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 人の出入りが増えた防衛局前、その中にある一台の馬車。

 クタオ伯爵家の紋章が掲げられたその中にイザンバはいるのだが、まだ降りてもいないのに彼女は真面目な顔で付き添い達にこう言った。


「ジオーネ、ファウスト。やっぱり帰りましょう」


「お嬢様、ここまで来て何を」


 ジオーネが呆れるのも当然で。けれどもイザンバはまるで不審者のように馬車の外を見ては震え上がっている。


「だって思いのほか人がいっぱい……え? なんでみんなこっち見てるの? これ、うちの馬車ですよね? コージー様は乗ってませんよね⁉︎」


 もしや隠れて乗っているのかとイザンバが探し始めるがそんな事ある訳がない。今この馬車に乗っているのはイザンバとジオーネ、ファウストの三人だけである。

 予想外の注目に不安がる彼女にファウストは首を傾げた。


「注目されるのは舞踏会で慣れていらっしゃるのでは?」


「その場合、注目されているのはコージー様ですよ。私は基本的にオマケなんだから単体でここまで注目されるとかありませんから!」


 ブンブンと首を横に振りファウストの言葉を否定するイザンバ。

 確かに舞踏会に行った場合に注目はされるが、いつも隣にはコージャイサンが居た。そのほとんどの視線を彼が引き受けているのでイザンバは大して気にしていなかったのだ。

 また、一人でお茶会に行った場合でも品定めのような視線はあるが、それもここまで多くはない。

 サラッと行ってサラッと帰るつもりがまさかの大注目。つまりこの状況は彼女にとって完全に想定外なのである。


「そのようなことは仰らずに。イザンバ様は我が主の認められたお方です。有象無象など気にせず堂々となさっていてください」


 ファウストも宥めるが馬の耳に念仏だ。イヤイヤというようにイザンバはお腹を抱えた。


「イタイイタイお腹痛い。メンタルも無理って言ってます。おうちに帰ろうって言ってます。さぁ、帰りましょう!」


 この期に及んでまだ言うか。それにしても大根役者っぷりは健在である。

 あからさまな仮病、ジオーネは心配するでもなく扉に手をかけた。


「後が詰まってます。早く降りましょう」


「やだー! ジオーネも容赦なーい!」


 最後の足掻きとばかりに泣き真似をするイザンバだが、ガチャリと扉が開かれてしまえば腹を括るしかない。


 人々が注目する中、まずファウストが降りた。すると人々は勢いよく目を背けるではないか。

 クタオ伯爵家の馬車からどんな人が降りてくるのかといった期待や注目。それを一心に裏切るように現れたのが厳つい大男なのだからたまらない。

 仕方がないとは言え、そのあからさまな態度にファウストが少しだけしょんぼりとした。


 次にジオーネ。大男の厳つさとのギャップとでもいおうか。メイド服を着こなした褐色の肌の爆乳美女に、主に男性達の目が釘付けだ。けれども彼女はそんな視線を全て無視だ。

 いつも通りの場所に隠した銃と差し入れの入ったバスケットを持ち、ジオーネはメイドらしく澄まして見せる。


 そしてファウストの手を借りて、満を辞してイザンバの登場だ。

 シャスティとヴィーシャにより仕上がった本日のイザンバはまさに磨き上げられた貴婦人。

 白と柔らかなグリーンのフリルがイザンバから気品を引き出し、メイクはオレンジ系が使われ表情に明るさを足した。

 ピンと伸ばされた背筋、臆することなく前を見据える瞳。隙なく張り付いた淑女の仮面は周囲の視線をものともせず、優雅な微笑みを浮かべている。


 ——先程までとはまるで別人だ。


 グダグダと文句を垂れていた姿とは打って変わり、貴族令嬢然りとした態度にファウストはただただ感服する。

 ジオーネはイザンバが降りたことを確認して扉を閉めると、ファウストへと向き直った。


「馬車は頼んだぞ」


「任せておけ。誰一人近づけさせん」


 なにせ今日は不特定多数が出入りするのだ。馬車に仕掛けをされないように、不審者が近づかないように、ファウストはここで待機する。

 気合を入れているが、彼ならば立っているだけで十分その役目を果たせるだろう。なにせすでに人は遠巻きだ。


「イザンバ様、コージャイサン様の勇姿をとくとご覧になって来てください」


 ファウストはあえて(あるじ)と呼ばず、二人の名を強調した。それに対してイザンバが笑みで応えると、ファウストは尊敬の念を込めた綺麗な一礼で見送った。


 解放されている門をくぐり、イザンバとジオーネは貴族用の受付へとやって来た。空いている受付の前に立つとジオーネが問いかける。


「失礼。訓練公開日の受付はこちらで?」


「そうです。恐れ入りますがこちらにご記名をお願いします」


 受付嬢に言われ、ジオーネがイザンバの名を書く。

