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【注意】流血、欠損、死亡等の残酷な描写はありませんが、戦闘描写があります。
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場面は変わり、こちらは演習場。ここは観客席にぐるりと囲まれた闘技場だ。
観覧席は全部で十段あり、前四段は貴族席、広く通路を挟んで後ろ六段は一般席となっている。
囲まれた中央にいる防衛局の面々は皆制服で、紺色を基調とした騎士団の軍服、臙脂色を基調とした魔術師団のローブ、シルバーグレイの魔導研究部のツナギとそれぞれの所属が一目でわかる。
人数の割合は騎士四割、魔術師四割、研究員二割だろうか。
イザンバの乗った馬車が着いた頃、コージャイサンはそこにいた。彼は同じく魔道研究部のツナギをきた青年の相手をしているようだ。だが、軽い木剣の音に打ち合いが手遊び程度のものだということが窺える。
そこへ近づいてきたのは木剣を持った三人組の騎士——込み上げる感情に赤い瞳を燃やした大柄で厳ついチック。落ち着いた海老茶色の瞳がその人の良さを語るジュロ。レモン色の瞳を観覧席に向けて愛想を振るフーパ。
三人が進めてきた足を止めると、チックが大きな声で宣誓した。
「コージャイサン・オンヘイ! お前に決闘を申し込む!」
「お断りします」
間髪入れずにお断り! 他部署の先輩だろうが容赦なく切り捨てるあたり今日も安定のコージャイサンだ。
あまりにもあっさりと断られてチックは驚愕を声に出す。
「なぜだぁぁぁぁ!」
「私闘は厳禁ですよ。訓練に戻ってください」
チックの大声にうるさいと顔を顰める者、耳を塞ぐ者、周りの者たちの反応は様々だが、当たり前のことを淡々と返すコージャイサンには同情が向けられた。
コージャイサンはチックの要請を聞き流し訓練に戻ろうとしたが、それを止めるように彼は大仰に語り出した。
「まぁ、聞け。俺には恋人がいた。俺にはもったいないくらい可愛くて優しくて巨乳で可愛くていい子で、最高の恋人。まさに天使、いや、女神だった!」
だから何なんだ。言うのも面倒なのかコージャイサンからはそんな視線が向けられたが、悦に入った彼は気付かない。
それどころかその自慢に続いたのはジュロだ。
「オレの恋人は踏んで欲しくなる素敵な御御足の聖女だった!」
「おれの恋人は小さくて可憐な妖精さんだった!」
さらにフーパまでも。ドヤ顔の彼らに「恋人自慢ならよそでやれ」と呟いたのは誰だろうか。
しかし、そのドヤ顔もすぐに消沈したものに変わる。ギリギリと歯を食いしばり、チックは声を振り絞った。
「それなのに……あんなに店にも通って……プレゼントも欠かさずしたのに……」
察しのいい者はここで気付いただろう。にも関わらず、切々としたジュロの訴えが続く。
「夜会に行きたいって言うからドレスを贈って……ダンスもエスコートも頑張ったのに……!」
もう雲行きが怪しい。加速するのは同情。そして、フーパがちゃんとオチを語った。
「『運命の人に出会ったの。黒髪で翡翠の瞳のとてもクールな騎士様なの。ごめんね』って全員同じ理由でフラれたんだー!」
三人男泣きである。「よくあるパターンだよ」と誰かが同じく涙を堪えた。
だからと言ってコージャイサンが決闘に応じるわけもなく。
「知りませんよ、そんな事。俺は先輩たちが行く店には行かないし、体よく理由にされただけですよね。そもそも騎士じゃないですし」
そう、コージャイサンはトラブルを嫌い女性が接待してくれる店には行かないので、そもそも関わった覚えがない。
