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なんとも言えない気まずい空気が流れたが、イザンバは全てが自身の安全のために成されていた事を理解した。
しかし、一つ息をついたその表情は疲れているようにも落ち込んでいるように見える。シャスティたちから話を聞いて以降、ずっと糸が張り詰めたように緊張していたのだからそれも当然だろう。
少し脱力した彼女にコージャイサンは問うた。
「ザナ、大丈夫か? 他に何か気になる事はあるか?」
当たり前のように気付く彼に、この人に誤魔化しは効かないなとイザンバは苦笑するしかない。
ここで珍しくイルシーから擁護するような意見が上がった。
「やっぱ黙ってた事怒ってんじゃねーの?」
「お嬢様、夫婦円満の秘訣は不満を溜め込まないことです。どうぞいつも通りぶっちゃけてください」
それにヴィーシャも続く。なんだかんだ二人も思うところがあるのだろう。
イザンバの安全を確保するために黙っていたとは言え、ここまで内密にことが進んでいるのだ。この際に不満は言ってしまえと発破をかける。
三人に気遣われ、イザンバは有り難さと申し訳なさを抱えながらも口を開いた。
「んー。じゃあ……よっぽどの機密でない限り、次からは一言あると有り難いです。今回は女装したイルシーだったけど、その、もしかしたら他の女性とってこともあるでしょうし。えっと、まんまとドッペルゲンガーだと勘違いして、ちょっとばかり暴走した訳ですから事前連絡は必要といいますか。つまり、その、勘違いでお仕事の邪魔をする訳にはいきませんから! ね⁉︎」
遠慮がちに始まった要望だが、話している内に妙に早口になっていく。それもどうやら焦りを含んで。
やっちまった感を出しながらもチラリと様子を窺うイザンバにイルシーが訳知り顔でこう言った。
「要するに嫉妬するから事前に教えろってことかぁ」
「随分と可愛らしぃなられましたね、お嬢様」
ヴィーシャもまるで子の成長を喜ぶようにニコニコとしているではないか。
言われたことに頬を羞恥で染めながらイザンバは必死に首を横に振った。
「違います! お仕事の邪魔をしないためです! 大事なことは省略しないでって言いたいんです!」
だが、どうだろう。彼らはその言い分をはいはいと聞き流す。イルシーなんぞ顔のニヤつきが半端ない。
イザンバは自分のニヤついた顔にショックを受けるやら見抜かれて恥ずかしいやら。発破をかけられ、乗ったのは自分だがなんだかしてやられた気分だ。
コージャイサンの反応が気になるところだが、今彼女にそちらを向く勇気はない。
諸々の文句を飲み込み、彼女は強引に話題を変えにいった。
「そんなことより今回はイルシーが私に変装してましたけど、その敵さんが私に成りすましてたらどうするんですか⁉︎」
そう、これも中々に重要だと。その問いに対してコージャイサンは淡々としたもので。
「大丈夫だ。本物かどうかくらいすぐに見分けがつく」
「えぇー、何その自信。私そんなに分かりやすいですか?」
「推しを語らせれば一発だ」
「あはは、確かに! それは間違いようがないですね!」
口を尖らせたりカラカラと笑ったり。コロコロと変わるイザンバの様子にコージャイサンもつられて笑みを浮かべる。
「ま、コージャイサン様なら心配いらねーよ。てか、イザンバ様に化けるって何気に難易度高いんだせぇ」
イルシーの言葉にイザンバは疑問を持った。
なぜならイザンバの評判は普通・平均的・平凡と可もなく不可もなしといった具合なのだ。それが難易度が高いとはこれ如何に。
心底不思議そうな顔をする彼女にやれやれとイルシーは肩をすくめるとその理由を告げる。
「例えば社交界。上辺しか知らない連中に混ざるのならイザンバ様に化けるのは簡単だ。けどアンタさぁ、何っっっ匹も猫被ってるよなぁ?」
「……てへっ!」
