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人獣戦争


 ヴィヴィアナ様はしばらく国王ローランド様の気が利かないという話をしていた。

 私は口をはさむことなくうんうん、と聞いていた。人の話を聞くのは嫌いじゃない。


「――それで、リラちゃん。クロヴィスの態度が改まったのだから良かったなと私は思っているのだけれど、リラちゃんはまだ何か、不安なことがあるのかしら」


 短い沈黙の後、ヴィヴィアナ様が遠慮がちに尋ねた。

 私はこくんと頷く。ヴィヴィアナ様もそうだけれど、カレルさんや私よりもずっと年上の大人の方々には、私は結構素直な態度をとることができる。

 ルシアナや家人たちには別である。ついつい、つんけんした態度をとってしまうのはきっと、気安さと甘えからなのだろう。

 理解はしているのだけれど――なかなか、難しい。


「はい。……その、クロヴィス様は、ヴィヴィアナ様の話を真に受けてずっと心配しているようなのです」


「運命の相手とやらが現れて、婚約破棄をするかもしれないって?」


「運命の相手……、つまりそれは、半獣族にとっては、番という存在だというのです」


「あら、まぁ」


 ヴィヴィアナ様は口元に手を当てて、目をまんまるくさせた。

 クロヴィス様の紫の目は、ヴィヴィアナ様に似ていて、黒い髪はローランド様に似ている。


「番……、番ね」


 ヴィヴィアナ様は何かを噛みしめるように何度か呟いた。


「私には良く分からないのです。友人のミレニアは……、番とは単純に好きな相手のことだと言っていて、クロヴィス様は、私を、その……、す、好きだと、おっしゃってくださっていて」


 改めて言葉にすると恥ずかしい。

 照れている場合ではないのだけれど、私は頬に両手をあてた。


「それは、混乱するわよね。クロヴィスはどうしてリラちゃんを番だと認めないのかしら」


「ええと、……そういう本能とは関係のないところで、私を好きだと思いたいのだと、言っていました。私には違いが良く分からなくて。でも本当に番が現れてしまったら、私は要らなくなってしまうんじゃないかと思って。それなのに、私と結婚したいのだと言うから」


「あらまぁ、馬鹿息子だわ。これはもう、王太子をすりおろしたい王妃の会を結成するしかないわね」


 ヴィヴィアナ様は溜息交じりに言った。

 やっぱりすりおろすのかと、私はクロヴィス様のまだ見たことのない、おろし金ぐらいに凹凸のありそうな腹筋について思いを馳せた。


「ヴィヴィアナ様、……私は、どうしたら良いのでしょうか」


「リラちゃんは、どうしてクロヴィスがリラちゃんが番ではないと言い張っているのか、その理由を知っている?」


「それは、私のことが好きじゃないから、なのでは」


「違うわ。逆よ。多分好きだから、そう思いたくないのよ」


「どういうことですか?」


 ヴィヴィアナ様は逡巡するように黙り込んだあと、軽く指を振った。

 一瞬のうちにテーブルの上に分厚い本が現れる。黒い表紙には、『王国と人獣戦争』と書かれていた。 

 ヴィヴィアナ様が魔法を使っているところを初めて見た。

 魔力のある貴族が使える魔法にはいくつかの種類に分けられるのだけれど、ヴィヴィアナ様の魔法は物質転移のようだ。


「これは……、王家の保管している歴史書ね。これを見ることができるのは、ローランドと私と、クロヴィスだけ。特にクロヴィスにとっては重要なものだわ」


 ヴィヴィアナ様が本を指さすと、分厚い本がひとりでにめくれ上がる。

 古めかしい文字と、絵が描かれている。文字は古すぎて、解読は困難のように思えた。


「人獣戦争については、広く知られていると思うのですけれど」


 王国の歴史を学ぶと、それは必ず出てくるものだ。

 ラシアン王国にはかつて、半獣族の集落と人族の集落があった。種族はお互いの違いを受け入れることができず、お互いを劣性種族だと決めつけて、差別していた。

 差別はやがて戦争へと発展した。その当時、魔力を持っていたのは人族で、半獣族には魔力はなかったのだという。

 半獣族の身体能力に、人族は魔法や道具で対抗した。

 実力は拮抗し、数年間の泥沼の戦いの後に、和平が結ばれた。

 それからは人族と半獣族は交わり、おおよそ三百年の間に血が交わって今では純粋な半獣族や人族は、一握りしかいないと言われている。純血にこだわる方々もいるようだけれど、ほんの一部だ。

