4
追憶
季節は流れ、婚約だけでなく人付き合いの中でどうやっても迎えるイベント、誕生日。
コージャイサンが十歳になってからの婚約だったので先に訪れたのはイザンバの十一歳の誕生日だ。
ちなみに二人の誕生日は一月違い。イザンバの方が一月だけお姉さんになる。
さて、例年通りクタオ邸で開かれたイザンバの誕生日パーティー。まだ社交デビューはしていないため招待客は親族のみであるが、淡いオレンジのドレスを着てイザンバは祝いの言葉を受けている。
そんな彼女の元へ訪れる輝かしいオーラ。華やかなオンヘイ公爵一家の登場だ。
イザンバは思わず目を覆った。いや、イザンバだけではない。パーティー会場にいる全ての人の目が眩んだ。
着飾った公爵一家のオーラは主役を食う勢いで、誰のためのパーティーが分からなくなってしまいそうだ。
道すがら声を掛けられるが、しかし断りを入れ真っ直ぐにイザンバの元へと向かう。クタオ伯爵家の人々を丁寧に扱う公爵夫妻の姿に親族はただただ驚いた。
同時になぜイザンバなのかと疑問を抱く。「イザンバが有りならうちの娘でも……」なんて思惑が見えたり隠れたり。
公爵一家が目の前に来たことでイザンバの緊張はピークだ。なにせセレスティアは淑女教育の師でもあるからだ。師事してからの期間はまだ短いが、ここで無様は晒せない。
「イザンバ嬢、誕生日おめでとう。この日を共に祝う栄誉を賜われてとても嬉しいよ。今日は一段と可愛らしいね」
ダディの色気が炸裂した! 親族の殆どが当てられ気を遠くにやっている。子ども相手にそんなものを出さないでくれ。
「お誕生日おめでとう。そのドレスもよく似合っているわ。今度はコージーと揃いのドレスを仕立てましょう。ふふ、今から楽しみだわ」
おっとこちらもか! 女神の如き笑顔がさらに親族を追い詰める。鼻血で染まったハンカチの大量生産だ。
「恐縮至極に存じます」
しかしイザンバは最大限に丁寧な言葉と共に淑女の礼を。
以前の拙いものよりもマシになったはず、と師を前に緊張が高まってしまい親族の様子なぞスルーである。
そして、コージャイサンが目の前にやってきた。交流を重ね見慣れ始めた翡翠の瞳に少し解けた緊張。しかし、そこはイザンバだ。
——おでこが出てても美形は美形なんだなー。
なんて場違いにも程がある呑気な内心。それが間違いであった。
「イザンバ嬢、誕生日おめでとうございます」
ここで綺麗に微笑むのだからこの公爵令息はタチが悪い、とのちのイザンバは語る。
ただでさえ黒髪を後ろに撫で付け正装しているのだ。元々目をハートにしていた同年代の従姉妹たちが軒並み倒れた。なんてこった。
しかしそんな慌ただしい背後を無視してコージャイサンがプレゼントを差し出した。
「これをあなたに」
「ありがとうございます」
四角くて、そこそこに重量があって、少し漏れるインクの匂い。
——え、なんの本だろ……。
中身が気になって仕方がない、とばかりに目が離せなくなったイザンバの頭上から降ってくる忍び笑い。
恐る恐る声の方に視線を上げるとゴットフリートと目が合うではないか。彼は笑顔を湛えたままイザンバに告げる。
「開けてみなさい」
「え、でも……」
大勢がいる前で開けるのは失礼に当たる。戸惑うイザンバにセレスティアの超持論が展開された。
「今日の主役はあなただもの。それに婚約者からの贈り物なんだから大丈夫よ。コージーも早く彼女の喜ぶ顔が見たいでしょ?」
母の言葉にコージャイサンが少し眉を顰めた。
彼女からは面白がるような、楽しくてしょうがないというような、淑女の仮面から覗いた無邪気な好奇心。それと上に立つが故にもつ尊大さが向けられる。
彼は小さくため息をつくとイザンバを促した。
「どうぞ開けてください」
「よろしいのですか? ……では、失礼します」
主役よりも位の高い人からの指示には従いますとも。
包装を丁寧に開いていくとそこには一冊の本。そのタイトルを読み、イザンバは大きく目を見開いた。
