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 開口一番から続いた騒動も終わると穏やかなものだ。因みにイルシーはイザンバから猛抗議を受け、いつものフードスタイルに戻っている。

 父と執事が呑みながら語り明かしていた事、積読の感想などを話しながらソファーで和やかさに身を任せていると、ふと思い出したようにイザンバが呟いた。


「そう言えば、私もう死んじゃうんだと思って親しい人に手紙書きまくっちゃったんですよね。帰ったら処分しないと」


 噂を聞いてから机に向かうことが多くなっていたイザンバ。

 今まで彼女はドラゴンと遭遇しようが暗殺者に遭遇しようが死を身近には感じていなかった。だが、今回は違ったようだ。

 いつ何時どうなるか分からない。せめてもと思い手紙を書き残すことにしたのだ。

 しかし、せっかく書いたものを彼女は渡さずに処分すると言い出した。コージャイサンから当然の疑問が言葉をついた。


「書いたなら渡せばいいじゃないか」


「えー、だって改まってとか恥ずかしいじゃないですか。死なないって分かったからもういいかなーって」


「そうか……なら仕方ないな」


 もちろんそこにはコージャイサンへの手紙もある。けれどもイザンバに渡す意思がないのだから仕方がない。そう、これは仕方がないことなのだ。


「ヴィーシャ」


「はい、ご主人様。こちらがその手紙になります」


 コージャイサンの一言にヴィーシャがスッと一通の手紙を差し出した。

 あまりにも自然で滑らかなやりとり、渡された見覚えのあるそれに焦るのはイザンバただ一人だ。


「ちょっと待ってー! なんで手紙(それ)がここにあるんですか⁉︎」


 自分の死後に渡るはずの手紙が、なんと目の前に現れた。これに声を上げずにいられようか。

 問われたヴィーシャは誰もがうっとりするほどの綺麗な笑みを浮かべると、あえて口調を正して答えた。


「お嬢様のことですから、死ぬことが勘違いだと分かれば破棄されると思いまして。せっかく(したた)められたのですからご主人様にお渡しするべきだと判断しました」


「おー、なんてこったい……行動を読まれてる」


 そう、彼女も仕事ができる女です。暗殺者(ごえい)としての観察眼をフルに発揮し、イザンバの行動パターンを把握。起こりうる未来を予測し、より主人が喜ぶ行動を選んだのである。


