下山と遭難
山頂で待っていてくれた先生から無事に証明書を貰い、下山途中で数体のスライムに出くわした。
今度は距離をとって魔法を使ったので濡れることはなかったけれど、なんせ寒かったので、意地を張らずにスライムの相手をフィオルにお願いすることにした。
フィオルは「リラもミレニアも魔法はきちんと使えているから大丈夫よ。それに、これは訓練だし、将来魔獣と戦う職業に就くわけじゃないんだから」と言っていた。
それもそうかもしれない。エンバート商会の商隊の護衛をしているフィオルと違って、私やミレニアはそもそも魔獣と遭遇する機会も乏しい。
山の中腹まで降りたあたりのこと。
特になんの変哲もない道を歩いていたはずなのに、踏み出した足元にふと違和感を感じる。
何もなかったはずの砂利道を踏みしめる私の靴底を中心として、道にひびが割れ始める。
あれ、と思った瞬間、もうすでに崩落が始まっていた。
私は道の一番外側を歩いていた。崖が崩れるようにして、私の立っている足場が崩れて、体が落下していく。
「リラ!」
「リラ様……!」
フィオルとミレニアは崩落に巻き込まれずにすんだようだ。
大きく見開いた瞳がこちらを見ている。延ばされた手を掴もうと手を伸ばすけれど、体は落下するばかりで届かない。
ミレニアの悲鳴染みた声が何度も「リラ様!」と私を呼んだ。
二人の姿はすぐに見えなくなってしまった。
ばらばらと落ちてくる小石や砂利が、体にぶつかる。
私は――このまま死んでしまうのかしら。
諦めては駄目。何か、考えるのよ。何かしなきゃ。死ぬわけにはいかないもの。
私が死んだら、ロヴィは泣いてしまうわよね。
それは、いけない。
「清流よ、零れ溢れ、大地を満たせ……!」
何とか手を組み合わせて、詠唱を唱える。
本来なら枯渇した井戸に水を湧かせたり、飲み水を確保するための魔法なのだけれど、ありったけの魔力を込める。
落下した私が叩きつけられる筈だった地面に、円形に分厚い水溜まりができる。
水溜まりというよりも、深さのある池に近い形だ。
私は、どぼん、とそこに落ちた。
衝撃と共に体が水底へと沈んでいく。
水面に叩きつけられた衝撃で、意識が霞んだ。
地面にぶつかり死ぬということは免れたけれど、ごぼごぼと口から酸素が漏れていく。
溺死、してしまう。
意識を失うわけにはいかない。
水の膜の外側に、良く晴れた青空と木々が見える。巨大な水槽に閉じ込められているようだ。
自分の作り出した魔法で死んでしまうだなんて、間抜けすぎるのではないかしら。
唇から零れた気泡が、上へ上へと上がっていく。
苦しさに耐えかねて息を吸い込もうとすると、口の中に水がごぼりと入ってくる。
私の意識はそこでぷつりと途切れた。
視界が真っ黒く塗りつぶされて、「リラ……!」と私を呼ぶクロヴィス様の声の、幻聴が聞こえた。
◆◆◆
私はいつものようにお城に遊びに行った。
家にいてもやることがなかったし、お城に行けばロヴィとシグがいる。
同じ年頃の友人は二人しかいなくて、午前中のお勉強の時間が終わると、家の者と一緒に城に遊びに行くのが私のいつもの日課である。
私のお家は王都にあって、お城までは目と鼻の先だ。たいていは馬車で向かう。歩いても行くことができるけれど、お父様もお母様も危ないからと言って、それを許してくれなかった。
お父様はお城で働いていて、お父様が帰る時間になると、ロヴィやシグと遊んでいる私を連れに来てくれた。
もうすぐ私は十歳になる。
あまり男の子とばかり遊ぶのは良くないのかもしれないけれど、他にお友達もいないし、二人と一緒にいると気が楽だ。
お茶会で、同じ年ぐらいの女の子と会うことがあるけれど、皆なんだか怖い。
挨拶をすると挨拶を返してくれるけれど、何か言いたげな瞳でじろじろ私を見るし、「リリーナ様に比べてしまうと、大して可愛くない」と悪口を言われたこともある。
私のお母様は確かに、とても綺麗な方だ。金色の髪に青い瞳のお人形みたいなお姫様。私と比べられないことぐらい、私が一番良く知っている。
腹も立たなかったけれど、女の子は怖いなと思った。
だから、女の子のお友達は少ない。
この間会った垂れた耳のあるミレニアという女の子とは、仲良くなれそうだった。
耳が可愛くてつい触ってしまったけれど、怒られなかったから、良かった。
私も最近は気を付けているけれど、昔からロヴィの耳を引っ張ったり撫でたりしていたから、耳と尻尾のある人を見ると触りたくなってしまう。
特にミレニアは、はじめてみる兎の耳だったから、触りたくなってしまった。
ミレニアは、シグの婚約者なのだと言っていた。
婚約者とは将来結婚をする相手のことだ。私も誰かと将来結婚をするのかしら。あんまり、想像できない。
「リラ!」
お城の奥の、居住空間に入れる人は限られている。
私やお父様はそれを許可されていて、ロヴィとシグはお城の奥の図書室で、最近はいつも家庭教師の方の授業を受けていた。
授業が終わると、私のもとに来てくれる。
いつものように中庭でお花を眺めたり、蝶々を見たり、バッタを捕まえたりしていると、ロヴィの声がした。
シグは一緒ではないようだった。
私の元に駆け寄ってきたロヴィは、いつもよりも元気がないように見えた。
「こんにちは、ロヴィ。授業は終わったの?」