「え? これは……! え⁉︎」
それは以前オンヘイ邸の図書室で見つけた絶版になっている希少本。だが、その割にはなんだか真新しい。
胸中に交互に訪れる喜びと困惑。答えを求めてコージャイサンへと視線を向けた彼女に彼はこう告げた。
「図書室にあるものの写しです。手に取るのを遠慮されていたようなので」
それでわざわざ写しを作ってくれたというのか。
これは今日一番嬉しい誕生日プレゼントだ。淑女教育も公爵夫妻の前だと言うことも忘れて飛び出したのは大きな歓喜。
「ありがとうございます! 読みたかったんですけど、汚したりしてはいけないと思うと中々勇気が出なくて……。これ、すごく……すごく嬉しいです!」
「喜んでもらえて良かったです」
ギュッと本を抱きしめるイザンバにゆるりと上がるコージャイサンの口角。そのまま視線を彼女の背後に移し、目が合ったアーリスと密かに頷き合った。
そんな子どもたちを見守る両親たちの視線もまた温かく柔らかなものだった。
さて、イザンバの誕生日が終われば、一月後に控えるのはコージャイサンの誕生日だ。
イザンバは貰った本と同じく、いや、それ以上のものを返せるようにと考えた。それほどまでにあのプレゼントが嬉しかったから。
考えて、考えて——彼女は張り切って玄関を出た。
「よーし! プレゼント捕まえるぞー!」
「ちょっと待ってー!」
だと言うのに挫かれる出鼻。慌てた様子で声を張ったのはアーリスだ。はてさて、何の用だろう。
「なんですか?」
「乗り気なとこごめんね。今プレゼントを捕まえるって聞こえたんだけど何する気なの?」
「虫を捕まえてきます!」
「虫⁉︎ なんでまた⁉︎」
アーリスの驚きといったらない。妹の勢いに心配になって尋ねてみたら、生き生きとした笑顔でとんでもない事を言い出したのだから。
しかし、イザンバは兄の驚きにキョトンとした顔を返す。
「え、だって男の子は好きですよね? 孤児院の男の子たちも捕まえてあげたら喜んでましたし。目指すはゴールデンキングビートルです!」
「え⁉︎ あのレアビートルを狙ってるの⁉︎」
「はい! 眩い金色ボディの昆虫界の王者! 男の子のロマンですよね! 領地にはいないけどに南の国境沿いの森に行けば必ず居る! あと蝶の標本も作ろうと思ってます!」
「いいね! って待って待って! ほんと待ってお願いだから!」
さすが蛙を素手で捕まえるだけのことはある。昆虫採集もお手のものだ。しかし貴族令嬢が標本を手作り、そしてそれをプレゼントにすると言うのだからとんでもない。
「公爵令息に差し上げるにはちょっと向かないんじゃないかな! 違うものにしよう! ね⁉︎」
アーリスの必死な声にイザンバはふむ、と考え。そして——閃いた。
「じゃあ……プラチナゴーレムを捕まえてきます! 自分に忠実な巨大兵! これもまたロマンですよね!」
「分かるー。大きくて強いのってつい憧れちゃうんだよねー」
うんうんと頷く兄にイザンバも太鼓判を押された気分だ。これならば大丈夫だろうと元気よく宣言する。
「ですよねー! じゃあ、一狩り行ってきます!」
「いってらっしゃーい……ってさらに酷くなってるし! そもそも女の子一人で狩れるもんじゃないでしょ! 危ないからダメだよ!」
「でも男の子は好きですよね? 孤児院の男の子たちも好きだっていってましたよ」
首を傾げるイザンバの肩にアーリスが手を置いた。そして、彼は真剣な表情で言うのだ。
「ザナ、まず孤児院の男の子たちと同じレベルで考えるのをやめよう」
「え、ダメですか? でも十歳前後ってそんなもんですよね?」
「そんなもんだけどダメだよ」
兄に諭されイザンバは思案する。虫はダメ、ゴーレムもダメ。さて、それでは……。
「じゃあ……」
今度は何を言い出すのか。——ゴクリ、と緊張感にアーリスの喉が鳴った。
「……何をあげたらいいんですか?」
心底困ったと、眉を下げたイザンバに兄が大きく吐いたのは安堵の息。どうやら暴走を止められたようだ。