そう、社交界でのイザンバと素のイザンバでは全くの別人と言ってもいい。淑女の仮面はそれくらい優秀なのだ。
「いくら上辺を真似てもコージャイサン様はもちろん家族に使用人、そう言った人たちを騙すのはまず無理だ。アンタの素はそんだけ強烈なんだよ」
「やだー、そんなに褒めないでください」
「褒めてねーよ」
照れるイザンバに対してイルシーの視線はとても冷ややかだ。
だがこの程度でイザンバはへこたれない。先ほどのコージャイサンからの絶対零度の視線の方が何倍も冷たかったのだから。
ため息を一つ吐いてイルシーは説明を続ける。
「もしも偶然、素のイザンバ様を知ったとしてさぁ。やっぱ詳しく知らないと変装の精度は上がんねーんだわ。そうなると手っ取り早いのは邸への潜入だ。けど、邸にはヴィーシャとジオーネ、場合によってはファウストとリアンに俺もいる。易々と入れると思うかぁ?」
なんとあの手厚い警護はイザンバの命を守ることや誘拐を防ぐだけでなく、成りすましが発生することも阻止しているというのだ。これは天晴。
「仮に潜り込めたとしてもあんな狭くて深くて偏った知識、そう簡単に真似出来ねーよ。だからアンタに成りすまして、ましてやコージャイサン様を騙そうなんて至難の業ってワケ」
ごもっとも。こればかりは個人の好みが占める割合が非常に大きいので全く同じにというのは難しい事この上ない。
だが、例えどれだけ精巧に成りすまされても彼は見抜くだろう。
彼女のオタクっぷり、肌のハリツヤ、抱き心地を把握しているだけではない。
耳を彩る耳飾り。形だけなら真似て用意することも出来るだろうが、そこに仕込まれた《自業自得》を真似ることは誰にも出来ないのだから。
イルシーの説明にイザンバも納得の表情である。本人はただひたすらに推しの尊さを拝み、語り、布教しているだけなのだが、人生とは何が役に立つかわからないものだ。
「分かりました。私はこれからも推し活を頑張ります!」
「ほどほどにな」
煌めく瞳でガッツ溢れる宣言。
気合たっぷりのイザンバにコージャイサンが釘を刺したが果たしてほどほどに収めることが出来るのだろうか。いや、無理だろうな。
「てなわけで、用心すべきはイザンバ様だな。ちょっと背筋伸ばして立ってくんね?」
「え? はい」
「んで、目ぇ瞑って」
「これでいいですか?」
素直に従うイザンバにイルシーは満足気に微笑むと、徐にイザンバを風で浮かせた。驚くイザンバをよそにその肩に手をかけると勢いよく声を張る。
「よし、いくぜぇ!」
「へ? きゃぁぁぁぁ!」
そして、始まるイザンバの大回転。それはまるでコマのようにくるくると、そして氷の上を滑るように軽やかに進んでいく。
控えていたヴィーシャが受け止めた事で壁への激突は避けられたが、いきなりなにをするのか。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「うう、目が回った」
ふらふらと目を回し座り込むイザンバの背をヴィーシャが支えていると、イルシーが呼びかける。
「イザンバ様! 婚約者歴長いんだから当然どっちが本物か分かるよな⁉︎」
「いや、待って。いきなり何する、んですか……」
持ち直したイザンバが抗議の声を上げるが、それはどうにも小さくなっていく。
大回転を上回る驚き。暫し絶句した後、イザンバは大きく声を上げた。
「コージー様が二人⁉︎」
ソファーから立ち上がりイザンバに視線を向ける二人のコージャイサン。姿形は言わずもがな服装も振る舞いも全てが同じだ。
「ザナ、大丈夫か?」
それに加えて同じタイミングで同じ仕草をし、同じ言葉を話す始末。残念ながらイザンバには全く見分けが付かない。
「え、アレどっちかはイルシーですよね。ヴィーシャ、どっちがどっちか分かりますか?」
「まぁ、うちは見てましたから。ほな、頑張ってください」
「そんなぁ。見捨てないで〜」