 学園に入る前に家庭教師から受けていた授業で、私はそのように学んでいた。


「表むきに知られているのは、概要だけよね。どうしてそれが起こったかまでは伝えられていないわ。きっかけはあったの」


 ヴィヴィアナ様は少しだけ憂鬱そうに言った。


「お互いを差別し、嫌いあっていたからだけではないのですか?」


「確かにそれはあったのだと思うわ。くすぶり続けていた火に、赤々と燃えあがる火種が投げ込まれた。瞬く間に、火は勢いを増して――ただの嫌悪が、殺し合いにまで膨れ上がってしまった。その火種が何だったのか、この本には書かれているわ。クロヴィスは、幼いころにこれを読んでいるの」


「……何があったのか、聞いても良いのですか?」


「リラちゃんにも関係のあることだから、もちろん」


 ヴィヴィアナ様は深く頷いた。

 ヴィヴィアナ様はよく手入れされている美しい細い指先で、本のページを示した。

 古めかしい文字は、私には解読できそうにない。

 

「ここに書かれているのは、王家の犯した罪の話。でも、リラちゃん。このことは、私とリラちゃんだけの秘密にしておいて。申し訳ないのだけれど、ルシアナは席を外してくれる?」


「わかりました。それではリラ様、ルシアナは城の入り口で待っていますね」


 ヴィヴィアナ様に言われて、私の後ろに立っていたルシアナは深々と礼をすると部屋を退出した。

 私とヴィヴィアナ様二人きりになった部屋は、妙に寒々しく広いように感じられた。


「そう、怖がらなくても大丈夫よ。クロヴィスは深刻に考えているけれど、昔の話だもの」


 私を安心させるためか、ヴィヴィアナ様は口元に微笑みを浮かべる。


「……三百年前というのが、どれぐらい昔なのか私には良く分かりません」


「そうね、古いようで、近い。近いようで古い昔だわ。私達はおおよそ、六十年生きるとして、五世代前程度のこと。だから、人と半獣が交わり作られたラシアン王国の歴史は、左程古くないのよ。王家の歴史が優に千年を超える国もあるもの」


「ラシアン王家は、戦争前からあったのではないのですか?」


「あったといえば、あったわね。……歴史書によれば、王国には半獣族の王であるラシアン王家と、人族の王家、二人の王がいたそうよ」


「ラシアン王家は、元々は半獣族の王だったのですね……」


「戦争後に積極的に人族の血を取り入れていったから、今では時折半獣族の特徴のある子供が生まれる程度だけれど。クロヴィスは、私の血を濃く受け継いでしまったのね」


「今は、種族の違いを気にするものはいません」


「そうね。王国民でそれを気にする者は今はもうあまりいないわね。でも、私たちは違うのよ。ラシアン王家に残されているこの歴史書には、半獣族の王が犯した罪が書かれているの」


「罪、ですか」


「半獣だからといって、罪を犯すわけではないわ。けれど……、王家の場合、半獣族の特性がより濃く出やすいといわれていてね。例えば私は半獣族だけれど、ここに嫁いできているから、元々の血筋は王家のものではないわ。けれど、クロヴィスは王家の直系になるわよね。だから、獣としての本能がより強い――そのように、言い伝えられているわ」


「獣の本能が強いと、何か困ることがあるのですか?」


 ヴィヴィアナ様は一度目を伏せて、紅茶を一口口にした。

 ソーサーにカップを置くカラン、という音が、部屋にやけに大きく響くようだった。


「そうね――戦争が始まるきっかけになった話よ。かつて半獣族の王には、愛する妻がいた。けれどある日、人族のまだ年若い少女を見初めてしまったの。つまり、番を見つけたのよ。その少女は、人族の王家に連なる者だった。無理やりに浚い、閉じ込めて、強引に思いを果たした。けれど少女の心は得られない。当然よね。王は怒り、感情に任せて少女を殺してしまったようね」


「酷い……」


「そうね……。そして、捨て置かれた王妃様は夫の仕打ちを嘆き悲しみ、死んでしまった人族の少女の髪を一房手にして、城から逃げた」


「逃げたのですか?」


「王に、それから半獣族に、絶望したのではないかしら。王妃は人族の里まで逃げて、髪を届けて少女の訃報を伝えた。少女の死によって、人族の半獣族に対する嫌悪感はどうしようもないぐらいに膨れ上がった。けれど、すぐに戦争が起こるということはなくて、人族の里に逃げてきた半獣族の王妃を人族はかくまったの。悲しみに打ちひしがれていた王妃は、人族の里で愛する人を見つけた。それは、人族の王子だったようね。王妃は人族と添い遂げようとしたそうだわ」


