と厚手の黒い簡素なワンピースを着ている。ワンピースも下着もぐっしょり濡れてしまっている。
魔法で作り出した池の中に落ちたのだから、仕方ない。
クロヴィス様は遠慮がちに黒いワンピースも脱がせてくれる。
「……あ、あの、私」
恥ずかしがっている場合ではないのに、下着姿を晒してしまっていることに羞恥心がせりあがってくる。
今はそれどころじゃない。わかっている。
でも、――やっぱり、恥ずかしい。
薄桃色の下着だけを身に纏っている私は、両手で自分の体を隠した。
クロヴィス様は何も言わずに私の腕や、肩、足に触れる。いくつかの切り傷があるようだった。血が滲んでいるけれど、深い傷はなさそうだ。
触れたことで指先にこびり付いた血を、クロヴィス様は口元に持っていくとぺろりと舐めた。
私は驚いて、その赤い舌や、鉱石のような紫色の瞳を食い入るようにみつめる。なんだか、見てはいけないものを見てしまった気がする。顔に熱が集まる。
クロヴィス様は俄かに目を見開くと、慌てたように唇から指先を離した。
それから自分の制服をさっさと脱ぐと、私の体をくるんでくれた。
「……今のは、忘れてくれ」
「は、はい……」
真っ赤になった顔を見られたくなくて、私は俯いた。
そういえば――ロヴィは、私を食べたいと、言っていたんだっけ。
そんなことを思い出し、落ち着かない気持ちになった。
クロヴィス様の制服は大きくて、まるで暖かい毛布にくるまれているかのようだった。
「制服、ありがとう。でも、ロヴィは寒くないの……?」
「問題ない。中に服を着ている」
男子生徒の制服は、ローブの下に詰襟のかっちりとした服を着るという構造になっている。
長袖の制服だけになったクロヴィス様は、今度は私の足を片方づつ膝の上にのせて、ゆっくりとブーツを脱がせてくれる。
白い靴下も引き抜かれて、素足になる。
右足に触れられると体が震えるぐらいに痛かったけれど、泣き言は言っていられないのでなんとか堪えた。
クロヴィス様は座った状態で、私を膝に抱えて体に腕を回した。
抱きすくめられると、布を隔てて体温が伝わってくる。
炎とクロヴィス様の体温のおかげで、体があたたまってくるのが分かる。全身に感覚が戻ってきたせいか、足首の痛みがより一層強く感じられた。
赤く腫れあがってはいるけれど、動かそうと思えば足の指先が動く。
折れたわけではなさそうで、安堵する。
捻挫なら、骨折よりもなおりが早い。半月ほど安静にしていれば、治る程度の怪我だろう。
傷を治す魔法があれば良いのだけれど、私たちの使える魔法にはそういったものはない。
病気や怪我は、医師の薬や治療で治すものだ。
「リラ。……あの高さから落ちて、よく無事でいてくれた」
クロヴィス様は私の肩口に、顔を埋める。
大きな手や硬い腕が、私をすっぽりと包むように抱き込んでいる。
手の力の強さが、抑えがちだけれど微かに震えて掠れた声が、触れ合う皮膚を通して伝わってくる。
胸が、切ない。もう息苦しさはない筈なのに、無性に苦しくなる。
「ええと……、水魔法で、落下の衝撃を和らげようと思って。でも、魔法の制御がうまくいかなくて、魔力を全部使ってしまったみたいなの。大きな池が、できてしまって。そこに落ちたから、生きてはいたけれど……、おかげで、びしょ濡れになっちゃったし、人食い熊とは戦えないし、……っ」
私はできるだけいつもどおり、明るい声音で言った。
けれど話しているうちに、死ぬかもしれないという恐怖を思い出して、声が震え始める。
言葉がぷつぷつと途切れて、目尻に涙が滲んだ。
「……無理しなくて良い。怖かっただろう」
「……っ、ぅ、う」
怖かった。
私は――怖かったのだ。
今更、恐怖を思い出して体が震え始める。
涙がぽろぽろと零れ落ちて、制服を黒く濡らした。
「こわかった、……怖かったの……、死んじゃうかと、思って」
「あぁ。……もう、大丈夫だ、リラ。俺がいる。リラ、よく頑張ったな」
「うん、うん……っ」
力の入らない手で、クロヴィス様の体にしがみついた。
頑張ったことを認めてもらって、嬉しい。全部うまくできたわけじゃないけれど、それでも――その言葉だけで随分と救われるような気がした。
「リラ……」
クロヴィス様は私の髪を、優しく撫でていてくれた。
落ち着くまで辛抱強く待っていてくれるクロヴィス様の手や、名前を呼ぶ声が、優しくて、とても愛しい。
「ロヴィ……、……いままでずっと、冷たくして、ごめんね」
意地を張るのは、もうやめよう。
もしかしたら本当に、クロヴィス様の心配している通りの番という存在が現れてしまって、いつか私はクロヴィス様に忘れられてしまうかもしれないけれど、――でも。
ずっと意地を張り続けていつか嫌われてしまうより、素直に自分の気持ちを、クロヴィス様に告げよう。
私の王子様は、心配性で、繊細で優しくて、とても可愛らしいひとだ。
だから、私はずっと――
「……私、ロヴィが、好き」
クロヴィス様の顔を見上げて、小さな声で言った。
緊張で、大きな声が出ない。私らしくもないか細い声で、それだけ言うのが精一杯だった。
「……っ」
クロヴィス様が息を飲む音が聞こえた。
「リラ、……リラ、好きだ。リラ……」
何度も名前を呼ばれて、頬や額に口づけが落ちる。
気恥ずかしさと嬉しさと、心地良さと緊張で、私は身を固くしながら目を閉じていた。
ふわりと柔らかいものが唇に触れる。
口付けられたのが分かる。指先がぴくりと震えた。
「……好きなんだ、リラ。リラが欲しいと思うほどに、自分が恐ろしくなる。俺はリラの言うように、優しくなんてない」
触れるだけの口づけのあと、私をきつく抱きしめたクロヴィス様が低く掠れた声で言った。
私はなんて言葉を返して良いのかわからなくて、大丈夫だという気持ちを込めてその背中をゆっくりと撫でた。




