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 賑わう一角を三人の女性が通る。彼女たちは目的だったコージャイサンの訓練が終わっていたことから食堂へと戻るところだ。

 ところが、突然立ち止まったサナにロクシーは首を傾げながら問うた。


「どうしたの?」


「これ、どうしてもコージャイサン様に渡したくて。受け取ってもらえないと思うけど、ちょっと頑張ってくる」


 サナがどうしても渡したいもの、それはタオルの下に潜ませた手作りの焼き菓子。

 サナは今まで見てきた様子から彼が受け取ってくれないだろうと分かっていても用意したのだ——一途に、純粋に、彼を想って。

 ロクシーとココは優しく微笑んだ。彼女たちもコージャイサンに対して騒ぐが、サナの想いは自分達よりもずっと強く、まさに恋をしているものだと知っているから。


「応援してる。あ、あそこにまだ居るよ」


 決意を秘めた瞳に笑みを返し、ロクシーが指差した先。修繕工房の前でクロウと話しているコージャイサンの姿がある。


「ほら、早く行っておいで!」


 ココに背を押され、サナはコージャイサンに近づいていった。胸が高鳴るのは物理的に彼との距離が縮まるからか、それとも抱く淡い期待からか。

 だが、工房の人に挨拶をしている彼を正面に捉えるとその足が止まる。


 ——カッコいい。


 ついうっとりと見惚れていると、コージャイサンがサナの方を向いた。すると彼は驚きに目を見張ったかと思えば、次の瞬間には今まで見たことのない笑みが浮かべた。

 それはまるで陽だまりを見つけたような、心が潤いに満たされたような、そんな笑み。


 これにはサナの胸が一際大きく高鳴った。瞬間的に顔に熱が集まり、一人慌ててしまう。

 そろりと視線を上げると、彼は口元に笑みを湛えたままこちらに向かって歩いてくるではないか。緊張からか細い声が漏れる。


「あ、あの……っ!」


 けれどもコージャイサンはサナに目もくれず通り過ぎていった。信じられずに振り向いたが彼の足は止まらない。


「ザナ」


 それどころか耳に届く自分の名前に似た、別の人を呼ぶ柔らかな声色。

 淡々とした彼を知るサナにはそれが信じられなくて。動揺する彼女だが、さらに心を衝いたのは女性の声だった。


「コージー様、突然お邪魔してすみません」


 それは限られた人だけに許された彼の愛称。防衛局内でそう呼んでいるのは彼の父であり、防衛局長のゴットフリートだけであろう。

 だと言うのに、女性は愛称を呼んでいる。嫌な予感にサナの心臓がその速度を上げた。

 人目を引くメイドが一歩下がった位置で静かに控える中、彼は柔らかなグリーンの裾を揺らす茶髪の貴族女性の前で足を止めた。

 対面したことに女性の表情は笑顔だが、それは弾むような喜びではなく、心底の安堵を映し出す。


「構わない。だが、どうした? 何かあったのか?」


 コージャイサンは愛称を呼ぶことも、突然の訪問も、全てを許す。むしろ何かあったのかと気遣うほどだ。「アイツ、気遣いできたのか」「その優しさをオレらにも!」なぞとにわかに外野が騒がしい。

 だが、騒めきの声はサナの耳には入らない。それはあまりにも早鐘を打つ心臓の音が耳に木霊しているから。

 サナは激しく脈打つ心臓を一人あやした。差し入れごと抱きしめる姿はまるで祈るようで、けれども二人の間に割って入れるはずもなく、ただ静かに有象無象に溶け込み会話の続きを待った。


