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さて、どう言った経緯でイルシーがイザンバの変装をしてコージャイサンと出掛けていたのか。
二人がソファーに座り直し、従者二人は控えるように立つと、コージャイサンが説明を始めた。
「前に舞踏会で思考を読まれかけただろ? アレの関連で今動いているんだが、どうにも他に仲間がいるようでな。だが、捕縛もしているが中々黒幕に辿り着けていない」
「ヤツらの狙いは分かってんだけどさぁ。ほら、コージャイサン様って反則級に強ぇから向こうも手を出しかねてるっつーか」
大人しく聞いていたイザンバだが、イルシーの補足に疑問を抱き声を上げた。
「ん? つまりコージー様が狙われているってことですか⁉︎」
「問題ない」
「いやいやいやいや、問題しかないと思いますが⁉︎ 怪我してませんか⁉︎」
「安心しろ。怪我をするどころか遭遇すらしていない」
「え? そうなの?」
案ずるイザンバに対してコージャイサンは不敵に笑いながら問題ないと言い張った。
イザンバが確認するようにイルシーの方へ身を向けると彼はニッと口角を上げるではないか。露払いは彼の仕事だ。それはもう張り切っていたに違いない。
それを察した彼女は小さく息をついた。
「話を戻すぞ。この前の休みに一緒に出掛けただろ? アレをヤツらも見てたみたいでな」
「それがどうかしたんですか?」
イザンバにすればいつも通りのお出掛けだ。一度外に出れば二人で歩いていようがお茶をしていようが横槍が入る。ほら、いつも通りだ。
つまり、あのちょっとした騒動とその後の姿を人々が見てどう思ったか。彼女はそこに思い至っていない。
いまいち理解出来ていないイザンバのために、またイルシーから補足が入る。
「コージャイサン様の行動から婚約者の御令嬢のことをなによりも大事にしているって敵も判断したみたいだ。つまり……そいつらにとってイザンバ様はコージャイサン様の弱み、正に狙い目ってワケ」
「防衛局も手を尽くしているが向こうもそれなりに頭を使って回避してくる。だから炙り出すことにしたんだ」
「いやー、この格好するだけで釣れるわ釣れるわ。イザンバ様、舐められすぎじゃね?」
実際、イザンバに扮したイルシーが一人になった途端に敵は現れていた。
——コージャイサンを脅す材料にするために
——彼を通して国を乱すために
——国を手に入れ姫に捧げるために
どこにでもいる平凡で強くもない、ただちょっと風変わりな貴族令嬢。攫うだけなら簡単だと敵はまんまと釣られたわけである。
その正体が愉しげに笑いながら狩りをする男であると誰が思おうか。
もちろんそんな姿を他人に見られるなんてヘマ、イルシーはしないのだが。
それは偏に敵だけでなく味方やその他大勢も欺くほどに囮としてのイルシーが完璧だったから。
姿形だけではなく、イザンバならこう考えるだろう、こう動くだろうと、護衛として観察してきた彼女の姿をそのまま再現したのである。そう、素の姿、淑女の仮面を被った姿の両方を。
話を聞いてイザンバは机に突っ伏した。要約すると目撃されていたイザンバはイルシーの変装であり、それは敵を炙り出し、捕まえるための囮だったという事だ。
頭が理解に追いつくと、今度は口から盛大な安堵が吐き出された。
「なんだぁぁぁ、良かったぁぁぁぁぁ!」
「黙ってて悪かったな」
「いいですよ。事情が事情ですもん」
コージャイサンの謝罪を受け入れたイザンバは眉を下げてへにゃりと笑う。
あまりにもあっさりとしているものだから思わずイルシーがツッコんだ。文句の一つや二つあるだろう、と。
「いや、いいのかよ。分かってんの? アンタ囮にされてたんだぜぇ?」
「囮になってたのは私じゃなくてイルシーでしょ? それに私自身が囮を買って出たところで逆に足を引っ張る展開しか見えないですし、そっちの方が確実じゃないですか」
「そりゃまぁ、そうだけど」
あっけらかんとしたイザンバの様子にイルシーもまぁいいかと思い直した。
実はこの囮作戦には思わぬ副産物が発生した。それは防衛局内また貴族間でイザンバへの同情票がひどく集まっていることだ。
出掛けるたびに襲われて、そして捕縛した連中を防衛局に引き渡しに行く。何度も、何度も。
同情するなと言う方が難しいほどである。
曰く「出来る男が婚約者だと大変だな」
曰く「平凡って言ってごめん。意外とタフで見直した」
曰く「このような危険に巻き込まれるのであればうちの娘を差し出さなくてよかった」
曰く「いくら助けてもらえるとはいえ、こんな恐怖にさらされ続けるのは身が持たない」
曰く「公爵令息は国のためならば婚約者を囮にすることも厭わない魔王である」
婚姻を控えた貴族令嬢の健気で挫けない姿に考え方を改める人が出てくるのも仕方がない。
——隣に立つだけで疎まれる理不尽
——共に過ごすだけで狙われる不条理
結局のところ、華やかさだけなくそれらに目が向いた結果だ。
今回はイザンバ本人がしたことではないにせよ、国内での面倒が減るならいいやと彼らは積極的にその同情票を利用することにしたわけだ。
ここでもう一つ、イザンバはある事に気が付いた。
「ヴィーシャは知ってたんですか?」
「はい。作戦内容としてはうちらはお嬢様を邸に足止めする予定でした。まぁ、それは一切必要なかったんですが」
「私ずっと家に篭って本読んでましたもんねー!」
コージャイサンの直属の部下であるイルシーが動いていたのだ。もちろん他の者達もその作戦を知っていた。
