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突如として下されたアウト宣言。言われたマイクは随分と間抜けな顔を晒している。そんなマイクに呆れながら、イザンバはアウトの理由を告げる。
「あなた、ビルダ様に言われた事をもう忘れたんですか?『人の話に割り込むのは失礼だ』と言われたのはつい先程ですよ? 記憶容量、少な過ぎじゃないですか?」
マイクは「ビルダ」と言う単語に身震いをした。あんなに強烈なモノ、忘れるはずがない、と。だが、マイクはその震えを無視して言い放った。
「俺は貴族からアンジーを守ろうとしているだけだ! いわばアンジーの騎士! それのどこが悪い!」
「……マイク」
「心配するな、アンジー! 俺が付いている!」
心配そうに呼びかけるアンジェリーナにマイクは力強く答える。どれだけ格好つけようとも、マイクの言動には心配しかないという事に気が付いていないのだろうか。
「…………はぁ?」
それはまるで地を這う様な声。
あまりの低音にコージャイサンか? と思えば彼は肩を竦めるばかり。その内心は「俺、しーらない」である。
では、誰の声か。それはもちろんこの人、イザンバだ。
「守る? 騎士? なんですかそれは? それにしてはお粗末ですね。守る必要のないものを守ってなんになるんですか。一体どこまで勘違いをしているんですか」
悪びれもなく主張するマイクに対して、イザンバはとても冷ややかな視線を向けながらこう続けた。
「あなた、彼女の職業すらも忘れたんですか? 雑貨屋の店員ですよ? 覚えてますか?」
「当たり前だろう! 馬鹿にするなよ!」
「それはようございました。こちらの調べによれば、彼女の勤務歴は二年半。接客態度もよく、客からの評判も中々で店長からの信頼もある。それは彼女が様々な状況に対応を出来るからです。気持ちよく買い物を終えて帰る人も居れば、中には理不尽な言い掛かりを付ける人も居るものです。身分差もありますよね。彼女はそれらの対応もしてきているんですよ。あなた、彼女が客をあしらえ無いような人だと本気で思っているんですか?」
「だが、中には力押しで来るやつもいるだろう!」
一体いつ調べたのか。イザンバはアンジェリーナの勤務歴などを読み上げ、マイクの行動そのものを否定した。
「そう言う時に頼るのが騎士ないし警備隊でしょう。間違っても貴方じゃありません。それでも騎士を気取るならば騎士道を重んじるべきでは? がむしゃらに敵に突っ込むのが騎士では無いのですよ」
この違いはお分かり? と首を傾げなるが、その実イザンバはマイクの答えなど必要としていない。
「騎士道とは正しさを重んじるのです。彼らは主人と契約を結び、更にその主人が生涯仕えるのに値する場合のみ忠誠を誓います。普段から模範であれと礼節を大切にし、時に立ち向かう勇気を奮いますが、同時に引き際を見極め退く勇気も持っています。有事の際には主人を守る為に、または多数を守る為に戦況に応じて動き、主人が間違えた判断を下せば進言をする。そう! 正に先程のビルダ様のように!」
騎士道とはなんぞや、と力説するイザンバ。一介の伯爵令嬢が何故そこまで詳しいのか。コージャイサン曰く、『狭く深く偏った知識があるから』である。確かにそれに基づけばビルダは正しく騎士である。
「あなたが騎士? 誰かを守る? はっ! ちゃんちゃら可笑しくて臍で茶が沸かせますね。むしろ馬鹿にしているのかと怒りを覚えます。ただ相手に突っ込むしかしないあなたは、一直線に的に向かう事しか出来ない砲弾となんら変わりません」
マイクの愚かな正義感を砲弾に例え、イザンバはその言葉に怒りを乗せてマイクに向ける。