また本人が言うように彼は研究員であり騎士ではない。ただ、応援で遠征に出ていた時、コージャイサンは時に騎士団の軍服を、時に魔術師団のローブを纏っていた。まぁ、勘違いはされているだろう。
勝手に理由にされているだけだとコージャイサンはすげなく返すが、それを聞いて彼らの消沈した態度は怒りへと変わる。
「お前、結婚を目前にして最後の火遊びか⁉︎」
と、チックが喚き立て。
「様々な女性たちを落として愛人にする気だろ! キィー! 女の敵よー!」
と、ジュロはハンカチを噛み。
「二番目でもいいなんて健気な女心を弄んで……酷いわー!」
と、フーパは泣き真似をした。
いちいち全力でコージャイサンに絡む三人には鬱陶しさと面倒臭さしかない。
「そんな事はしませんし、愛人も浮気相手もいりません。俺のこと一体なんだと思っているんですか」
うんざりと呆れたように返すコージャイサンの姿には先輩だから取り繕うなんて姿勢は見えない。
しかも、どうにも彼らの耳は言葉を受け止める皿に穴が開いているようだ。
「お前がこのように女性を弄べば当然狙われる。つまり、そう! これは私闘ではなく一対複数を想定した訓練だ!」
これでもかと私情を詰め込んだ屁理屈。ドヤ顔をしているチックに「お前、さっき決闘って言ってたよな」なんてツッコミも入るが、スルーっと耳を通り過ぎていった。
「さぁ、剣を構えろ! コージャイサン・オンヘイ‼︎」
チックとコージャイサン、二人の木剣がぶつかる重く鈍い音が場に開始を告げた。
鬼気迫るチックの剣撃はコージャイサンの急所を狙い振るわれる。対してコージャイサンは涼しげに木剣を振り、体格差を物ともせずにチックの攻撃を相殺し続ける。
激しい両者の打ち合いに観覧席は息を呑んだ。
あれは本当に木剣の打ち合う音なのか? そう観覧席から疑問が湧くほどの鈍い音。
もちろん本当にただの木剣ならば一合目で折れている。だが、二人とも木剣自体に強化魔法を施しているので、振られているのは木剣のフリをした鈍器だ。
そこへ乱入するジュロとフーパ。だが卑怯ではない。人は連携を取ることで強者に対抗する。
そう、これは歴とした戦術。ジュロとフーパの撹乱により隙を生み、チックが強撃を叩き込む算段だ。
しかし、コージャイサンは焦らない。
「借ります」
迫る三本の木剣に対応すべく近くの魔術師から拝借すると、すぐさまもう一本にも強化魔法をかけた。
そして、一呼吸。ゆっくりと息を吐き出し、翡翠に闘気を浮かべると、二刀を使いこなし変わらぬ涼やかさで複数の攻撃を捌いていくではないか。
戦況打破のため、まずはフーパが飛んだ。
チックの背後から飛び出た彼は風を足場にさらに上空へ。そしてコージャイサンへと剣を振り下ろす。
対するコージャイサンはチックの剣を強めに打ち返すとバランスを崩した彼を足払いして距離をとり、さらにジュロを壁際まで叩き飛ばした。
そうして邪魔されないように一対一の状況を作り上げてフーパを迎え撃った。
自重と風圧で重みを増した木剣がコージャイサンに迫って——ぶつかり合った音はチックとの一合目よりも重い。
衝撃でコージャイサンの足元が抉られたのだから相当だろう。
このままフーパが押し切るのかと思われたが、コージャイサンが木剣を振り切った瞬間に、彼は勢いよく打ち上がっていた。
フーパは風で足場を作りもう一度とコージャイサンの方を見るがそこに彼の姿はない。
「あれ⁉︎ どこいった⁉︎」
くるりと見回したが、気付いた時には遅かった。圧縮した空気を足場に跳躍してきたコージャイサンが生み出す強撃。
——ブン、と空気を裂いた二刀
——重く鈍い音を立てた木剣
振り切られた二刀をフーパは辛うじて受け止めたが、そこに注力しすぎたようだ。足場を作ることが間に合わず、勢いを殺すことができないまま観覧席を守る結界に激突した。
