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さて、生き霊といえばもう一つ。伝えておかなければならないことがある。
首筋の赤い花弁のことは一旦頭から追い出してイザンバが口を開いた。
「コージー様、生き霊から鳥が出てきた事は聞いていますか?」
「ああ。《自業自得》が発動したのなら、その鳥は動物でも呪いでもない——人だ」
「はい」
イザンバの同意なしに思考や精神に干渉してきた者に対しての防御魔法なのだから、当然ただの動物では反応しない。
鳥に変じた人である、と二人は結論づけた。
「あの鳥……なんでわざわざ私のところに来たんだろう……?」
「恐らくザナの思考を読むのではなく精神干渉で操る、もしくは他者の思考を滑り込ませる事を目的としたんだろう」
「マジっすか!? 《自業自得》があって良かったー!」
「ああ、本当に……——無事で良かった」
夢で得た情報と掛け合わせる事で導き出されたのはイザンバを操り贄にするつもりだと言う事だ——コージャイサンに術式の発動を拒否させないための保険として。
だが、目論見は敗れられたのだから敵方からしたら大誤算だろう。
「鳥に心当たりはあるか?」
「いいえ。あんなに鮮やかで綺麗な鳥、見たら忘れないと思います」
引きこもっているイザンバが鳥を見るとしたら庭に飛んでくるものだけだ。だが、まだ春には少し早い今はその種類も少ない。
「話は変わるが、英雄の妻については知ってるか?」
「英雄ユエイウ・ヴォン・バイエの最愛の妻、レイジア妃の事ですか?」
「ああ」
——なんでそれをイザンバ様に?
と従者たちが疑問を持つが、彼女はかの英雄とドラゴンが戦った場所を見に行く程だ。その妻であるレイジアの事も関連事項として知っているだろう、との読みからだ。
そして、聞かれたイザンバはキョトンとしながらもその問いに答えた。
「知っているって言っても歴史書に書いてあることくらいですよ。群青の髪と瞳だったとか、お気に入りのお茶を婚姻後も目覚めの一杯として愛用し続けていたとか」
「その妻が別のものに——鳥に変身できたとかは?」
「いいえ、レイジア様にそんな特殊能力があったとは私が読んだ限りでは記されていません」
うーん、と顎を指先でトントンとしながらイザンバはさらに記憶を辿る。
「そもそも人と鳥では質量が違います。物質はその状態が変化しても、その総質量が保存されると言うのが鉄則です。人が動物、それも鳥類の小鳥サイズに変化する事はそれを無視することになるから不可能だと言われています。仮にできたとしても質量が変わらないのですから飛ぶ事はもっと無理です。ドラゴンから人への擬人化とかロマンしかないしぜひ拝みたいところですけどねー! ドラゴンが美少女やイケメンになるなんて萌えの極み!」
「ザナ」
「おっと失礼」
コージャイサンの声にイザンバは口元を押さえた。
擬人化とはなんとも心踊るワードだが、今は昂り始めた気分を落ち着けようとテーブルに向かって手を伸ばす。
すると察したジオーネがカップと本を移動させるために動いた。
「もし、小鳥に変身して飛ぶことも出来るのであれば……その方は鉄則さえも覆した稀代の魔術師ですね」
ジオーネに礼を述べてコクリと通るお茶の喉越しはいい。イザンバはのんびりとお茶を飲んでいるが、その稀代の魔術師になり得る人物が目の前にいる事には気付いているのかいないのか。
内心に冷や汗を流し始めた従者たちをよそに、ふぅ、と息を吐いたイザンバだが「あっ!」と声を上げたものだから全員の視線をいただいた。
「レイジア様ではなくユエイウ様の方なんですが、レイジア様が亡くなったあとに一羽の鳥を大切にされていたそうです。鮮やかな青い羽でまるで彼女が鳥となって自分の元に戻ってきてくれたようだと言われたとか。そう言えば、あの鳥に似ていたような……?」
「妻が鳥になって戻った?」
眉間に皺をよせて聞き返すコージャイサンにイザンバは首を横に振る。
「でも図鑑にも載っている鳥です。しかもオスで寿命が短い種類。確か三年ほどだったかな? もしレイジア様が鳥になるならメスだと思うし、そんなに早く別れるような鳥を選ぶでしょうか……? 英雄記にも南方に遠征に出たユエイウ様が傷付いた鳥を拾ったとありましたし」
せっかく愛する夫の所に戻っても短命な種を選んでそう何度も死に別れたいだろうか。それに対してイザンバは否と考える。
コージャイサンは夢で鳥の話を聞いた時も怪しんでいたが、イザンバの話を聞いてやはり英雄の妻の不死鳥説にこちらも否と考えた。
そこへ言葉を続けるイザンバだが、ぬらりと黄色く光るようなヘーゼルに浮かべたのは少し怪しげな笑み。
「ただ当時でもこんな噂が立ったそうです——『王は理を侵して最愛の妻を死地から呼び戻したのではないか』——と」
