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「手段を変更し呪いで防衛局の注意を散らす。その間に姫を呼び戻す算段らしい」
報告を受けながら机の上に置かれたシガレットケースと人物確認の為の写真を一瞥したコージャイサンが呟いた。
「次から次へと……。まだ足掻くか」
「戦力削られてんのになぁ。ま、麻薬の入手ルートは潰してるし残りは明らかに小物だ。さっきの使用量をみると今いる面子以外に流す確率は低い」
物質は有限だ。乞われるまま相手に渡していてはすぐに底をつく。
自分たちの計画が成功すればまた新たに入手出来ると考えているのだろうが、それは取らぬ狸の皮算用というものだ。
「タバコ一本に含まれる麻薬の量は大したことねーんだけど。タバコの精神的依存と麻薬の身体的依存がセットになってっから余計に抜けられねーのかもなぁ。つか、ヤク中って思考があっちこっちトぶから読み辛ぇんだよ」
イルシーはそう言ってシガレットケースから一本取り出すと戯れに口に咥える。
火は点けていないがそれ自体に麻薬が混ぜられているのにも関わらず平然と口にする彼にコージャイサンは呆れ顔だ。
すぐにファウストが奪い取り、その行動を嗜めた。
「主の御前だ。控えろ」
「主の前じゃなくても吸わないでよね。臭いから」
「あー、お子ちゃまがうっせーなぁ」
二人の忠言に片耳に指を入れて塞ぎながら鬱陶しそうにボヤくイルシーだが、彼の行動はそれ以前の問題で。
「証拠品に手をつけるな」
ごもっとも。コージャイサンの言葉に首を縦に振る二人を視界の端にとらえ、イルシーは自身の肩を軽くすくめて返事とするとリアンに報告の続きを促した。
「へいへい。んで、リアン。邸内の様子はちゃんと探れたのかぁ?」
「使用人たちは付き合いのあった前当主たちの逮捕、また最近人が変わったように暴力的になった伯爵本人に不安を抱いています。今日伯爵に暴力を受けたメイドですが、連れて行くよう指示されたのは本来の使用人部屋ではなく仕置き部屋の方でした」
「そういや『別のところで役立ってもらう』って言ってたなぁ」
「また伯爵の書斎から地下への隠し階段を発見しました。簡単な鍵でしたので改めたところ、イルシーが持ち帰ったタバコのストックがありました」
お子ちゃま、と言われた苛立ちも敬愛する主の前では見事抑え込み。
報告をしながら入手したタバコを差し出すリアンに「ちゃんと振る舞えてえらいぞ」なんて親子心にも似た思いがファウストに湧き出た。いや、ここに来るまでの苦労を思えば当然か。
じーんと感激しているところに、もちろん狙ってイルシーが水を向ける。
「ファウスト、外はどうだったんだぁ?」
「ストーキン伯爵に私兵はおりますが大した数ではありません。またイザンバ様を狙い動いた者が多かったことから今王都はかつてないほど治安が良くなっておりますゆえ」
さりとて動じるわけでもなく、こちらもきちんと報告をあげる。
「イルシーが『商人』を捕えたことも手駒補充の妨げになったとみます」
「全部モドキだったけどなぁ」
イザンバに扮し囮となる傍らコージャイサンを狙う商人の捕縛も進めていたイルシー。けれどもその全てが初回同様の粗悪品で中々本命に会えずにいた。
情報を共有するため、生け捕りにし防衛局の諜報部に引き渡していたのだが、捕えたモドキが片手を超えた時、つい苛立ちをモドキにぶつけてしまった。
ところがうっかり加減を間違えその場で仕留めてしまい、「やっちった!」とコージャイサンにテヘペロした事に関しては今は口を噤んでおこう。
「『商人』の居場所は分かったのか?」
「おそらくストーキン伯爵が会ったのは本物だ。けど目隠しをした上、馬車での移動。気づけばどこかの一室ってやつでなんの参考にもなりゃしねぇ。なんでそんなヤツ信用出来んだか。どいつもこいつも馬鹿すぎじゃね?」
コージャイサンの問いに答えるイルシーだが、目新しい収穫はない。
地位や薬物に踊らされるあまり、信用という地固めを怠る連中には主従は揃って呆れるばかりだが、そのせいで中々尻尾を掴めずにいるのだから腹立たしい。
しかし、先ほど得た情報の中でイルシーは気になった点がある。
「つかヤツらの姫さんもさぁ、ヤク中っぽいんだよなぁ」
「どう言う事だ」
主の問いに対して答えはその姿で現した。
服はそのままだが、フードを取ると顕になった褐色の肌と紺青の髪と瞳。髪をかき上げながら自信に満ちた女性の声が通る。
「妾は美しかろう?」
「えー、僕の好みじゃないかなー」
「顔色も悪いし細すぎだ。不健康極まりないな」
リアンとファウストからは手厳しいの一言。
イルシーはそれを受け流し机に腰掛けると、か細い指をコージャイサンの顔に向ける。触れそうで触れないギリギリで止めると艶然と微笑んだ。
「妾の側に侍る栄誉をやろう」
「いらない」
「ハハッ! 全然興味ねーなぁ!」
動じるとは思っていなかったが、眉一つ動かさずに斬り捨てるコージャイサンにイルシーは女声をやめ地声でケラケラと笑う。
「ま、アイツらはこれを美しいだのなんだの言ってんだけど。俺ももっと肉がついてる方が好みなんだけどさぁ」
「お前の好みは聞いてない」
「コージャイサン様も健全なお年頃なんだし、たまにはこういう会話もいいだろ?」