「あなた、相手をきちんと確認または調べる事をしましたか? 手紙の内容を確認しましたか? 何よりも後先を考えましたか?」
マイクを真っ直ぐに見つめて問うイザンバ。しかし、その視線の強さに気圧されたマイクは答えることが出来ないでいた。
「ビルダ様はきちんと確認した上でお手紙を出したと言っていましたよね。あなたはどうですか? 己の正義感だけで飛び出して、それっぽいただの通りすがりのコージー様に因縁をつけたに過ぎないんですよ。ビルダ様の足元にも及ばないどころではないですね。いっそ踏み潰されてしまえばいいのに」
言葉と視線、その両方に侮蔑を乗せて、イザンバは更にマイクを斬り捨てにかかる。
「名乗りもせず、相手の話も聞かず、一方的に自分の主張を繰り返し、謝りもしない! 薄っぺらい正義感と思い込みで他人に迷惑をかける様のどこが騎士ですか! 全子どもと乙女の夢と希望! 騎士様舐めるんじゃありませんよ!」
言葉を繰り出すにつれてどんどんと熱が入って行き、遂にはバァン! と机を叩きつけた。イザンバの発した、そのあまりの熱量に圧倒されたマイクは思わずという風に零した。
「……なんなんだ、この女は」
「ちょっとばかり変わったうちの婚約者です。ザナ、水飲むか?」
一気に吐き出したイザンバにコージャイサンは水を勧める。この男、本当に世話に慣れている。因みにではあるが、“コージー”とはコージャイサンの愛称だ。
コージャイサンに礼を言い、一息ついてからイザンバはマイクに向けて言葉を重ねた。
「いいですか。あなたが騎士だなんて冗談でもやめてください。無理です不愉快です生理的に受け付けません」
「好き勝手言い過ぎだ!」
容赦無く言葉を叩きつけるイザンバに対して、流石のマイクも怒りを覚える。だが、怒りのボルテージはイザンバの方が上。マイクの大声に怯む事なく打ち返す。
「だまらっしゃい! ですが、せめて気持ちだけでも騎士にさせてくださいと、土下座してまで請うのならば考えてやらんこともありません。思い込みばかりで騎士を気取られては殺意しか湧き上がりません。デッド オア デッド です! 騎士とは何か。勉強してから出直しなさい! 教科書代わりにとても素敵な作品、人気作家ゾーイ・レヤモット先生の忠臣の騎士シリーz……」
「俺は本など読まん! 開いただけで眠くなる!」
「ちぃっ! だからあなたは記憶力とか集中力とか色々足りてないんですよ!」
「なんだとー⁉︎」
イザンバの発言を遮ってまでのマイクの主張に、貴族令嬢らしからぬ舌打ちが飛び出した。淑女の仮面は遠く彼方。当分戻らないだろう。
「あ、私その本知ってます。お客様に勧められて読みました。人物描写が丁寧で特に見習いに騎士の成長を段階を踏まれて書いてあって、こんな騎士様に守られたいなぁって思いました」
「そう! そう! あなた分かっているじゃないですか!」
アンジェリーナの答えに力強く同意を示すイザンバ。その勢いに押されたアンジェリーナは思わずたじろいだ。
「その描写テクで織り成される主従の絆、葛藤、成長。これが主従萌え……と何度悶えたことか! そして、どこからともなく漂うアンニュイな雰囲気! 直接的な表現はしていないのに『ちょっと今そこで何してるのー⁉︎』と言いたくなるんです! 紙の裏、いえ、紙の中まで覗き込んででも見たくなる見事な誘導! しかし、いくら覗き込もうとも見えない世界……ああ! 次元の壁が憎い! 何故私はかの方たちと同じ次元に居ないのか……覗き見れるなら犬でも猫でも、いっそ路傍の石でも構わないのに!」
イザンバは語る。マイクがアンジェリーナの事を語った様に、オリヴァーが己自身の事を語った様に、そこに一身の愛を乗せ語る。