「それは、良かったです。酷い人ばかりではないのですね」


「でも、それで終わりだったら良かったのだけれど。……半獣族の王は、愛する王妃が去ってしまったことを嘆き悲しんだ。番の少女が死んで、正気を取り戻したのか――それとも、本能と愛情の狭間に揺れて、壊れてしまったのか、それはわからないわ。半獣族の王は、王妃を連れ去ったという理由で人族に戦争をしかけたの」


 私は息を飲んだ。

 はじめて聞いた話だった。そんな理由があったなんて、歴史の教科書には載っていなかった。

 本に記されていたのも、家庭教師が教えてくれたもの、ただお互いを嫌悪していたから戦争が起こった、とだけだ。


「そうして戦争がはじまり――王は、王妃を強引に連れ戻した。王妃の心はもう王にはなかったのに。自分以外の男を愛する王妃を王は憎み、それでも愛していた。自分勝手な話だけれど」


「……先に王妃様を裏切ったのは、王なのに」


「そうね。でも、感情は、理屈ではどうにもならないのよ。それぐらい深く愛していたのだと思うわ。結局、王は王妃を殺して自分も死んだ。そうするしかなかったのでしょうね。……すでにその時戦争は激化していた。きっかけはどうあれ、元々お互いを嫌悪していたし、人族は王族の少女が殺害されたことで、半獣族に対する恨みがあったわ。だから、それが鎮火するまでには時間がかかったみたいね」


「ラシアン王家が残っているということは、半獣族が勝ったということですか?」


「勝ったというのは正しくないわね。ラシアン王家は、道を踏み外した王が死に、良識のある弟王子が王位についた。弟王子は戦争には消極的だったそうよ。だから、防戦を続けていた。それに比べ人族は、少女が死に、王子と心が通じあっていた半獣族の王妃がさらわれたのだから、半獣族を滅ぼす……というぐらいに、感情的になっていたようね」


「……どうなったのですか?」


「結局、半獣族の王家は秘密裏に人族の王家の穏健派の方と通じて、戦争の終結への道筋を探した。そのためには人族の抗戦を主張する者たちが邪魔だったの。だからその方々を、和平を望む人族の方々と結託して、罠にかけて殺した。そうして和平が結ばれた。この本によれば人族の王家はその時、ほんの一握りしか残っていなかったそうよ。だからラシアン王家は、その血筋を全て受け入れた」


「人族の王家と契ったということですか?」


「そうみたいね。残されていた幼い姫や、令嬢を、半獣族の貴族や王家に連なる血筋の者たちは、積極的に受け入れて契ったようだわ。人族の中でも、身分が高いひとほど魔力が強かった。だから、その血が今の貴族に受け継がれていて、本来魔力のない半獣族の私は魔法が使えるの。リラちゃんも、そうね。数世代前のネメシア公爵は半獣族だった筈よ」


「クロヴィス様はそれを知って、どう思ったのでしょうか」


 クロヴィス様は王家にうまれた半獣族だ。

 かつて道を踏み外した半獣族の王が、自分のことのように感じられたのかしら。

 それは、幼い子供が背負うものとしては、酷なのように思える。


「そうね、あの子は深刻にうけとめていたようだわ。リラちゃんは酷いと思うかもしれないけれど、……あの子は王になるのだから、歴史を知る必要があるの。同じ過ちを繰り返さないために」


「番が現れるかもしれないというのは、だから……」


「クロヴィスは、リラちゃんが好きなのよ。リラちゃんが番だと認めてしまえば、本能が暴走して残酷な目にあわせてしまうかもしれない。けれどそうではなかった場合も、リラちゃんに酷いことをしてしまうかもしれない。……どちらが良いか考えた結果、リラちゃんに対する感情は自分の意志で、本能に打ち勝つことを自分に課しているのかもしれないわね」


「本能とはそれほど強いものなんですか?」


「そうね。乾いた砂漠を三日三晩さまよって、からからに体が枯れ果てているとするわね。そこに差し出された水を、拒否できる者がどれぐらいいるのかしら、という話になるわね。クロヴィスは考えすぎだとは思うけれど……、結局あの子が好きなのはリラちゃんだけだし、それはもう、番だと思っているのと同じだわ。だから、認めてしまえば楽になるのだろうけれど……、もうしばらく見守ってやってくれるかしら」


「……はい。何となくですけれど、理解できたような気がします」


「酷いことは起こらないとは思うのだけれどね。でも、何かあったら私に言って。いつでも私は、リラちゃんの味方よ。私もリラちゃんのお母様だからね」


 ヴィヴィアナ様は優しく言った。

 それから本を指先で示す。本はもともとそこには何もなかったかのように、テーブルの上から一瞬で消えてしまった。




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