2
イルシーによるイザンバの観察、の巻。
イルシーが不承不承ながらイザンバの護衛について数日。
イルシーにとってのイザンバとは『コージャイサンのおまけの変な女』と言う認識だ。
イザンバを変な女と称するきっかけ、それは里を訪れた事だ。
イルシーの故郷である暗殺者の隠れ里は貴族はおろか、冒険者すら普通ならば自ら訪れない場所にある。
そこに意気揚々と現れた二人組。片や反則級に強い実力者の男、片や暗殺者の武器や戦い方を知る女。
一体何が目的で来たのかと皆が警戒した。
その理由を問うた時、『女』つまりはイザンバが元気にこう答えた。
「伝説の暗殺者の軌跡を見に来たんです!」
観光気分か。一人では行けない所なので婚約者同伴で訪れたようだ。しかし、若い二人のデートの選択肢としては些かおかしいのではないだろうか。
「どっちが言い出したんだ?」なんて聞くだけ野暮というもの。あんなに生き生きと答えたのだ。真実は隠れもせずにそこに居た。
言い出した張本人はとても楽しそうにしており、コージャイサンもあちこちに視線を巡らせて興味深そうにしている。「あれ?うちの里って観光地としても案外アリなのかも?」などと血迷った事を誰かが呟いた。
その後、イザンバは勝手に感動して勝手に満喫して、最後には遺骨も何もない形だけの墓を綺麗に掃除をして祈りを捧げ、満足気に帰っていったのだ。
変な女、と思ったのはイルシーだけではないだろう。「デートなら観劇にでも行ってろ!」と彼女いない歴=年齢の誰かの声が、虚しく里に木霊した。
さて、それから一月。イザンバとイルシーの再会はオンヘイ邸のサロンにて。
コージャイサンから護衛を命じられた翌日に、顔合わせを行った時だった。
アンティーク調の品の良いソファセットで、向かい合わせに腰掛ける二人。お茶を用意したメイドが下がってから、イルシーはどこからともなく姿を現しコージャイサンの後ろに控えた。
「ザナ、今日から暫くコイツをザナの護衛に付ける。出掛ける時は必ず連れて行けよ」
果たしてコージャイサンから告げられた言葉にイザンバはどんな反応するのか。
護衛など要らないと突っ撥ねるのか、コージャイサンに守って欲しいとしな垂れるのか。
イルシーの全神経がイザンバに向く。
「それはいいですけど、彼はちゃんと納得してるんですか?」
ところが、イザンバはあっさりとした了承とともに、イルシーの同意の有無を尋ねたのだ。
案外常識的だったのか、とのイルシー考えはこの後斜めに切り捨てられた。
「当然だ。『全ては我が主の意のままに』とまで言ってたからな」
「え⁉︎ ちょっと待って! そこ詳しく!」
食いつく所が違う、とイルシーは思った。
それから一悶着。イザンバはコージャイサンに詰め寄っているが、その内容は主従萌えの是非について。コージャイサンも要所要所でイザンバを萌え上がらせるので大概だ。
横道に逸れていく主と婚約者の会話。
話が進まない、とイルシーが感じるのも無理はない。己は空気となり、数分続く熱いイザンバの主従語りを聞き流していた。
「それにしても、なんでまた護衛をつけようと思ったんですか?」
ひとしきり騒いだ後、イザンバはこのように疑問を呈した。今まで彼女に護衛など付いたことはない。イルシーを護衛に付ける、と言うのはイザンバからすれば青天の霹靂なのだ。
それに対して、コージャイサンは理由を告げる。
「俺も仕事に就いたからな。学生のように傍に居てやれないし、いざという時の護りはあった方がいいだろう。ザナは何かと巻き込まれる」
「そのセリフ、そっくりそのまま、お返しします! 先日防衛局の建物が崩壊したんですよね? 私よりもコージー様についていた方がいいんじゃないですか?」
巻き込まれているのは主にコージャイサンだ、とイザンバは力強く打ち返す。
防衛局の話も風の噂で流れている。コージャイサンの身を案じ、護衛はそちらにと言ってみるのだが、そこはコージャイサンだ。
「いらない」
四文字で終了。婚約者にも容赦はないらしい。
「ソウデスカ」
ここまできっぱりと言われてしまえばイザンバは呆れたように返す他ない。「そこで諦めるな! もっと頑張れ! 」と言うイルシーの念は残念ながら届かなかった。
思考を切り替えた二人の会話は、和やかに続く。
「お仕事には慣れましたか?」
イザンバがこう聞くのは、仕事に就いたばかりで慣れない事に疲れているだろうから、と直接会う事を控えて手紙や伝達魔法も短めに済ませていたからだ。だが、やはり気になるのだろう。
それに答える為にコージャイサンは適切な言葉を探した。
「そうだな。……変人ばかりだ」