「鬱陶しいだけだ」
「ひでぇ」
にべもない返しにイルシーはまたも笑うがコージャイサンの態度は変わらない。
ふと興味が湧いて出た。
年若い主に視線を送ってみるが、姫への関心は元よりなく、写真やシガレットケースを見て思案顔をしている。
「これに比べたらイザンバ様って実はかなり良い素材なんだよなぁ」
藪から棒になんだ、と全員の視線がイルシーに向く。
注目を浴びて満足そうな笑みを浮かべると彼はそのまま話し続けた。
「イザンバ様のスタイルって平均的なんだけど、ボディラインが整っててさぁ。だから割と何でも着こなせるんだよなぁ。顔も平凡だっていうけど化粧映えするし。なぁ?」
ボディラインをなぞるように手を動かしながらファウストに話を振れば、確かに、と彼は頷いた。
「イザンバ様は痩せすぎず太りすぎず、実に健康的でいらっしゃる。それによく笑うお方だからその明るさがそのまま人となりに現れておいでで好感が持てる」
「舞踏会の時もドレスにも負けてなかったし普通にアリだよね。それに喋らなかったらただのいいところのお嬢様だし。あのハイテンションと暴走にはついていけないけど、僕も嫌いじゃないよ」
オタクの面においては理解し難いが、見た目においてファウストもリアンも好感を持っている。
コージャイサンがしっかり聞いていることを確認して、さらにイルシーは言葉を続ける。
「シャスティが気合い入れてた分、髪も肌も綺麗だしなぁ。囮してた時にちょっと化粧とか服の感じ変えただけでナンパ男もすぐ寄ってきたし。チャラいのから本気のまで」
「それ普通にモテてるじゃん」
「だろ? すぐに手出してこようとしたヤツもいたしなぁ」
それに関しては丁重かつ過激に制裁を加えたのでなんの危険もなかったが。
イザンバに扮したイルシーがナンパされたと聞いてリアンは目を丸くしているが、ファウストは納得の表情で。
「清潔感があって愛らしい。立ち居振る舞いが美しい。淑女の仮面の柔らかい微笑みに余計に手が届きそうな感じがしていいんだろう」
「貴族らしくないけど、傲慢さとか陰険さとか無縁な感じだよねー。害がないって分かるから側に寄りやすいし」
リアンはイザンバを無害判定して。
高嶺の花ではなく、手入れされた花。
とびきり人目を引く訳ではないが、毒気のない佇まいにより人は惹きつけられ手を伸ばす。
人に安心感を与えるのはいいが彼女のそれはコージャイサンに対してだけではない、とイルシーは思うわけで。
「男慣れしてないのは雰囲気でわかるし実際オトしやすそうなんだよなぁ。知識がある割に経験値低いから警戒心もねーし。あの人、俺が押し倒しても……っ!」
ヒュッ、とダーツの矢が飛んできた。以前よりも鋭く、心臓を狙いのそれをイルシーは屈んで避けるが、すぐに二射、三射と撃ち込まれる。
「おわっ! ちょい……待ち!」
ギリギリでダーツの矢を交わし切ったと思えばコージャイサンの拳が眼前に迫る。咄嗟に空いた手でいなしなんとか距離を取ろうとするが、イルシーだと分かっているからなのか、姫の顔をしているというのに実に容赦がない。
イルシーに主を攻撃する気はないが、実力者の攻撃はひどく速く、そして重い。蹴りを受け止めた腕が痺れる中、ヒヤリとした気配に大きく飛び退いた。
するとどうだろう。先程までイルシーが居た場所に頭大の氷塊が落ちていたのだ。
「今の本気だったろ⁉︎」
「ああ、不愉快だったからな」
不機嫌を前面に押し出すコージャイサンの無表情にファウストは青ざめ、リアンは震え上がった。
初邂逅以来の殺気がのった攻撃に「やっべ、やりすぎた」なんて後悔してももう遅い。
温度の下がった室内、肌を刺す冷気はコージャイサンの怒気を孕み一層冷ややかで息が詰まる。
好いている婚約者の話題。従者からの好感度もそこそこで、しかもナンパ対象になる程だと言えばちょっとくらい反応するかと思ったがここまでとは……。好奇心は猫をも殺すとはこのことか。
「待て待て! 俺がイザンバ様に手出すわけねーだろ! あんな変な女、最初から論外だ! 眼中にねーっての!」
「それはそれで腹が立つな」
「何でだよ!」
イルシーが本気ではないと訴えたところで梨の礫。
理不尽だと喚くイルシーに、ここに来るまで散々おちょくられたリアンはいい気味だと密かに溜飲を下げた。
そんな中「このままではいかん」と真っ先に動いたのは最年長だ。誠心誠意、主に伝わるよう声を張る。
「イザンバ様を知ったように語り、主をご不快にさせてしまい申し訳ありません!」
「すみませんでしたー! 僕ももっとお淑やかな人が好みなので安心してください!」
その一言はいらん! と慌ててファウストがリアンの口を手で塞いだ。
コージャイサンは綺麗に平伏した二人を一瞥しイルシーに向き直る。彼はそもそもの言い出しっぺ、戦犯なのだから。
「申し訳ございません。口が過ぎました」
「いいだろう」
打って変わって殊勝な態度のイルシーにコージャイサンは一つ息をつくとあっさりと矛を収めた。
元々罰を与えるつもりも殺すつもりもない。ただ「押し倒す」と聞いて無性にイラッとしただけなのだ。
主が反応する話題ではあったが、一瞬で生きた心地がなくなるのだからそら恐ろしい。
——イザンバ様関係の話題の扱いは要注意!
従者たちが再認識したことは言うまでもない。