「しかも挿し絵がランタマ・カランケシ様! 正に最強タッグ! 繊細な文章と麗しい挿し絵。ホントなにそれ最高のご褒美です! 誠にありがとうございます! あー! この喜び! この興奮! 私はこの世に生を受けて、この方々と同じ時代に生まれてきて本当に幸福です!」
語り切ったイザンバは天を仰ぐ。推しを愛し、作り手を尊び、想いは天元突破している。今彼女の目には現実世界は写っていない。
「……おい、お前の婚約者は一体なにが言いたいんだ?」
「あなたって本当に……はぁ。そうですね。要約すると前半は『貴方如きが騎士を語るな』後半は『推しへの魂の叫び』です」
何一つ理解出来ていない顔をしているマイクに、コージャイサンは諦めてざっくりと短く纏めて返した。そして、イザンバを呼び戻すために声をかける。
「ザナ、戻って来い。話が大分逸れている」
その声にハっとなり、イザンバは戻ってきた。そして、気付かぬ内に熱が入っていた己の額を拭いながらこう詫びた。
「そうでした! ふーっ。失礼致しました。あれ? なんの話でしたっけ?」
「元は『話に割り込むな』だったぞ。そこからザナが『騎士』に反応して大幅に逸れていった」
「ああ、それは本当に失礼致しました。つい滾る想いが溢れてしまって。えー、ゴホン。割り込まずにはいられないあなたに、今から私は分かりやすい要望を出します。それが出来なければぁ……」
まるで今から悪戯をしかけるような、にんまりとした笑みを浮かべて間を作るイザンバ。
「……出来なければ?」
一体どんな事を求められるのか。只ならぬ雰囲気にマイクに緊張感が走った。アンジェリーナも心なしか不安そうだ。
「教育的指導のお時間ですよ」
そう言いニッコリと笑うイザンバの隣には、眼鏡を掛け右手に教鞭を持つコージャイサンが居た。
「どこから出したんだ! その眼鏡と教鞭は!」
「紳士の嗜みです」
「嘘つけ!」
いつの間に装着したのか。長くイザンバと共に過ごしてきた影響か、それとも元々の質なのか。なんの打ち合わせもなくここまで出来る辺り、二人の息はよく合っている。
マイクはそんなコージャイサンに噛み付かずには居られなかったようだが、アンジェリーナはうっとりと頬を染め見惚れている。
「何て言うか、いっそ腹が立つほど似合いますねコージー様。これだから美形ってやつは。……いや待てよ。これって軍服と鞭も似合うやつじゃね? やっばい! ちょ、コージー様! 今度着てみません⁉︎ 絶対似合う!」
「分かったから落ち着けって。気が向いたらな」
「是非とも宜しくお願いしますー!」
たかが眼鏡。されど眼鏡。装飾品一つで雰囲気は変わるのだ。それが乙女のロマン、王道とも言われる軍服を着ている所を目の当たりにしたのなら……。思わず鼻息を荒くしたイザンバにコージャイサンの返答は火に油を注ぎそうだが、一先ず話の軌道を元に戻した。
「さて、要望とは簡単な事です。待て、ですよ。待・て」
「俺を犬猫と一緒にするな!」
「あらー。何言っているんですか? 犬も猫も賢いですよ? 一緒にする訳ないじゃないですかー。こんな三歩歩いたら忘れるような方と! ……それともぉ、あなた待ての一つも出来ないんですかぁ?」
ニンマリと笑いながら言うイザンバには遠慮の影も形もない。マイクは悔しそうに顔を歪めたかと思うと、まるで閃いた! とでも言うように声を上げた。
「そうか! 分かったぞ! だからお前はアンジーに目を付けたんだな!」
「は?」
何が分かったと言うのか。呆けた声を出したコージャイサンにマイクはニヤリと笑い、得意気に己の考えを披露する。
「お前こんな変わった女が婚約者だなんて耐えられなかったんだろう! 優しいアンジーに心癒され、愛人として狙っていたんだな!」