「禁術か」
防衛局の報告書にもその旨はあった。『あの魔法陣はなんらかの禁術の可能性が高い』と。ただ術式に書き込まれた内容がわからないため特定するには至らなかったが、今回コージャイサンが持ち帰った情報を掛け合わせるとそれは恐らく……。
「反魂の術式」
それはコージャイサンが目覚めてからクタオ邸に来る前にゴットフリートと共有した可能性。
姫は蘇る王妃のためのただの器。生け贄を捧げ、彼の魔力で術式を発動することで王妃の復活を目論んでいたのなら使用されるのは禁術である反魂の術式である可能性が高い。
コージャイサンの言葉にイザンバが神妙に頷いた。
「はい。祓う術があるなら呼び寄せる術も当然あります。殺す術を知ってる人は生かす術も知っている、それと同じです」
何をどうしたら人が死ぬのか、それは反転すればどうしたら生かせるのかに繋がるからだ。
だが、その術をどう使うか。こればかりは人次第。
「そう言えば、前に私も古代語で書かれているものを読んでるって言ったじゃないですか」
「ああ」
それはコージャイサンと出かけた時の話。懐かしむように柔らかくなった彼の眼差しにイザンバはニコニコと話を続ける。
「それにね、反魂の術式のことが書いてあったんですよ。『どうして彼が死ななければいけなかったの……彼に会いたい。私から彼を奪った村の連中を許しはしない。私はこの村を生贄にして彼を蘇らせる!』だったかな。術式も魔法陣もやり方も全部書いてありました」
「どんな魔法陣だ?」
「三重円の中に三重の六芒星があるものでした。しかもね、三枚の紙に分けて書かれていて、間のページは全く関係ない事ばかりだから最初は何か分からなかったんですけど、重ねたら一つの魔法陣になってびっくりしました! あとは術式が、というよりも消費される魔力量と必要な生け贄の数がエグかったです。私怨篭りまくりですよ」
ケラケラと笑うイザンバは完全に他人事だが、それ以外の面々には驚きの話だ。
なにせイザンバが口にした魔法陣はイルシーが見た物の特徴と一致するのだから。
「その人は村一番の美人さんで仲睦まじい恋人がいたんです。ただ、村長の息子の告白を断ったらプライドを傷つけられた息子が『あの男は悪魔だ!』と村中を扇動し、暴行を加えたそうです。結局恋人は——……」
言葉を切ったイザンバだが、その先は言わずもがな。
感情移入をしやすい彼女の下がった眉、察した彼らの言葉をコージャイサンが代弁した。
「今も昔もやる事は変わらないんだな」
「と言うわけで怒り狂った彼女は魔術師もびっくりの思わぬ力を発揮して、村一つを生贄に、さらに足りない魔力も村人から補って恋人を蘇らせたそうですよ」
あっけらかんとした声なのに何と殺伐とした内容だろう。
いつの時代も恋は人を狂わせる。
——周りが見えなくなれば
——正常な判断が出来なくなれば
ただ思い合う小さな幸せも、その指の隙間を滑り落ちるのだから切ない。
イザンバの語りにイルシーが大きく息を吐いた。
「あのさぁ……そんな禁書どこで手に入れたんだよ!」
「禁書なんか持ってません。私が持ってるのは古代語で書かれた日記だし」
「はぁっ!?」
なんと、あれほどの禁術が記されていたにも関わらずイザンバは日記だと言うのだから広がるのは輪をかけた驚き。
コージャイサンは一瞬考えると彼女に訊ねた。
「ザナ、その日記借りて帰ってもいいか?」
「はい。今すぐにお待ちしましょうか?」
「いや、帰る前でいい」
「分かりました」
もちろん断る必要がないのだからイザンバは『応』と返すのだが。
けれども日記と聞いた衝撃は凄まじいもので従者たちから驚きが抜けきらない。
「日記って……マジかよ、お手軽すぎんだろぉ……」
「お嬢様も何というか……大概引き寄せるお方だな」
イルシーのボヤきにジオーネが同意を返す。
モノがお手軽でも記された内容を理解できなければただのガラクタだ。
だが、どう言う因果かそんな一品がイザンバの手に渡っているのだから、開いた口が塞がらないとはこの事か。
ふと湧き出た疑問がファウストの口をついた。
「反魂とはそんなに簡単になるものなのですか?」
「簡単ではないですね。モノだけでなく環境条件も必須みたいですよ。私が読んだものでは雲のない新月でした」
イザンバはそんな彼の疑問にも丁寧に答えてみせる。
今回の場合、魔法陣、呼び戻した魂の容れ物、そして生け贄。あとは術の発動に必要な魔力を確保して月のない夜を待つばかり。
「揃わなかったら?」
けれども、それらが揃わないとどうなるのか。
コージャイサンの問いかけに、ここでイザンバから返ってきたのは楽しそうないい笑顔で。
「リセマラ決定ですね!」
「リセマラ?」
「目的のアイテムが揃うまで何回でもやり直すことです」
「そうか」
つまり一つでも揃わなければ発動しないということだ。