相談してくれているのだからここは兄として乗ろうではないか。
「そうだねー。男の子が喜ぶものを一生懸命に考えたのは良かったよ。でも、年齢だけじゃなくて立場や相手の好みでも考えてみよう?」
「立場……公爵令息なら身につけるものも良い物ですよね。でも、それこそご両親や他の人があげるだろうし、やっぱり私はネタ枠でいった方がいいのでは⁉︎」
「だから待って! ネタ枠はもっと後、せめて五年後くらいにすればいいから!」
自分で考えてもらうために誘導を試みているのに、本人はまた目を煌めかせてネタに走ろうとするのだから油断も隙もない。
兄の言葉にイザンバはつまらなさそうに唇を尖らせた。
「えー、その頃には婚約解消してる予定ですし」
「どうしてそんな発想にいくのかなー⁉︎」
「それは私が平凡だからです! ちゃんと将来のために勉強してるから解消されてもお兄様に迷惑はかけません!」
イエイ! と目の横でピースを作り明るく言ったのにアーリスの反応は芳しくない。
「努力の方向性が捻じ曲がってる! ……え、これは彼に言った方がいいの?」
叫んだかと思えば頭を抱えてブツブツと呟く兄。あまりの落差に一体何事かとイザンバの方が心配になる。
「お兄様? どうしたんですか?」
「……何でもないよ。とにかく、まだ婚約して一年経ってないし、そんなに高くなくて毎日使えるものがいいんじゃないかな?」
アーリスはふにゃりと笑うと、まずは贈り物へのアドバイスをする。彼は方向性の修正よりもとんでもプレゼントの阻止を優先したようだ。
兄のアドバイスを受け、イザンバは再度考える。
「毎日使えるもの、ですか」
「うん。まずは気持ちを込めよう。ザナの誕生日にいただいた本も彼の気持ちでしょう?」
「はい」
イザンバの宝物の一つとなった本。
もらった翌日から大事に、それはそれは大事に読んで、内容を諳んじるほど読んで、記された文字を模写できるほど読んで————イザンバは感動の涙で溺れた。
「こんなに素晴らしいものを誕生日プレゼントにしてくれたコージャイサン様にはもう足を向けて眠れない! 一生の宝物にするー!」
今時点で宝物は増え続けているのでその内埋もれそうだが、感謝の気持ちは溢れるほどにある。
唸り出したイザンバにアーリスは柔らかな笑みを浮かべて助け舟を出した。
「そう言えば、最近は真剣で稽古を始められたそうだよ」
以前は図書室で魔導書を読んでいたのに、今度は剣。才能豊かだとやる事が多くて大変そうだ。
「へぇ。魔法の勉強したり、剣のお稽古したり、すごいですねー。じゃあ……剣といえば伝説の聖剣だ!」
「ザナ!」
「やだなー、冗談ですよー」
なんて気兼ねのない兄妹らしいやり取り。兄の助言を聞き、イザンバは街へと繰り出した。
そして、ついに迎えたコージャイサンの誕生日。こちらも社交界デビューの前なので親族のみだが、さて、ここで問題だ。
公爵夫人セレスティアは王妹である。つまりその親族は王族。華やかオーラ倍増なのだ。
オンヘイ公爵一家に挨拶をした後、有り難くもお声を賜りクタオ伯爵一家は圧倒されるわ、場違い感に苛まれるわですっかり身を固くしてしまった。
その中でも一番の注目を浴びるイザンバは極度の緊張による負荷で目を回しそうだ。
——王族……無理、吐く……お助けー!
そんな切なる願いが届いたのかコージャイサンが別室へと誘ってくれた今。華やかオーラが一人分に減って安心したのも束の間、イザンバはなぜか静かなる圧を受けている。
「イザンバ嬢、復習です。気分が悪くなったらどうするんでしたか?」
「すぐに近くの人に言います」
「あなた一人が無理をしたところで得るものは?」
「ありません。ごめんなさい」
こんこんと言い聞かせるコージャイサンに対してまたもやイザンバはしょんぼりと肩を落とす。だがしかし彼女は思う。一つ言い訳をさせて欲しい、と。
——王族の方が来るなんて聞いてなかったんだもん!