 さぁ、ある意味でヴィーシャに裏切られたイザンバはどうするのか。

 落ち込みをかなぐり捨て、彼女は立ち上がった。そして果敢にも手紙を取り戻そうとコージャイサンの方へと手を伸ばしたのである。

 もちろんそれを察したコージャイサンも立ち上がる。


「コージー様! それ返してください!」


「なんで? これはもう俺のものだ」


「違います! まだ渡してないから私のものです!」


「そうは言うが届かないだろ? 残念だったな」


 彼の左腕を掴み、必死に手を伸ばすイザンバ。だがコージャイサンは右腕を高く上げ、手紙を彼女から遠ざけるではないか。

 イザンバがどれだけ頑張っても届かない高さ、どこか意地の悪い声音に、彼女から漏れるのは悔しげな声のみ。


「イルシー、ヴィーシャ! 取り返すの手伝ってください!」


 他力本願というなかれ。身長的にも身体能力的にもイザンバ一人では太刀打ちできない。そこで取り返す確率をより上げるために彼女は人の手を借りることにしたのだ。

 しかし、従者二人はイザンバの要請こう答える。


「ヤなこった」


「すみませんけど、うちらの主はご主人様ですから」


 イルシーは舌を出し、ヴィーシャは眉を下げ、当然のように否を返す。

 彼らはなんだかんだと言いながらもいつもイザンバを手助けをしてくれていたが、それはコージャイサンも望んでいたからだ。

 だが、今は二人の望みが一致しない。そうなれば主人の望みが優先である。

 つまりイザンバはこう叫ぶしかない。


「マジっすか⁉︎」


「そう言うことだからもう諦めろ」


 ああ、なんと言うことでしょう。今ここにイザンバの味方は居ない。コージャイサンが持つ手紙は彼女の手元に返らない事が確定した。

 絶望に染まる顔。イザンバはようやくとでもいうように声を絞り出した。


「は」


「は?」


 何が言いたいんだ、とコージャイサンが首を傾げる。


「恥ずかしすぎてお嫁に行けないぃぃぃ!」


 言うが早いかイザンバは猛ダッシュで部屋から出て行った。今日のイザンバは中々に俊敏だ。

 そんな彼女に呆れながらもツッコんだのはイルシーだ。


「いや、何言ってんだよ。アンタここに嫁ぐんじゃん」


 しかし言葉は宙を漂うだけでそれを受け止めるものはいない。

 本来は彼女を追うべき状況だが、いま誰一人として慌てて追わないのは彼女が危険を理解していて勝手に邸の外に出ることはないと確信が持てているから。


「そんなに読まれるのは嫌か……まぁ、読むけど」


「だよなぁー」


 問答無用のコージャイサンの態度にケラケラとイルシーは笑う。

 カサリと広げられる手紙。綴られた文字を追う翡翠の瞳。足を組みながら読むその姿は絵画にすれば売れるんじゃないだろうか。

 数分してコージャイサンの纏う雰囲気が柔らかくなった。


「そんないいことが書いてあったのかぁ?」


「うるさい」


 ニヤニヤとしながら聞いてくるイルシーを一瞥し、手紙をポケットへとしまうとコージャイサンは扉へと向かった。


「お供します」


「いや、いい。お前たちまで来たらもっと奥に隠れそうだ」


 付き従う意思を見せたヴィーシャ達を残し、コージャイサンは一人で部屋を出た。

 彼は迷うことなく歩を進める。長い付き合いとは言えイザンバがオンヘイ邸で足を踏み入れる場所は少ない。サロン、図書室、そして……。

 辿り着いた一室。ここは以前イザンバが泊まった時に使っていた部屋。

 コージャイサンは扉を開けると探し人を呼んだ。


「ザナ」


 しかし返答はなく、さてどこにいるのかと視線を巡らせた。ソファー、ベッドの上、机の下。ところがどこにも見当たらない。

 コージャイサンは部屋に踏み入り死角を覗く。

 そして、見つけた——ソファーの後ろで丸まっているシーツの塊を。


「ザナ、そこで何してるんだ?」


 コージャイサンが声をかけるとシーツの塊はびくりと跳ねた。イザンバとしては息を潜めていたつもりだが、どうにもあっさりと見つかってしまったようだ。

 だが、イザンバは答えない。たっぷりと間を空けて、彼女がやっとのことで発したのは問いかけ。


「………………読みましたか?」


「ああ」


 対するはコージャイサンの至極あっさりとした肯定。聞いた途端にイザンバは発狂したように声を上げた。


「うわぁぁぁ! 穴があったら入りたい! なんなら地中深くに埋もれたい! そしてそのまま化石になりたい!」


「そうなったら掘り起こしに行かないとな。ほら、出て来い」


「無理無理無理無理! ほんと無理! 恥ずか死ぬ!」


 イザンバはシーツに包まったまま叫んだかと思えば、ちょこまかと逃げだす始末。ソファーを避け、テーブルを避け、とにかくコージャイサンの居ないところを目指す。