「何ふざけた事言ってんだこの馬鹿が」
なんと言うことか。コージャイサンの言葉遣いが乱れた。ここまでどれだけマイクが無礼であっても言葉遣いを崩すことがなかっただけに衝撃である。ゴホン、と一つ咳払いをしてコージャイサンは喋り出した。
「記憶能力に欠如のある方だとは思っていましたが、ここまで酷いとは思いませんでした。その頭は最早ただの飾りですね。その空っぽの頭の中身、もう一度詰め直して来なさい。ああ、例え詰めたとしても回路がしっかりと機能しないと意味がないですね」
「んなっ!」
即座に言い返そうとしたマイクをコージャイサンは視線だけで制した。その目には侮蔑の色が浮かんでいる。
「俺は最初から人違いだと言ってる上に、彼女のことは知らないと言いました。知った今でも興味はありません。面倒だから流そうかと思っていましたが、これ以上ふざけた事を言うならもう我慢なりません。名誉毀損で訴えます」
「え⁉︎」
何言ってるんだ⁉︎ と言う風に驚くマイク。何故そんなにも驚くのか。それはマイクが自分は訴える側で、訴えられる側になる事を想定していなかったからだろう。
「証拠もない言い掛かりの上に、あんな大通りで濡れ衣を着せられたんです。訴える理由としては十分です。それにあれだけの人が見ていたんです。証人に困る事はありません」
コージャイサンの言葉に迷いはない。事実、オンヘイ公爵家が証人を求めれば多くの手が上がることだろう。
「俺はザナとの婚約を解消する気はないし、愛人も探していません。あなたの言う女性にも興味の欠片もない。これだけはっきり言ってもまだ理解できないなら、その頭を開いて忘れないように直接書き込んであげますよ。……ああ、それとももっと分かりやすく、教育的指導と行きましょうか」
殺気を滲ませ笑う姿は恐怖しか煽らない。コージャイサンの掌の上でパシッ、パシッ、と弾みながら、教鞭は己の存在を主張している。おかしい。教鞭とは凶器か何かだっただろうか。
「うわー。温厚なコージー様がこんなに怒るなんて。あなた本当に馬鹿ですね」
最早イザンバもオブラートには包まない。包んだ所でマイクにはその真意を探ったりする事は出来ないだろう。なら、ストレートに言うのが一番だ。
「感心していないで止めろ!」
「お断りしますっ!」
「なんでだ⁉︎」
婚約者なら止められるだろう。そう考え助けを求めたマイクの甘さを、イザンバは間髪入れずに斬り捨てた。正に一刀両断だ。
「何が『なんで?』ですか? あなたが悪いんじゃないですか」
意味がわからない。そんな顔をするマイクに、イザンバは呆れながらも答えを示す。
「いいですか。彼女の言う美形の貴族はコージー様ではなくオリヴァー様でした。さらに婚約者から届いたと言う脅迫文はお詫び文でした。あなた、気付いていないでしょうけど、ここまで迷惑かけてまだ一言も謝罪してないんですよ。それなのに、コージー様もオリヴァー様もビルダ様も何故貴方にそれを要求しなかったのか。そんなもの、例え貴方が裁判局に訴え出たとしても証拠なんてない話。こちらは無実だと言えば済む話ですもの。あ、オリヴァー様はちょっと怪しい感じですけどね!」
懇々と説明をした後にケラケラと笑うイザンバ。もしかして自分はとんでもない状況に居るのかと、今更ながらにマイクは気付き青褪めた。
「さぁ、折角だから選ばせてあげましょう。社会的死か教育的指導か」
嗤うコージャイサンは悪魔か死神か。どちらを選んでもマイクの未来は決まっている。
さてはて、マイクはどっちを選ぶのでしょうか。
どう転んでもいい事無しですが、それは仕方のない事。罰は甘んじて受け入れてもらいましょう。
それにしてもイザンバが語ると長いww