現時点で呪いでコージャイサンを操る事が叶わなかったが、先ほどの村娘のように足りない魔力を他から補う事が出来てしまうのなら——まだ発動を防げたわけではない。
対応を急ぐ必要がある、とコージャイサンが考えている所へ飛び込んできたのは心底不思議そうなイザンバの声。
「あれ? じゃああの鳥がレイジア様の可能性があったって事ですか?」
「いや。あれは別人だろう」
「そうなるとその人自身が鳥に変身したすごい魔術師なのか、それとも鳥に魂を移したのかでまた対処法が変わりますね」
その人自身が変化しているのであれば到底一筋縄ではいかないだろう。しかし、コージャイサンはその可能性は低いと見ている。
「つかさ、そんなに簡単に魂って移せんのかぁ?」
イルシーがそう思うのも当然で。それに対してイザンバはなぜかジオーネに話を振った。
「ねぇ、ジオーネ。ターゲットを暗殺するタイミングってどんな時を狙いますか?」
「油断している時です」
「そうですよね。元気いっぱいだと狙っても防がれますよね。でも、どうしても隙が生じなかったらどうしますか?」
「その瞬間を作ります。男なら体で誘惑すればいいだけですし、それが効かないタイプにはヴィーシャの薬で弱らせます」
ないなら作る。あけすけな物言いだがイザンバが怯んだ様子はない。
『弱らせる』と言う単語にコージャイサンもその意味を掴んだ。
「……そう言うことか」
「ジオーネ、ありがとう」
コージャイサンに向き直るイザンバの表情は意味深で。
「本人の心身が健やかな場合、魂を移そうとしても抵抗が大きいそうです。馴染んだところから無理矢理引き剥がされるなんて誰だって嫌でしょ? けれども体が弱っていたり、判断力が衰えていたりすれば……——可能です」
「魂を移した後の体はどうなる?」
「抜け殻になるだけですよ」
——虚ろな目
——生気のない人形
——廃人
器という贄である事が分かった姫の変化を彼らはようやく呑み込めた。
「基本的に一つの肉体に対して魂は一つだと言われています。もし誰かの魂が後から入ってくるなら混ざり合うとか、片方が眠るとか、うーん、あとはルールを作る? とかになるんじゃないでしょうか。そこはちょっと経験したことがないからなんとも言えないんですけど」
「あったら怖いっての」
イルシーの言葉に頷く従者たち。何が怖いって彼らの主がどう動くか……ああ、考えただけでも恐ろしい。
その主は飄々とした様子で会話を続けているが。
「動物の魂と人の魂が同じ器に収まるのか?」
「野生の動物では難しいと思います。本能というものは強いですから。ですが飼い慣らされた、あるいは命が尽きかけた動物だったら人の自我の方が勝つんじゃないでしょうか? 多分それは人同士でも同じだと思います。より本能や自我の強い方が残る」
同じ器に収まり切れるはずがないとイザンバは言う。
人の本能よりも常に弱肉強食の世界で生きる動物の本能はずっと強い。その場合、本能と本能がぶつかり合い、負けた者は消えるだけ。
「ほら、たまに聞くじゃないですか。『あんな事をする人には見えなかった』『まるで人が変わったように乱暴者になった』とか逆に『優しくなった』って。そう言う人はもしかしたら本当に魂が変わっているのかもしれませんね」
イザンバの口調はとても軽やか、けれども指し示すのはあってはならない重く暗い可能性。
「……イザンバ様ってさぁ、マジで何なワケ?」
「何って……平凡なオタクですが?」
イルシーの胡乱な声にイザンバはきょとりと首を傾げた。
——判断力を奪われた姫の魂は鳥へ
——空いた体に妃の魂を降ろす
その鳥もジオーネの銃弾が貫いたのだから姫の魂が今どうなっているかは不明だ。
だが、イルシーはイザンバの話から導き出た答えにどう反応したらいいのか分からない。
そんな二人のやり取りにコージャイサンが肩を揺らす。
「前に言っただろう。『ザナが何をどこまで知っているか俺も分からない』と」
「あー、くそっ! ほんと……——変な女だよなぁ」
苛ついたように頭を掻いたイルシーだが、最後はどこか諦めたような声になった。
そしてジオーネの呟きは感心したように。
「ファウスト、平凡な人は古代ムスクル語を読めたか?」
「読める人を平凡というのなら自分たちは間抜けだな」
苦笑いを浮かべたファウストの眼差しに映り込む尊敬の念。
だが、言われた本人はケロリとしたもので、少しワクワクとした感じでコージャイサンに声をかけた。
「もしかして……ちょっとお役に立てた感じですか?」
「ああ」
柔らかな微笑みが示す肯定にイザンバは身を捩る。
「そっかー。それなら良かったです!」
——戦えないから
——待つしかできないから
少しでも力になれた事が嬉しいと喜び綻んだ表情。
その眩しさに、彼らは目を細めずにはいられなかった。