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「あの、どうして一番とか二番になったんですか?」
クッションを抱きしめ恐る恐るイザンバが問うがコージャイサンが焦る事はなく。
「俺にはザナだけだから二番以下はいないし、いらない」
これでもかと言うほどストレートに言い切った。
しかし、この物言いにイザンバは思い出した。
——この人は演習場でもこんな感じのことを言ったんだった。
母のニヤニヤした顔まで思い出されて一気に身の置き所がなくなる彼女にコージャイサンが問いかける。
「ジオーネたちからの報告にザナも夢を介した呪いを受けたとあった。これに間違いはないな?」
「はい」
「俺も同じだ。その夢で自分がどれだけザナを求めてるか再確認した。好きになったのが、隣にいるのがザナで良かったとつい言葉に出たんだが……」
たった一言で危うく生じた誤解。『一番』という言葉は、こと恋愛に関しては誤解を生みやすい。
「そもそも顔合わせてからずっとベタベタしてる癖になんでソコ引っかかんだよ」
「あう……」
冷ややかなイルシーの言葉にイザンバは二重の意味で肩身が狭くなる。
「お嬢様が呪いを受けたのもご主人様が演習場で宣言したからですが」
「はい、そうでした」
自身でも気付いた事だが、ジオーネに言われさらに縮こまる。
「主の性格を考えると一番は『とても』や『すごく』『大好き』と変換されるとよろしいかと」
「大……っ!?」
撃沈したのはファウストの口から飛び出た意外な単語のせい。
人によって捉え方が違う言葉は多くある。『一番』もその一つ。
学園でも防衛局でも、競争社会において『みんな一緒』はあり得ない。ナンバーワンが絶対的正義であり、駆り立てられるようにそこを目指す人は多いからだ。
つまりそこに身を置くものにとって『一番』は最高の褒め言葉なのである。
そんな『一番』なのだが、今回の場合は表現力としては足りなかったようで。
イザンバも彼の言葉を省略しがちな性格や他の女性への対応、そして今日の様子を思い返せばその意味に気付けることだった。
「誤解させるような言い方をして悪かった」
「いえ、私の方こそ早とちりをしてごめんなさい」
イザンバはあの瞬間、誰よりもコージャイサンに他の女性と比べられるのが辛いと感じたのだ。
微笑む二人の様子を見て、拗れる前に伝わったようだと従者たちもホッと胸を撫で下ろした。
「ザナは呪いでどんな夢を見たんだ?」
「場面がコロコロ変わって初めてお会いした時から順に辿ってる感じでしたね」
呪いを受けた事は知っていたが、初めて聞く内容に従者たちも静かに耳を傾ける。
「そこにザナや呪い自体の介入はなかったのか」
「はい。私はただ過去を見ているだけで、十歳の私が別に居ましたから」
端的に答えるイザンバにコージャイサンは自身との違いを考察する。
ここでイザンバはジオーネに視線を遣ると、察した彼女はお茶を用意し始めた。
考え込むコージャイサンにも、少し危なっかしい手つきのジオーネにも、イザンバはゆったりと待つ。
二人の間に珍しく生じる無言。
けれどもそれは気まずさや苦痛とは反対の穏やかな静寂さ。
そうしているうちにコージャイサンの視線がイザンバへと戻った。
「初めて会った時か……あれほど印象的なものはないな」
その返事に彼女は頬をかいた。その口から漏れたのは今も抱く疑問で、けれども至極軽い調子で。
「いやー、密かにフェードアウトするはずがどうしてこうなったのか」
「トムにブーケを貰ったからだろう」
「トムさんのせいになっちゃうんですか!? 気前のいいおじいちゃんなのに……」
「気前がいい、ね。そう言うのはザナだけなんだが」
コージャイサンから感心した声が漏れるのは当然で。
オンヘイ公爵一家に対しては敬意を払うが八年経っても頑固者は健在だ。しかし、イザンバに対してのトムは孫可愛いの心理である。
なにせイザンバが「奥様にも感謝を伝えないと!」と言えば口下手ながらもブーケを作り伝えた。孫強い。
また、頑固者の職人を支え続けた妻にもイザンバは尊敬を持って接するのだからこちらからも可愛がられている。孫最強か。
「他はどんな場面を見たんだ?」
まさかその一場面で終わりではあるまい、とコージャイサンが続きを促した。
「そうですねー、そこからは月一回の交流ですね。お互い話し方も固くて、私も癒し空間に夢中で会話らしい会話もしてなかったんだなって今になって反省しました」
「ああ……確かにあの頃はそんなに話してなかったか。それでもザナには驚かされたけどな」
