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「さて……色々と確認したい事もあるがまずは掃除が先か」
小腹を満たした後、徐にコージャイサンがそう言った。
確かに護符が防いでいるとはいえ生き霊も呪いは目と鼻の先にわんさかいるのだ。オブジェにしても部屋の調和が大層損なわれるのだからいけない。
「お前たちは下がっていろ。こんな形で喧嘩を売ってきたんだ。まとめて叩き返してやろう」
「ハハッ! いいねぇ、その容赦のなさ!」
これから始まる見せ物にイルシーは楽しげだ。従者達を下がらせると彼は一人前に立つ。
「ドウシテオ前バカリナンダ!」
「コージャイサン様、愛シテルゥーーー!」
「羨マシイ羨マシイ羨マシイ羨マシイ羨マシイ!」
「俺ノ方ガ優秀ナノニィィィ」
「魔王様イジメテクダサァァァイ!」
「死ンデモ愛ヲ誓イマスゥゥゥ!」
「オ前ノセイデ彼氏ニ振ラレタンダァァァ!」
口々に吐き出される怨嗟の念。しかしコージャイサンはそれらに一瞥もくれず目を瞑り、ゆっくりと呼吸をして気力を高める。
開かれた翡翠、その闘志が生き霊に向く。
「ギャテイ ギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ ボジソワカ」
放たれた浄化エネルギーは慈悲を通り越してもはや聖なる暴力。断末魔さえあげる間も無く、至極あっさりと四体が浄化されてしまった。
そんな中で響く高い音はイルシーの口笛だ。
「相変わらずエグい威力だなぁ」
「さすがは主。お見事です」
「あ、見て。あいつビビってるよ。笑えるー」
ファウストはにこやかに拍手を送り、リアンは浄化を免れた生き霊が震えながら下がっていく様に笑っている。
こんなにも見事な返り討ちがあろうか。聖なる力を振るう癖にまるで慈悲のかけらもない。生き霊が下がりたくなるのも仕方がないだろう。
「コージャイサン様、回復薬いるかぁ?」
従者の気遣いにコージャイサンは手を出す事で答えとした。横着にも程がある。それにフラつきもせず平然と立ってはいるのだから消耗しているようには見えない。
イルシーが投げて寄越した回復薬を飲む喉仏が大きく上下した。一息ついたところで彼から漏れたのはまるで実験をするかのような言葉で。
「四体か……もう少しイケるかと思ったが、エネルギーが拡散した分があったな。何本も回復薬を飲む時間のロスを考えたらエネルギーを凝縮するように調整して効率を上げる方がいいか」
「それ考えんの後でよくね?」
ツラツラと考察を述べる姿に思わずイルシーがツッコむと瓶が飛んできた。彼は難なく受け止めたが、瓶の飛ぶ速度にやはり主が本調子でない事が伝わった。
「せっかくいいサンプルが目の前にいるんだ。どうせなら色々と試したいだろう。次は一体祓うのにかかる消費量で比較してみるのもいいな。やはり個体によって違うのか?」
なんと! 彼はこの状況でワクワクしている。これでは比較検証がメインか退魔がメインか分からないではないか。
イルシーはほとほと呆れながら手遊びでもするように瓶を空中で回す。
「俺が知るかよ。てか、この調子なら回復薬もイザンバ様ほど要らねーな」
「ザナはどの呪文で何体祓えたんだ?」
「聖なる炎で呪いは五体、般若心経で生き霊一体。四体も一気に祓うコージャイサン様がおかしいんだからなぁ」
「いや、ザナの事だからまた呪文の回数を省略しているはずだ。そうなると正確な検証値にはならないから……」
考え込むコージャイサンにここでイルシーからさらなる燃料が投下された。
「あー、イザンバ様は最終的にもっと省略してたらしいぜぇ」
「聖なる炎の呪文をか? なるほど……やってみるか」
「おし、生き霊ども。横一列に並べ」
その扱いはサンプルそのもので、楽しげなコージャイサンにつられイルシーが生き霊たちに整列を促した。
「ゴメンナサイゴメンナサイ」
「調子ニ乗リマシタ」
「モウ帰ルカラ許シテ」
可哀想に、生き霊たちは平謝りだ。やはり目の前での四体浄化は堪えたのだろう。
それを見てイルシーはニヤニヤと笑う。実に愉快だと隠しもしない。
「だってよぉ。どうすんだぁ?」
ここで水を向けられたコージャイサンが微笑んだ。それはもうニッコリと。
「わざわざ俺が起きるのを待っていたんだろう? 遠慮するな」
