一難去ってまた一難
体に泥がまとわりついているようだ。
全身が重たい。ぬるい覚醒と共に息苦しさを感じる。
「っ、は、……っ、……っ」
げほげほと、胸を押さえて咳をした。
くの字に曲げた体が、咳のたびに面白いように跳ねる。
ひゅうひゅうと、喉の奥で音がする。口の中にせりあがってきた何かを幾度か吐き出して、私はぐったりと草むらに体を横たえた。
「……っ、は……」
ゆっくり大きく息を吐く。
息苦しさはまだ残っている。空は晴れ渡り真っ青で、お日様も輝いているのにその恩恵を私は一切受けられないような気がした。
指先の感覚がない。
――道が崩れて、崖の下に落ちたんだっけ。
自分がどこにいるのか、一瞬分からなくなってしまった。
視界が霞む。寒さに凍える体に、ゆっくりと落ちていこうとする意識を唇を噛みしめてなんとかつないだ。
水魔法を使って、地面にたたきつけられる衝撃を回避した。
そこまでは良かったのだろう。
けれど、自分の使った魔法で溺れ死にそうになってしまった。
水底で意識が途切れたせいで、魔法の効力が切れたのだろう。
さっさと魔法を解除すれば良かったのだろうけれど、頭が回らなかった。
かろうじで生き延びたは良いけれど――これじゃあ。
全身が水浸しになっている。
体は重たい倦怠感で支配されていて、ずきずきと全身が痛んだ。どこが痛いのかは良く分からない。
四肢の感覚は鈍い。ただ寒くて、冷たい。それしか感じない。
痛みは確かにあるけれど、体全部が痛いような気がした。
「……っ、最低だわ」
草むらが水に濡れている。凍り付いてこそいないけれど、体温が一気に奪われていくのが分かる。
水を含んだ制服は重たくて、何とか起き上がろとしたけれど、寝返りをうっただけで力尽きてしまった。
愛らしい小鳥の囀りが聞こえる。
さわさわと揺れる森の木々の葉の擦れる音が、やたらと大きく耳に響いた。
うるさいぐらいだ。騒音に聞こえる。
静かに、して欲しい。
眠たくて仕方がない。眠ってしまいたい。
「ロヴィ……」
小さな声で呟いた。
――古の王のようにはならないと、言っていたんだっけ。
こんな時なのに、幼いころのことを思い出した。
ずっと忘れていた。私にとってはよく意味が分からないことだったから、強く印象には残らなかったのだろう。
あの時の私はまだ幼くて、男女の恋愛と、友人同士の友愛の違いさえ、意識し始めたばかりだった。
クロヴィス様は、ずっと苦しんでいたのかしら。古の王のようになってしまう自分に、ずっと怯えていたのかしら。
――帰らないと。
こんなところで眠っている場合じゃない。
何とか起き上がって、山を降りないと。
濡れた体でこんなところで一晩過ごしたら、確実に凍死してしまう。
転落死を免れたのだ。私は良くやったわ。まだ、生きている。
なんとしてでも生き延びてやる。
「あぁ、ムカつくわね……、動きなさい、私の体……っ」
思うようにならない自分の体に苛立つ。
かなり高いところから落ちたらしく、崩れた崖は見えない。
フィオルやミレニアが私を見捨てて居なくなるということはないだろうけれど、遠すぎるのか呼ぶ声も聞こえなかった。
「痛いわね、最低……!」
悪態をつくと、元気がでる気がした。
まだ声が出る。大丈夫だ。
手のひらを地面について、上半身を起こす。
生まれたての小鹿みたい。
切迫した状況ではあるのだけれど、自分の姿が滑稽で私は少し笑った。
両手はかじかんでいるけれど、動きそうだ。
腰をあげて、両足で立とうとしたけれど、激しい痛みに襲われて私は再び草むらに倒れた。
ずきずきと全身が引き裂かれるぐらいの痛みを、右足首に感じる。
ブーツにつつまれた足に視線を送る。
あまり、見たくない。
骨が突き出していたらと、嫌な予感ばかりが頭を支配した。
けれど、そこにはブーツにつつまれたいつもの私の足があるだけだった。
一見しただけでは怪我の程度はわからない。
折れていないと良いのだけれど、折れていてもただ捻っただけだとしても、とても起き上がれそうになかった。
私は絶望的な気持ちで、両手で顔を覆った。
こらえきれない涙が両目からあふれる。泣いている場合ではないのは分かっているのに、どうしようもなかった。