「ちょっと。なんで今こっちを見たんですか」
ジト目で噛み付くイザンバをいなし、コージャイサンは言い改める。
「変人ばかりだが、やはり着眼点が面白いな。今は補助に回る事が多いが、それぞれの嗜好がよく見える」
「へぇ、そうなんですか。今更ですが、コージー様はどうして魔導研究部に入ったんですか?」
そんなイザンバの問い掛けに、コージャイサンは言ってなかったっけ? と口を開いた。
「ザナと一緒に色んなところを見て回っただろ? そこで見てきた技術や術式が面白いと思ったから、だな。変わった資材の使い方とか古の術式とかは特に面白かった」
コージャイサンの答えを聞き、イザンバは徐ろにソファから立ち上がったかと思うと、スーッと流れる様に両膝を揃えて床に座し平伏した。つまりは土下座をした。
「何してるんだ?」
一連の流れを見届けて、コージャイサンはイザンバに声を掛ける。対するイザンバは頭を下げたまま。
「いや、なんか、こうしなきゃいけないような気がして」
「する必要はないだろ。ほら、座れ」
そう言ってコージャイサンは自分の隣をポンポンと叩いたが、イザンバは頭を下げたまま首を振る。
「いやいや、何を仰いますか。とんでもございませんでゴワス」
「いいから。ほら、ザナ」
再度呼びかけるコージャイサン。ゆっくりと顔をあげ、良いのかなぁ、と考えながらも素直にイザンバは隣に腰掛けた。そして気を取り直し、イザンバはもう一つ気になっていた事を尋ねた。
「ところで魔導研究部って制服はあるんですか?」
騎士団は紺色を基調とした軍服、魔術師団は臙脂色を基調としたローブと、市民でも一目で分かる服装になっている。
しかし、魔導研究部は余り表に出てこない。それゆえに制服があるのか気になっていたのだ。
「あるぞ。見たいのか?」
コージャイサンの言葉に素早く頭を上下させ頷くイザンバ。その様子を見たコージャイサンは「ちょっと待っていろ」と言って中座した。
その間、イザンバとイルシーはサロンで二人。どこか固い空気が漂う中、特に会話をする事もなく時が過ぎるのを待つ。
それはお互いの警戒心の表れか、それとも無関心の表れか。
コージャイサンが席を離れて数分。開いた扉により空気が流れる事を感じたのも束の間、イザンバはつい声を張り上げた。
「なんでツナギ⁉︎」
そう、魔導研究部の制服はツナギ。シルバーグレーのツナギに、足元はミリタリータイプの黒の安全靴。
コージャイサンは持ってくるのではなく、わざわざ着替えて現れたのだからイザンバも驚いた事だろう。
「何言ってるんだ。このツナギは優秀なんだぞ。ローブだと袖や裾で薬品をひっくり返す可能性があるだろう? その点ツナギはそんな心配は少ないし、腰回りに隙間がないから安全性も高い。つまり、毒虫や毒薬が入り込まない。さらにこのツナギ自体に防水防炎防刃防弾の効果があって、例え真横で爆発を起こされても破れない」
ツナギの素晴らしさを語るコージャイサン。しかし、なんと高性能なツナギがあったものか。騎士団の軍服にも魔術師団のローブにも引けを取らない。
「そんじょそこらの防具より優秀! てか、待って! なんか物騒な言葉が聞こえた! 真横で爆発が起こるんですか⁉︎」
「魔導研究部だしな。爆発も破壊も日常茶飯事だ」
それはとんだ日常ではないのか。イザンバはあれやこれやと驚く事に忙しい。
「デンジャラスが過ぎます! 魔導研究部、一体何やってんの⁉︎」
「研究」
「なんの⁉︎」
「それはあれだよ、国家機密的な?」
「うわーい、胡散くさーい」
大仰にそう言うイザンバだが、その後に「ふふっ」と笑みをこぼしてこう言った。
「まぁ、コージー様が楽しそうで何よりです。無理だけはしないで下さいね」
「分かってる」
イザンバの気遣う言葉に対して、僅かに口角を上げながらコージャイサンは肯定を返した。二人の間に流れる空気は至極穏やかだ。
主従がどうのと騒いだり、制服がどうのと騒いだり。間違っても「今楽しんでるのイザンバ様の方じゃね?」なんて言わない。イルシーは空気を読んだ。やっぱり変な女、とだけ心に留めて。
変と言えば、イザンバは年頃の娘にしては茶会や夜会に消極的である。
本屋には頻繁に行くし、コージャイサンと一緒ならば遠出もする。出不精と言う訳ではないようだが、これから茶会に出掛けると言う時のイザンバのテンションは頗る低い。
「あー、面倒くさい。嫌味か嫌味かゴマすりか嫌味か。どうせならもっとバリエーション豊かに笑いを混ぜてくれたらいいのに。面白くも代わり映えもしない言葉ばっかり。そんなもの聞くくらいなら家で本を読んでいたい」