なんとも綺麗な微笑みだが、それは演習場で見せたものと同じ黒い笑み。突き付けられた宣告に恐怖を駆り立てられた生き霊たちはもはや震えることすらできずに、ただ静かに自分の番を待つしかなかった。
「……僕なんだかアイツらが可哀想になってきた」
「どうせ祓われるのだから主の役に立ちながら消えていくと思えば栄誉だろう」
「あ、そっか。なら可哀想じゃないや」
同情と見せかけた突き落とし。リアンとファウストも大概だ。
生き霊全てを祓い終えるとコージャイサンの視線は呪いの方へと向く。
しかし、可哀想かな黒い動物たちは部屋の隅でプルプルと震えているではないか。彼らには一体コージャイサンがどのように見えているのだろうか。
ファウストが報告書の一部をもって主人の側に寄る。
「そう言えばイザンバ様は呪いの効果も確認されていたとか。こちらに一覧がございます」
「あの黒い動物とかが呪いだそうです。なんか変な呪いもあるみたいですけど……ここにあるのはどんな効果なんでしょうね!」
リアンも楽しそうにしているが、さてはて呪いとは楽しむものだったろうか。
緊迫感のなさはここからさらに加速する。
「お、あれじゃね? 《黒子から毛が一本生え続ける呪い》ってやつ」
「……なんだ、それは」
「イザンバ様のところに来てた呪い」
ふざけているのかって? 至って真剣な呪いです。
イルシーが指差した丸いフォルムにチョロリと毛が生えたような黒い呪いをコージャイサンがじっと注視する。ゆらゆらと視えたその正体。
《リア充爆発しろ!》
「ンだよ、つまんねー。ただの爆弾かよ」
知らされた正体にイルシーは完全に興味をなくしたようだ。ところがリアンが純粋な疑問を口にした。
「ねぇ、ファウスト。リア充って何?」
「自分も意味は知らないな」
ここで従者たちの視線がコージャイサンに向く。イザンバから聞いていてその意味を知っているのだろう、とでも言うように。
「リアル……現実が充実している者に一方的に投げつける嫉妬と羨望の言葉だ」
その口から揃って「あー」と声が出るほど、意味を聞いて全員が納得した。人目も憚らずあれだけ見せつけたのだからそれは妬まれるのも頷ける。従者たちの爆弾を見る目の哀れみが格段に増した。
さて、とりあえずコージャイサンも祓う前に確認をする事にした。コージャイサンに視線を向けられると黒い動物たちはまた激しく震え出す。
《一日一回飲み物が鼻に入る呪い》
《扉の角で頭を打つ呪い》
《出かける前にお腹が痛くなる呪い》
《肝心なところでキマらない呪い》
「えぇー……ヴィーシャが言ってた通りですね」
「本当に呪いか? くだらない」
「そう言いたくなる気持ち、分かります」
最年少のリアンに言われるのだからレベルの低さはお察しだ。
こちらも日常に起こりそうなちょっとした事。
わざわざ呪いとして飛ばしてくる意味はあるのか、と首を傾げるコージャイサンは小心者の心理とは無縁のようだ。
他はなんだ、と視線を巡らせたコージャイサンはすぐに眉間に皺を寄せた。
《M字ハゲからO字ハゲになる呪い》
《筋肉が脂肪になる呪い》
《水虫が暴れ出す呪い》
《加齢臭が酷くなる呪い》
「ぶはっ! 中年に恨みでも買ったのかぁ?」
「さぁ、どうだか。どちらかと言えば父じゃないか?」
「人違いじゃねーか! どっちにしろねーわ、ハハハハハハ!」
腹を抱えて笑うイルシーの声が響く。
先ほどよりも違う意味でレベルアップ。この呪いを全て受ければもはやコージャイサンの見る影はなくなるだろう。
流石にこれは受けたくないな、とコージャイサンも思うわけで。念には念を押して祓う事を決めた。
しかし、これで終わりではない。まだあるのか、と彼はさらに視線を巡らせた。
《女体化する呪い》
《子孫を残せなくなる呪い》
《顔半分が爛れる呪い》
《魔力がなくなる呪い》
「これはマズいですな」
「なんだ、普通だな」
「ですが、もしもこの呪いを受ければ主の将来に関わってきますぞ」
ファウストが案じるのも無理はない。仕事に支障をきたすどころかイザンバとの結婚式も無事に執り行えるかも分からない。
だと言うのに肝心の本人は淡々としたもので。
「問題ない。全て祓えばいいだけだ」
不敵な笑みは「もしも」に屈しない。彼は憂いを全て退け、望む未来へと進むのだ。
早速祓おうと気力を高め出したコージャイサンをみてイルシーが呟く。それは飛び抜けて愉悦を混ぜ込んだ声で。
