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 ある夕食時、仕事から帰ったイザンバの父、オルディ・クタオ伯爵は娘の方をチラチラと窺うと、意を決したように口を開いた。


「ザナ、お父様に土産はないのか?」


「お土産? 何でですか?」


「何でって……遠征中のコージーの所に行ってたんだろう? 友人が二人を見かけたと言っていたんだが」


「行ってませんよ。そもそもお仕事で行かれているのに、私が行っても邪魔にしかならないですよ」


 何言ってるの? と不思議そうな顔をしながらも、サラッと言い返すとイザンバはそのまま食事を続ける。

 娘のあまりにもドライな様子に伯爵は言葉を詰まらせた。

 しかし、他人に興味の薄かった娘がここ最近は空を見上げることが増えたことを伯爵は知っている。それも人が寝静まったあとの夜の月を。

 そして、付随する表情。それは柔らかく、どこか切な気だ。

 伯爵に否が応でも娘が自分の元を去る日が近づいているのだと分からせるほどの変化であった。


「そうか、お父様には内緒か。そうだよね、そんなお年頃だよね……カジオン、今夜一杯付き合ってくれないか?」


「はい、旦那様。お付き合い致します」


 長年仕えている執事を晩酌に誘うほど、父として込み上げるものがあるのだろう。その目尻には刻まれた皺とは別にきらりと光る涙が一粒。

 哀愁漂うその姿にカジオンも頭を垂れる。


「だから行ってないって……聞いてませんね」


 呆れ返る娘の顔は果たして見えているのだろうか。

 早くも昔話で盛り上がり始める二人の様子に、イザンバは諦めて黙々と食事を続けた。




 またある時。ケイトに午後のお茶を用意してもらっていた時のこと。


「お嬢様ー。昨日のあの劇、良かったですよねー?」


「え? 劇?」


「はい。隣町で開演されている話題の小説を舞台化されたものです。私は一般席だったんですけど、お嬢様は婚約者様と貴賓席にいらっしゃいましたよねー?」


 なんとケイトが劇場でコージャイサンとイザンバを見たという。だが、劇場という場所は少し特殊だ。覚えがないイザンバはこう指摘した。


「行ってませんよ。見間違えたんじゃないですか? ほら、客席は暗いから」


「あれぇ? そうだったんでしょうかー? でも、お嬢様はともかく婚約者様を見間違いようがないと思うんですけどー」


「確かに」


 首を傾げるケイトの言葉にイザンバも同意する。暗がりにいようが霧が深かろうが、どういうわけかあの美貌は見つけやすい。

 しかし、行っていないものは行っていない。

 イザンバとケイトは揃って唸り始めた。


「まぁ、お嬢様は舞台化には興味無いって仰ってましたもんねー」


「そうそう! なんで最近の劇団はすぐ舞台化とか言ってやっちゃうんでしょう? そこまでしてやるなら徹底的に寄せるのがプロってもんじゃないですか? ねぇ、ケイトもそう思うでしょ⁉︎」


「お茶が冷めますよー」


 同意を求めたのに全く違う言葉が返された。これにはイザンバの膝もガクリと折れる。


「あれ⁉︎ 劇の話はもうお終い⁉︎」


「それは前も聞きましたからー。冷めないうちに飲んでくださいねー」


 今日のお茶は冷めてしまっては苦味が出るのだ。ケイトとしては美味しく飲んでほしい一心であった。

 せっつくケイトに対して語る事を諦めたイザンバはじっくりとお茶を味わう。こうして不思議な目撃談はお茶と共に流されたのであった。




 そしてある日の朝、シャスティに身支度を整えてもらっている時のこと。


「お嬢様、昨日婚約者様とお出かけになられるなら教えてくだされば私もお休み返上しましたのに!」


「そこは休んでください。それに昨日は出掛けてませんよ」


「でも、街でお二人を見かけましたよ。最近人気のカフェに行かれてましたよね? ヴィーシャさんもいるからご支度には困らなかったでしょうが……。ああ、せっかくの新作メイク用品を使うチャンスがっ!」