「あぁ……、終わった。……リラ、話があるんだ」
話とは何かしら。
どうしたの、と顔を見上げる。
いつも同じぐらいにあった目線が、最近私よりも高い。顔立ちも、だんだん変わってきている。
生まれたときからずっと一緒にいるような感じがしていたのだけれど、ロヴィは私よりもひとつ年上だから、先に大人になっていくんだなぁなんて、思ったりする。
ロヴィは私と一緒に、中庭にあるベンチに座った。
さわさわと吹き抜ける風が、コスモスの香りを運んでくる。
茶色いコスモスはチョコレートの香りがする。秋は好きだ。涼しくて、気持ち良い。
「話って?」
私が尋ねると、ロヴィは真剣な表情でこちらを見た。
「俺は、リラと結婚したい」
ロヴィはそう言った。
私は特に疑問に思うこともなく、「うん」と頷いた。
――ロヴィと、結婚する。
私はもう一度心の中でロヴィの言葉を反芻する。
ロヴィとは物心ついたときからずっと仲良しで、それこそ生まれたときから一緒にいたような気がしていて、ロヴィのお父様は私のお母様のお兄さんだということもあって、家族みんなで仲良しだった。
だから結婚というのはとても自然なことのように感じられた。
「リラ、良いのか……、俺で」
「良いわよ。ロヴィとは、ずっと一緒だもの。今までもこれからも、ずっと一緒。とても、嬉しいわ」
「……リラ」
ロヴィは嬉しそうに微笑んだ後、何故だか悲しそうに表情を曇らせた。
私はどうして悲しそうな顔をするのかが分からなくて、ロヴィの手に自分の手をそっと重ねてみる。
「何かあったの? どうして、悲しそうなの?」
「リラ。……俺は、リラが好きだ」
「うん。ありがとう」
好きだと言われるのは、純粋に嬉しい。
体が熱くなって、胸がどきどきする。
お友達だと思っていたロヴィを、自分とは違う性別なのだと意識してしまう。
「私も、ロヴィが好きよ。シグも好きだけれど」
「……リラは友人として俺が好きなのか?」
「ずっとそう思っていたけれど、今は違うわ。……いつもと違う気がするの。ロヴィに好きだと言われて、嬉しいわ。それって、私もロヴィが好きだということでしょう?」
「……っ、リラ、嬉しい」
ロヴィの顔が赤い。
真っ赤に染まった顔が林檎みたいで可愛かった。
私もつられて赤くなっているのを感じる。胸のどきどきが、もっと大きくなる。
「俺の婚約者になってくれるだろうか」
「うん。私で良いなら、ロヴィのお嫁さんになるわ」
「俺で良いのか?」
「ロヴィ以外に、仲良しの男の子はいないもの。シグには婚約者がいるし……、私、結婚するならロヴィが良い。優しいし、耳と尻尾は可愛いし、一緒にいると安心するわ。ずっと私と仲良くしてくれる?」
「約束する」
「ありがとう! 嬉しい」
「リラ。必ず、幸せにする。リラを、傷つけたりしない。……絶対に」
どことなく苦しそうに、ロヴィが言う。
私はロヴィの手に添えていた自分の手に、力を込めた。
いつの間にかロヴィの手は、私のそれよりも大きくなっていた。
骨が固くて、私のふにゃりとして頼りない手とは全く違う。
「ロヴィは、私を傷つけたりしないわ。ロヴィといると、いつも楽しいのよ」
「……俺は、リラが好きだ。けれど、もしかしたら……、好きすぎて、傷つけるかもしれない」
「好きなら傷つけたりはしないでしょう?」
「違うんだ。リラが……、俺の元から去ろうとしたり、……リラが俺を嫌ってしまったら、俺はリラに、酷いことをするかもしれない。……リラ、俺は、……リラを、大切にしたい。獣染みた本能じゃなくて、俺の意志で、リラが好きだと思いたい」
「……ごめんね、ロヴィ。意味が良く、わからないの」
「そうだな。すまない」
「でも、大丈夫よ、きっと。ロヴィは、酷いことなんてしないわ。ロヴィが優しいこと、私は良く知っているもの」
「優しいと言われたことはあまりない」
「優しいわ。ロヴィ、私が耳を引っ張っても、尻尾を引っ張っても怒らないし。犬みたいに扱っても、怒らなかったでしょう? 小さい時だけれど。……反省しているのよ?」
「あんなことは、別に構わない。リラになら、どこを触られても良い。俺は、リラがずっと好きだった」
「そうなの?」
仲良しのお友達だと思っていたけれど、その好きと、ロヴィの今言っている好きは、違う気がした。
「はじめてみたときから、ずっと。リラは可愛くて、小さくて、俺が守らなければと思った。……食べてしまいたいと、思ったんだ」
「食べるの?」
「……違う。今のは、忘れてくれ」
「お腹がすいていたのね、きっと。今は食べたくはない? 食べたいから、そんなに苦しそうなの?」
私は心配になった。
半獣族が人を食べるだなんて聞いたことがないけれど、もしかしたらロヴィにとって私はおいしそうなお肉に見えるのかもしれない。
「違うんだ、リラ。俺は……、古の王のようにはならない」
ロヴィはそう言って、私の体を引き寄せると強く抱きしめた。
その言葉はとても切実で、意味は分からなかったけれど私は頷いた。
抱きしめられた体が熱くて恥ずかしくて、それどころではなかった。
私は何も言えなくて、でも、嬉しくて。
だからきっと、私もロヴィのことが好きなのだろうと思った。
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