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【注意】流血、欠損、死亡等の残酷な描写はありませんが、暴力的、反社会的な表現があります。

苦手な方はブラウザバックを。

読み進める方はどうぞご留意ください。


 訓練公開日の夜。とある貴族邸の一室で、人目を憚りながらも興奮を滲ませた声が集う。


「今日の訓練公開日の様子はご覧になりましたか?」


「ああ……なんと恐ろしく、それでいて美しい力であった」


「さすが英雄の再来と呼ばれるだけのことはある」


「種だけでなく魔力にも価値があったとは……」


 目の当たりにした光景を思い出し、ソワソワと落ち着きのない様子だがそれを咎める者はいない。

 そこへ響くノック音。彼らはピタリと声を潜めると扉を注視した。

 やがて現れたのは品の良い貴族服の男性だ。


「申し訳ない。遅れてしまいましたか」


「いや、時間通りだ。ようこそ、アードック卿。我らの同志よ」


「ストーキン卿、お招き感謝いたします」


 邸の主人であるストーキン伯爵に形ばかりの挨拶をするとダン・アードック——イルシーは従僕に帽子とコートを渡し彼らに笑みを向ける。

 そして、ストーキン伯爵が勧めるシガレットケースから一本いただくとそのまま咥え——彼は違和感を覚えた。


 ——この味、それに部屋に漂うにおい……。


 従僕がすかさず差し出した火を受け取り、確かめるように、味わうように、煙を肺へと送り出す。


 ——へぇ。


 己の経験から導き出した答えに、イルシーはタバコを燻らせながらうっそりと嗤った。

 その様子を従僕が見て眉間に皺を寄せる。深く、深く。

 物言いたげさに気付きながらもイルシーが追い払うように手を払うので彼は大人しく引き下がる他ない。


 入れ替わるようにワゴンを押した邸のメイドがやって来た。

 順にワイングラスが置かれていくが、メイドの手は震え、顔色も悪い。見るからに怯えているという有様だ。


 ——コイツ、やらかすな。


 イルシーの予想通り。グラスは彼女の手に引っかかり、そして響く破砕音。

 滴るワインに、粉々のグラスに、見る見る間に青ざめながらもメイドは必死に謝罪を口にする。


「も、申し訳ございません!」


「この……客人の前で何をしている!」


 ストーキン伯爵は右腕を素早く振り、力一杯その頬を打った。さらに身を低くして謝罪を繰り返す彼女を足蹴にしたが他の者たちが止める様子はない。

 殴打音が続く中、謝罪の声が弱々しくなったところでイルシーが注目を攫う。


「ストーキン卿、タバコをもう一本いただけるだろうか」


「…………よかろう」


「感謝する。礼といってはなんだがソレは私の従僕に運ばせよう」


「躾がなっていなくてすまないね……コレには別のところで役立ってもらうとするか」


 上がった息を整えようと同じくタバコを咥えたストーキン伯爵に火を渡せば、彼は黙って受け取りそのまま煙を吸う。ふかく、ふかく。

 その隙に従僕が新たなワイングラスを置きメイドを連れ出すと、待っていましたとばかりに周りが声をかけてきた。


「して、貴殿も今日の訓練公開日の出来事をご存知ですかな?」


「もちろん。演習場が氷漬けになったあの瞬間……体が震えましたよ」


「はははっ! あの程度で震えるとは卿もお若い!」


 見下すような笑みに品はないが、イルシーは煙を吐き出し、ただ微笑み流す。

 相手にされないことに簡単にイラつきを見せる者も居たが、口を開くより先に別の者が割って入った。


「いやいや、分かりますよ。あれだけのことをしておきながらその後も平然と動いていたのですから……底が知れないというもの。彼の震えは武者震いというやつですよ」


「ですが、あの力ならば間違いなく事は成る。えっと……そうですよね?」


 伺うような視線にストーキン伯爵は口角を上げると、静かに、しかし力強く言い切った。


「ああ。この国の真の女王たる姫をこちらに呼び戻すのに相応しい」


 それは彼らが求めた答え。ストーキン伯爵の言葉に皆が頷いた。


「我らは歴史を正し、この国を姫に捧ぐ先導者。多くの仲間が志半ばに倒れてしまったが、まだ我らが居る! まだ終わったわけではないのだ!」


 そうだ! と上がる同意の声。彼らの瞳を灯すギラついた野望にイルシーは気圧されるわけでもなく、同意を見せるように笑みを貼り付ける。


「必ずや姫と共にこの国を正しい形に!」


「姫に我らの忠誠を!」


「我らこそが国を支え導くのだ!」


 掲げたグラスから響く高い音にイルシーがそっと口角を上げた。


 杯が進むにつれて、一本また一本とタバコが消費されていく。

 ——堪能するように

 ——染み付くように

 ——侵されるように

 肺の奥、ふかくまで。


「ソート卿……彼を失ったことの損害は計り知れないです」