「ッ……ガハッ!」
衝撃に肺から空気が押し出され、苦悶の表情のフーパはそのままズルズルと滑り落ちる体を止められない。
動かない彼にこれで一人脱落かと誰もが思ったが…………フーパは立ち上がった。
「クソッ! まだだ!」
息を整え、木剣を構える。噛み締めた唇、その奥でギリリと鳴いた歯が悔しさを語る。
一回ダウンしたくらいなんだ、とその闘志はまだ尽きていない。
コージャイサンは乱入してきたジュロとも何度か打ち合うが、彼の攻撃は他の二人に比べてどうにも軽い。
彼は時折離れてはチックやフーパと打ち合うコージャイサンに向けて魔力で固めた砂を飛ばしている。
それ自身に殺傷能力はないが、まるでちまちまと飛び回る小虫のようで、細々とした針で刺し続ける棘のようで。
これはこれで鬱陶しい、とコージャイサンが眉を顰めるのも当然だ。
何か別に狙いがあるな、とコージャイサンがあえてジュロを正面に捉えて注意を深めていると突然左の足場が変形した。
地面が陥没したかと思えばコージャイサンの左太腿までを食らうように絡みつく土。
これが彼の狙い。練った魔力を発動させコージャイサンの隙を作ること。
文字通りの足止め、うまくいったとジュロの口角が自然と上がる。彼は素早く体を右後方へと捻ると、コージャイサンに突きを放った。
迫る木剣をコージャイサンは限界まで身を低くして回避すると——一閃。ジュロの木剣が宙を飛んだ。
「チッ!」
手を離れた木剣に、思うようにならないコージャイサンに、ジュロは生意気だと舌を打つ。
ここで、武器を無くしたジュロに入れ替わるようにチックが、フーパが、それぞれの剣を振う。
足止めをされたまま、二人を相手取ることになったコージャイサンだが、拳に魔力を纏わせはじめたジュロを視界の端で捉えた。
その動きに気付き彼が巡らせた魔力の行き先は足。土の拘束は見る見るうちにその硬度を失っていく。それはまるで大量の水分を混ぜ込んだような泥になって。
そして、力強く地を蹴るとコージャイサンが空を舞う。優雅に、泰然と、挟撃を仕掛ける二人の頭上を飛び越えた。
クルリと後ろ回転をしながら着地する彼の元へジュロが素早く回り込んできた。ああ、こんなにも息のつけないことがあるのか、と観客は目が離せない。
ジュロは低い姿勢から彼のボディを狙い、その右の拳を打ち抜いた。
ミシリ——と鳴ったのは拳か、それとも……。
拳を受け止めたのはクロス状になった木剣だ。その一本が儚くも役目を終えた。
だが、コージャイサンが持つ木剣はもう一本ある。ジュロが腰を左へと捻り、外側から内側へと左の拳を打つが——届かなかった。
それよりも早く振り切られたコージャイサンの右足。
「くっ……!」
ジュロは防御が間に合わず彼の後ろ蹴りを胴へと受け、思い切りよく吹き飛ばされた。
地を転がり、伏すこととなったジュロに観客は思った。これは無理だろう、と。
「いってー……やりやがったな」
しかし彼も立ち上がる。身体強化をしていたとはいえ、痛みに歪む顔。眉間に寄せられた皺がその苛立ちを人に示す。
側にいた騎士の静止を振り切り、再度渦中に身を投じた。
「コージャイサン!」
最初に打ち合いをしていた青年が背後から投げた木剣を後ろ手で受け取り、彼は再び二刀を構えた。
そんな彼にチックはひたすらに正面から挑み続けた。
アイツが二刀ならば自分も、とチックも両手に携え攻撃を繰り返す。
観覧席に二人の動きを追える者はいるのだろうか。ただ響き続ける相打ちの音に、舞い上がる砂埃に、その激しさを知る。
では、成り行きを見守ることとなった防衛局の面々はどうだろう。彼らは目の前で展開される剣技に、振り撒かれる熱量に、こう思った。
——羨ましい、と。
それはコージャイサンが、というよりも挑む三人が。