「馬鹿な連中だよなぁ。虚をついたつもりが結局自分に返ってくんだからさぁ」
「元より愚かな連中なんだ。返ってくる事までは見越せまい」
ファウストは心底どうでもいいと言うように。
「いきなり自分の顔が爛れちゃったらショックだろうねー」
リアンも至極楽しそうに。
気力を高めたコージャイサンの瞳は清冽さを強めて。彼は冷たくも神々しい空気を纏い真っ直ぐに掌を呪いにむけた。そして紡がれた——ただ一言。
「散れ」
濃縮され、洗練された浄化エネルギーの奔流に抗える呪いなぞいるものか。瞬く間に黒い影は姿を消し、部屋の空気も一気に清浄なものとなった。
あまりにも呆気なく、そして見事な浄化。イルシーは当然と言うように口角を上げ、ファウストとリアンは拍手を送る。
なんでもない顔で椅子に腰掛けたコージャイサンはもう一本だけ魔力回復薬を飲むとサラリと宣言した。
「今日ザナに会いに行く」
「今日⁉︎ 自分だって起きたばっかじゃねーか! しかもたった今その状態で一仕事した後だぞ⁉︎」
「問題ない」
「ンなわけあるか!」
まぁ、イルシーが反対するのも当然だ。ファウストとリアンも次々に口を開いた。
「過信はいけませんぞ。まずは医師の診察を受け、呪いの後遺症がないか確認もいたしましょう」
「お館様も奥方様も心配してました。防衛局の方も報告を待ってます。終わらせてからゆっくりと行かれた方がいいと思います」
「無理だな」
けれどもコージャイサンは譲らない。「いや、だがしかし……」「もうちょっと待って」と説得を試みる従者達の言葉を全て右から左へとスルー。
ついに口をへの字に曲げてイルシーが尋ねた。
「なんでだよ」
「会いたいから」
臆面もなく言い切るコージャイサン。だがその翡翠に、声に、含まれる焦がれるような切なさが分からない従者たちではない。
たかが六日、されど六日。コージャイサンにとってはもっと長い時間だ。
途轍もなく大きな、そして長いため息がイルシーから漏れる。ファウストとリアンも目を合わせて肩をすくめるばかりだ。
息を吐き切ったイルシーが重たくなった頭を上げた。
「——分かった。俺は今のうちに諜報部に行ってくる。リアン、その間コージャイサン様を頼む。俺が戻ってから目覚めた事をヴィーシャたちに知らせるついでに訪問についても伝えろ」
「オッケー」
「ファウストはすぐに医者担いで来い。寝てたら攫え」
「任せろ」
伝言はともかく攫えとは穏やかではない。だがテキパキと指示を出すイルシーにリアンもファウストも素直に従った。
そして、イルシーはコージャイサンにも一つ注文をつける。
「どのみち最近は夜通し退魔に時間取られてるからイザンバ様が起きるのは昼過ぎだ。コージャイサン様は行きたきゃまずは診察を受けろ」
「いらない」
やはりと言うべきか、コージャイサンはお決まり四文字で返すではないか。
これにはイルシーの頬がヒクリと引き攣った。それでも今日の彼は引き下がらない。
「馬鹿言うなら行かせねーぞ。コージャイサン様は六日間寝たきりだったんだ。食ってねぇ分衰えてんだよ」
「だからなんだ。これくらい……」
「イザンバ様は絶対に気付くぜぇ」
問題ない、とコージャイサンから言葉が出る前にイルシーが言い切った。
「訓練公開日でもコージャイサン様のちょっとした変化に気付いてたしなぁ。そもそも今の状態、どう説明する気なんだよ。わざと呪いを受けたなんて言ったらさすがのイザンバ様も怒んじゃね? そのまま追い返されるかもなぁ」
ニヤニヤとした笑みを浮かべる彼にコージャイサンも苛立つが、言われてみれば焼き菓子を食べるペースにイザンバは異変を感じ取ったのだ。とても見逃すとは思えない、と言うイルシーにファウストとリアンも援護に入る。
「イザンバ様にお会いした時に、医者に診せたと言った方が納得も早いかと思います」
「それにお館様はもうお目覚めに気付かれているかもしれません。イザンバ様にお会いしたいのなら、なおさらお二方にも無事をお知らせしませんと」
「余計な心配かけたくなきゃ黙って診てもらえっての」
三人がかりの説得。例え主が相手でもこれだけは譲れない、と。
頬杖をつきながらコージャイサンはため息をこぼした。
「……お前たちも過保護だな」
「誰の為だよ!」
そう、全てはコージャイサンの為。
