エッセイ。3.11
長い話。3.11のこと。
あの日のわたし。小学生だった息子と
携帯電話で、真っ黒い海を見ていた。
見たことのない黒い波に連れて行かれる
たくさんの車を見た。
3月11日。
あの日のわたし。小学生だった息子と
携帯電話で、真っ黒い海を見ていた。
見たことのない黒い波に連れて行かれる
たくさんの車を見た。
Live中継を食い入るようにしてみた。
あっという間に電池を消耗し
携帯は使えなくなった。
数年後YouTubeで、閲覧注意と銘打たれた
東日本大震災の画像がいくつも上がってるのをみた。あの日のわたしがみたのと似た映像。
あの日はわからなかったけど、
数年後にみた時には、あの日なにが起きたか、表面的ではあるけれどわかっていた。だから、
流されていく車や、破壊されていく町に、じぶんを投影してしまった。
閲覧注意とするような
そんな画像はアップして欲しくない。
その中で何度も何度も繰り返されているのは
単なる映像ではなく、知っていたかもしれない人の生死だと思う。
自分の父や母、子や兄弟、友だちの、生きていた時と死んでいく瞬間が、クリックひとつで
なんどでも、再現される。
どんなにくるしかったろとか、考えてしまう。
ポロポロ涙してしまう。
もうYouTubeで検索はしないけれど、これと言った知り合いがいるわけでもないけど、あんなに悲しくなるのなら、みうちはもっとかなしかろう。
忘れてはいけない、けれど、
閲覧注意と銘打たなければならない映像ならば
わたしは。
閲覧注意とされる作品を投稿する理由はなんだろうと考えるきっかけになった。