 しかし、先読みした彼が進路を塞ぐと、ボスリと彼女はその胸に飛び込む形となった。


「こら、そのまま走るな。怪我したらどうするんだ」


「待って、シーツ取らないで! あ……」


 彼女が恥ずかしがっていることは分かっていた。だが、顔まで隠したままでは危ないとコージャイサンがシーツを剥ぐと、そこには予想以上の姿があった。


 見上げてくる瞳は羞恥に潤み、ぷっくりとした唇から漏れるのは頼りない吐息。

 恥じらいの色が溢れ、頬どころか耳や首まで赤く染まっているではないか。

 あまりにも熟れたその色に翡翠の瞳は釘付けになった。


「離して、コージーさ……」


 コージャイサンはまだ逃げようとする彼女の頬を包み込むと、そのまま唇を引き寄せた。


 ——その柔らかい感触に

 ——その触れ合う熱に

 ——その酔うほどの甘さに

 意識の全てが集う。


 イザンバを抱き寄せる腕の力を少しだけ強めて、驚きに見開かれたヘーゼルの瞳と視線を合わせる。そして、コージャイサンは静かに語り出した。


「俺は普段の元気な姿も、本を読んでいるときのくるくると変わる表情も、淑女の仮面をつけて凛と立つ姿勢も好ましいと思ってる」


 宥めるように頭を撫でながら。


「俺に過剰な期待を寄せるわけでも、疎ましく思うわけでもない。ザナが自由にしてる分、俺だって自由にしてる。でも心配はしてくれるだろ? 自然体でいてくれるザナの側はいつだって心地良い」


 離さないというように抱く腕に力を込めながら。


「まぁ、たまにどうしてくれようかと思うときはあるが……ザナも俺を好いてくれていると確証が取れたしな。もう遠慮はしない」


 獰猛な、それでいて耽美な宣言。固まったまま動けないイザンバが目にしたのは、言葉の獰猛さとは裏腹の甘さで色濃くなった翡翠。

 彼女の中を一気に、羞恥が駆けた。


「待って待って、急に何を……」


「ん? 婚約者には前向きに、言葉を省略せずに、なんだろ?」


「……なんか解釈が違う」


「ああ、それともこう言われる方がいいか……『貴女がその道を行くと言うのであれば、どれだけの茨を赤く濡らそうと、どこまでもお供いたしましょう』」


 その言葉にまたしてもイザンバの動きを止めた。それは本来とは違う情緒を持って彼女に届く誓いの言葉。

 思わず鼻を押さえたイザンバにコージャイサンは喉を鳴らして笑いながらも、その腕は彼女を優しく捕らえて離さない。

 突然の甘い猛攻にドッペルゲンガーに遭遇した以上の混乱に陥ったイザンバは可哀想なくらい慌てふためいている。

 懸命に腕を突っ張りながら、混乱をそのままに言葉を発した。


「ちょっと、待って! あなた偽物なんじゃないですか⁉︎」


「……くっ、はははははは!」


 これにはさすがのコージャイサンも吹き出した。照れ隠しにしても、言うに事欠いて偽物とはどういう事だ。

 笑いを収めたコージャイサンはその口元に弧を描きながらイザンバに訊ねる。そう、彼女が本物を見分けた方法を。


「なんだ、匂いが違ったか?」


「いいえ。いつもと一緒でした。けどなんか……ソワソワ、します」


「へぇ」


 彼女の答えに少しだけ低くなった声。それによってイザンバはさらに落ち着かない様子となり、けれど拗ねたような口調をコージャイサンに向ける。


「なんですか」


「ん? それはザナが俺を『男』として意識してるからだろ?」


 言葉の意味を理解して頬の朱が増したイザンバにコージャイサンは嬉しそうに笑うと、もう一度自分の方へと引き寄せた。そして再び、触れ合う二人の唇。

 まだ吐息のかかる、視線の外せない距離。その目に互いだけを映しながらコージャイサンが囁いた。


「俺もザナが好きだ。ほら、もう一回。偽物なんて言えないようにちゃんと覚えておけよ」


「っ〜〜〜もう無理ぃぃぃ!」


 間近で浮かべられた色を含んだ笑み、耳に残るリップ音に、触れた唇の温度。ついにイザンバの羞恥心が限界を越えた。

 幕を開けたのは再び隠れようとするイザンバとそうはさせまいとするコージャイサンとの攻防戦。さて、勝敗は如何に……。


 そんな部屋の扉の前。まるで通せんぼをするようにイルシーとヴィーシャが陣取った。

 部屋を整えにきたメイドを別の部屋に向かわせ、怪しんだ執事に事情を説明し、扉を開かせまいと守る。

 今この部屋に他者を入れる事は野暮でしかないのだから。


 事情を知った家人たちの反応は様々だ。

「ついにこの日が……!」と感動する者。

「やっとか」と生ぬるい視線で部屋を見る者。

「あなた達も苦労してるのね」とイルシーとヴィーシャに労りを向ける者。

 表現に違いはあれど根底にあるのは祝福の気持ち。


 だが、今それを二人が知る由はない。


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