 綴られる文字を眺めていた受付嬢が突然顔を上げた。そしてジロジロと無遠慮にイザンバを観察したかと思うと鼻を鳴らす。

 あまりにも失礼な態度にジオーネが苛立ちを覚えるが、ここは我慢だ。

 彼女は記名を終えると、受付嬢に向かって用向きを伝えた。


「こちらはイザンバ・クタオ伯爵令嬢です。魔導研究部コージャイサン・オンヘイ様との面会をお願いしたいのですがよろしいか?」


「それは出来かねます。コージャイサン様もお忙しく、ただ今全ての面会を断っております。お引き取りください」


 なんと! 貴族相手でも申し訳なさのかけらもなく受付嬢は言い切った。

 しかし、ジオーネも引かない。もう一度、はっきりとこう告げた。


「魔導研究部、コージャイサン・オンヘイ様にお取次を。彼女は婚約者のイザンバ・クタオ様です」


「出来ないと申しております。お引き取りを」


 再度言うも取り付く島もない。受付嬢のツンケンとした態度にジオーネから増した苛つき。

 紅茶色の瞳は剣呑さを帯び、手が谷間に向かって動いた。しかし、そんな彼女のエプロンをイザンバが軽く引っ張った。


「お忙しいなら仕方がないですね。少しだけ見学したら帰りましょう」


 ジオーネは「一発ぶち込めば絶対イケる!」と言いたくなったが、苦笑を浮かべながらもイザンバがそう言うのであれば仕方がない。

 静かに腕を下ろし、従う意を見せた。けれども、彼女の怒りが収まったわけではない。


 ——貴様、顔と名前は覚えたぞ。


 と訴えるジオーネの視線を知らんぷりする受付嬢も中々に肝が座っている。

 踵を返そうとしたところ、ひどく明るい声が飛び入った。


「あれー? コージャイサンの婚約者ちゃんじゃん!」


「え?」


 イザンバが振り返った視線の先、受付より進んだ位置に居たのは魔導研究部の制服であるシルバーグレーのツナギに、同色のキャップを被り、ミリタリータイプの黒の安全靴を履いた青年。


「オレだよ、オレー! 遠征地で一回会ったんだけど覚えてない?」


 これは新手の詐欺か。イザンバは警戒しながらも失礼にならない程度に彼を観察する。

 髪は緩やかなウェーブのかかったサーモンピンクで、その髪よりも少し濃いピンクの瞳。ふわふわと人懐っこい笑顔をイザンバに向ける彼は先ほどの書類の中に居た人物だ。

 顔と名前が一致したイザンバは丁寧に淑女の礼(カーテシー)を。


「マゼラン・ゾナシール様、ご無沙汰しております。その節はご迷惑をおかけしました」


「アハハ、固いなー。それに迷惑被ったのはデートを潰された婚約者ちゃんの方でしょ? あの後大丈夫だった?」


「はい。ご心配ありがとうございます。時間の余裕は少なかったですが、無事に目的のお店にも行けました」


 まぁ、実際のところ行ったのはイルシーだが、マゼランがどこまで聞かされているのかイザンバには分からない。

 案じてくれている彼にイザンバはだからこそ自分が行った体で話を進める。


 ——さっきの書類、ちゃんと見といて良かった。


 心底の安堵を胸の内に隠して。

 そして知った書類にはない情報。近づいてきたマゼランの背はコージャイサンよりも高かった。ヒョロリと高い彼を見上げる角度にイザンバの首がピキリと鳴る。

 淑女の仮面で痛みを上手に覆い隠す彼女には気付かずに、言葉をそのまま受け取ったマゼランは安心したような笑みを浮かべた。


「そっか、良かったね。で、今日はどしたの? アイツに会いに来た? なら入りなよー! あ、今は研究室じゃなくて演習場に居るんだっけ……こっちだよ!」


 マゼランが一人でどんどんと話を進めていく。まるでちょっとお茶していきなよー、と言うような軽いノリだが勢いがすごい。

 しかし、イザンバはその誘いを丁寧に返す。


「ありがとうございます。ですが、今日はお忙しく面会も断られていると聞きしました。訓練公開日とは言えお約束もせずに来てしまったこちらが悪いですし、今日はお会いせずに帰ろうと思います」


「……ふーん」


 イザンバの答えに相槌を打つが、マゼランの視線を受付嬢の方へ。その視線に彼女はニッコリと笑顔を浮かべた。

 マゼランも受付嬢に笑顔を返すが、続く言葉はイザンバに向けたもの。


「じゃ、行こっか!」


 イザンバの手を引き歩き出すマゼランに彼女は目を白黒とさせる。今の流れでどうしてこうなった、と。

 そして、これには思わず受付嬢も立ち上がった。心なしかその顔色は悪い。


「お待ちください! コージャイサン様は貴族の面会を断られております!」


「うん、知ってるよ。でも、この子にそれは関係ないよね? だって婚約者ちゃんだもん」


「今までも婚約者だと名乗る方はたくさん来られました。失礼ながら、この方が本当にコージャイサン様の婚約者なのか私では判断しかねます。ですが貴族様には違いございませんのでお断りしました」