「ザナ?」


「お忙しいとは思うんですけれど……訓練公開日だし、差し入れ、持ってきました。受け取っていただけますか?」


 覗き込むようなコージャイサンから少し視線を逸らした女性は若干詰まりながらも言葉を紡ぐ。それは、サナが言いたかった言葉。

 先に言われてしまい、なんだか負けた様な気分になったが、少し赤い頬に女性が彼に自分と同じ感情を抱いている事が見て取れる。

 このような光景、サナは今までに何度も見てきた。けれども一度だって彼が受け取ったことはない。


 ——大丈夫。コージャイサン様は受け取らない。それを知らないなんてあの人も可哀想な人だな。


 サナは言い聞かせるように、縋るように、存在を大きくする可能性に気付かないフリをした。胸の前で握り込んだ手に力を込めて。


 その淡く純粋な願いを打ち砕いたのは——他でもないコージャイサンだった。

 彼は一度顔を上げてメイドの方を見た。そこにバスケットの存在を確認して、また女性へと視線を戻すとまじまじと見つめるではないか。

 明らかに驚いた様子に女性が気まずそうに視線を返したところ。


「もちろん。ありがとう」


 世界に彩りを湛える、そんな嬉しさが花開いた。

 普段クールな彼が見せる笑顔に、温もりのある声に、一層騒がしくなる周囲。

 中でも一番の声を上げたのは女性の近くにいた彼の先輩のマゼランだ。その声の大きさが彼の興奮具合を表している。


「うわー! めっちゃ喜んでんじゃん! 良かったね、婚約者ちゃん! 帰んなくて正解だったよ!」


 婚約者。そう聞いてサナは自分の体が冷えていくのを感じた。

 ——愛称を呼ぶことを許すのも

 ——笑顔を向けるのも

 ——差し入れを受け取るのも

 あの女性が彼の婚約者だから。

 これは同じ空間でのやりとりなのかと思うほどに、一気に遠のいた周りの音と温度。

 突き付けられた現実に体が、心が、身動きを取れずに固まった。


 しかし、例えサナが動かなくなっても世界は動く。

 無情に。規則的に。永続的に。

 まるで砂の落ち切った砂時計のように、色の褪せてしまった絵画のように、その場から動けなくなった彼女を置きざりにして……。




 さて、大興奮のマゼランはコージャイサンとイザンバの間に立つと忙しなく二人を観察する。

 観察している間は静かと言うわけでもないが、今のうちにと話しかけたのはクロウだ。


「イザンバ嬢、お久しぶりです」


「クロウ・エンドロスト様、その節はお世話になりました」


「いえいえ、ご丁寧にどうも。イザンバ嬢もお元気そうで何よりです。コイツの相手、大変だったでしょう?」


「施設の説明も丁寧にしてくださり、とても楽しい道中でした」


 マゼランをぞんざいに指差すクロウにイザンバはクスクスと上品に笑う。

 コージャイサンは当たり前のようにイザンバの隣に並び立つと、本当に大丈夫だったかと窺うような表情を見せるではないか。その仕草がマゼランへの信用度。案外低いのかもしれない。

 イザンバはその視線に気付くと、彼を安心させるようにヘーゼルの瞳に穏やかさを灯して微笑み返す。

 すると、ゆっくりとコージャイサンも表情を和らげた。


 そんな彼の様子にマゼランはクロウの肩を掴むと矢継ぎ早に言葉を吐き出した。


「クロウ見た⁉︎ アレ偽物じゃないよね⁉︎ いつもの仏頂面どこいったの⁉︎ 表情筋が仕事してるよ! 顔もだけど遠征の時と雰囲気も違うよね! なんかあったのかな⁉︎」


「あったけどお前は首を突っ込むな。ちょっと落ち着け」


 クロウが鼻息荒いマゼランを宥めようとするが、とても聞こえてはいないだろう。

 マゼランは彼に返事もせず、今度はコージャイサンに対して前のめりになった。


「あ、お前面会承認の書類に婚約者ちゃんの名前、ちゃんと通してたよね? ザナちゃんだっけ? 受付の子が『今は忙しい。面会は断ってる』って言って婚約者ちゃんを追い返そうとしてたんだけど、止めて連れてきたオレってえらくない⁉︎」


 聞かされた内容にコージャイサンはため息をついた。特定の人物は通していいときちんと提出しているにも関わらずこのような事態になることに。

 今後の対応は後で考える事にして、ひとまずマゼランに礼を述べる。


「イザンバを、連れてきていただいてありがとうございます。家の者とクタオ家の方は通していますが、再度確認します」


 コージャイサンの答えはあっさりとしたものだったが、マゼランはさらに上機嫌にウインクを一つ。受け取ることになったコージャイサンは真顔である。


「お礼は体で払ってね! そう言えば婚約者ちゃん凄いんだよ! 将軍と元帥と首席から特別招待券貰って、総大将に局長室に誘われてんの! 気に入られ具合に笑うよねー!」


「それは確かに凄い。でも頼むからまじで落ち着け」


 マゼランの口から並び立つ名称にクロウは鳥肌が立つ。ただでさえ癖のある人が多い防衛局の中で、何故より強烈な大物がこぞって彼女を気に入ったのか。ああ、彼の身を震わせる畏怖は誰に対してだろうか。

 しかし、だからと言って尚も止まらないのがマゼランの口。


「てかさ、そこそこ距離あったのに見つけんの早くなかった⁉︎ 普段オレが声かけても全無視する癖に今は自分から寄ってきたよね! なんで⁉︎ そうか! 婚約者ちゃん大好きなのか!」


「だから落ち着けって!」


 グイグイ、ぐいぐいと、マゼランの勢いは増すばかり。

 コージャイサンはといえば、うんともすんとも言わずマゼランの言葉を止めようともしない。

 なぜなら彼が言っていることは何も間違いではないから。

 そして、イザンバと出会ってからの逐一を大声で話すマゼランに人々が注目していることに気付いたから。

 クロウの静止にも力が入り始めた頃、ついにマゼランの勢いの矛先がイザンバに向いた。


「ねぇねぇ、婚約者ちゃん! コイツいつもこんな感じなの⁉︎ てか、お前今まで差し入れ受け取った事ないのに婚約者ちゃんのは受け取るんだ! やっぱ婚約者ちゃんは別格なんだね! 凄いね!」