ある者は食い入るように見つめ、ある者はその動きに感心し、ある者は誇らしげに、ある者は自分ならばと戦略を立て。
何十と繰り返される攻防。けれど、いつの間にか立場が逆転している事にチックが、他の騎士が、観客が、気が付いた。
最初、防戦していたのは確かにコージャイサンだった。両者の実力は拮抗しているように見えたが、その実コージャイサンは徐々に打ち返す速度を上げ、その優位性を奪った。
速く、重く、的確な攻撃。攻め手から転がり落ちたチックはそれを必死で受け止める。
「ったく……本当にムカつくヤローだな、お前はよぉ!」
「そうですか。先輩も余裕そうですし、もう少し上げましょうか」
「はっ! やってみろ!」
悪態をつくチックを意に介さず、開始当初とからわない涼しさで、いや、むしろ煽るように口角を上げるコージャイサン。
その誘いに乗るように、それならばと挑発し返すように、チックも木剣を力強く振った。
けれども目の前の相手だけに集中ばかりはしていられない。
「オレらを……」
「忘れてんじゃねーぞ!」
飛び込んできたジュロの強化された拳とフーパの風を纏った木剣が均衡を割いた。すぐさま距離を取ったコージャイサンと向き合う三人。
砂煙が上がる中、彼らは——笑っていた。
後輩に、それも三人がかりで決定打を入れられないのは確かにもどかしい。悔しさも、憤りも、嘆きもある。
だが、これは彼らにとって最高の訓練だ。白熱する戦いにいつしか恋慕の復讐も忘れて、純粋に挑んでいた。
三人は何度も防がれ、打ち負かされ、砂を食もうとも、立ち上がる。
それは騎士として、男として。自らが始めた戦いに、簡単に諦めては格好もつかないだろう。
いくら強者といえどもコージャイサンとて人間だ。疲労は蓄積され、集中力も途絶える。いずれ生まれるその一瞬を待って……。
「まだ、まだぁぁぁ!」
チックが纏った魔力はその心意気を表す炎。器の中に収まりきらず、暑苦しいまでの熱量が黒髪を掠めた。
ジリジリと肌を焼き始める熱にコージャイサンが大きく下がった。彼は熱を厭うように手の甲で目を庇うではないか。
遮られた視界、それは確かに生まれた一瞬。これを好機とみなして三人は動きを変えた。
ジュロが再びコージャイサンの足を土で喰み、チックが狙い打つように超高温の炎球を投げつけた。そこへフーパの水球を絡みつく。見事な連携だ。
さて、ここで問題。水が非常に高温な物体に接触するとどうなるだろうか。
答えは——気化された水蒸気によって爆発が起こる。
目標目前での爆発によって広がる水蒸気。視界を完全に奪い、足を止めた彼に向かって、三人は水蒸気の中で一斉に飛びかかった。
充満する水蒸気によって暑いはずのその空間だが、どう言う訳かコージャイサンに近づくほどに空気が冷えている。
それでも、彼らの目が捉えた人影。どうやらコージャイサンは足を止められた場所から動いてはいないようだ。
木剣を握る手に、練った魔力に、一層の力を込めて、そして————彼らは清冽な翡翠に呑まれた。
コージャイサンが静かに右手に持っていた木剣を地面に突き刺すと、舞台は一気に塗り変わる。
——肌を刺す冷気
——結晶となる水蒸気
——並び立つ氷柱
相対するコージャイサンの冷涼な魔力が彼らを捕らえた。
静かに裾野を広げた魔力によって演習場は瞬く間に氷に覆われていたのだ。
コージャイサンから離れた位置にいた者ですら、回避が間に合わず一部を呑まれたのだから、正面から飛び込んだ彼らはたまったものではない。
纏っていた水蒸気がそのまま氷塊となり、中に閉じ込められることとなった。
——世界が、凍てついた
そう錯覚するほどの耳が痛くなる冷気が結界を揺らす。魔術師が慌てて調整を図る中、観覧席からは驚愕と感嘆の声が漏れた。