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こんな出会いは望んじゃいねぇ - 3

 物音をたてないように細心の注意を払って玄関の扉を開け、身体を滑りこませる。瞬間、ほのかにただようスパイシーな香りに、私は思わず身体を強張らせた。

 この匂い、カレーだ。急なメニュー変更自体はよくあることだったが、ババアの予言めいたセリフといきなり合致してしまった現状が恐ろしい。私は眉間に皺を寄せながらも、気を取り直して靴を脱ぎ、段差を上がった。

 廊下の奥の方から明かりが漏れているし、母親はきっとキッチンだろう。気配を殺して一瞬で階段までの距離を駆け、そのまま静かに二階へと避難する。

 弟の部屋の前を忍び足で通り過ぎ、自室へと逃げ込んだところでようやく息をついた。母親との接触を避けられたことに、心の底からほっとする。

 ワーキングチェアの上にショルダーバッグを放って、ぼふんとベッドにダイブした。あーあ。できることならこのまま眠ってしまいたい。そんで二度と目覚めることなく死にたい。

 けれど今の私には、何らかの意思決定を下す為の気力や体力が残っていない。結局一度だけ寝返りをうって、ジーンズのポケットからスマホを取り出す。いつもの癖で青地に白い鳥のアイコンをタップしようとして、結局やめた。

 創英賞の結果発表があった金曜日から、SNSの類は怖くて開いていない。今日は日曜日だから、丸二日ってことになるか。誰か心配してくれてるかな、なんて思うけど、通知がきてないからきっと無駄な期待だと思う。そうさ、私は所詮その程度の人間だよ。いてもいなくても、さほど変わりゃあしないんだ。

 それなら、何食わぬ顔してまた呟けばいいじゃん。もう一人の私がどこかからそう囁く。あんたのことなんか誰も見てないし、前に「創英賞出します」って言ったことなんて、覚えていやしないって。

「――……それはそれでなんかショックだーーッ!」

 思わずそう絶叫すると、すかさず隣の部屋の弟が壁ドンしてきた。すみませんね。うるさい姉貴でよ。過疎生放送を配信するのに忙しい君ほどやかましくはないはずなんだけどね。

 結局さまよった私の指は、一番下の段に配置しているwebブラウザのアイコンをタップしていた。

 出てきたのは、創英社小説新人賞の特設ページ。トップには、でかでかと『一次選考結果発表!』の文字が躍っている。

 何かの間違いで見落としちゃいないかな。そうやって何度このページに目をこらしたかわからないけれど、それでもやらずにはいられないんだから仕方がない。

 並んでいる文字列を追いながら、そこに見知った名前を見つけるたび死にたさに拍車がかかる。この人はランキング常連。このひとはリツイートよくまわってくる。はいはい、ネット強者乙。

 ――ここに載っている人たちは一次通ったんだよね。

 SNSを開くと、まかり間違ってこういう人たちの喜びの報告を目にしかねない。だから避けてるのもあるんだ。だってそんなの見ちゃったらもれなくメンタル即死だよ。

 結局、どれだけ目を凝らしてみても、やっぱりそこに私の名前はなかった。いよいよ何もかもが嫌になって、枕元に携帯を放る。

 やっぱりこのまま眠ってしまおうか。

 ずぶずぶと眠りの海に沈んでいこうとする意識を、一枚のある『用紙』の存在が阻んだ。提出期限は、明日、月曜。本当はこのあいだの金曜日だったのを、無理矢理伸ばされたのだ。私は反対側に寝返りをうって、デスクを――正確には、その上にのっているはずの一枚の藁半紙を睨む。

「進路希望調査票」

 無駄にA4サイズに引き伸ばされたでかい表の一番上には、私の字で「小説家」と記されていた。

 その隣にはなんて書いてあるのかって? 『第一志望』だ、馬鹿野郎。本当はこういうこと書く欄じゃないんだろうってのは、重々承知の上なんだよ。

 金曜日の私は、恥ずかしがる風を装いながらその実堂々と、この紙を提出してしまったのだ。担任の女教師は、提出した調査票を見て、

「もうちょっと、ちゃんと考えてみて」

と言った。語尾に(苦笑)ってついちゃう感じの、嫌味な笑みを浮かべながら。

 その言いぐさに、私はもちろん激昂した。ちゃんと、ってなんだよ、ちゃんと、って。私のこの回答は、ちゃんとしてないとでも言うんだろうか。

 そして担任は、あろうことか、私の書いた『進路希望』を母にチクったらしい。家に帰ったら、壮絶なバトルが開幕した。母はそもそも、アニメとか漫画とかラノベとか、そういう文化にはからっきし疎い。なんなら私がオタクなのも嫌なレベルだ。

「あんたにそんな夢を見させるためにここまで育てたんじゃない!」

 その言葉を聞いた瞬間、母親という存在に一切の望みや希望を託すことをやめた。それは同時に、母から娘として必要とされることを諦めるということでもあった。

 思い返せば、私は薄々この展開を予想していたと思う。ごくごく幼い頃から、母に私の趣味や嗜好を否定され、卑下されて悔しい思いをするたんびに。

「しんどいな……」

 ぽそっと零れ落ちた言葉は、何に対してのものだろう。

 一次選考に落ちたから? 母親に認められなかったから? それとも……。

「ほんと死ね、自分……」

 やはり私のこの思考はどこをどう巡り巡っても自己嫌悪に帰結するのだ。

 何もかもを放棄したくなった私は、そのまま目を閉じて、睡魔に身を任せてしまうことにした。

 階下から、母親が「ご飯だよ」と私達を呼んでいる。もちろん返事なんかするはずもない。お腹は減っているけれど、今はその空腹感さえに愚かな自分に与えられて然るべき罰であるように感じてしまうのだ。あー、このまま餓死してぇ。眠りの淵に落ちていくさなか、私が考えていたのは相も変わらずそんなようなことだった。

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