「お前もう黙れ!」


 バシン! と鳴る景気のいい音。クロウが堪えきれずにマゼランの頭をしばいたのだ。

 いくら止めても聞かず、言わなくていいことまで言い出したマゼランにいつものノリでやってしまったクロウは慌ててイザンバの方を見たが、いつの間にか彼女はコージャイサンの後ろに隠れているではないか。

 クロウの顔がさっと青褪めた。これはやらかした、と。


「コージャイサン悪い! 彼女、怖がらせたよな⁉︎」


「大丈夫です。いつもの発作なので」


 だが、コージャイサンは怒るでもなく、慌てるでもなく、けろりとそう宣うではないか。

 これにはクロウの声がひっくり返った。


「発作⁉︎」


「え、それ大丈夫じゃなくない? 医療棟行く? 抱っこする?」


 マゼランでさえも心配そうにするがコージャイサンの様子は変わらない。彼は伸ばされたマゼランの手をパシリとはたき落とすと、イザンバを背に庇いながら淡々と言ってのける。


「それは俺がします。少し経てば治るのでご心配なく」


「なんか震えてるし辛そうだけど⁉︎ せめて座らせてやれよ!」


「そうですね。ザナ、少し休みに行こう。動けるか?」


 クロウの助言にコージャイサンが後ろを振り返ると、イザンバは下を向いて口元を手で覆っている。彼女の顔を隠すように寄り添い腰に手を添えたところでまたもや響く大音声。


「やばーい!!! なに今のめっちゃ優しいじゃん! いつも鬼畜かって言うくらいムチしか振るわないのに! オレが実験失敗しても付き添ってくれないよ! ねぇ、どう言う事⁉︎ ビックリなんだけど!」


「うるさい! 具合悪い人の前でも黙れないお前にオレはビックリだよ!」


 ここで二発目、もはやクロウのツッコミにも遠慮はなくなった。中々に痛快な音がしているが、マゼランも避けも庇いもしない。そこまでされても話を聞いていないのか、痛感的に効いていないのか。

 イザンバがいる事でコージャイサンが普段と違う様子を次々と見せる。

 ——彼女だけに抱く感情

 一つの要素でここまでの変化があることにマゼランは知的好奇心と興奮が止めどない。

 だが、向けられる本人からしたら迷惑でしかないのだろう。


「この人は黙れないでしょう。いつも口だけは動いてますし」


 呆れながらもすっぱりと言い切るコージャイサンにマゼランはクロウにもたれ掛かるとしくしくと泣き出した。重い、とボヤく声は無視である。


「ひどーい。お前のその態度はいつも通りだけど、婚約者ちゃんへの態度見た後だと傷つくわー。まじ泣ける」


「嘘つけ」


「嘘だよー」


 クロウのツッコミにあっけらかんと返すマゼランは、その顔にイラッとしたクロウからまた一発もらうこととなった。


「ごほっ、ごふっふふ、ごほん」


 突然、イザンバが咳き込んだ。一番に慌てたのはやはりクロウだ。のんきに立ち話をしてる場合じゃないと、コージャイサンを急かした。


「あ、ごめんね! おい、コージャイサン! 早く連れて行ってやれ!」


「婚約者ちゃん、大丈夫——あれ? わr……」


 しゃがみ込み、下からイザンバの顔を覗き込んだマゼランだが、コージャイサンが指を一つ鳴らすとたちまち氷に包まれた。

 突然の氷像作成にクロウだけでなく様子を窺っていた周囲からも上がる驚きの声。


「は、えっ⁉︎ おま、急に何してんだ⁉︎」


「うるさかったので」


「いや、だからってお前……」


「じゃ、あとお願いします。ザナ、もう少し耐えろよ」


 そう言ってさっさとイザンバを横抱きにしてしまう。彼女の状態を見るにこの方が早いと判断したようだ。

 周囲から上がる黄色い声も冷やかしもその一切合切を無視して彼はメイドに目配せすると、そのまま振り返ることなく足早に去っていった。

 残されたクロウはマゼランの氷像をみてポツリと呟いた。


「これ、どうしろって言うんだよ……」


 疲れたように立ち尽くす彼に向けられるのは数多の同情の視線。通りすがりの同僚がポンと肩を叩く、その労りが心に沁みた。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] この国の身分制度はどのくらいなのでしょう 食堂で働いているのだから良くて男爵位だと思うのだけど その子が公爵家の人に差し入れしたり付き合えると本気で思ってるのでしょうか [一言] イザ…
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