「え? 私何かしましたか?」
大人しくしてたのに、と首を傾げるイザンバにコージャイサンは呆れて見せる。
「俺の探してる本はどこの列の何段目にあるだなんて普通は答えない」
「そんな事ありませんよ。公爵家の図書室は整理整頓がされていて探しやすいんです。コージー様だってよく読む本の位置は覚えているでしょ?」
「それにしたって限度があるけどな」
「そうかなー」
と呟く彼女は納得していないのだろう。
例え司書であっても蔵書の全てを把握するのは困難だ。それを十歳の少女が易々としていた事はもはや異常といってもいい。
——能力の方向性が自分とは違うだけ。
それが当時のコージャイサンの見解であったが、あながち間違ってはいなかった。オタ活に、そしてコージャイサンの術式の多様性に大いに役立つ能力であったのだから。
「そのあと私が体調を崩しちゃって。あの時はお見舞いに来てくださって、本当に……ありがとうございました」
「その礼はもう貰ってる」
柔らかい笑みはきっとハンカチを指していて。だが、夢で振り返ったからこそイザンバが気付いた事がある。
『父上が裁判局に訴えてくれたそうだよ』
兄が言っていたのはゴットフリートの事だと。
そして、ゴットフリートが動くには誰かの訴えがあっただろう事。それは家族以外で初めて味方になってくれた人だ。
——本当に、今更だけど。
八年越しになるがゴットフリートとセレスティアにもお礼の意味も込めてお守りを送った。そして、ポケットの中にもう一つ。
語らない彼にさてどうするべきかとイザンバの思考が飛ぶ。
「どうした?」
「……いいえ、何も!」
覗き込む翡翠につい元気よく返してしまったことをイザンバはちょっとだけ後悔した。
探るような彼の視線に対して誤魔化すように続きを話しだす。
「あーっと、それでね、また場面が変わって次は私の誕生日だったんです。ほら、これ。コージー様に貰った本です。今でも宝物なんですよ」
そう言って見せたのは希少本の写し。夢を見てから懐かしくなってまた読んでいたのだ。
丁寧に扱われているのが一目で分かる本にコージャイサンも目を細めた。
「そう言ってもらえると贈り甲斐があるな。俺もザナから貰った手袋は残してある」
「捨てていいって言ったのに……」
「誕生日プレゼントに貰ったものを捨てるわけないだろう」
イザンバとしては残りにくいものを選んだつもりだったのだ。
あまり高いと捨てにくいかなー、なんて婚約解消前提のプレゼント選びにアーリスが胃を痛くしていたが、今となっては申し訳なさが募る。
「そんな風に残してくれるならやっぱりゴールデンキングビートルにすればよかった! あっちの方が綺麗だし残し甲斐もあるじゃないですか! それか私にプラチナゴーレムを狩る実力さえあれば……!」
「止めてくれたアルに感謝だな」
しみじみと、コージャイサンは言ってしまうのはその行動力に慣れる前の話だから。
——一体何を贈ろうとしているんだ……。
垣間見た今と変わらないイザンバの行動力に従者たちの目は遠い。
イザンバは本の表紙を一撫でしてテーブルの上に置くと、言い辛そうにその瞬間を言葉にする。
「それで目が覚める直前は婚約して一年の…………オタバレした時です」
「ああ。……ふ、くくくくくっ」
「ちょっと。なんで笑い出すんですか」
「悪い。あの日のザナはどれも面白かったなと思って」
当時を思い出したのかコージャイサンはそう言ってまた笑う。
揺れ続ける彼の肩に、拗ねたような口調の割にイザンバの表情は穏やかなもので。
あの日と比べると広くなった肩幅。背も随分と伸びて、同じくらいだった目線はすっかり見上げる事に慣れたほどだ。
——変わったけど……変わらない。
幼い頃の面影が残る笑顔にイザンバの心は温かくなる。
「ふふ、私もあの時はたくさん驚いたんですよ。帰ったはずのコージー様が後ろに立ってたり、実はお兄様と仲良しだったりするんですから」
「そうだな」
クスクスと顔を見合わせて笑えるのはお互いがその瞬間を知るからだ。それは従者たちも知らない時間。
二人の笑いが収まったところで話を続けた。
「天地闘争論を勧めた後くらいに初めて過去にない声が聞こえて願い主と対面しました」
「誰だった?」
コージャイサンの鋭い視線にイザンバはほとほと困ったように眉を下げ、けれども彼に引く気が無い事を悟るには十分で。ゆっくりと重くなった口を開く。
「ルイーザ様です」
答えを聞いてコージャイサンの視線だけがイルシーに向いた。それに彼が頷き一つ返せば主従のやり取りは完結する。
イザンバは話続けた喉にコクリとお茶を通し、ホッと息を吐いた。