あっさりとイザンバの救援を躱すヴィーシャ。弱気なことを言うイザンバに二人のコージャイサンが近づいてきた。
「こ、これはマズいのでは⁉︎ 顔面優勝の暴力ですよ⁉︎ サングラスはどこ⁉︎」
イザンバの言葉に二人のコージャイサンは顔を見合わせる。
そして、なんと! 彼女に向かってニッコリとキラキラエフェクト付きスマイルを放ったのだ。息ぴったりだ。
「あうち!」
あまりの眩さにイザンバの目はダメージを負う。なにせ二倍だ。防ぎようがない。
とにかく目を保護しようとまるで物理攻撃を避けるように固く目を瞑るイザンバ。
二人のコージャイサンはそれぞれが彼女の手を取り、寄り添った。
「目眩は治ったか? アイツもいきなりだな」
「加減はしただろうが頭は打ってないか?」
優しく添えられた手、心配そうな声音。
彼らは労ってくれている。労ってくれているのだが、どうにもイザンバは納得いかない。
「今の攻撃をなかったことにしないでください!」
今し方のキラキラエフェクト攻撃が目にダメージを与えたのだ。イザンバから苦情が出るのも致し方がない。
「はいはい」
ああ、また同じタイミングで同じ言葉を発する。いくら主従といどもここまでできるものなのか。
悔しそうに唸ったイザンバだがふとその動きを止めた。そして、自分の右手を取ったコージャイサンを盾にするようにその背後に隠れてもう一人と向き合った。
その突然の行動に彼らは揃えて疑問の声を出す。
「ザナ?」
「こっちが本物のコージー様です」
対面するもう一人にイザンバがキッパリと言い切った。あまりにも自信を持っていうものだから、対面している方が面白そうにイザンバの顔を覗き込んでさらに問うた。
「へぇ……なんでそう思った?」
「匂いが違う!」
「アンタは犬か!」
そう吠えたのは対面している方。声はコージャイサンのものだが、口調がガラリと変わったのだからこちらがイルシーだろう。
理由は匂いだと言うが、イザンバも目を瞑ったからこそより鮮明に分かったのだ。
「てか、匂い? 俺もコージャイサン様と同じ香水付けてんのに、それで違いが分かんのかぁ?」
「何言ってるんですか⁉︎ 例え同じ香水を付けていようとも長年嗅ぎ慣れたこの匂いは間違えません! 体臭と混ざり合った上でのコージー様の匂いだからこそ安らぎを得られるんですよ!」
「うわぁー、変態」
あまりの発言内容にイルシーはドン引きである。そのせいか声もすっかりいつものイルシーだ。
だが、それがどうしたと言わんばかりにイザンバはツンとそっぽを向いた。
「なんとでも! それに……なんだかそっちは感触が違うっていうか。肌に合わなかったんですよ」
「肌?」
どう言うことだ、とコージャイサンがイザンバを見遣る。けれど視線を合わせたイザンバも困ったように笑うだけ。
「理由はわからないですけど、左側落ち着かなかったんです」
「へぇ」
あの時、確かにイザンバの右側にコージャイサン、左側にイルシーが居たが、なんとも器用な事だ。
コージャイサンがその左腕を労わるように撫でさすってやる。その優しい掌にイザンバが感謝を述べている横でヴィーシャが妙な納得をしている。
「それはお嬢様以外には出来ひんやり方ですね」
「ま、見分けられるなら何でもいいけどよぉ。こういう事が起こり得るってことだから気を付けろよぉ」
二人から漂う尊敬一割、呆れ九割の視線。しかし、どう言う訳かイルシーに注意を促されたのだがイザンバは微妙な顔をする。
「コージー様の顔の時はそんな風に喋らないでください!」
「またそれかよ!」
「やめてください! 違和感が仕事しすぎです! やだ! 鳥肌立っちゃいました!」
腕を摩り、コージャイサンの後ろに隠れながらイザンバが言い放つお喋り禁止令。
成りすますには顔と声が一致してこそなのだが、イルシーの変装が見ただけ、聞いただけでは違いがわからない程に完璧だったと言うことをどうか覚えておいてほしい。