「だから、出掛けてませんってば。私はそこの積読を消化するのに忙しいんですよ」


 イザンバの回答にシャスティは不満そうだ。しかし、誰に何度聞かれようとイザンバに出掛けた覚えがないのは覆りようのない事実。

 シャスティは自分が仕える主人を見間違えるはずがない、と口をへの字に曲げながらテーブルに積まれた本の山を見た。


「積読、だいぶ減りましたね」


「でしょー?」


「お嬢様、まさか……まさかとは思いますが、徹夜はされてませんよね?」


「してません! してませんとも! お肌チェックしますか⁉︎」


 目の前に般若が降臨するのは阻止したい、とイザンバは必死に言い募る。いつもは面倒でしかないお肌チェックも自ら進んで言い出すほどに、シャスティの機嫌を取りに行った。


 しかし、三人に言われた言葉にイザンバはどことなく不安に駆られる。

 そして、まるでその不安を吐露するように机に向かうようになったのだ。




 さて、再び訪れたコージャイサンの休日。護衛のヴィーシャを連れて通されたオンヘイ邸のサロン、イザンバはソファーに腰掛けるといの一番にこう言った。


「コージー様! 緊急事態です! 由々しき事態です!」


「どうしたんだ?」


「私……もうすぐ死ぬかもしれません!」


 突拍子もない発言にコージャイサンは飲もうとしたお茶が別のところに入った。それはそれはひどく咽せている。

 イザンバは慌てて駆け寄るとその背を摩った。


「大丈夫ですか⁉︎」


「……ああ」


 呼吸が落ち着いたと思ったら伸ばされるコージャイサンの手。それは優しくイザンバの頬を撫でた。


「肌にハリがある。血色もいい。体型も……」


 されるがままのイザンバであるが、突然体勢を崩した。コージャイサンが少し強めに抱き寄せたからだ。


「変わりない」


「ちょっと待ってー! そんな確認の仕方ありますか⁉︎」


「元気そうに見えるが?」


 背中から腰へのラインをなぞりながらも、顔色ひとつ変えないコージャイサンにイザンバは全力で物申す。

 それでもコージャイサンは意に介した様子もなく、把握した現状を淡々と伝えてくるではないか。


 イザンバはどこか負けたような気分になりながらも脱出を試みる。

 胸を押し返せばあっさりと解かれる拘束に、人一人分はしっかりと距離をあけて座り直した。


「はい、私は元気です! でも、死はすぐそこまできてるんです!」


「なんで?」


 それは当然の疑問。こんなにも元気な人がなぜ死を予測しているのか。

 コージャイサンの問いかけにイザンバはそう判断した理由を告げる。


「実は最近、私は自宅にいるのに『街で見た』とか『劇場で見た』とか目撃情報が多いんです。これは間違いなくドッペルゲンガーです!」


「ドッペル?」


「思えば短い人生ですが、とても充実した素晴らしい日々でした。悔いがないと言えば嘘になりますが。だって……」


 涙を堪えるその姿に、コージャイサンが心配そうな顔をするが、これはすぐに元に戻ることになる。


「だって、死んだら推しが拝めなくなる! そんなの悲しすぎます!」


「はいはい」


「この前一緒に買いに行った本もまだ読みきれてないし、来月に発売される本もあるし、美麗画集の布教も済んでないのに……! ああ、コージー様。どうか私の部屋の本たちとコージー様のコスプレ写真と推しのグッズを私と共に埋葬してください」


「それは確実にザナが入るスペースがなくなるな」


 そう、彼女の願望を叶えるならば棺桶を特注するか、もう一つ別に必要になる。なんなら本人の棺桶よりも大きくなりそうだ。


「あと来月発売の本は私の墓前に供えてください。化けてでも読みます!」


「もはや本に取り憑いた怨霊だな」


「そんな怖いものにしないでください! それなら作家様や読者仲間を見守る守護霊がいいです!」


「よし、聖水を持ち歩こう」


「コージー様ぁ⁉︎」


 本への執念がすごいが、流石のイザンバも怨霊は怖いようだ。守護霊がいいと言うが、どちらにしてもコージャイサンならあっさりと祓ってしまう未来しか見えない。


「まぁ、冗談はさておき」


「さて置かれたー」


「そのドッペルでどうやって死ぬことになるんだ?」


 コージャイサンも初めて聞いた『ドッペルゲンガー』と言う単語。そのせいかイザンバが感じている危機がいまいちよく分からない。


「ドッペルゲンガー。自分とそっくりな姿をした分身のことで、肉体から霊魂が分離したものとも言われています。この分身体の出現は『死の前兆』とも言われてまして、本人が見ると死ぬと言われています。遠征地、隣町とどんどん近づいてきてるんですよ⁉︎ つまり私はもうすぐ……」


「へぇ」


「へぇってなんですか、へぇって」


 聞いておいて何だその返事は。さすがに二文字で終了とは切ないぞ。

 関心がないのか何か考えでもあるのか。コージャイサンは黙ってイザンバの方を見ているが、どうにもその視線がズレている。


「コージー様? どこ見てるんですか?」


 不思議に思ったイザンバは後ろを振り返って言葉を失った。


 そこに居たのはありきたりな茶髪にヘーゼルの瞳の女性。

 だが、イザンバが動きを止めてしまうほどに驚いた最大の理由、それは対面する女性の顔がまるで鏡がそこにあるかのように自分とそっくりだったからだ。

 ただただ呆然とするイザンバに女性がニッコリと微笑んだ——その瞬間。


「きゃあぁぁぁぁぁあ!!!」


 耳を(つんざ)くような悲鳴が上がり、オンヘイ邸の平穏を揺るがした。


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