それにイルシーが囮として外に出る時、彼は必ずクタオ邸から出発し、ヴィーシャかジオーネを連れていた。
邸を見張られていることを前提として、出掛けたのは間違いなくイザンバ・クタオであると思い込ませるために。
だが、全てはイザンバが知らぬうちに決行されていたのだ。
「まさかシャスティやケイトから話を聞いてこんな風に勘違いなさるとは思いませんでしたけど。不安になったんならご主人様に相談なされば良かったのに……。こないな道具まで集めて、何で一人で頑張りはったんですか?」
拾い集めた退魔グッズをチラリと見るヴィーシャは呆れ顔。
あれやこれやと気を揉む前に誰よりも頼りになる人がいるだろうと、その声には非難が混ざる。
「あー、だってドッペルゲンガーって私の分身な訳ですし。それなら私自身が何とかするべきかなーと思って。もちろんどうにもならなかったら頼る気でしたけど……まぁ、ほら! 勘違いで済んだし!」
笑って誤魔化すイザンバに全員呆れるばかりだ。
もちろんイザンバも自分の手に負えないと分かれば、ちゃんと頼るつもりだったのだが……。
イザンバがほんの少し、僅かではあるが可能性として考えた仮説。
——コージー様が誰かいい人を見つけた。
果たしてそれが正解か不正解か、彼女には分からなかった。
——自分がその人に似ているのか、その人が自分に似ているのか。
落ちたインクがそのシミを広げるように、ジワリと心を蝕む暗い感情。だが、それでもイザンバは呑まれることなく顔を上げた。
——誰かいい人が出来たとしても、あの人はちゃんと筋を通す人だ。
以前自身がルイーザに言った事を思い出し、一瞬よぎったその仮説を頭から追い出すと、退魔グッズ集めに精を出したのだ。
しかし、実際にそっくりさんに出会うと冷静さは吹き飛び大混乱。中々スマートにいかないものである。
そこへ訝しむようにイルシーが口を挟んだ。
「つーかさぁ、あの呪文も本で知ったのかぁ?」
「……ええ、もちろん! 自分の知らないことを知ることができる。本って偉大な遺産ですよねー!」
その問いにイザンバはニッコリと笑う。
あれは遠方の国の呪文か、はたまた古代の呪文か。
イルシーもどこから引っ張り出してきたんだと問いたいところだったが、聞いたら聞いたで話が脱線し、拡張し、取り返しがつかなくなるような気がした。
今までのイザンバとのやり取りを思い出し、これ以上の言葉を飲み込んだ。
「ほんっと、ロクなもん読んでねーなぁ」
代わりに飛び出した投げやりな言葉。
イルシーにとってイザンバは護衛対象だ。いつだって戦うのはコージャイサンで彼女は後方で見抜いた敵の弱点を伝えるか安全な場所に隠れていた。そう、暗殺者の里に来た時も。
能力値で言えばイザンバは平均、イルシーは上位。間違いなく格下の彼女が手を抜いていたとはいえ自分の防御壁に亀裂を入れた。
またイザンバのオタパワーが炸裂した時、イルシーは一瞬だが確かに焦ってしまった。
先の言葉にはその悔しさが少しだけ混ざっていたのだが、果たしてそれに気付けたのは誰だろうか。
さらに呪文と聞いて楽し気になる人がもう一人。
「まさかザナに退魔の才能があるとはな。意外な収穫だ」
「ねー! 人間やれば出来るもんですね!」
軽い調子で話しているが、それだけイザンバが必死だったと言うことだ。これぞ火事場の馬鹿力というものか。
思わぬところで努力が実った形になったが悪いことではない。
羽虫を黙らせる切り札がまた一つ出来たと考えながら、コージャイサンは自身の純粋な探究心を口に出した。
「アレ、聞き慣れない珍しい呪文だったな。効果や威力を検証したいんだが。キャンディ キャンディ……何だった?」
「美味しそうだからもうそれでいいと思います」
「なんだ、教えてくれないのか?」
「検証って言うのは平均値でやるモノであって飛び抜けた能力でやるモノではないです。聖結界や防音魔法をサラッと使えちゃうコージー様が使ったら幽霊どころか土地ごと滅却しちゃいますよ。逆に死人が出ますやめてください」
イザンバの言葉に従者二人も力強く追従する。能力値最上位の人が強力な呪文を使用したらどうなるか……怖いことは考えないでおこう。
しかし、目の前であからさまにではないにしろガッカリとされるとイザンバとしても申し訳なさが募る。
コージャイサンは何も言わずにイザンバを見つめている。じっと静かに見つめている。
なんだかそこには捨てられた仔犬のような哀愁漂う雰囲気があるような、ないような……。
そんな目でただただ見つめられ、イザンバは居た堪れない。
「…………後で紙に書いてお渡しします。くれぐれも、くれぐれも! 人気のないところでお願いしますね!」
「ああ、約束する。ザナ、ありがとう」
望みが叶いコージャイサンの頬が緩む。それと同時に新しいオモチャを手にしたようにワクワクとした雰囲気に変わった。
渡したところで才気縦横の彼ならば何ら問題なく使いこなすだろう。
断じて仔犬のような目に負けたわけではない、と一人心の中で言い訳をするイザンバの目の前でコージャイサンが淡々と従者に命じた。
「お前たち、後で付き合え」
これは有無を言わさぬ決定事項。彼らに拒否権はない。
ここで珍しく彼女と従者たちが目で会話をした。
——なんかごめん!
——ほんとにな。
すんとした表情の二人。死にはしないだろうが、ちょっとこの世のものとは思えない美しい景色を見てくることになるかもしれない。
検証に巻き込まれることとなった不運な従者二人にイザンバは黙って頭を下げた。