「婚約者をエンヴィー嬢に挿げ替え、正しき歴史を教える。そして改心したら姫にあの男を捧げる手筈でしたからね」


「あの小娘も護衛を雇うなど……情報源として役に立たぬのなら大人しく死を迎え入れれば良いものを!」


 ポツリと吐き出された言葉を皮切りに彼らから漏れたその落胆、その苛立ち。言葉にした事でより一層憎しみが増していく。


「よほど腕の立つ者を雇ったのだろう。この国の女らしい強欲さだ。それにお聞きになられたか? 特別招待券の話」


「確か……騎士団、魔術師団、魔導研究部。それぞれの長から貰ったとか。それに防衛局長からは娘同然の扱いを受けていたようだ」


 ストーキン伯爵の問いかけに答えたのはイルシーだ。呆れをみせるその内心は「イザンバ様って年上キラーだよなぁ」なんて場違いな事この上ないが、それを他の者が気づくはずもない。

 言葉通りの事実に、彼らは失望をあらわに言葉を続ける。


「強欲なだけでなく権力者に媚びる……なんと醜く浅ましい姿なのでしょう」


「英雄の再来と呼ばれながらそのような女を相手に定めるなど……ああ、残念でなりません!」


「よほどの手練手管の持ち主なのでしょうか。本来ならば姫に、その全てを捧げるべきであると言うのに……」


「ふん! どれほど実力があろうとあの程度の女一人に惑わされるなど所詮は若造という事だ! しかも我らの同志を(ことごと)く捕まえることで功績を挙げよって……忌々しい!」


 拳を叩きつける程の激情も隠れた集会だからこそ。

 盛り上がる周囲へイルシーはわざとらしく彼らのかつての同志に思いを馳せる。


「サファイ卿もホーブルス卿もさぞ無念であったことでしょう」


「ええ、彼らの無念は私たちが晴らさねば!」


 知らず乗せられ力む彼らにストーキン伯爵が告げたのは、打ち合わせを終えた次の行動。


「それは当然だ。側近殿と次の手は打ってある。実るまでしばし待たれよ」


「さすがストーキン卿! それで、どのような策で?」


「くくくっ、この国の女の醜さを利用するのだ。若造のあの言葉があれば拍車もかかろう。それに防衛局に煮え湯を飲まされた者も多い。恨みつらみを晴らさせてやるのも上に立つ者の勤めよ」


 悪どい笑みを返す彼に釣られるように、内容もわからないまま「流石だ!」「素晴らしい!」と褒め称える姿は実に滑稽だ。

 憶測と妄言に笑いを噛み殺し皮肉めいた笑みを浮かべ相槌を打つイルシーだが、それでも肯定と捉えられたのだろう。

 一同はより盛り上がり、不平不満を溢していく。


 さらに時間が経つほどに部屋に充満する煙は増え。それに比例するように部屋の面々の様子は変わっていった——。


「なぜ私が認められない……私の理論は完璧なのに……この国は、世の中はおかしい」


「あの女、大人しく言うことを聞いていれば良いものを……そうすれば俺は今頃もっと……もっと……」


「アイツのせいで……僕は悪くない……全部、ぜんぶアイツが悪いんだ」


「……私はこの程度で、こんな場所で終わる人間ではないのだ」


 ブツブツと。虚なその瞳にはもはや共にテーブルを囲む相手すら映っていない。

 そんな彼らを横目にイルシーはワインを煽ると、徐に立ち上がる。

 しっかりとした足取りでストーキン伯爵の横に立つと、グラスを取り落としそうなその手を支えた。危ないですよ、と囁きながら。


「ストーキン卿、お聞きしたいのだがあなたはいつ側近殿にお会いしたので?」


「幾人かが捕まった……あの後に……」


 つまり彼は新しい幹部候補と言うことだ。その事に浮かれてなのか随分と態度が変わったようだが、程度の低さを知るイルシーからは冷笑が漏れる。


「側近殿はどのような計画をお立てに?」


「呪いを蒔き……姫のお戻りを……」


「それはいつ?」


「月の無い……魔の……夜に……」


「ふーん。その時は姫もご一緒に?」


「姫は……贄……人柱…………捧ぎ…………戻る…………」


 言葉が途切れるとストーキン伯爵は幻覚(ゆめ)の世界に堕ちていく。

 深く、深く。

 ——思考は現実と分断され

 深ク、深ク。

 ——捻じ曲げて作り上げた真実に

 ふかく、ふかく。

 ——都合のいい妄想が巡り巡る


「はははっ! 私が……世界を……! 私が……!」


 これ以上思考を読んでも有益な情報は得られそうにない。

 イルシーは早々に見切りをつけると、彼らの注意が自分に向いていないことを確認し手にしたのはシガレットケースだ。

 いい証拠になる、とほくそ笑んでいると丁度従僕が戻って来た。部屋の扉を開けた途端に顔を顰めた彼にイルシーが端的に告げる。


「引き上げるぞ」


「了解」


 そして役目は終えたとばかりに掻き消えた二人の姿に、幻覚(ゆめ)に浸る彼らはついぞ気付くことはなかった。

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