「とにかくどうして私がコージー様の婚約者なのか、納得できる理由が欲しかったみたいです。あんな失礼な態度をとっておいてって怒っていらっしゃいましたから、まぁ過去を知ったところで納得はしなかったんでしょうね」
肩をすくめた彼女の声音には事実を語るだけの温度しか含まれない。
コージャイサンの指の背がゆっくりとその首を撫でる。
「それで——首を絞められた。苦しかっただろう」
労わるような手の動きに、悔いるような表情に、大事にされていると伝わってきてイザンバはくすぐったさを覚える。
「もう大丈夫ですよ。手の跡も返しちゃいましたから!」
何でもないようにカラリとした明るい声が通る。イザンバもあの瞬間は確かに堪えたが、今は怒りも恐怖もないのだ、と。
けれども感情を抱えるのは当人ばかりではない。
「そんなに酷かったのか?」
「さぁ? 自分の首を見てる余裕はありませんでしたから。あ、ジオーネなら知ってますよ」
そう言ってイザンバの視線がジオーネに向けられた。
だが、彼はそれを追わない。彼女の右肩にかかる髪を避けた左手はそのまま首を引き寄せて。
露わになった首筋にコージャイサンの顔が埋まり——イザンバに走るチクリとした痛み。
「——痛っ! 何するんですか⁉︎」
突然の痛みに戸惑いながらもイザンバが尋ねれば、翡翠は悪びれもせずに微笑む。そしてもう一度同じ場所に軽く口付けた。
「跡を付けるのは俺だけでいい」
「へ?」
体を離したコージャイサンの左手の親指が確かめるようにその場所を撫でる。
その感触にイザンバの心臓がドクリと甘く脈を打ち始めたのだから、さぁ落ち着かない。頭の中でさえ心音が鳴り響くようで思考が止まってしまったようだ。
彼の指先が離れても、首筋に残る痕跡。
「へいへい、ごちそーさん」
うんざりしたようなイルシーの言葉に。
「これが独占欲というヤツか」
納得したようなジオーネの言葉に。
「お子の誕生が楽しみですな」
一足飛びしたファウストの言葉に。
イザンバは一気に現実に引き戻された。
「まっ……な、えっ⁉︎」
彼の行動に、従者たちの言葉に、遅ればせながら結びついた結論にイザンバはたまらず触れられた箇所を右手で覆い隠しながら声を荒げた。
「ッ〜〜〜コージー様っ! 何してくれてるんですか⁉︎」
「ん? 同じ跡がつくなら俺が付けたものがいいと思ってキスマークを付けた」
「皆まで言わないでください!」
そっぽを向いたイザンバは立ち上がると対面のソファーへと移動するではないか。よほど腹に据えかねたのだろうか。
だがこれにはコージャイサンの不満が顔を出す。
「なんでそっちに行くんだ」
「誰のせいですか!」
なにせ今日の彼の言動はイザンバには予測出来ない甘い猛攻。
気を抜けばすぐに彼のペースに持っていかれ、その度にイザンバは一人狼狽え、心拍が速まるのだから逃げずにいられようか。
そんな彼女は怒ったような表情なのに、指先がそっと赤い花弁に触れている。
離れる事で平常心を取り戻すつもりだったが、口付けられた瞬間を思い出してしまい中々心臓は落ち着いてくれないようだ。
その様子にイルシーがおどけたように呟いた。
「もういっそ食われてから話した方がいいんじゃね?」
「この人でなし! またそういうことを言う! そうだ……誰か私の両隣に座ってくれませんか? バリケードになってください!」
良いことを思いついた、とイザンバは自身の両側を指し示すがそこは彼らだ。イルシーなぞ一番に舌を出した。
「ヤなこった」
「自分はここで死ぬわけにはいきませんので」
「コトが始まればあたしたちは退出しますのでご安心を」
主の役に立ちたいのにバリケードとなっては自身の命が危うい。ファウストはにこやかに主と命を優先した。
そして、ジオーネの発言は申し出に対してどこかズレている。ここでも飛び出したイザンバを差し出す気満々な言葉に安心感は生まれない。
「あなたたち、ご主人様の暴走を止める気はないんですか⁉︎」
しかしイザンバも必死の訴え。さて従者たちはと言うと……。
「ないなぁ」
「ありませんな」
「ないです」
なんと無情にも退けられた。従者たちの息はぴったりである。主至上主義もここまでくるとイザンバも諦めるしかないが。
「薄情者ー!」
叫ぶくらいは許してやってくれ。
「ザナ、落ち着け。話が進まないだろう」
「コージー様がそれ言うの⁉︎ え、何で私が悪いみたいになってるんですか⁉︎」
解せぬ、と頭を抱えるのはイザンバ一人。
——痛みは一瞬だったけど……。
落とされた花弁が熱い、と被せるように髪をかき寄せた。