 受付嬢の言葉にイザンバは納得した。訓練公開日のたびに自称婚約者が来ていたのであれば受付嬢の態度もああなるだろう、と。


 しかし、ジオーネはそうではなかった。本当にそれだけか、と懐疑の目を向ける。

 コージャイサンが貴族との面会を断るのは有り得る。だが、イザンバに対してそうかと言われれば、それは有り得ない。

 それに彼女はコージャイサンの婚約者の名を把握しているようだった。そうでなければ、ジオーネが婚約者だと言う前にあんなにジロジロと見るものか。


 ——お嬢様にはもっと自信を持ってもらわねば。


 見下したような受付嬢の態度を思い出しジオーネはがまたイラッとしていると、イザンバが宥めるような視線を寄越した。


 さて、マゼランは受付嬢の真剣な雰囲気もジオーネが出すちょっと殺伐とした雰囲気もニコッと無邪気な笑みで流す。


「それなら大丈夫だよ! オレ言ったよね、遠征地で会ったって。キミが知らなくてもオレが知ってる。それなのに貴族ってだけで追い返すの? キミは家族や大切な人もその他大勢と同じにするの?」


「いえ、そう言うわけでは……」


「この子は本物だよ。それに、いくらコージャイサンでも婚約者ちゃんと会わないなんてことないと思うんだよね。あ! 面会承認の確認してくれない? それならすぐ分かるじゃん! 出来ないならいいよ。別に受付の判はキミじゃなくてもいいんだから」


「……っ!」


 『面会承認』と言われて受付嬢は言葉を詰まらせた。ギュッと握りしめた拳の中に彼女はナニを閉じ込めたのだろうか。

 それでもマゼランは受付に片肘を置き受付嬢の前を陣取ると一人喋る。


「ねぇねぇ。せっかく来てくれた婚約者ちゃんに一目も会えなかったなんてコージャイサンが知ったらどう思うだろう。ね、キミはどう思う? オレはないなーって思うんだけど」


 それはマゼランからの圧。受付嬢の目を見つめ同意を求めるが、彼の目は一切笑っていない。

 長い沈黙の後、ようやく受付嬢が口を開いた。


「………………手続きを、進めます」


「はーい、ありがとね! あ、呼び出しはいいよ! オレが案内するから! ほら、メイドちゃんも行こっか!」


 返答を聞くや否やマゼランは歩き出す。悔しげな受付嬢をフォローすることもなく放置である。

 さらにジオーネが通り過ぎる瞬間、彼女は受付嬢に対して勝ち誇った顔をしてみせた。ああ、なにやらバチバチと火花が飛んでいる。

 ふわふわとした見た目に反したマゼランの問答無用の勢いに流されたとは言え、ここで一つイザンバが声を上げた。


「あの、マゼラン様!」


「ん? どしたの?」


「案内をしていただけるのは有り難いのですが、手を離していただいてもよろしいですか?」


「手?」


 困ったような表情で言われてマゼランも視線を動かした。彼の右手はイザンバの手をガッチリと掴んでいるのだ。


「あー、ごめんね! そっか、貴族のお嬢さんにこれはダメだよね! でも、どうしようか……オレ、エスコートの仕方とか知らないんだよね」


 パッと手を離し、一人で慌て出したマゼランにイザンバが大丈夫だと告げようとしたが、その前にマゼランの閃きが爆弾となって落ちてきた。


「そうだ! 抱っこする⁉︎」


 なんでやねん。イザンバは淑女の仮面の裏では盛大にツッコんだ。どこをどうしたらそんな結論が出てくるのか。

 どうぞ、と手を広げるマゼランにイザンバは微笑みを向けた。そこに含まれるのはもちろん拒否であって。


「いえ、後ろをついて歩きますので大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


「そ? じゃあ、コージャイサンの婚約者ちゃん、ご案内しまーす!」


 イザンバの断りも気にした様子もなく、元気よく手を上げたマゼランの発言に人々は注目する。


 ——やめてー! そんなこと大声で言わないでー!


 イザンバが内心で叫んでいることなぞ気付きもしない。この男、鋭いのか鈍いのか。

 イザンバに合わせた歩調を見れば気遣いもできていると分かるが、どこか残念だ。

 マゼランはふいに振り向きがてら歩き出したイザンバの顔を覗き込んだ。


「メイドちゃんが持ってるの差し入れでしょ? 婚約者ちゃんが来たって知ったらアイツどんな反応するんだろ。楽しみだね!」


 ニコニコとご機嫌なマゼランにイザンバも微笑みを返しながらさりげなく距離を取る。

 先程の手もそうだが、どうにもマゼランの距離感はお馬鹿なようだ。


 出端を挫かれたが、果たしてイザンバは無事に目的地まで辿り着けるのだろうか。先行きが危ぶまれる。


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