着替えも済ませていると言うのにイザンバは玄関先でブツブツと駄々を捏ねている。かと思えば、急にお腹を抑えて座り込んでこう訴えた。
「あ! アイタタタ! イタイ! お腹が痛い!!今日はもう無理! お茶会は欠席します!」
イザンバはどうやら役者には向いていないようだ。非常に元気のいい、大根役者の訴えに対して執事は冷静だ。
「大丈夫ですお嬢様。朝食をしっかりとお食べになられたでしょう。それは気のせいと言うものです」
「無理。お腹が痛いんです」
「では次からはお茶会の日の朝食は減らしておきましょう。さぁ、お時間です。お立ちください」
追い立てるように執事によって馬車に乗せられたイザンバは、これ見よがしに「はぁぁぁ」と鬱陶しいほどの溜息をついた。
そして、目を閉じて瞬刻。目を開き顔を上げた時には先程のうんざりとした口調も、推しを語る時のハイテンションも淑女の仮面に覆われた。
「それじゃあ、皆。行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
淑女の仮面とはかくも分厚い装甲だ。揃って頭を下げる執事とメイド達に見送られ、イザンバはお茶会が開催される邸に赴く。
そのお茶会の間、イルシーは外にいた。屋敷に侵入する事は容易いが、たかがお茶会。そこまでする必要も無いだろう、と判断したのだ。
街の様子や情報を集めながら待っていると、茶会もお開きになりイザンバの乗った馬車がクタオ邸に向かって動き出す。
イルシーはそっとその後を追った。
「ただいまー! 着替えたーい! さっぱりしたーい! 明日は一日部屋に引き篭もるからー!」
「かしこましました。明日は予定もございませんので、どうぞご随意に」
出掛ける時よりも元気に帰ってきたイザンバに、執事は了承の意を伝える。その後、イザンバは宣言通り私室に引き篭もった。
「なんで帰りの方が元気なんだよ、普通は逆だろう」とイルシーの中でイザンバの変な女度が一つ上がった。
その上で、茶会や夜会に参加しているわりには流行りにも興味がない。
巷で人気のお菓子、アクセサリー、服に演劇。お菓子はなんでも美味しいと言うし、服飾はメイドやコージャイサンに意見を求める始末。
「お嬢様、最近話題の本が舞台化するようです。今注目の俳優や女優が出演するとの事ですし、婚約者様と行かれてはいかがでしょうか?」
本が好きと言うならこれは食い付くだろう。メイドがデートに観劇はどうだろう、とお茶を入れながら勧めてみればこんな答えが返ってきた。
「その舞台、どう見ても三次元じゃないですか。 私そっちには興味無いんですよねぇ。どうしてもって言うならせめて忠実に世界観や人物を再現して、2.5次元まで持ってきてくれないと無理」
その返事を聞き、お茶を入れていたメイドの手が止まった。しかし、己の不出来を詫びるかの様にイザンバに教えを乞うた。
「誠に申し訳ありませんがお嬢様。酸事件とはどんな事件でしたでしょうか? 」
それは一体どんな事件だ。そんな物騒な事件があっただろうか、とメイドは頭を捻る。
「酸事件じゃなくて三次元ですよ。縦、横の平面に、奥行が足された空間などが三次元になりす。要するにココ。実在する人物とか現実世界の事ですよ」
イザンバは人差し指で縦、親指で横、中指で奥行きを示しながら三次元の説明をした。それを聞いたメイドはふと思った事を口にする。
「…………失礼ながら、お嬢様もその三次元かと思われますが」
「そうですね。けど無理。奥行要らない」
きっぱりと言い切るイザンバに対してメイドはつい呆けた顔をした。しかし、ハッと我に返って表情を取り繕うが、イザンバが気にした様子は見られない。
ついでとばかりにもう一つも聞いてみる。
「ちなみにお嬢様。ニーテンゴー事件って言うのは?」
「2.5次元ね。二次元と三次元の間の事ですよ。再現率が高くないとただの三次元」
賢そうな事を言っているのに、なぜか漂う残念感。メイドは数秒間考え「えーっと、うん。婚約者様、頑張って下さい」との結論に達した。
「左様でございますか」
そう言いながら笑顔を向けて、この話を終わらせた。
そんな二人の会話をイルシーは部屋の外で聞いていたが、最早イザンバが何を言っているかさっぱり分からない。何言ってんだコイツ、ともしもフードが無ければ露骨に顔に出ていた事であろう。
イザンバの変な女度は右肩上がり。順調である。
遅くなった言い訳は活動報告でします。
コージャイサンとイザンバの距離感。
前話のコージャイサンとイルシーの距離感。
そして、イザンバとイルシーの距離感。
それぞれの差が上手く伝わっていれば幸いです。