それは過去でも夢でも言われてきた言葉。裏を返せば自分の欲の為の耳障りでしかなかったそれを今は当たり前のように受けいれられる。
——いや、コイツらだからか。
『俺はアンタについて行く。……いらない? はっ、悪いなぁ、この俺がアンタを主と決めたんだ。忠誠ってのは下の者が勝手に捧げんだよ。アンタは黙って受け取っとけ。……つーワケで、よろしくなぁ。コージャイサン様』
そもそもが暗殺者であるし、口が悪い者もいれば未熟な者もいる。さらに揃って悪ノリもする。
しかし彼らはコージャイサンに忠義を尽くす。
だから止めるのだ。
——例え不興を買おうとも
だから叶えるのだ。
——それを至上の喜びとして
生涯仕えるたった一人の主であるが故に。
「分かった」
ならば今回ばかりはコージャイサンが折れるしかない。
過ごした時間はイザンバには到底及ばない。それでも……
——彼らの言葉を聞き入れようと思えるのは
——彼らに任せてもいいと思えるのは
その忠義に信頼を寄せているから。
「では主よ、しばしお待ちを。すぐに医者をお持ちしますので」
ファウストがにこやかに言うが「お連れします」の間違いではないのか。これまた俊敏さを発揮して医者を攫いに行った。近隣住民に通報されない事を祈ろう。
次に口を開いたのは首を鳴らすイルシーだ。
「じゃあ、俺もひとっ走りしてくる。コージャイサン様は医者に診てもらうまで部屋からでんなよ」
「分かったから早く行け」
なんとつれない態度だろう。青筋を立てたイルシーだが、ふとその口元が嫌味なほど清々しい笑みを形作る。
「あー、そうかよ。ま、俺は誰かさんと違って待たせねーからなぁ。……リアン、しっかり見張ってろよぉ」
すぐさま風を纏って消えたイルシーを見送り、リアンは困ったように眉を下げてコージャイサンに申し出た。
「イルシーあんな態度ですけど、主のことすごく心配してたんです」
「ああ、それくらい分かる。お前も泣いたようだしな」
「泣い……っ! お恥ずかしいです」
流石のリアンも主相手に反論はしない。イルシーの前で泣いた覚えはないはずだが、それでも不安が溢れたのは事実だから。
「ならそれも踏まえて……この前のアイツの提案に乗るか?」
それは呪いを受ける前、ストーキン伯爵のところへ潜入した時にイルシーからなされた提案。天邪鬼な彼がリアンの成長を願うが故に。
呪いがばら撒かれた事もあり一度保留にしたが、未熟なりに高みを目指し足掻く彼にコージャイサンは主として道を示す。
——イルシーは変わった。イザンバ様も頑張ってた。なら、僕は……。
リアンは一度ゆっくりと深呼吸をして、ただ真っ直ぐに主と視線を交わす。
「……はいっ!」
通るは卑屈さを退けた元気な声。提案された直後と違い彼自身もまた成長を、変化を望んだのだ。
その返事にコージャイサンはゆるりと口角を上げた。
「それならどのみちザナのところへ行かないとな。さて、医者が来るまでに報告書を読むか。防衛局のものもあるなら持ってきてくれ」
「すぐにお持ちします!」
さて、ここで張り切ったリアンだが、コージャイサンから離れた事をすぐに後悔した。ヴィーシャの報告書を読んでいた彼から殺気が漏れていたからだ。
——ヒェッ! 僕一人じゃ無理! イルシー、ファウスト……早く帰ってきて!
それでもリアンはイザンバの無事を伝えながら懸命に主を宥め、事の次第を説明した。殺気は重いがこれもまた従者の務め。修行である。
これは月が昇るのも遅くなったある夜の出来事。
暗がりに乗じて、苦しめ、涙せよ、と放たれた数々の呪詛。
だが結果はご覧の通り。
彼には呪いよりも強い想いがある。
彼女には呪いにも負けたくない想いがある。
縁を繋いだのが別の人でも、その結びつきを強くするのは本人たちだ。
最初は細く頼りない縁の糸。それぞれが歩み寄り、糸を信用と共に二重、三重に重ねて紐へ。さらに紐を重ねて信頼感のある縄、そして強く、固い綱にまで。
そうして結びつきを強くした縁は絆と成る。
断ち切れぬ絆、揺るがぬ想いに返された呪詛はその重みを付け足して。
——己で己が身を傷付けただけの事
——己が愚かさが招いただけの事
人を呪わば穴二つ。彼らに向けた呪詛が叶う事は……ない。
これにて「影を踊らす更待月」は了と相成ります。
活動報告にイルシーが見たエンヴィーの様子をアップ予定です。
読んでいただきありがとうございました!