血筋を考えれば当たり前だが、この国の王のフットワークは存外軽かったらしい。
ちくしょう、と内心で叫びながらもイザンバは頭を下げた。
「主役なのに抜けさせてすみません」
「構いません」
どうやら静かなら圧は去ったようだ。醸し出される雰囲気が和らいだように感じてイザンバも肩の力を抜いた。
「では、改めて……コージャイサン様、お誕生日おめでとうございます。これプレゼントです。良かったら使ってください」
「ありがとうございます」
侍女はいるがいつもの交流と同じ気楽な空間。以前のイザンバに倣いコージャイサンはそのままプレゼントの開封をした。だって主役だもの。
「これは……革手袋?」
それは何の変哲もない白の革手袋。ただ手のひらは滑りにくい素材で、手の甲は厚めに作られたものだ。
「はい。兄に相談したところ、剣のお稽古が本格化したと聞きました。真剣は重く手の皮が剥けてしまうので使っていただければと思いまして」
「有り難いですが、私はまだ加減がうまく出来ずやり過ぎてしまいます。すぐに革手袋を痛めてしまうかもしれません」
彼の言葉にイザンバは驚いた。そして少なくとも現時点で彼と兄が同じレベルではないと言うことが分かった。なぜなら兄の手袋はそんなにすぐ破れなかったから。
「それならぜひ使い潰して捨ててください。綺麗に残されたら革手袋の意味がありませんから」
「折角いただいたものを捨てるのは……」
忍びない、と彼は言う。
イザンバとしては使い潰してくれた方が贈り甲斐があると言うものだが、受け取る側としてはそんな雑には出来ないと言う事だろう。
それならばとイザンバは一つ提案してみることにした。
「もし、コージャイサン様がよろしければ……この革手袋がダメになった時は新しいものを一緒に買いに行きませんか?」
「一緒に?」
まるでその考えはなかったと言うようにコージャイサンが珍しく目を丸くした。
おや、と思いながらも向けられる翡翠に嫌悪がない事を確認したイザンバの言葉は続く。
「はい。今回は私が選ばせていただきましたが、革手袋の形も様々でしたし、革の種類も動物だけでなく魔獣由来のものもありました。特に魔獣由来の革には組み合わせの相性があるんですって! 風属性の魔獣と雷属性の魔獣の革で作ったらどうなるのか聞いたら『反発しすぎて剣を握るどころじゃなくなる』って店員さんに笑われたんですけど、最高な組み合わせはもちろん最悪な組み合わせもやってみたら意外とイケるかもしれないし面白そうじゃないですか⁉︎」
「それは店員の言う通り危ないのでは?」
「出力の調整とかしたらいけるんじゃないかと思うんですよね。火と水もそのままなら水が勝ちますけど、火の出力を上げたら水が蒸発してしまうから火が勝ちますし……失礼。脱線しました。コージャイサン様が好きなお色や手触りもあると思うので、もっとお気に召すものが見つかると思います」
革手袋の説明をしていたはずが疼いた好奇心にうっかり脱線しそうになったが大丈夫。軌道修正の範囲内だ。
今回は無難な白にしたが、どうせなら好みの色のものを選んだらいいとイザンバは思うわけで。
「それにどのみちすぐに使えなくなります」
「なぜ?」
「今は背も手の大きさも私ともそんなに変わらないから私でも入る大きさの革手袋にしたんですけど」
ほら、とイザンバは手のひらをコージャイサンに向ける。けれども彼は手を見るだけで動かない。
「失礼します」
一言告げてから彼の手を引っ張り合わせれば目測よりも早く分かる。二人の手はピタリと同じ大きさで重なるではないか。
「でもコージャイサン様はこれからグッと背が伸びて、手も私よりずっと大きくなります。お兄様もそうでしたから。だから、自分に馴染むものを見つけてください」
「自分に馴染むもの」
物でも、人でも、仕事でも。自分と馴染むものほど長く続く。
今イザンバが贈ったものよりもコージャイサンが自分で選んだ革手袋の方がきっと長く使えると彼女は考えたのだ。
その意図が彼に伝わったのかコージャイサンがゆるりと口角を上げてから口を開いた。
「そうですか。では、その時はよろしくお願いします」
「はい。なので新しく買ったらこれは気にせず捨ててくださいね!」
「……それはその時に考えます」
別にいいのに、とイザンバは思うがあまりしつこく言うのも失礼だ。義理立ててくれるのならばちょっとだけ寄りかかろう。
「稽古とはいえお怪我には気をつけてください」
「善処します」
イザンバの気遣いにそう返すコージャイサンだが、恐らく気をつけねばならないのは相手の方だろうに。
侍女が微笑ましく見守る中、二人はお喋りに興じたのだった。